1976年3月2日午前、札幌市中央区の北海道庁本庁舎1階エレベーター前で、消火器を使った時限式爆弾が爆発した。道庁職員の男女2人が死亡し、95人が重軽傷を負った。天井の一部が崩れ、窓ガラスが飛び散るほどの爆発で、行政庁舎にいた多数の人が巻き込まれた。
この事件で殺人罪などに問われたのが大森勝久だった。大森は公判で一貫して犯行を否認したが、札幌地裁は1983年に死刑を言い渡し、札幌高裁も控訴を棄却。1994年に最高裁で死刑が確定した。その後も大森は再審を求め続け、2025年7月には目撃証言の信用性を争う新たな心理学鑑定を提出して第4次再審請求に入った。
| 事件名 | 北海道庁爆破事件 |
|---|---|
| 発生日 | 1976年3月2日 |
| 発生場所 | 北海道庁本庁舎1階エレベーター前 |
| 被害 | 職員2人死亡、95人重軽傷 |
| 被告人 | 大森勝久 |
| 一審 | 1983年3月29日・札幌地裁、死刑 |
| 控訴審 | 1988年1月21日・札幌高裁、控訴棄却 |
| 上告審 | 1994年7月15日・最高裁、上告棄却 |
| 現在 | 死刑確定、第4次再審請求中 |
出勤時間帯の道庁1階で爆発
爆発が起きたのは午前9時ごろだった。共同通信の記録では、爆弾は本庁舎1階のエレベーター前に置かれた消火器を使った時限式のものだった。爆発で職員2人が死亡し、95人が重軽傷を負った。北海道の行政中枢で通常業務が始まる時間帯に起きたため、被害は特定の個人にとどまらなかった。
警察庁は後年の白書で、この事件を「過激な理論や思想を背景とする」爆弾事件の一つとして挙げている。1970年代には企業や公共施設を狙う爆弾事件が相次いでおり、道庁爆破もその時代の重大事件として長く記録されることになった。
この時代には、1974年の三菱重工ビル爆破事件をはじめ、不特定多数を巻き込む爆弾事件が大きな社会問題となっていた。北海道庁爆破事件でも、標的となった行政機関に政治的主張を伝えるだけでなく、出勤中の職員を含む多数の人が死傷した。事件の被害を理解するうえでは、声明の思想内容よりも、公共空間に時限爆弾が置かれた結果をまず押さえる必要がある。
地下鉄駅のコインロッカーから犯行声明文
事件後、札幌市営地下鉄の駅にあるコインロッカーから、「東アジア反日武装戦線」を名乗る犯行声明文が見つかった。共同通信の用語解説も、爆発の発生とこの声明文の発見を事件の主要経過として記録している。
ただし、声明文が見つかったことと、個々の被告人が実際に爆弾を製造・設置したかどうかは別の問題である。後の刑事裁判では、大森本人と犯行をどのように結び付けるかが中心的な争点となり、確定後の再審請求でも証拠評価が繰り返し争われてきた。
声明文は事件の背景を示す重要資料ではあるが、その名義と当時すでに知られていた組織の構成員を単純に同一視できるものでもない。刑事裁判で必要なのは、文書の存在とは別に、起訴された人物が爆弾を準備し設置したことを証拠から認定できるかである。大森の裁判が長期化し、確定後も再審請求が続いたのは、この犯人性の部分が一貫して争われたためだった。
大森勝久を逮捕、本人は犯行を否認
北海道警は1976年8月に大森を逮捕し、その後、道庁爆破事件について爆発物取締罰則違反、殺人、殺人未遂などで起訴した。大森は捜査段階から公判、死刑確定後に至るまで、自分は道庁に爆弾を設置していないとして無実を主張している。
このため事件は、爆発そのものの重大性に加え、犯人性を支えた証拠がどの程度信用できるかという問題を抱え続けた。2025年の第4次再審請求でも、弁護団は確定判決で重視された目撃証言に焦点を当てている。
大森が犯行を認める自白をして死刑判決に至った事件ではない。確定審では目撃証言や押収物、事件との関連を示すとされた複数の事情を総合して犯人性が認定された。このため、再審で一つの証拠の信用性を争う場合も、その証拠だけを切り離すのではなく、残る証拠を含めて有罪認定が維持できるかが問題になる。
1983年、札幌地裁が死刑判決
札幌地裁は1983年3月29日、大森を有罪と認定して死刑を言い渡した。判決後も大森側は犯人性を争い、控訴したが、札幌高裁は1988年1月21日に控訴を棄却した。
さらに最高裁へ上告したものの、1994年7月15日に上告は棄却された。これによって死刑判決は確定した。大森は死刑確定囚となった後も犯行を認めておらず、裁判のやり直しを求める再審手続へ移っていった。
一審判決から最高裁の上告棄却まで約11年、事件発生からは約18年が経過していた。その間、大森側が一貫して争ったのは、自分が爆弾を設置したという犯人性だった。量刑だけを争って死刑を回避しようとした事件ではなく、そもそも起訴された実行行為を行っていないという立場が、確定後の再審請求にもそのまま続いている。
死刑が確定した後に再審請求が始まっても、再審開始決定が出るまでは確定判決そのものが取り消されるわけではない。このため大森の法的地位は長年「死刑確定」のまま推移している。第4次再審請求は、その確定判決を支えた証拠を新たな資料によって再評価できるかを札幌地裁が審査する段階にある。
第1次再審では道警鑑定の信用性を争う
大森側が最初の再審請求を申し立てたのは2002年だった。再審請求では、確定判決で大森と爆薬原料を結び付ける材料とされた北海道警察の鑑定について、実施時間や手順の整合性などを問題にした。
札幌弁護士会の2007年の会長声明によれば、弁護側は新たな鑑定書を提出し、原審で用いられた鑑定の信用性を争った。札幌地裁は2007年3月に再審請求を棄却し、その後も上級審で再審開始には至らなかった。
声明が具体的に取り上げたのは、爆薬原料との関連を示すとされた北海道警察本部犯罪科学研究所の鑑定だった。弁護側は、記録された時間内に鑑定を実施することが可能だったのか、指紋採取や写真撮影の記録と鑑定過程が整合するのかを問題にした。再審請求は棄却されたものの、確定審の物証評価そのものを検証し直す手続が長く続く契機となった。
第2次、第3次の請求も再審開始に至らず
大森は2013年に第2次、2019年に第3次の再審請求を申し立てた。第3次については、札幌地裁と札幌高裁が再審開始を認めず、最高裁も2024年1月に特別抗告を棄却した。これで第3次までの再審請求は終了した。
第1次から第3次まで再審開始が認められなかったため、刑事手続上の結論は一貫して1994年の死刑確定のままだった。それでも大森側は、証拠の見方や新たな専門家意見を変えながら請求を重ねた。再審は単なる再上告ではなく、確定判決後に新証拠などを基に裁判をやり直すべきかを判断する特別な手続であり、請求しただけで死刑判決が失効するものではない。
第3次請求が最高裁で終了したのは2024年1月で、その約1年半後に第4次請求が申し立てられた。過去の請求では道警鑑定など物証評価も争われたのに対し、第4次では目撃者がそもそも人物の顔を識別できる条件にあったのかという認知・記憶の問題が前面に出た。長年同じ無実主張を繰り返すだけでなく、争点となる証拠に新しい専門的評価を加えた形である。
再審請求が棄却されたからといって、本人の無実主張がなくなったわけではない。一方、再審開始が認められていない段階では、1994年に確定した死刑判決が法的に維持されている。
第4次再審請求は「目撃できたのか」を検証
2025年7月1日、弁護団は札幌地裁に第4次再審請求を申し立てた。新たに提出したのは、事件当時に「大森に似た人物を見た」とする目撃証言について、その視認条件を再現した心理学の専門家による鑑定だった。
北海道文化放送によれば、鑑定は証人と対象人物の位置関係などを再現し、「顔を知覚できない」「仮に知覚できても初回の取り調べまで記憶が保持されたとは考えにくい」と指摘した。弁護団は、この鑑定によって確定判決の重要な証拠だった目撃証言の信用性が大きく損なわれると主張している。
目撃証言は、証人がその場で何を見られたかだけでなく、見た時間、距離、明るさ、対象人物の動き、その後に写真など別の情報へ接したかによっても評価が変わり得る。第4次請求が従来の請求と異なるのは、事件当時の視認条件を再現し、記憶研究の知見から証言形成の過程を検討する専門家意見を前面に出した点にある。
50年を経ても続く再審手続
事件から50年となった2026年3月、共同通信は大森が前年7月に4度目の再審請求をした状態にあると伝えた。2026年8月27日時点で、再審開始を認める決定や第4次請求を棄却する決定が公表されたことは確認できず、死刑確定と再審請求が並行する状態が続いている。
北海道庁爆破事件は、2人の死亡と95人の負傷という大きな被害を生んだ爆弾事件であると同時に、確定判決後も犯人性をめぐる争いが長期化している事件でもある。現在の焦点は、半世紀前の目撃証言を新たな専門的知見からどこまで再評価できるかに移っている。
参考資料・出典
- 共同通信「北海道庁爆破事件 50年前の3月2日」
- 北海道文化放送「大森勝久死刑囚 4回目の再審請求」
- 共同通信ニュース用語解説「北海道庁爆破事件」
- 札幌弁護士会「道庁爆破事件に関する再審請求棄却決定についての会長声明」
- 警察庁 令和元年警察白書 特集資料
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