三億円事件|偽白バイと発炎筒で2億9430万7500円を奪い、1975年に公訴時効

公開日 2026年6月17日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1968年
都道府県
東京都
事件分類
強盗・監禁・暴行事件 / 未解決事件
事件状況
未解決

1968年12月10日午前9時20分ごろ、東京都府中市の府中刑務所北側を走っていた現金輸送車に、白バイ警察官を装った男が停止を命じた。車には、東芝府中工場の従業員に支給する冬の賞与2億9430万7500円が、3個のジュラルミンケースに入れて積まれていた。

男は「車に爆弾が仕掛けられている」という趣旨の説明をし、車体の下へ潜り込んだ。やがて発炎筒から煙と炎が上がると、乗っていた銀行員4人を車から遠ざけ、自ら運転席へ乗り込んで走り去った。犯行に要した時間は約3分。暴行で現金を奪ったのではなく、警察官と爆弾騒ぎを装って車を手に入れた事件だった。

警視庁は延べ17万人を超える捜査員を投入し、11万人を超える人物を調べたが、犯人を特定できなかった。1975年12月10日に公訴時効が成立し、刑事裁判は一度も開かれていない。「真犯人」として語られてきた人物や説は多数あるが、司法によって犯人と認定された者はいない。

発生1968年12月10日 午前9時20分ごろ
場所東京都府中市・府中刑務所北側道路
被害額2億9430万7500円
現金東芝府中工場従業員約4500人分の冬季賞与
輸送銀行員4人、ジュラルミンケース3個
手口白バイ警察官を装い「爆弾」を口実に車外へ退避させた
人的被害死亡・負傷者なし
刑法上の位置付け窃盗事件
公訴時効1975年12月10日成立
民事時効1988年12月10日成立

「三億円」は通称で、実際の被害額は2億9430万7500円だった

事件名は「三億円事件」だが、積まれていた現金は正確には2億9430万7500円だった。日本信託銀行国分寺支店から東芝府中工場へ運ばれていた賞与で、銀行員4人が現金輸送車に乗っていた。

当時は給与や賞与を現金で支給することが一般的で、大量の現金を一度に輸送する機会が存在した。犯人が狙ったのは「約3億円」という抽象的な金額ではなく、支給日に合わせて工場へ運ばれる具体的な現金輸送だった。TBSの後年の特集では、賞与の対象となった従業員は4525人とされている。

犯行4日前、同じ銀行には300万円を要求する脅迫状が届いていた

白バイ警察官を装った男の説明が銀行員に受け入れられた背景には、事件4日前の12月6日に起きた別の脅迫があった。日本信託銀行には、300万円を用意しなければ支店長宅を爆破するという趣旨の脅迫状が届いていた。

12月10日、偽警察官は支店長宅で爆発があり、現金輸送車にも爆弾が仕掛けられているという趣旨の話をした。当時の担当者は直前の脅迫を知っていたため、突拍子もない話として即座に退けることが難しい状況だった。犯人は「警察官らしい外見」だけでなく、直前の出来事まで利用した。

発炎筒を「爆弾」に見せ、4人を車から離れさせた

偽警察官は車の下を調べるふりをし、発炎筒を点火した。煙と炎を見せたうえで「爆発する」という趣旨の警告を発し、銀行員4人を現金輸送車から離れさせた。

銀行員が退避すると、男はそのまま運転席へ乗り込み、現金輸送車を発進させた。犯行は約3分で終わった。銃器を突きつけて現金を渡させる方法ではなく、「危険から守る警察官」を演じることで、銀行員自らを車から離れさせた点にこの事件の特徴がある。

現金輸送車は約1時間後に見つかったが、3個のケースは消えていた

警視庁は事件後すぐに捜査を開始した。共同通信の50年特集によれば、現金輸送車は約1時間後、現場から1キロほど離れた国分寺市の雑木林で発見された。

しかし、車内に積まれていた3個のジュラルミンケースはすでになかった。輸送車が発見された時点で犯人は現場を離れており、現金の入ったケースも車内から持ち去られていた。事件当日の捜索は、現金輸送車の発見だけでは犯人確保につながらなかった。

4か月後、別の逃走車と空のジュラルミンケースが発見された

事件から約4か月後の1969年4月9日、逃走に使われたとみられる別の車が団地の駐車場で見つかった。車内には、現金を抜き取られた3個のジュラルミンケースが残されていた。

フジテレビがまとめた事件年表では、同年4月9日に「逃走用の車と3億円が入っていたジュラルミンケースを団地で発見」と記録されている。事件当日に輸送車が見つかった後も、現金がどこで別の車へ移されたのか、そこから誰がどこへ向かったのかを確定できないまま捜査が続いた。

遺留品は153点。それでも犯人を特定する決め手にはならなかった

犯人は偽白バイ、ヘルメット、発炎筒、車両など多くの物を犯行に使用し、捜査対象となる遺留品は153点に及んだ。通常なら遺留品の多さは捜査の手掛かりになり得るが、この事件では最終的な個人特定へ結び付かなかった。

フジテレビの取材記録では、偽白バイに取り付けられていたトランジスタメガホンの塗装部分から、後に小さな新聞紙片が見つかったことも紹介されている。捜査は一つ一つの物品の流通や購入経路へ広がったが、決定的な証拠にはならなかった。

延べ17万1805人の捜査員、11万7950人への聴取でも逮捕に至らなかった

捜査規模は非常に大きかった。フジテレビが当時の記録を基に示した数字では、投入された捜査員は延べ17万1805人、取り調べや聴取の対象となった人物は延べ11万7950人、捜査費用は約9億円に達した。

人数と費用を投じたこと自体が、捜査の正しさや犯人像を保証するわけではない。多数の参考人、遺留品、車両、脅迫状を追っても、起訴できる人物には行き着かなかった。刑事手続の観点では、逮捕・起訴・有罪判決のどの段階にも進んでいない。

「三億円強奪事件」と呼ばれても、刑法上は窃盗事件とされる

報道や書籍では「三億円強奪事件」「三億円強盗事件」と呼ばれることがある。だが、ブリタニカ国際大百科事典は、この事件を日本の刑法上の窃盗事件として説明している。

犯人は銀行員に暴行や直接の脅迫を加えて現金を差し出させたのではなく、警察官を装い、爆発の危険を信じ込ませて車から離れさせ、その隙に現金輸送車を持ち去った。通称に「強奪」という語が使われても、それがそのまま刑法上の罪名を意味するわけではない。

死亡者も負傷者も出なかったが、被害額だけで異例の事件になった

三億円事件では、銀行員4人を含め死亡者・負傷者は出なかった。犯人は暴力で人を制圧する代わりに、偽装と欺罔によって現金輸送車から人を遠ざけた。

一方で、被害額は当時として突出して大きく、しかも白昼の路上で警察官になりすまして実行された。人的被害がなかったことと、事件の社会的規模が小さかったことは同義ではない。警視庁は長期間にわたる大規模捜査を続けることになった。

公開捜査は12月21日のモンタージュ写真から続いた

事件から11日後の1968年12月21日、警察は犯人とみられる人物のモンタージュ写真を公開した。翌1969年4月9日には団地の駐車場で逃走用とみられる車と空のジュラルミンケースが発見され、1970年12月には偽白バイに使われたトランジスタメガホンから新聞紙片が見つかった。

手掛かりは事件直後だけで途切れたわけではない。車両、偽白バイの部品、ヘルメット、発炎筒、新聞紙片などを個別に追い、購入経路や使用状況を調べる作業が続いた。それでも、これらを特定人物の犯行へ結び付け、起訴できるだけの証拠にはならなかった。

1975年12月10日、公訴時効が成立した

犯人が起訴されないまま7年が経過し、1975年12月10日に公訴時効が成立した。当時の法制度では、この事件について刑事責任を追及できる期間がここで終了した。

フジテレビの事件年表では、同日を事件発生から7年後の公訴時効成立日としている。さらに1988年12月10日には民事上の時効も成立したとされる。事件が未解決であることと、現在も刑事捜査によって起訴できる事件であることは同じではない。

時効成立は「犯人が無罪になった」という意味ではない

公訴時効が成立した時点でも、特定の人物について無罪判決が出たわけではない。そもそも三億円事件では、犯人として起訴された人物がいないため、有罪・無罪を判断する刑事裁判自体が開かれていない。

時効後に誰かが犯人を名乗ったとしても、それだけで事件の事実認定が司法判断として確定することはない。現在語られる犯人説と、刑事裁判で確定した事実を区別する必要があるのはこのためだ。三億円事件は「無罪事件」ではなく、起訴に至らないまま公訴時効を迎えた未解決事件である。

「少年」「複数犯」などの説は、確定した犯人像ではない

三億円事件には、長年にわたって数多くの犯人説が語られてきた。特定の少年、当時の不良グループ、複数犯説などが書籍やテレビ番組で取り上げられている。

しかし、刑事裁判で有罪認定を受けた人物は一人もいない。捜査線上に浮上したこと、取材で名前が挙がったこと、後年の推理が筋の通った説明に見えることは、「犯人と確定した」こととは異なる。記事上も、推測を確定事実へ置き換えることはできない。

モンタージュ写真や大量の遺留品も、刑事司法上の結論には結び付かなかった

事件発生後、警察は12月21日にモンタージュ写真を公開した。さらに車両や偽装白バイを含む多くの遺留品を追い、翌年以降も新たな手掛かりを分析した。

それでも、公開された似顔像や物証から特定人物を起訴するには至らなかった。三億円事件で残ったのは「証拠がなかった」という単純な状況ではなく、多数の手掛かりが存在しながら、犯人性を法的に立証できる一本の線へまとまらなかったという未解決の形だった。

未解決事件として確定しているのは「誰も有罪になっていない」という点

事件から半世紀以上が経過した現在も、映像作品、書籍、雑誌では新証言や犯人説が繰り返し取り上げられている。ただし、公訴時効成立までに起訴された人物はおらず、判決による犯人認定も存在しない。

確定しているのは、1968年12月10日に2億9430万7500円が現金輸送車ごと持ち去られたこと、銀行員4人に人的被害がなかったこと、大規模な捜査でも犯人が特定されず、1975年12月10日に公訴時効が成立したことだ。「真犯人」が誰だったかは、刑事司法上は決着していない。

参考資料・出典

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