草加次郎事件|爆弾・銃撃・脅迫が続いた未解決事件

公開日 2026年7月23日
最終更新 2026年7月31日

草加次郎事件は、1962年11月から1963年9月にかけて、東京都内を中心に相次いだ爆破、銃撃、脅迫事件の総称である。犯人の氏名、性別、単独犯か複数犯か、犯行を突然やめた理由は判明していない。現在も日本の犯罪史を代表する未解決事件の一つである。

POINT
この記事でわかること
  • 島倉千代子さんの後援会事務所に爆発物が届いた経緯
  • 映画館や電話ボックスで相次いだ爆破事件
  • 上野公園で発生した男性狙撃事件
  • 吉永小百合さんら著名人が脅迫された状況
  • 銀座線京橋駅の電車内で10人が負傷した事件
  • 指紋や筆跡がありながら犯人を特定できなかった理由
  • 公訴時効成立後も残る犯人像と動機の謎
項目内容
事件名草加次郎事件
発生期間主に1962年11月から1963年9月
主な発生場所東京都内
事件の種類爆破、爆発物郵送、銃撃、脅迫、恐喝未遂
犯行件数十数件とされる
死亡者確認されていない
主な被害地下鉄銀座線爆破事件で乗客10人が重軽傷
犯人名「草加次郎」を名乗った人物
犯人の実名不明
単独・複数不明
犯行の目的不明。金銭要求、著名人への脅迫、社会への敵意などが混在
捜査警視庁が延べ約1万9000人の捜査員を投入
逮捕・起訴なし
公訴時効1978年9月5日に成立
現在の状況犯人未特定の未解決事件

1962年11月、島倉千代子さんの後援会事務所へ爆発物

一連の事件で最初に「草加次郎」の名前が確認されたのは、1962年11月4日だった。人気歌手だった島倉千代子さんの後援会事務所へ、差出人名のない封筒が郵送された。封筒の中には、ボール紙で作られた筒状の装置が入っていた。装置には「祝」「呪」などの文字とともに、「草加次郎」と記されていた。

事務所の男性が装置を開こうとすると火薬が燃え、白煙が上がった。男性は右手に全治約2週間のやけどを負っている。装置は、紙を引き抜く動作によってマッチのような発火部分が作動する仕組みだったとされている。島倉さん本人ではなく、郵便物を処理していた事務所関係者が被害を受けた。

ホステス宅や映画館にも爆発物

最初の事件から間もなく、東京都港区に住む女性のもとにも、爆発物を仕込んだ郵便物が届けられた。この郵便物は不審物として扱われ、大きな人的被害には至らなかったとされている。11月20日には、東京・有楽町の映画館「ニュー東宝劇場」の客席で爆発が発生した。

観客が座席付近に置かれた不審物へ触れたところ爆発し、負傷者が出ている。続く11月26日には日比谷劇場の洗面所でも爆発物が作動した。この事件では大きな人的被害はなかった。現場に残された装置の構造や文字、指紋などから、警察は同一人物による連続事件の可能性が高いと判断した。

電話ボックスと浅草寺でも負傷者

1962年11月29日、東京都世田谷区の公衆電話ボックスに仕掛けられた爆発物が作動した。電話ボックスを利用した人物が負傷している。犯人は、誰が装置へ触れるか分からない公共空間に爆発物を置いていた。同年12月12日には、浅草寺境内にある切り株付近に置かれた物が爆発し、男性1人が負傷した。

被害者はいずれも犯人と個人的な関係があったわけではなく、偶然その場所を利用したことで事件へ巻き込まれている。一連の犯行は、著名人への嫌がらせから、不特定多数を危険にさらす無差別的な行為へ拡大していった。

吉永小百合さんへ繰り返された脅迫

1963年になると、「草加次郎」を名乗る人物は、当時18歳だった女優・吉永小百合さんを標的とした。吉永さんの自宅などへ複数の脅迫状が届き、現金を用意するよう要求する内容も含まれていた。要求額は100万円とされ、現金の受け渡し場所や方法も指定された。

警察は指定場所で警戒しましたが、現金を受け取りに現れる人物はいなかった。島倉千代子さんや吉永小百合さんのほか、鰐淵晴子さん、桑野みゆきさんなど、当時の女性芸能人へも脅迫が行われたとされている。ただし、犯人が女性芸能人を狙った理由や、本人へ危害を加える具体的な計画があったのかは分かっていない。

上野公園で男性を銃撃

1963年7月15日、東京・上野公園周辺で男性が突然、銃で撃たれる事件が発生した。被害者は屋台を営んでいた男性で、銃弾を受けて重傷を負った。犯行には、犯人が自作したとみられる小型の銃器が使われたとされている。

その後、警視庁へ銃器や弾丸に関する物品が送られ、「草加次郎」との関係を示す内容が添えられていた。それまで爆発物を中心としていた犯行に、直接人を狙う銃撃が加わったことで、事件の危険性はさらに高まった。

東横百貨店を狙った爆破と脅迫

1963年夏には、東京・渋谷の東横百貨店を標的とする事件も相次いだ。百貨店へ爆破を予告する電話があり、店内の洗面所などで爆発物が作動した。屋上に時限式の装置が置かれた事件や、店長宛てに爆発物が郵送され、開封した関係者が負傷した事件も発生している。

多数の買い物客が利用する百貨店を狙ったことで、大きな混乱と不安が広がった。警察は施設の警戒を強化し、不審物の捜索や来店者の避難対応を行った。

地下鉄銀座線京橋駅で時限爆弾が破裂

一連の事件で最大の人的被害が出たのは、1963年9月5日の地下鉄銀座線爆破事件である。東京・京橋駅に停車していた渋谷方面行き電車の座席付近で、時限式の爆発物が破裂した。爆発によって車内は損傷し、乗客10人が重傷または軽傷を負った。

電車が発車する直前の車内には多くの乗客がった。爆発の規模や位置が異なっていれば、さらに大きな被害が出た可能性がある。爆発物には、時計を利用した時限装置が組み込まれていたとみられた。事件後、「草加次郎」を名乗る人物から爆破予告に関する手紙が届き、警察はそれまでの事件と同じ系列の犯行と判断した。

「草加次郎」は実在する名前だったのか

「草加次郎」は、犯人が手紙や爆発物へ記した名乗りである。実名だったことを示す証拠はなく、偽名として使用された可能性が高いと考えられている。読み方についても、「そうか・じろう」「くさか・じろう」などの可能性があり、確定していない。

名前の由来についても、埼玉県草加市、幕末の赤報隊に関係する人物名、単なる語呂合わせなど、複数の説が出た。しかし、いずれの説にも決定的な根拠はない。

指紋と筆跡を残しながら特定されず

草加次郎を名乗る人物は、完全に痕跡を消していたわけではない。現場の爆発物や脅迫状から指紋が採取され、複数の手紙には特徴的な筆跡が残っていた。警察は指紋を犯罪者や関係者の記録と照合しましたが、一致する人物を発見できなかった。

筆跡についても、多数の資料と比較されましたが、作成者の特定には結び付かなかった。当時の指紋照合は現在のように大規模なデータベースを瞬時に検索できるものではなく、比較できる記録にも限界があった。指紋が一致しなかったことだけで、犯人に前科がなかったと断定することはできませんが、捜査対象を絞り込めなかった大きな要因となった。

火薬や電気に詳しい人物を捜査

一連の爆発物には、発火式、時限式、郵便物を開くと作動する方式など、異なる仕組みが使われていた。警察は、犯人が火薬、電気回路、時計装置、金属加工などに一定の知識を持っている可能性があるとんだ。理工系の知識を持つ人物、火薬を扱う職業の関係者、爆発物へ強い関心を持つ人物など、約9600人が捜査対象として調べられたとされている。

延べ約1万9000人の捜査員が投入されましたが、装置に使われた材料の多くは一般に入手可能なものだった。購入記録や製造番号から、特定の人物へたどり着くことはできなかった。

金銭目的だったのか

草加次郎を名乗る人物は、著名人や企業へ現金を要求する脅迫を行った。しかし、指定した受け渡し場所へ犯人が現れ、実際に現金を受け取った事実は確認されていない。そのため、金銭獲得そのものより、警察や社会を混乱させることが目的だった可能性も検討された。

脅迫文には社会への不満や犯行を正当化するような内容があったとされますが、特定の政治思想や明確な要求を一貫して示していたわけではない。著名人への執着、金銭要求、無差別的な爆破、銃撃という異なる行動を一つの動機だけで説明することは困難だった。愉快犯、恐喝目的、反社会的な意思表示などが推測されましたが、犯人の真の目的は解明されていない。

単独犯か複数犯かも不明

警察は、共通する署名、指紋、筆跡、装置の特徴などから、同一人物を中心とする犯行とみて捜査した。一方、短期間に異なる場所で爆発物の設置、郵送、銃撃、脅迫を繰り返しているため、協力者がいた可能性も検討された。爆発物の製作者、手紙の作成者、現場へ装置を置いた人物が、すべて同じだったと証明されたわけではない。

模倣犯による脅迫や、草加次郎の名前を利用した別事件が混在した可能性もある。刑事裁判が開かれなかったため、どの事件が同じ犯人によるものだったかを、証拠に基づいて最終判断する機会もなかった。

地下鉄爆破後に犯行が途絶える

1963年9月の地下鉄銀座線爆破事件以降、「草加次郎」と明確に結び付けられる重大事件は確認されなくなった。犯行をやめた理由について、警察の警戒が強まったため、身近な人物に疑われたため、事故や病気などで活動できなくなったためなど、さまざまな推測が出た。しかし、犯人の身元自体が不明であり、活動停止の理由を裏付ける証拠もない。

犯人が別の地域へ移ったのか、別の名義で事件を起こしたのかも確認されていない。

1978年9月5日、公訴時効が成立

当時、殺人未遂などの重大犯罪にも一定期間の公訴時効が定められていた。最後の主要事件とされた地下鉄銀座線爆破事件から15年が経過し、1978年9月5日に公訴時効が成立した。公訴時効が成立すると、後に人物が判明しても、時効が完成した犯罪について原則として起訴できない。

その後、死亡結果を伴う重大犯罪の公訴時効制度は改正されましたが、草加次郎事件では死亡者が確認されておらず、すでに完成した時効が復活することもない。犯人を逮捕できないまま、刑事手続きによる真相解明の機会は失われた。

草加次郎事件の主な時系列

  • 1962年11月4日:島倉千代子さんの後援会事務所へ爆発物を郵送し、男性がやけど
  • 11月13日ごろ:港区に住む女性へ爆発物入りの郵便物が届く
  • 11月20日:有楽町のニュー東宝劇場で爆発し、観客が負傷
  • 11月26日:日比谷劇場の洗面所で爆発物が作動
  • 11月29日:世田谷区の電話ボックスで爆発し、利用者が負傷
  • 12月12日:浅草寺境内の爆発物で男性が負傷
  • 1963年5月以降:吉永小百合さんへ複数の脅迫状を送付
  • 7月15日:上野公園周辺で屋台を営む男性を銃撃し重傷を負わせる
  • 7月から8月:渋谷の東横百貨店を狙った爆破や脅迫が相次ぐ
  • 9月5日:地下鉄銀座線京橋駅で電車内の時限爆弾が破裂し、乗客10人が重軽傷
  • 9月:吉永小百合さんへ100万円を要求する脅迫状を送付
  • 事件後:警視庁が延べ約1万9000人の捜査員を投入
  • 1978年9月5日:犯人未特定のまま公訴時効が成立
  • 現在:犯人の氏名、性別、人数、動機はいずれも不明

現在の状況|犯人未特定、公訴時効成立済み

草加次郎事件では、犯人として逮捕、起訴された人物はいない。現場や手紙から指紋と筆跡が得られましたが、特定の人物との一致は確認されなかった。「草加次郎」という人物が実在したのか、単独犯だったのか、複数人が同じ名前を使用したのかも不明である。

1978年9月に公訴時効が成立しており、現在、新たに人物が浮上しても、一連の時効完成事件について起訴することはできない。現在の正確な状況は、十数件の爆破、銃撃、脅迫を行った人物が特定されないまま、公訴時効が成立した未解決事件である。

草加次郎事件が残したもの

草加次郎事件では、芸能人の事務所、映画館、電話ボックス、寺院、百貨店、地下鉄という、人が集まる場所が次々と標的になった。被害者は犯人と面識のない人が中心で、郵便物を開封した、電話ボックスを使った、映画や電車を利用したというだけで負傷している。犯人は指紋や筆跡を残しながら、当時の捜査技術と記録の限界もあり、特定されなかった。

金銭を要求しながら受け取りに現れず、政治的な主張も明確ではないため、犯行の目的も最後まで絞り込めなかった。地下鉄爆破事件を最後に犯行が途絶えた理由も分からず、人物像に関する多くの説が残されている。確認されていない人物を犯人と断定せず、実際に起きた事件と、後世に語られた推測を分けて記録する必要がある。

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