甲山事件|山田悦子さんを21年間被告人にした園児供述と、3度の無罪判決

公開日 2026年10月22日
最終更新 2026年10月22日
カテゴリー 1970年代 冤罪事件 無罪

事件ステータス

都道府県
兵庫県
事件分類
冤罪事件
甲山事件

1974年3月、兵庫県西宮市の知的障害児施設「甲山学園」で、いずれも12歳の女子園児と男子園児が相次いで行方不明となり、3月19日夜、園内の浄化槽から遺体で発見された。男子園児の殺害容疑で逮捕されたのが、当時22歳の保育士・山田悦子さんだった。

山田さんは一度は嫌疑不十分で不起訴となったが、検察審査会の不起訴不当議決を経て1978年に再逮捕・起訴された。1985年に無罪、1990年に大阪高裁が破棄差戻し、1998年の差戻し審でも無罪、1999年9月の大阪高裁も無罪を維持し、検察が上告を断念して確定した。

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発生1974年3月17日~19日
場所兵庫県西宮市・甲山学園
死亡12歳の女子園児と男子園児
被告人山田悦子さん(当時22歳)
第一次処分1974年、逮捕後に嫌疑不十分で不起訴
再逮捕・起訴1978年
最初の一審1985年10月17日、無罪
差戻し審1998年3月、無罪
最終1999年9月29日、大阪高裁が無罪維持。上告断念で確定

園児2人が浄化槽から見つかり、捜査は「事故か事件か」から始まった

3月17日に女子園児が行方不明となり、19日には男子園児も姿を消した。同日夜、2人は学園内の浄化槽から水死体で見つかった。後に女子園児については事故死とされ、男子園児の死亡を殺人事件として捜査する方向が強まった。

山田さんは当時、施設で当直勤務に就いていた。警察は勤務状況や園児の証言などから山田さんを疑い、4月7日に男子園児殺害容疑で逮捕した。

第一次捜査では山田さんが供述したが、最終的に不起訴となった

山田さんは取り調べの中で一時、犯行を認める趣旨の供述をしたが、その後撤回し、無実を訴えた。決定的な物的証拠は乏しく、神戸地検は嫌疑不十分として不起訴処分にした。

この時点で刑事手続は一度終わったが、山田さん側は逮捕・取り調べの違法性を争う国家賠償請求訴訟を起こした。そこでのアリバイ証言が、後に別の偽証事件へ発展し、甲山事件全体の手続をさらに複雑にした。

検察審査会の不起訴不当議決を経て、4年後に再逮捕・起訴された

男子園児の遺族による申し立てを受け、検察審査会は不起訴不当と議決した。神戸地検は再捜査し、1978年2月、山田さんを再び殺人容疑で逮捕して起訴した。

同時期、山田さんのアリバイを証言した学園関係者も偽証罪で起訴された。殺人事件の犯人性と、アリバイ証言が虚偽だったかという二つの裁判が長期にわたって絡み合った。

一審は園児の目撃供述や自白の信用性を認めず、無罪とした

1985年10月17日、神戸地裁は山田さんに無罪を言い渡した。裁判では、知的障害のある園児たちの目撃供述が捜査や質問の影響をどこまで受けたか、内容が一貫しているか、山田さんの供述が自発的・信用できるものかが争われた。

地裁は園児供述や自白の信用性に疑問があり、物的証拠からも山田さんを犯人と認定できないと判断した。検察は控訴した。

大阪高裁は1990年、無罪判決を破棄して差し戻した

1990年、大阪高裁は一審無罪を破棄し、神戸地裁へ審理を差し戻した。無罪判決が確定せず、山田さんは再び長期裁判へ戻ることになった。

破棄差戻しは「高裁が有罪を確定した」という意味ではない。下級審の審理や判断に問題があるとして、改めて事実審理を行わせる手続であり、差戻し審は上級審の判断の拘束力の範囲を踏まえて再審理した。

差戻し後の神戸地裁も1998年、再び無罪を言い渡した

長い差戻し審の末、神戸地裁は1998年3月、山田さんに再び無罪を言い渡した。園児供述の信用性や自白、その他の証拠を改めて検討しても、山田さんが男児を殺害したと合理的疑いなく認定できないと判断した。

検察はこの二度目の無罪判決にも控訴した。事件発生からすでに24年が経過していた。

1999年、大阪高裁が無罪を維持し、検察が上告を断念した

1999年9月29日、大阪高裁は検察側の控訴を棄却し、差戻し審の無罪を維持した。大阪高検は上告理由を見いだすことが難しいとして上告を断念し、山田さんの無罪が確定した。

山田さんが再起訴されてから約21年、最初の逮捕からは25年が経っていた。長期裁判そのものが被告人に与える負担、供述証拠の扱い、障害のある子どもの証言をどう評価するかなど多くの論点を残した。

甲山事件は「再審無罪」ではない

甲山事件は、いったん有罪判決が確定した後に再審開始決定を得て無罪になった事件ではない。刑事裁判の通常審の途中で一審無罪が破棄差戻しとなり、差戻し審とその控訴審で再び無罪となって確定した。

山田さんの有罪判決が確定したことはなく、確定判決を覆す再審手続も行われていない。一審無罪が控訴審で破棄・差し戻された後、差戻し審で再び無罪となり、1999年にその無罪が確定した。

2026年、山田悦子さんは事件から半世紀を経て冤罪体験を語っている

山田さんは長く報道取材と距離を置いてきたが、近年は大学での授業や法教育、ドキュメンタリーなどで自身の体験を語っている。2026年には関西テレビが長期密着した番組を放送した。

山田さんは1999年に無罪が確定している。2026年にも大学での講演やドキュメンタリーを通じ、長期にわたった刑事手続と冤罪被害について語っている。

最初の不起訴から再起訴まで4年、裁判確定まではさらに21年を要した

1974年の最初の逮捕では、神戸地検は嫌疑不十分として山田さんを起訴しなかった。しかし検察審査会の議決を受けて再捜査が進み、1978年に再逮捕・起訴される。いったん不起訴になった人物が再び被告人となる異例の経過だった。

そこから最終無罪が確定する1999年まで約21年を要した。証拠の新鮮さが失われるだけでなく、被告人や証人が長期間にわたり刑事手続へ拘束されること自体が、事件の大きな問題として残った。

知的障害のある園児の供述は、質問方法によって内容が変わり得る点が争われた

捜査側は園児の目撃供述を重要視したが、公判では、質問を繰り返す中で供述が変化していないか、誘導的な聞き取りが影響していないかが詳細に検討された。子どもの供述を一律に否定するのではなく、形成過程を含めて信用性を評価する必要があるとされた。

山田さんの一時的な自白についても、客観的な裏付けとの整合性が問われた。最終的な無罪は、単一の証拠が「偽物」と判明したからではなく、複数の供述証拠を積み重ねても合理的疑いを超える立証に達しないという評価だった。

3度の無罪判決という表現は、裁判経過を区別すると理解しやすい

1985年の神戸地裁無罪は大阪高裁に破棄されたため、その時点では確定していない。1998年の差戻し審で再び無罪となり、1999年の大阪高裁がこれを維持した後、検察が上告を断念して初めて無罪が確定した。

したがって「最初からずっと無罪だった」わけでも、「有罪判決が再審で覆った」わけでもない。通常審の中で無罪判決の破棄差戻しと再度の無罪が繰り返された点に、この事件の法的な複雑さがある。

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