川崎老人ホーム連続転落死事件|自白の信用性を争い死刑確定、上告取り下げ後に再審請求

公開日 2026年3月12日
最終更新 2026年8月28日
カテゴリー 2010年代 死刑

事件ステータス

発生年月日
2014年
都道府県
神奈川県
最終刑・処分
死刑

2014年11月から12月にかけ、川崎市幸区の介護付き有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」で、80代から90代の入居者3人が相次いでベランダから転落して死亡した。3件はいずれも深夜から早朝に起き、当初は転落事故として扱われた。

後に殺人罪で起訴されたのは、当時この施設で介護職員として働いていた今井隼人だった。今井は捜査段階では3人の殺害を認めたが、公判では一転して否認。事故や自殺の可能性と「虚偽自白」を主張し、一審から控訴審まで犯人性が争われた。

発生期間2014年11月4日~12月31日
場所川崎市幸区「Sアミーユ川崎幸町」
被害者丑沢民雄さん(87)、仲川智恵子さん(86)、浅見布子さん(96)
被告人・死刑確定者今井隼人
事件当時22歳・介護職員
罪名殺人3件
一審2018年3月22日 横浜地裁・死刑
控訴審2022年3月9日 東京高裁・控訴棄却
死刑確定2023年5月11日、本人の上告取り下げ
再審請求2024年10月17日付で横浜地裁へ請求
現在死刑確定者・再審請求中

最初の転落死は2014年11月4日、4階で起きた

東京高裁判決が認定した第1事件では、2014年11月3日から4日にかけ、87歳の丑沢民雄さんが4階403号室北西側のベランダから約10.5メートル下の裏庭へ転落した。裁判所は、今井が丑沢さんの身体を両腕で抱え、フェンスを越えさせて落下させたと認定している。

約1か月後の12月9日には、86歳の仲川智恵子さんが同じ4階のベランダから転落死した。さらに大みそかの12月31日、96歳の浅見布子さんが6階601号室のベランダから約16.8メートル下へ転落した。わずか約2か月の間に、同じ施設で3人が高所から死亡した。

3人が自分でフェンスを越えた可能性が裁判の出発点になった

弁護側は、3人の死亡について事故や自殺の可能性を否定できないと主張した。殺人を直接撮影した映像や、犯行そのものを目撃した人物がいたわけではない。そこで裁判では、各被害者の身体能力、ベランダの構造、転落位置、職員の勤務状況などが積み重ねて検討された。

一審と控訴審は、3人が自力でフェンスを乗り越えて転落したという説明を採用しなかった。高齢で介護を必要としていた被害者の身体状況や現場条件を踏まえ、3件はいずれも第三者による転落と判断している。

捜査が本格化すると、3件の転落が発生した時間帯と勤務記録が照合された。今井は3件のいずれの夜も施設内で勤務しており、入居者の居室や各階へ立ち入ることができる立場にあった。

ただし、「勤務していた」という事実だけで殺人の犯人と認定されたわけではない。裁判所は、犯行機会に加え、各被害者が自ら転落した可能性、自白の具体性、事件前後の言動、施設内の記録などを総合して犯人性を判断した。

転落事件の前後、入居者からの窃盗でも問題になっていた

今井は殺人事件とは別に、施設の入居者から金品を盗んだとして2015年に逮捕され、同年9月に窃盗罪で執行猶予付きの有罪判決を受けた。東京高裁判決も、入居者への窃盗を繰り返していた時期と3件の殺人が重なっていたことを量刑事情の一つとして挙げている。

事件後、施設では今井以外の職員による虐待も問題となり、川崎市は監査を実施した。施設には介護報酬請求を3か月停止する行政処分が行われた。これらは今井の3件の殺人罪とは別の問題だが、相次ぐ事故や虐待を把握し、安全を確保する施設運営のあり方も問われた。

2016年2月の逮捕後、捜査段階では殺害を認めた

神奈川県警は2016年2月、まず丑沢さんを殺害した疑いで今井を逮捕した。今井は任意聴取や逮捕後の取調べで3人の殺害を認め、犯行方法や事件前後の行動について供述した。

ところが裁判が始まると、今井は起訴内容を否認した。警察から圧力を受け、本人や家族を報道から守ってもらえると思って迎合したため、実際にはしていない犯行を話したというのが弁護側の説明だった。

控訴審で弁護側が挙げた争点は多い。自白調書の任意性、取調べの録音・録画の証拠使用、証人の供述、3件それぞれの事件性と犯人性が争われた。今井自身も一審、二審を通じて、各事件当時の行動を説明しながら殺害を否定した。

これに対し検察側は、3件はいずれも殺人であり、犯人が今井であることは明らかだと主張した。結果として二審も、被害者が自ら転落した可能性を排し、自白を含む証拠全体から今井による犯行に合理的な疑いはないと判断した。

二審も自白の信用性を認めた

東京高裁は、今井が「マスコミから守ってもらうため」「警察官から圧力を感じたため」に虚偽の自白をしたという説明を検討した。しかし、虚偽自白に至った経緯や、その後に否認へ転じた理由について合理的な説明になっていないと評価した。

第1事件の自白内容にも不自然な点は認められないとして、自白調書等の信用性を肯定した。自白だけを単独で採用したのではなく、事件性、犯行機会、客観的状況との整合性を組み合わせて結論を出している。

一方、取調べ録画の使い方には高裁が法的問題を指摘

控訴審は、一審の証拠の扱いを全面的に追認したわけではない。取調べの録音・録画記録を、自白の信用性を直接判断するために用いた点などについて、訴訟手続上の問題を検討している。

それでも高裁は、問題のある証拠評価部分を除いて検討しても、有罪結論は変わらないと判断した。この点は「二審でも自白が信用された」という結果だけでは見えにくいが、控訴審判決の重要な特徴である。

二審は第2・第3事件の「動機」をそのまま維持しなかった

一審判決は、第2・第3事件について、救命措置をしている姿を周囲に見せ、評価されたいという趣旨の動機を認定していた。しかしその一部は、今井が精神鑑定医に対して仮定の話として述べた内容を前提にしていた。

東京高裁は、仮定として語られた動機を事実として積極的に認定することには問題があるとし、第2・第3事件の動機部分をそのまま維持できないとした。ただし、動機認定を修正しても、3人を殺害したという事実認定や量刑判断は揺らがないと結論づけた。

ASDの影響を認めても、完全責任能力は維持

精神鑑定では、今井に自閉スペクトラム症(ASD)があると診断されていた。裁判所は、ASDの特性が動機形成や犯行前後の行動に一定の影響を与えた可能性を認めている。

一方で、障害の程度は比較的軽く、目的に沿った合理的な行動が多くみられ、殺人であることや罪責を理解して行動していたと判断した。善悪を判断する能力や行動を制御する能力が著しく低下していたとはいえず、完全責任能力が認められた。

3人殺害と介護職員という立場を重くみて死刑

2018年3月22日、横浜地裁は今井に死刑を言い渡した。量刑では、被害者3人に落ち度がないこと、夜勤の機会と介護職員の立場を利用したこと、強い殺意、犯行後に記録へ虚偽の記載をするなど隠蔽工作をしたことが重視された。

東京高裁も2022年3月9日、控訴を棄却した。第2・第3事件の動機認定には修正を加えたものの、3人を約2か月で殺害した結果、強固な殺意、転落させる犯行態様、職員の立場を利用した点から、事案の重大性と悪質性は際立つとして死刑を維持した。

最高裁判決ではなく、本人の上告取り下げで死刑が確定

東京高裁判決後、弁護側は最高裁へ上告した。しかし今井本人は2023年5月11日付で上告を取り下げた。これにより、最高裁が犯人性や死刑選択について実体的な判決を出す前に、二審が維持した死刑判決が確定した。

弁護人は取り下げ後も審理継続を求めたが、最高裁第一小法廷は同年12月20日付で取り下げを有効とする決定をしたと報じられている。したがって、この事件の死刑確定は「最高裁が上告を棄却した」結果ではない。

2024年10月、横浜地裁へ再審請求

死刑確定後、今井は2024年10月17日付で横浜地裁へ再審を請求した。公表されている情報では、自白内容が実際の体験に基づくものではない可能性を指摘する心理学者の鑑定書などを新証拠として提出し、自白の信用性を改めて争っている。

再審請求は、確定判決が直ちに取り消されたことを意味しない。再審開始決定が確定し、再審公判で判断が改められるまでは、3件の殺人罪で死刑が確定しているという法的状態が続く。

2026年8月時点の法的状態

2026年8月時点で、今井隼人は死刑確定者であり、横浜地裁に再審を求めている。公開情報上、再審開始が確定したとの発表はなく、死刑判決が取り消された状態でもない。

この事件では、事故とみられた3件の転落が殺人と認定されるまでの捜査過程だけでなく、自白の信用性、取調べ録画の証拠評価、精神障害と責任能力、動機認定の限界、そして上告取り下げ後の再審という複数の司法上の論点が続いている。

参考資料・出典

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