連続企業爆破事件|三菱重工8人死亡・380人負傷、桐島聡は49年後に死亡不起訴

公開日 2026年2月26日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1974年
都道府県
東京都
事件分類
大量殺人事件 / 未解決事件 / 爆破・テロ事件
事件状況
未解決

1974年8月30日昼、東京・丸の内の三菱重工本社ビル前で二つの時限式爆弾が爆発した。警察庁の記録では8人が死亡し、380人が負傷。正面玄関と周辺は大きく破壊され、通行人や会社員を含む多数の人が巻き込まれた。東アジア反日武装戦線「狼」が実行したこの爆破は、翌1975年まで続く連続企業爆破事件の出発点となった。

一連の企業爆破は11件に及ぶ。1975年5月に主要メンバーが一斉逮捕され、複数の被告人に長期の刑事裁判が続いた一方、メンバーの桐島聡は逮捕されないまま約49年にわたり所在不明となった。2024年1月、神奈川県内の病院で桐島を名乗った男性が死亡。警視庁はDNA型鑑定などから本人と特定し、5件の爆破事件について被疑者死亡のまま書類送検した。

主な発生期間1974年8月〜1975年5月
実行組織東アジア反日武装戦線
企業爆破警察庁の整理で11件
三菱重工本社爆破1974年8月30日
三菱重工事件の被害8人死亡・380人負傷(警察庁)
主要メンバー逮捕1975年5月
大道寺将司・益永利明死刑判決が1987年に確定
桐島聡2024年に本人特定、5事件を書類送検
桐島の処分2024年3月、被疑者死亡で不起訴

正午過ぎの丸の内で起きた三菱重工本社爆破

三菱重工本社爆破は、企業施設だけを壊した事件ではない。警察庁は、ビル正面玄関前に置かれた時限式爆弾2個が爆発し、通行人など388人が死傷したと整理している。死者8人、負傷者380人という数字は、戦後日本の爆弾事件の中でも突出して大きい。

実行側からは爆発前に電話による通告があったとされるが、限られた時間内に周囲を退避させるには至らなかった。後年の危機管理研究でも、情報の信頼性を判断できないまま爆発に至り、不特定多数の安全確保ができなかった事例として検討されている。

「狼」から「大地の牙」「さそり」へ広がった爆破

東アジア反日武装戦線は単一の実行班だけで動いた組織ではなかった。「狼」に加え、「大地の牙」「さそり」と呼ばれるグループが連携し、企業を標的とする爆破を続けた。警察庁は、三菱重工事件の後も同調者とともに爆弾事件を次々に起こし、企業爆破は11件に達したとしている。

標的とされたのは海外事業を展開する企業などだった。実行側は独自の政治的理論を掲げていたが、裁判で問われたのは、その思想の評価ではなく、爆発物を用いて人の生命や身体を危険にさらし、実際に多数を死傷させた行為の刑事責任である。

三菱重工本社爆破の約2週間前にも、実行グループは別の爆破を準備していた。警察庁が「荒川鉄橋爆破予備事件(虹作戦)」として記録する事件で、1974年8月14日、皇族が乗る特別列車を荒川鉄橋上で爆破するため導火線などを敷設したが、実行直前に中止した。警察白書によれば、このとき用意した爆弾が8月30日の三菱重工本社爆破に使われた。

1975年に入っても企業を狙った爆破は止まらなかった

爆破は1974年だけで終わらない。警察庁の昭和51年警察白書は、1975年に入ってからも、間組本社・大宮工場、韓国産業経済研究所、オリエンタルメタル、間組作業所、江戸川橋梁の間組工事現場などで爆破が続いたと記録している。前年の三井物産館内爆破や大成ビル爆破などと合わせ、企業を標的にした一連の事件が長期間継続していた。

捜査側が注目したのは、犯行声明だけではなかった。警視庁は声明文の分析から、1974年3月に地下出版された爆弾製造教本「腹腹時計」の出版グループとのつながりを追い、構成員の割り出しと裏付け捜査を進めた。組織名や思想的主張ではなく、出版・連絡・爆弾製造を結ぶ具体的な活動の痕跡が捜査線を狭めていった。

数字を見る際には、対象範囲にも注意が要る。昭和50年警察白書は、1974年中に国内で約50件の爆発物事件が発生し、全体で8人死亡・430人負傷と記録している。これは東アジア反日武装戦線による「企業爆破11件」だけの被害数ではない。三菱重工本社爆破の8人死亡・380人負傷と、1974年の爆発物事件全体の数字は分けて読む必要がある。

1975年5月19日、8人が一斉に逮捕された

警察庁によると、1975年5月19日、「狼」「大地の牙」「さそり」のメンバー8人が逮捕され、さらに2人が指名手配された。捜査の結果、11件の企業爆破に加え、1971年以降未解決だった4件の爆破も同じメンバーらの関与とされ、警察は計15件を解決したと整理している。

構成員の多くは会社員や店舗従業員などとして生活する一方、住居の床下などに爆弾製造のための場所を設けていたことも警察白書に残る。逮捕によって国内の連続爆破は大きな転換点を迎えたが、事件関係者の刑事手続が一つの裁判で一斉に終わったわけではなかった。

裁判では「殺意」が主要な争点になった

三菱重工事件を含む裁判では、爆発物取締罰則違反だけでなく、死者を生じさせた行為について殺人罪が成立するかが争われた。被告側は殺意を否定したが、裁判所は、爆弾の威力や設置場所、周囲の人通りなどから、人が死亡する危険を認識しながら実行したと評価し、未必の故意を認めた。

東京高裁は、三菱重工事件だけでなく、複数の爆破、爆弾製造や提供、計画への関与を具体的に検討した。中心人物とされた大道寺将司については、組織形成と爆弾製造、他グループとの連携でも重要な役割を担ったと認定し、一審の死刑を維持した。

大道寺将司と益永利明には死刑が確定

東京地裁は1979年11月、主要被告人のうち大道寺将司と片岡利明(後の益永利明)に死刑を言い渡した。1982年に東京高裁が控訴を棄却し、1987年3月24日、最高裁が上告を棄却。両名の死刑が確定した。

ただし、一連の事件の関係者が全員同じ法的経過をたどったわけではない。海外で起きた日本赤軍事件への対応として、拘束中の一部メンバーが政府の「超法規的措置」で釈放され、国外へ出た例もある。連続企業爆破事件は、逮捕・裁判・逃亡が複数の人物に分かれて進んだ事件群として捉える必要がある。

逮捕後の手続を複雑にしたのが、日本赤軍による国外の人質事件だった。1975年8月のクアラルンプール事件では、日本赤軍が在マレーシア米国大使館などが入る建物で人質を取り、拘禁中の東アジア反日武装戦線関係者を含む複数人の釈放を要求した。日本政府は人命確保を理由に要求を受け入れ、出国を希望した5人を釈放した。

1977年9月のダッカ日航機乗っ取り事件でも、東アジア反日武装戦線の関係者を含む9人の釈放が要求され、出国を希望した6人が釈放された。警察白書は、両事件で釈放された同戦線関係者らがその後、日本赤軍に参加したと記録している。このため、逮捕された人物の一部は国内で判決確定まで進み、別の人物は国外へ出るという異なる経過をたどった。

桐島聡は「さそり」のメンバーとして指名手配された

桐島聡は東アジア反日武装戦線「さそり」のメンバーとされ、1975年4月の韓国産業経済研究所爆破事件などへの関与を疑われた。主要メンバーが逮捕された1975年5月以降も所在が分からず、警察庁指定重要指名手配被疑者として長期間追跡された。

桐島について注意が必要なのは、三菱重工本社爆破を含む11件すべての実行犯として刑事裁判で認定されたわけではない点だ。2024年に書類送検されたのは、捜査機関が関与を認定した5件であり、本人が生存した状態で起訴され、裁判所が事実認定をしたものではない。

2024年1月、病院で本名を名乗った男性

2024年1月、神奈川県鎌倉市内の病院に入院していた男性が桐島聡を名乗った。男性は長年、別名を使って神奈川県内で生活していたとされる。警察は本人から事情を聴いたが、男性は1月29日に死亡した。

警視庁は親族とのDNA型鑑定や生活歴の裏付けを進め、男性を桐島本人と特定。2月27日、韓国産業経済研究所爆破事件を含む5件について、爆発物取締罰則違反や殺人未遂などの疑いで東京地検へ書類送検した。約半世紀に及んだ指名手配は、逮捕ではなく本人死亡後の送検という形で終わった。

東京地検の不起訴は「無罪」を意味しない

東京地検は2024年3月21日、送検された5件を不起訴とした。理由は被疑者死亡である。検察は送検対象となった人物を桐島本人と認定したうえで処分しており、証拠不十分による不起訴や裁判での無罪判決とは性質が異なる。

本人が死亡したため、公判で検察側と弁護側が証拠を争い、裁判所が桐島の関与を最終判断する機会は失われた。したがって、2024年の処分については「桐島が5事件で有罪になった」とも「無罪になった」とも書けない。法的には、被疑者死亡によって起訴されなかった事件である。

三菱重工事件の8人と、桐島の5事件を混同しない

連続企業爆破事件を語る際、最も大きな被害を出した三菱重工本社爆破と、桐島が2024年に送検された5件が一つにまとめられやすい。だが、三菱重工事件で死刑が確定した主要被告人と、逃亡を続けた桐島では、起訴された事実も裁判の有無も異なる。

三菱重工事件では8人死亡・380人負傷という被害と、主要被告人の有罪・死刑判決が司法判断として確定している。一方、桐島については5件で送検されたものの、死亡により不起訴となり、本人を被告人とする刑事裁判は一度も開かれなかった。この違いが、事件の現在地を理解するうえで重要になる。

大道寺将司は死刑確定後も執行されないまま東京拘置所で収容が続き、2017年5月に病死した。死刑判決が確定したことと、実際に死刑が執行されたことは別であり、大道寺については刑の執行前に死亡した。一方、桐島はそもそも逮捕・起訴に至らず、2024年に本人と特定された後も被告人として裁判を受けることはなかった。

半世紀を経て残った二つの法的結末

1970年代の実行メンバーには、死刑や無期懲役などの判決が確定した者がいる。大道寺将司は死刑確定後の2017年に拘置中に死亡した。桐島は約49年逃亡し、2024年に本人と特定された直後に死亡したため、裁判に至らなかった。

同じ連続企業爆破事件の関係者でも、司法手続の終わり方は大きく異なる。確定判決で責任を認定された人物と、被疑者死亡で起訴されなかった人物を区別することによって、1974年から始まった事件群の全体像がようやく見えてくる。

参考資料・出典

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