東大阪女児殺人事件|2歳の土山真樹子ちゃんが同じ路地で二度襲われた未解決事件

公開日 2026年6月25日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1984年
都道府県
大阪府
事件分類
未解決事件 / 殺人事件
事件状況
未解決

1984年11月21日午後2時10分ごろ、大阪府東大阪市稲葉の路地で、2歳の土山真樹子ちゃんが倒れているのを近隣住民が見つけた。首にはひも状の物で絞められた痕があり、病院へ搬送されたが、その日のうちに死亡した。

異例だったのは、これが最初の被害ではなかったことだ。約1カ月前の10月19日、真樹子ちゃんはほぼ同じ場所で首を絞められ、意識を失った状態で発見されていた。このときは生還し、数日間入院している。

犯人は幼い同じ女児を、同じ生活圏で二度襲ったことになる。ところが人物の特定には至らず、事件は未解決のまま旧制度の公訴時効を迎えた。現在ウェブ上で確認できる警察の個別公開資料は乏しく、事件の細部は1984年当時および時効前後の新聞記事を参照した後年資料に依存する部分が大きい。

被害者土山真樹子ちゃん(当時2歳)
最初の被害1984年10月19日・自宅裏の路地付近で首を絞められ生還
二度目の被害1984年11月21日午後2時10分ごろ発見
場所大阪府東大阪市稲葉・自宅裏の路地付近
死亡二度目の被害で搬送後に死亡
特徴約1カ月の間に、ほぼ同じ場所で同じ女児が二度襲われた
犯人未特定
現在の法的状態旧制度の公訴時効が完成

10月19日、真樹子ちゃんは最初に首を絞められた

後年資料が参照する当時報道によると、最初の被害は1984年10月19日午後に起きた。真樹子ちゃんは自宅裏の路地付近でうつ伏せに倒れ、意識を失った状態で発見された。首にはひも状の物で絞められた痕が残っていた。

真樹子ちゃんは病院で意識を取り戻し、5日間入院したと伝えられている。この段階では命を取り留めた。幼児が自宅近くで一人倒れているだけなら事故も考えられるが、首に圧迫痕があったことから、人為的に首を絞められた疑いが生じた。

約1カ月後、ほぼ同じ場所で二度目の被害

11月21日午後2時10分ごろ、再び自宅裏の路地付近で真樹子ちゃんが倒れているのが見つかった。後年資料には、近隣住民が物音を聞いて路地を確認し、排水溝付近で真樹子ちゃんを発見したという記録が残る。

首には前回と同様、ひも状の物で絞められた痕があった。真樹子ちゃんは病院へ搬送されたが、約9時間後に死亡。司法解剖で死因は窒息とされたと、当時報道を参照する資料は伝えている。

同じ女児への二度の襲撃――ここは推測ではなく事件の核心

事件の最も重要な特徴は、最初の被害から約1カ月しかたっていない時期に、同じ2歳児がほぼ同じ場所で再び首を絞められた点にある。二つの事件が全く無関係だったと裏付ける資料はなく、捜査では一連の犯行として扱われたとされる。

ただし、「二度襲われた」ことから直ちに犯人が家族の知人だった、周辺住民だった、最初の犯行の口封じだったなどと結論づけることはできない。犯人が生活圏を知っていた可能性は考えられても、それを特定の関係性へ置き換える証拠は公表されていない。

首の痕は二度とも似ていたと報じられた

複数の後年資料は、当時報道を基に、二度の被害で残った首の痕に共通点があったと記している。強い力で一気に締めるというより、比較的弱い力を持続的に加えたような痕だったという。

この特徴は犯行方法を考える手掛かりになり得るが、現在公開されている鑑定書や捜査資料そのものを確認できる状況ではない。したがって、犯人の年齢や体格、性別まで痕跡から推定することは避けるべきだ。

最初の被害後、外へ出ることを怖がったとの記録

当時報道を参照する資料には、10月の被害後、真樹子ちゃんが路地へ出ることを強く怖がるようになり、11月21日は久しぶりに外へ出た日だったとの記述がある。2歳という年齢を考えれば、本人から犯人像や経緯を十分に聞き取ることは難しかった。

この記述が正しければ、最初の被害は真樹子ちゃん本人に強い恐怖を残していたことになる。しかし、その反応をもとに犯人との面識や動機まで推測することはできない。被害者の行動と犯人の意図は別の事実として扱う必要がある。

祖父宅へかかってきた女性の声の電話

事件をめぐって長く語られてきた手掛かりの一つが電話である。後年資料によると、最初の被害の直後、東大阪市内に住む祖父宅へ若い女性の声で電話があり、すすり泣くような声で意味の通らない言葉を続け、最後に「すみません」と話して切れたとされる。

その後も数日おきに無言電話が複数回あったという。もっとも、この電話の主が犯人だと判明したわけではない。犯行を知る人物だったのか、偶然の電話だったのか、いたずらだったのかも公表資料からは確定できない。

電話の存在を犯人像へ直結させる危険

女性の声だったとする記録から、女性犯人説や家族周辺の人物説が語られることがある。しかし、電話の主の身元と犯行との関係が確認されていない以上、その声を犯人の属性として扱うことはできない。

未解決事件では、目立つ一つの情報が事件全体の説明に使われやすい。だが、電話はあくまで事件前後にあったとされる一つの出来事であり、犯人を絞り込む確定証拠として扱う根拠はない。

犯人は真樹子ちゃんの生活を知っていたのか

同じ路地で同じ幼児が二度襲われたため、犯人が真樹子ちゃんの生活圏や行動を把握していたのではないかという見方は自然に生まれる。ただし、それは捜査仮説の範囲を出ない。

現場が自宅裏であれば、近隣住民だけでなく、通勤・配達・工事・訪問などで地域へ出入りする人物も存在する。家族関係、近隣関係、外部者のいずれかを公的に犯人像として確定した記録は確認されていない。

被害者が幼すぎたことが捜査を難しくした

最初の事件で真樹子ちゃんは生還したが、当時2歳だった。何があったのか、誰が近づいたのか、どのように首を絞められたのかを大人の被害者のように説明することは難しい年齢である。

二度目の被害で死亡したため、最初の事件で得られなかった情報を後から補う機会も失われた。犯人が同一人物だったとしても、最初の被害から二度目までの約1カ月に、直接的な証言へつながる材料は限られていたと考えられる。

1984年当時の殺人罪には公訴時効があった

事件当時、殺人罪の公訴時効は15年だった。その後2004年に死刑に当たる罪の時効は25年へ延長され、2010年には人を死亡させた殺人罪などの公訴時効が廃止された。

ただし2010年改正は、施行時点ですでに公訴時効が完成していた事件には適用されない。真樹子ちゃん事件は1984年発生で、旧制度の時効が完成した後に2010年改正が施行されたため、改正によって再び起訴可能になったわけではない。

「時効成立」と「犯人が判明した」は別の話

公訴時効が完成すると、その事件について新たに犯人を起訴して刑事裁判で責任を問うことはできない。しかし、誰が犯行に及んだのかという歴史的・事実的な疑問まで解消されるわけではない。

本件では逮捕・起訴された人物の記録はなく、犯人の氏名も動機も確定していない。時効後に特定人物を実名で犯人視することは、刑事裁判による検証の機会がないまま断定することになり、より慎重でなければならない。

公開一次資料が乏しい事件ほど、確度の違いを残す必要がある

真樹子ちゃん事件は、現在ウェブ上で参照できる警察の個別事件ページや判決文がなく、当時の新聞記事を引用した後年資料から事件経過をたどる部分が大きい。1984年11月22日の朝日新聞、1999年11月の読売新聞・朝日新聞の記事が参照元として挙げられている。

そのため、日時、被害者名、二度の被害、首を絞められた痕、死亡、祖父宅への電話、公訴時効といった複数資料で一致する部分を中心に記録し、犯人像や動機、家族・近隣の関係者への疑いは付け加えない。資料の少なさは、推測で埋める理由にはならない。

残った事実は、2歳の女児が一度生還し、約1カ月後に再び襲われたこと

1984年10月、真樹子ちゃんは首を絞められながら生還した。ところが11月21日、ほぼ同じ路地で再び首を絞められ、今度は命を失った。二度の被害は、この事件を他の未解決事件と区別する最も重い事実である。

犯人は特定されず、刑事裁判による事実認定もない。だからこそ、事件を記録する際は「誰がやったか」を物語にするのではなく、確かに残っている二度の被害と、その後も解明に至らなかった経過を中心に置く必要がある。

参考資料・出典

実在事件ファイル「土山真樹子ちゃん殺人事件」

未解決事件等一覧ブログ「東大阪女児やり直し殺人事件(土山真樹子ちゃん殺人事件)」

法務省「刑事訴訟法における公訴時効に関する改正」

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