1997年3月19日、東京都渋谷区円山町の木造アパートの空室で、東京電力に勤務していた女性(当時39歳)の遺体が発見された。女性は3月8日深夜から9日未明にかけて首を絞められて死亡したとみられ、所持金の一部がなくなっていた。
近隣に住んでいたネパール国籍のゴビンダ・プラサド・マイナリが強盗殺人罪で起訴されたが、一審は無罪、控訴審は逆転有罪で無期懲役とし、2003年に確定した。その後、被害者の身体や現場の遺留物から、マイナリとは異なる同一男性のDNA型が検出された。東京高裁は2012年に再審を開始し、同年11月7日に無罪が確定した。
| 事件名 | 東電OL殺人事件 |
|---|---|
| 発生日・期間 | 1997年 |
| 発生場所 | 東京都渋谷区円山町 |
| 被害・事件 | 1997年3月19日、東京都渋谷区円山町の木造アパートの空室で、東京電力に勤務していた女性(当時39歳)の遺体が発見された。女性は3月8日深夜から9日未明にかけて首を絞められて死亡したとみられ、所持金の一部がなくなっていた。 |
| 現在の状況 | 再審無罪確定・真犯人未特定 |
| 判決 | ゴビンダ・プラサド・マイナリは2012年11月7日に再審無罪確定 |
円山町の空室で発見された女性の遺体
女性は大手電力会社で経済分析に関わる仕事をする一方、勤務後に渋谷周辺で男性客と会う生活を続けていた。事件当夜の行動を追うため、警察は勤務先を出た時刻、駅や飲食店での目撃、円山町で接触した人物を調べた。
遺体が見つかった部屋は、普段は人が住んでいないアパートの一室だった。首には絞められた痕があり、財布には小銭が残る一方で紙幣がなくなっていたため、警察は金品を奪う目的を含む殺人とみた。室内には複数の人物に由来し得る体液、毛髪、使用済みのコンドームなどが残されていた。
女性の私生活は報道で広く取り上げられたが、職業や行動が被害の責任を生じさせるものではない。刑事裁判で必要だったのは、最後に誰と部屋へ入り、どの遺留物が殺害時の犯人を示すのかを、時間関係まで含めて判断することだった。
不法残留での逮捕から強盗殺人の起訴へ
マイナリは現場に隣接する建物で同国人らと暮らし、以前に被害女性と接触したことがあった。警察は事件後に事情を聴き、まず入管法違反の不法残留容疑で逮捕した。その身柄拘束中に強盗殺人の捜査を進め、同年5月に再逮捕した。
検察は、現場のコンドームからマイナリのDNA型と一致する精液が検出されたこと、部屋の鍵や被害女性との接点、事件後の行動などを状況証拠として積み上げた。自白や殺害を目撃した証人、凶器に当たる直接証拠はなかった。
弁護側は、マイナリが以前に同じ部屋で女性と会ったため精液が残ったのであり、殺害時に現場へいた証明にはならないと主張した。遺留物がいつ付着したのか、別の男性が事件当夜に部屋へ入った可能性があるかが、公判の中心になった。
東京地裁が言い渡した無罪判決
東京地裁は2000年4月14日、マイナリを無罪とした。判決は、検察の状況証拠を個別に検討し、現場に残った精液が殺害時より前に付着した可能性を排除できないと判断した。被害女性が複数の男性と接触していたことも、犯人を一人に限定する際に考慮された。
室内に第三者の体毛や体液が存在したこと、事件当夜の女性の足取りに空白があることから、マイナリ以外の人物が犯行に及んだ合理的な可能性が残るとされた。裁判所は、疑いがあることと有罪を証明できることを区別した。
検察は控訴し、無罪判決後に釈放されるはずだったマイナリの再勾留を求めた。東京高裁が勾留を認めたため、帰国の可能性があった本人は引き続き拘束され、同じ証拠をめぐる控訴審へ進んだ。
控訴審は、同じ状況証拠を総合したときの意味を一審と異なる形で評価した。個々の証拠が単独で犯人性を決めなくても、相互に支え合えば合理的な疑いを超えるとし、無期懲役を言い渡した。第一審の無罪後も身柄拘束が続き、上級審で逆転有罪となった経過は、刑事裁判における事実評価の大きな相違を示した。
検察側は、第三者との接触が殺害前にあった可能性も主張したが、再審開始決定は、資料の残存状況や犯行時刻と合わせると、確定判決の犯人認定に合理的な疑いが生じると判断した。DNA型だけで真犯人を決めたのではなく、従来の状況証拠のつながりを崩す新証拠として位置付けた。
再審公判で検察は有罪立証を行わず、東京高裁は2012年11月、ゴビンダさんに無罪を言い渡した。長期間の拘束に対する刑事補償も認められた。無罪確定は、確定判決で有罪とされた人物の法的地位を回復したが、捜査機関が当初から保有していた資料の開示と保存のあり方にも課題を残した。
東京高検は再審開始後、無罪判決を求める姿勢へ転じた。再審公判で争わないことは、過去の捜査や控訴審判断が自動的に正当化されることを意味しない。東京高裁の無罪判決は、確定有罪判決を取り消し、検察が合理的疑いを超える立証をできないことを法的に確定した。
東京高裁の逆転有罪と最高裁での確定
東京高裁は2000年12月22日、一審判決を破棄し、マイナリに無期懲役を言い渡した。控訴審は、被害女性が殺害直前に別の男性を部屋へ入れた可能性を低く評価し、マイナリ由来の遺留物と接点を総合すれば犯人と認められるとした。
一審と控訴審は新たな直接証拠が加わらない中で正反対の結論を出した。弁護側は、疑いを被告人に不利に積み重ねた判断であり、第三者の痕跡を十分に説明していないと上告した。
最高裁は2003年10月に上告を棄却し、無期懲役が確定した。マイナリは服役しながら無実を訴え、2005年に東京高裁へ再審を請求した。
開示証拠とDNA再鑑定が示した第三者
再審請求の過程で、弁護側は未鑑定または十分に検討されていなかった遺留物の開示とDNA型鑑定を求めた。被害者の体内から採取された資料、体表の付着物、陰毛、衣類や爪に残る物質などが改めて調べられた。
その結果、マイナリとは一致しない一人の男性のDNA型が、複数の資料から検出された。この型は、被害女性と殺害時に近い時間帯に接触した第三者の存在を強く示し、以前から現場に残っていたという説明では処理しにくい証拠だった。
さらに、確定判決がマイナリの犯人性を補強するために使った証拠と、新鑑定の第三者痕跡が同じ場面に存在し得ることが明らかになった。確定判決の証拠構造全体に合理的な疑いが生じた。
捜査段階では、被害者の所持品をゴビンダさんが持っていたとする証拠や、現場室内に残された体毛、精液などが検討された。検察は、被害者と接触していたこと、現場へ出入りできたこと、所持品に関する事情を積み重ねた。しかし一審は、接触の可能性と殺害犯であることの間に飛躍があり、犯行時刻や第三者の存在を排除できないと判断した。
再審請求後に開示された資料には、現場から採取されながら確定審で十分に評価されなかった第三者の体液や体毛が含まれていた。新しいDNA型鑑定で、それらが同一の別人に由来し、ゴビンダさんとは一致しないことが示された。被害者の体内に残った資料と現場の体毛が一致したことは、殺害時に別の男性がいた可能性を具体的にした。
事件現場に残った第三者のDNA型は、被害者と接触した人物の存在を示すが、その人物が直ちに殺害犯であると法的に確定したわけではない。捜査は別人の関与を前提に見直される必要がある一方、年月の経過によって目撃記憶や周辺資料が失われている。被害女性の殺害事件は未解決として残っている。
確定審で有罪を支えた状況証拠は、再審で一つずつ消えたのではなく、第三者が現場にいた可能性を前提に意味が変わった。被害者の所持品や現場への接点があっても、殺害時の在室を示さなければ犯人性の決め手にはならない。証拠全体の組み合わせを再評価することが、再審開始の判断となった。
再審開始と約15年ぶりの釈放
東京高裁は2012年6月7日、再審開始と刑の執行停止を決定した。決定は、第三者のDNA型が被害者の身体の複数箇所から検出されたことを重視し、その人物が犯人である可能性を否定できないとした。
マイナリは同日、刑務所から釈放された。不法残留による退去手続のため入管施設へ移された後、ネパールへ帰国し、長期間離れていた家族と再会した。検察は再審開始へ異議を申し立てたが、別の部の東京高裁が棄却し、特別抗告は断念された。
再審開始は、マイナリが真犯人ではないと積極的に断定するだけでなく、確定有罪を維持できるほどの証明がないことを示す手続だった。新証拠は、最初の無罪判決が指摘した第三者犯行の可能性を具体化した。
2012年の再審無罪と残された殺人事件
2012年10月に開かれた再審公判で、検察は従来の有罪主張を変更し、マイナリ以外の者が犯人である可能性を否定できないとして無罪意見を述べた。東京高裁は11月7日、検察の控訴を棄却し、一審無罪を維持した。検察が上訴権を放棄し、同日無罪が確定した。
マイナリは刑事補償を受けたが、逮捕から帰国まで約15年にわたり自由を奪われた。事件は、無罪判決後の被告人を再勾留する運用、検察が保有する証拠の開示、DNA型鑑定の時期と範囲をめぐる問題を残した。
再審無罪によって、被害女性を殺害した犯人が別にいることが強く示された。しかし第三者DNAの人物は刑事裁判で特定されず、殺人事件そのものは未解決のままである。被害者の私生活を消費する報道と、証拠に基づく犯人特定は分けて考えなければならない。
第三者DNA型に一致する人物は公表されておらず、被害者を殺害した人物は現在も特定されていない。再審無罪によって事件が解決したのではなく、一人の有罪認定が誤りだったことが確定した。確定判決と矛盾する証拠を早い段階で開示し、被告人側が鑑定できる制度の重要性が示された事件である。
再審無罪後、ゴビンダさんはネパールへ帰国した。日本の刑事補償制度に基づく補償が認められたが、約15年間の身柄拘束と家族生活の損失を元に戻すものではない。支援者と弁護団は、無罪判決だけでなく、なぜ第三者の資料が確定審で十分に開示されなかったのかを検証するよう求めた。
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