1989年、大分地裁は輿掛良一さんに無期懲役を言い渡した。ところが6年後、福岡高裁はその有罪認定を全面的に覆した。捜査段階の不利益供述、現場の毛髪、控訴審で実施されたDNA型鑑定――有罪を支えるはずだった証拠を一つずつ検討すると、いずれも輿掛さんを犯人と特定できるものではなかった。
発端は1981年6月27日深夜から28日未明、大分市のアパート「みどり荘」で18歳の女子短大生が殺害された事件だった。隣室の輿掛さんは逮捕・起訴されたが、1995年6月30日に逆転無罪となる。真犯人は特定されず、事件は旧法の公訴時効を迎えた。
| 事件発生 | 1981年6月27日深夜~28日未明 |
|---|---|
| 場所 | 大分県大分市のアパート「みどり荘」 |
| 被害者 | 女子短大生(当時18歳) |
| 被告人とされた人 | 輿掛良一さん(当時25歳) |
| 逮捕 | 1982年1月14日 |
| 起訴 | 1982年3月15日 |
| 一審 | 1989年3月9日、無期懲役 |
| 保釈 | 1994年8月1日 |
| 控訴審 | 1995年6月30日、一審破棄・無罪 |
| 無罪確定 | 1995年7月、検察が上告断念 |
| 事件の現在 | 真犯人未特定。旧法の公訴時効完成 |
深夜のアパートで18歳の女子短大生が殺害された
事件は大分市内のアパートで起きた。被害者は自室で性的暴行を受けたうえで殺害されていた。捜査は同じ建物の住人にも及び、隣室で暮らしていた輿掛さんが重要な捜査対象となった。
輿掛さんは事件当夜、酒を飲んだ後に自室で眠っていたと説明した。事件発覚後には警察官や報道関係者とも接触していたが、約半年後の1982年1月14日、強姦殺人の疑いで逮捕された。
取調べで残った「被害者の部屋にいたかもしれない」という供述
輿掛さんは犯行を具体的に認める供述をしたわけではなかったが、取調べの過程で、被害者の部屋にいたことを覚えているという趣旨の不利益な供述をするようになった。一方、殺害や性的暴行の具体的な状況については記憶がないとしていた。
この供述は一審で重く扱われた。しかし控訴審では、長期間の取調べの影響や、捜査官から与えられた情報が供述形成に影響していないかが問題となる。供述が存在することと、供述内容が実際の体験に基づくことは別に検討された。
一審が重視した毛髪鑑定
現場からは複数の毛髪が採取され、科学警察研究所による鑑定が行われた。一審は、毛髪鑑定などを輿掛さんと犯行を結び付ける重要な証拠と評価した。1989年3月9日、大分地裁は輿掛さんに無期懲役を言い渡した。
弁護側は控訴し、毛髪が本当に輿掛さん由来といえるのか、鑑定結果からどこまで個人を識別できるのかを争った。控訴審は、単に「科学鑑定がある」という理由で結論を受け入れず、鑑定の方法と試料そのものを検討していく。
福岡高裁が職権でDNA型鑑定を実施した
1991年、福岡高裁は現場遺留毛髪や体液試料についてDNA型鑑定を行うことを職権で決めた。裁判所がDNA型鑑定を証拠調べとして採用した初期の事例として知られる。
鑑定では、遺留毛髪の一部について輿掛さんと同じDNA型とする結果が示された。しかし弁護側は、その毛髪の形態や保存・鑑定過程などを検討し、事件当時の輿掛さんの毛髪とみることに疑問を示した。高裁は最終的に、DNA型が一致したという結果だけで本人由来と断定することはできないと判断した。
毛髪だけでなく、供述と現場状況も崩れた
控訴審では、不利益供述の信用性も厳しく検討された。高裁は、輿掛さんが被害者の部屋にいたという趣旨の供述について、捜査官の誘導を受けた可能性を否定できず、犯行を認定する根拠にはできないとした。
周辺住民が聞いた声や物音、現場の状況についても、一審の有罪認定と整合しない点が検討された。複数の証拠を積み重ねても、輿掛さんが犯人だと合理的な疑いなく認定することはできないという方向へ、証拠評価は変わっていった。
1994年、殺人事件の被告人として異例の保釈
控訴審が続くなか、福岡高裁は1994年8月1日に輿掛さんの保釈を認めた。重大な殺人事件で一審無期懲役判決を受けた被告人の保釈は異例だった。
逮捕からすでに12年以上が経過していた。身柄を解かれた後も控訴審は続き、翌年に判決を迎える。
1995年6月30日、一審を破棄して無罪
福岡高裁は1995年6月30日、一審判決を破棄し、輿掛さんに無罪を言い渡した。判決は、不利益供述、毛髪鑑定、DNA型鑑定を含む証拠を再評価し、本件公訴事実には犯罪の証明がないと結論付けた。
福岡高検は上告を断念し、無罪が確定した。輿掛さんが「疑わしいが証拠不足で無罪」とされたのではなく、検察が提示した証拠では本人を犯人と認定できないという判断だった。
無罪の翌年、殺人事件は公訴時効を迎えた
輿掛さんの無罪が確定しても、18歳の被害者を殺害した人物が明らかになったわけではない。再捜査で別の人物が起訴されることはなく、当時の殺人罪に適用された公訴時効が1996年6月に完成した。
このため、みどり荘事件には二つの結論が並ぶ。輿掛さんについては無罪が確定した一方、被害者を殺害した人物は刑事裁判で特定されないまま捜査が終わった。
大分から始まった当番弁護士制度
事件では、逮捕直後の被疑者に弁護人が十分関与できなかったことも問題となった。大分県弁護士会では、逮捕された人の要請を受けて弁護士が速やかに接見する当番弁護士制度が1990年9月14日に全国で初めて始まった。
制度はその後全国へ広がった。みどり荘事件だけが制度創設の唯一の原因というわけではないが、大分での刑事弁護活動と冤罪問題が、捜査段階から弁護士が関与する必要性を強く意識させた背景の一つとなった。
科学鑑定は「結果」だけでなく検証可能性が問われた
みどり荘事件では、毛髪鑑定やDNA型鑑定という科学的な名称を持つ証拠が、有罪と無罪の双方の議論に登場した。重要だったのは、鑑定結果そのものより、試料が適切か、手法から何が言えるか、他の証拠と矛盾しないかという検証だった。
一審で無期懲役とされた人物が控訴審で無罪となり、その間に真犯人の追及に使える時間も失われた。誤った起訴が被告人だけでなく、被害者事件の解明にも重大な影響を及ぼし得ることを示した事件でもある。
参考資料・出典
- 刑事弁護オアシス「【みどり荘事件】青空の下で、汗を流して働きたい」
- 大分県弁護士会「刑事弁護センター(当番弁護士)」
- 国立国会図書館サーチ『完全無罪へ13年の軌跡 : みどり荘事件弁護の記録』
- 国立国会図書館サーチ「冤罪被害 輿掛良一『雪冤~みどり荘事件~』」
関連事件
この事件に関連するテーマから、書籍・資料をまとめて確認できます。
