島田事件|物証なき死刑を支えた自白と、自白へ合わせられた法医学鑑定

公開日 2026年3月3日
最終更新 2026年7月31日

島田事件は、1954年3月10日、静岡県島田市の幼稚園から6歳の女児が連れ去られ、3日後に山林で遺体となって発見された事件である。

赤堀政夫さんは窃盗容疑で別件逮捕された後、事件を認める供述をし、1958年に死刑、1960年に最高裁で確定した。物的証拠はなく、自白と自白に沿う法医学鑑定が有罪認定の中心だった。

第4次再審請求で自白と遺体の傷の矛盾が再検討され、1989年1月31日に無罪となった。赤堀さんは2024年2月22日、94歳で亡くなった。

POINT
この記事でわかること
  • 1954年に6歳女児が殺害された事件の経緯
  • 赤堀政夫さんが別件逮捕から自白へ至った流れ
  • 自白と法医学鑑定が死刑判決を支えた問題
  • 4度目の再審請求で審理が動いた理由
  • 1989年に再審無罪となった決定的な根拠
  • 赤堀さんの死去と現在の事件状況

島田事件の概要|6歳女児殺害から再審無罪まで

項目内容
事件名島田事件
発生日1954年3月10日
発生場所静岡県島田市
被害者6歳の女児
遺体発見1954年3月13日、大井川対岸の山林
冤罪被害者赤堀政夫さん
事件当時の年齢25歳
別件逮捕1954年5月、窃盗容疑
問われた罪当時の強姦致傷、殺人
一審判決1958年5月23日、静岡地裁が死刑
控訴審1960年2月17日、東京高裁が控訴棄却
死刑確定1960年12月
再審請求計4回
再審開始決定1986年5月30日
再審無罪判決1989年1月31日
拘禁期間約34年8か月
刑事補償約1億2000万円
赤堀さんの死去2024年2月22日、94歳
現在赤堀さんの無罪は確定。真犯人は特定されていない

1954年3月、幼稚園から6歳女児が行方不明に

1954年3月10日、島田市内の幼稚園から6歳の女児が行方不明になりました。

3日後の3月13日、大井川を挟んだ対岸の山林で女児の遺体が発見されます。捜査当局は、女児が性的被害を受けたうえで殺害された事件とみて、大規模な捜査を始めました。

前科のある者や定職を持たない者など、多くの人が捜査対象となります。その中で容疑を向けられた一人が、当時放浪生活を送っていた赤堀政夫さんでした。

赤堀政夫さんを窃盗容疑で別件逮捕|事件を認める自白が作られた

赤堀さんは1954年5月24日、岐阜県内で警察官から職務質問を受けました。神社のさい銭を盗んだことを認めたため、翌日、窃盗容疑で逮捕されます。

いったん釈放された後、別の窃盗容疑で再び逮捕され、島田事件について厳しい取調べを受けました。5月30日、赤堀さんは女児の殺害を認める供述をします。

赤堀さんは後の裁判で、暴力的な取調べによって虚偽の自白をさせられたと訴えました。一方、再審無罪判決は取調べによる自白の任意性までは否定せず、自白内容が客観的事実と矛盾し、信用できないと判断しています。

赤堀さんには知的な障害があったとされ、再審判決は、事件の重大性を十分理解しないまま捜査官へ迎合して供述した可能性にも言及しました。

自白と遺体の状況に矛盾|古畑鑑定が死刑判決を支えた

捜査段階の自白では、女児に性的暴行を加えた後、石で胸を殴り、さらに首を絞めて殺害したとされていました。

しかし、最初に司法解剖を行った医師の鑑定は、胸の傷が死後に生じた可能性を示していました。これは、胸を殴った後に首を絞めたという自白と一致しません。

静岡地裁は一度結審した裁判を再開し、法医学者の古畑種基に再鑑定を依頼。古畑鑑定は胸の傷を生前のものとし、自白に沿う犯行順序を示しました。

この鑑定によって、自白には科学的な裏付けがあると評価されます。1958年5月23日、静岡地裁は赤堀さんのアリバイ主張を退け、死刑判決を言い渡しました。

1960年に死刑確定|物的証拠のないまま死刑確定者へ

赤堀さんは無実を主張して控訴しましたが、1960年2月、東京高裁は控訴を棄却しました。

同年12月には最高裁も上告を棄却し、死刑判決が確定。赤堀さんは、いつ執行されるか分からない状況で長い拘禁生活を送ることになります。

有罪を直接裏付ける指紋や血痕、目撃証言などがあったわけではありません。中心となったのは、自白と、それに整合するとされた法医学鑑定でした。

客観的証拠が乏しい中で自白が重視され、死刑まで確定したことが、島田事件の最大の問題です。

赤堀さんは4度の再審請求|最初の3回は棄却

赤堀さんは死刑確定後も無実を訴え続けました。

  • 1961年:第1次再審請求
  • 1964年:第2次再審請求
  • 1966年:第3次再審請求
  • 1969年:第4次再審請求

最初の3回は棄却され、第4次請求も1977年、静岡地裁で退けられました。

弁護側は、確定判決を支えた古畑鑑定に対し、複数の法医学者による新たな鑑定を提出。女児の胸の傷や首を絞められた時期を検討すると、自白で語られた犯行順序と一致しないと主張しました。

東京高裁が審理を差し戻し|自白の核心に重大な疑問

1983年5月、東京高裁は第4次再審請求を棄却した静岡地裁の決定を取り消し、審理を差し戻しました。

高裁は、犯行の順序は枝葉の問題ではなく、実行行為の核心に関わると指摘。自白と客観的事実の食い違いは、供述全体の真実性を揺るがすと判断しました。

さらに、自白で凶器とされた石についても、血液などが付着していたか十分な鑑定が行われておらず、審理を尽くす必要があるとしました。

1986年に再審開始|検察の抗告も退けられる

差し戻し後、静岡地裁は双方が提出した法医学鑑定を改めて検討しました。 1986年5月30日、同地裁は再審開始と死刑執行停止を決定します。

決定は、石で胸を強く殴ったという自白に客観的な裏付けがなく、事件後の行動についても事実と異なる供述が含まれていると指摘しました。 また、犯人しか知り得ない事実を語る「秘密の暴露」も認められず、自白の信用性に重大な疑問があると判断しています。

検察側は即時抗告しましたが、1987年3月、東京高裁が棄却。検察が最高裁への特別抗告を断念したため、再審開始が確定しました。

1989年1月31日に再審無罪|34年8か月ぶりに釈放

再審公判では、検察側が再び有罪を主張し、死刑を求刑しました。法医学者による証言を中心に、計12回の公判が開かれます。

1989年1月31日、静岡地裁は赤堀さんに無罪判決を言い渡しました。

判決は、胸の傷が自白どおり石で殴られてできたものか疑問があり、自白には客観的事実と矛盾する点が複数あると認定。自白以外に、赤堀さんと犯行を結びつける証拠はないと結論づけました。

検察側は控訴せず、無罪が確定。赤堀さんは判決当日、逮捕から34年8か月ぶりに釈放されました。

死刑4再審の一つ|処刑されていれば無罪は証明できなかった

島田事件は、免田事件、財田川事件、松山事件に続き、死刑確定後の再審で無罪となった4件目の事件です。 これらは「死刑4再審」と呼ばれ、日本の刑事司法に深刻な誤判が存在したことを示しました。

赤堀さんの死刑が先に執行されていれば、再審無罪判決を本人が迎えることはできませんでした。刑を取り消すことのできない死刑制度と、誤判の危険性を考えるうえで、極めて重い意味を持つ事件です。

約1億2000万円の刑事補償|失われた人生は戻らない

無罪確定後、赤堀さんには長期間の拘禁に対する刑事補償として、約1億2000万円が支払われました。

しかし補償金によって、25歳から59歳までの時間が戻ることはありません。家族との生活、仕事、社会経験を奪われ、釈放後には大きく変わった社会で生活を作り直さなければなりませんでした。

長期拘禁のため年金の受給資格も得られませんでしたが、2013年に死刑再審無罪者を救済する制度が設けられ、年金を受給できるようになりました。

犯行当日に島田市にいなかった可能性を示す足取り

赤堀さんは事件当時、定職を持たず各地を移動していた。捜査側は生活の不安定さと別件窃盗を理由に疑いを強めた。

再審支援の過程では、赤堀さんが各地で泊まった場所や出会った人物を絵と記憶からたどり、事件当日に島田市へいなかった可能性を示す資料が集められた。

生活歴や知的能力への偏見は犯人性の証明にならない。具体的な日時と移動経路を客観資料へ結び付ける検証が必要だった。

自白に合わない傷を、後の鑑定が自白へ合わせた

赤堀さんの自白では、女児の胸を石で殴った後に首を絞めたという順序が語られていた。

最初の司法解剖は胸の傷が死後に生じた可能性を示し、自白と合わなかった。確定審では別の法医学鑑定が傷を生前のものと評価し、自白へ科学的な裏付けがあるとされた。

再審は、傷の成因と時期を自白から独立して検討し、石で殴ったという核心部分に合理的疑いがあると判断した。鑑定が供述へ引き寄せられる危険を示す例となった。

犯人しか知らない事実がなく、自白以外の結び付きもなかった

再審判決は、自白に客観的事実との矛盾が多く、内容が変転し、犯人しか知り得ない『秘密の暴露』もないと評価した。 赤堀さんの指紋、血痕、遺留品など、犯行現場と直接結び付ける物的証拠も存在しなかった。

重大事件で詳しい供述が作成されても、捜査官が示した情報や誘導から生じた可能性を排除できなければ、独立した証拠として扱えない。

1989年無罪から2024年の死去まで

静岡地裁は1989年1月31日、赤堀さんへ無罪を言い渡し、検察が控訴しなかったため確定した。赤堀さんは約34年8か月の拘禁から解放された。

刑事補償は約1億2000万円だったが、25歳から59歳までの生活、仕事、家族との時間は戻らなかった。

赤堀さんは2024年2月22日、名古屋市内の施設で94歳で死亡した。無罪は現在も確定し、女児を殺害した真犯人は特定されていない。

島田事件と袴田事件は、同じ静岡の死刑再審でも別の事件

島田事件は1989年に無罪が確定し、長く日本で最後の死刑再審無罪事件だった。2024年には袴田巌さんの再審でも無罪判決が出た。

二つは静岡県で起き、死刑確定後に再審無罪となった点では共通するが、犯行、証拠、自白、再審争点は異なる。 個別事件の証拠構造を混ぜず、それぞれで捜査・鑑定・裁判がどのように誤ったのかを検証する必要がある。

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