徳島ラジオ商殺し事件|被害者から被告人へ、冨士茂子さんの死後再審無罪

公開日 2026年6月26日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1953年
都道府県
徳島県
事件分類
冤罪事件 / 強盗・監禁・暴行事件 / 殺人事件
最終刑・処分
無罪

1953年11月5日未明、徳島市中心部の電器店兼住宅で、店主の三枝亀三郎さんが何者かに刺殺された。同じ部屋にいた内縁の妻・冨士茂子さんも腹部などを刺されて負傷した。二人の間に生まれた小学3年生の娘も、その夜は同じ部屋で寝ていた。

当初、事件は外部から侵入した人物による殺人として捜査された。ところが約9か月後、被害者だった冨士さん自身が三枝さんを殺害したとして逮捕される。物的証拠が乏しい中で、住み込み店員2人の供述が有罪認定の中心となり、冨士さんには懲役13年が確定した。再審は6回に及び、本人の死後、1985年7月に無罪が確定する。

事件発生1953年11月5日未明
場所徳島市中心部の電器店兼住宅
死亡した被害者店主・三枝亀三郎さん
負傷・後に冤罪被害者内縁の妻・冨士茂子さん
逮捕1954年8月13日
一審1956年4月18日、徳島地裁が懲役13年
控訴審1957年12月21日、高松高裁が控訴棄却
旧有罪確定1958年5月10日、上告取り下げ
冨士さん死去1979年11月15日
再審開始1980年12月13日、徳島地裁
再審無罪1985年7月9日、徳島地裁
無罪確定1985年7月19日

殺害現場で冨士さん自身も刺されていた

徳島新聞によると、事件当夜、三枝さんと冨士さんは二人の娘を間にして同じ部屋で就寝していた。侵入した何者かによって三枝さんが殺害され、冨士さんも腹部を刺されて負傷した。冨士さんは事件直後から「被害者」でありながら、後に捜査の中心人物へ変わっていった。

1959年の衆議院法務委員会では、この事件について、当初の警察は外部侵入犯を想定して捜査していたが、検察が見解を変え、事件から約9か月後に冨士さんを起訴したと説明されている。国会でも、冨士さんを有罪とした証拠構造の弱さが問題として取り上げられた。

有罪の決め手となったのは住み込み店員2人の供述だった

同じ国会審議で、冨士さんの有罪認定には「ほとんど物的証拠がない」と指摘され、店員の西野清と阿部守良の証言が決定的な証拠になったと説明された。二人は事件当時、店に住み込んで働いていた若い店員だった。

捜査機関は、冨士さんが三枝さんの女性関係に嫉妬し、将来への不安から殺害を決意したという内部犯行の筋書きを構成した。冨士さんは取調べ段階で一時的に自白する供述をしたが撤回し、公判では無実を訴えた。それでも店員供述などを基に殺人罪で有罪とされた。

1956年、徳島地裁は懲役13年を言い渡した

1956年4月18日、徳島地裁は冨士さんに懲役13年を言い渡した。求刑は無期懲役だった。冨士さんは控訴したが、1957年12月21日、高松高裁は一審の有罪判断を維持した。

冨士さんは最高裁へ上告したものの、1958年5月10日に上告を取り下げた。東京弁護士会の資料も、この日付で懲役13年が確定したと整理している。つまり、最高裁が実体判断をして有罪を維持したのではなく、上告の取り下げによって控訴審判決が確定した事件である。

「最高裁で有罪確定」ではなく、上告取り下げで刑が確定した

この手続の違いは小さくない。最高裁が証拠を検討して上告棄却の判決や決定を出した場合と、被告人側が上告を取り下げて二審判決を確定させた場合は別の経過となる。冨士さんの旧有罪判決は後者だった。

1959年2月の国会審議では、冨士さんが心身ともに疲れ果てて上告を取り下げたとの説明もなされた。確定後、冨士さんは服役を続けたが、獄中でも無実の主張を変えず、後に釈放されてからも再審請求を重ねた。

有罪確定の前後には、別の男が「真犯人」と名乗って警察へ出頭した

日本大百科全書によると、冨士さんの有罪判決が確定する前後、本件の「真犯人」を名乗る男が静岡県警へ出頭した。この情報を報道で知った冨士さんの親族が関係者を調べたことが、確定判決を見直す動きの一つにつながった。男の出頭だけで三枝さん殺害の犯人が司法上特定されたわけではないが、内部犯行説だけでは説明しきれない事情が確定後にも浮上していた。

親族の調査では、有罪認定の柱となった元住み込み店員の一人が、捜査段階の供述や公判証言が真実ではなかったとする手記も得られた。法務省人権擁護局と徳島地方法務局の調査が始まり、やがて元店員2人はいずれも原審での証言が虚偽だったと認めるに至る。確定判決の中心証拠を支えた証言者自身が、その内容を維持しなくなった。

元店員2人は偽証で告訴されたが不起訴、検察審査会は「起訴相当」とした

元店員2人は偽証罪で告訴され、自ら警察へ出頭したが、徳島地検は不起訴処分とした。徳島検察審査会は「起訴相当」と議決したものの、当時は現在のような検察審査会の議決による強制起訴制度がなく、地検は不起訴を維持した。

その後の再審請求審でも2人は原審証言が虚偽だったと述べ、再び告訴された。この時も地検は不起訴とし、検察審査会は再度「起訴相当」と議決したが、処分は変わらなかった。証言の信用性に重大な疑問が生じながら、それだけでは確定判決が直ちに取り消されず、冨士さんは複数回の再審請求を続けることになる。

日弁連は1959年、捜査の人権侵害を調査し始めた

冨士さんの有罪確定翌年、事件は弁護士会の人権救済活動の対象となった。東京弁護士会の2023年資料によると、1959年1月に「徳島事件の捜査には人権侵害がある」とする書簡が日弁連へ届き、人権擁護委員会が調査を開始した。

日弁連は、関係者に対する違法な取調べによって虚偽供述が強要されたなどとして、冨士さんが無罪であるとの立場から法務大臣らへ要望した。徳島ラジオ商事件は、日弁連が組織的に再審事件を支援していく初期の重要事件となった。

再審請求は一度ではなく、本人の生前だけで5回に及んだ

有罪判決が確定しても、刑事手続が完全に終わったわけではなかった。冨士さんは再審を求め続け、1978年1月には第5次再審請求を申し立てた。長年の請求の中で、確定裁判では表に出なかった捜査記録の開示が大きな転機となる。

再審は、元の裁判を単にもう一度やりたいという理由では始まらない。確定判決を覆し得る新証拠が必要となる。冨士さん側は、供述の作られ方、現場に外部犯の存在を示す事情があったこと、捜査機関が有罪方向に沿わない証拠を十分に公判へ出していなかったことを積み上げていった。

検察から開示された22冊の未提出記録が事件像を変えた

第5次再審請求では、検察側から22冊に及ぶ裁判所未提出の捜査記録が開示された。徳島弁護士会は後年、この証拠開示によって外部犯行をうかがわせる多数の証拠が明らかになり、再審開始と無罪の大きな原動力になったと説明している。

確定審で「内部犯行」とされた事件について、捜査機関自身の保管資料から別の可能性を示す情報が現れたことになる。再審制度における証拠開示が現在まで論点になり続ける理由を示す代表例でもある。

元店員は、確定審での証言が真実ではなかったと認めた

再審請求審では、有罪の柱となった元店員の供述も崩れていった。日本大百科全書は、2人の元店員が証言し、原審で偽証したことを認めたと記している。確定判決を支えた中心証拠の信用性が、後年の審理で根底から問われた。

有罪判決は、目撃・状況供述の信用性を高く評価して成立していた。そこへ未提出記録が開示され、証言者自身が従来の証言を維持しない状況が加わった。再審請求では、個別の新証拠だけでなく、それらを既存証拠と合わせてみたときに有罪認定を維持できるかが焦点となった。

冨士さんは再審開始を聞かないまま1979年11月に亡くなった

第5次再審請求の審理が進む中、冨士さんは腎臓がんで病状が悪化した。日本大百科全書によると、弟や妹4人が1979年11月8日に第6次再審請求を行い、冨士さんは同月15日に死亡した。本人による第5次請求は死亡によって終了した。

刑事訴訟法は、一定の親族にも死者の利益のため再審を請求する道を認めている。徳島地裁は親族による請求を適法とし、第5次請求で進められた審理を実質的に引き継ぐ形で判断した。

1980年12月、徳島地裁は「有罪認定を維持しがたい」と再審開始を決めた

1980年12月13日、徳島地裁は第6次請求について再審開始を決定した。日本大百科全書は、冨士さんを犯人とした事実認定は「もはや維持しがたい」としたと紹介している。

検察側はこの決定に即時抗告した。1983年3月12日、高松高裁は抗告を棄却した。検察は最高裁への特別抗告を行わず、再審開始が確定する。再審開始決定から確定までにも2年以上を要した。

再審公判でも検察は有罪を主張し、懲役13年を求刑した

再審が始まれば自動的に無罪となるわけではない。日本大百科全書によると、再審公判で検察側は31人の証人と4件の鑑定を申請し、改めて懲役13年を求刑した。検察は再審開始後も有罪立証を続けた。

徳島弁護士会は、この再審公判が多数回に及び、再審開始決定から無罪確定まで4年半ほどかかったことを、再審手続の長期化を示す例として挙げている。

1985年7月9日、徳島地裁は外部犯人の存在を示す証跡を認めた

1985年7月9日、徳島地裁は冨士さんに無罪を言い渡した。判決は検察の有罪主張を退け、外部犯人の存在につながる積極的な証跡が認められると判断したとされる。冨士さんが事件当夜に負傷していた事実も含め、内部犯行を前提とした旧有罪判決の証拠評価は覆った。

検察側は控訴せず、1985年7月19日に無罪判決が確定した。冨士さん本人は判決を聞くことができなかったが、法的には旧有罪判決が取り消され、無罪となった。日本で最初の死後再審による無罪確定として位置づけられている。

冨士さんの無罪と、三枝さん殺害の真犯人特定は別の問題

再審判決が確定したことで、冨士さんが三枝さんを殺害したという旧判決の認定は失われた。しかし、再審無罪は別の人物を真犯人として有罪にした判決ではない。三枝さんを殺害した人物が司法上特定されたことにはならない。

徳島ラジオ商殺し事件が現在も再審制度の議論で参照されるのは、一人の無罪回復だけが理由ではない。有罪判決に使われなかった捜査記録が後に大量開示され、主要証言の信用性が崩れ、それでも再審開始から無罪確定まで長い年月を要した。証拠開示と再審のあり方を示す具体的な事件として残っている。

参考資料・出典

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