大崎事件は、1979年10月、鹿児島県曽於郡大崎町で42歳男性の遺体が自宅の牛小屋にある堆肥置き場から発見され、親族4人が殺人や死体遺棄の罪に問われた事件である。そして2026年1月8日、第5次再審請求が鹿児島地裁へ申し立てられた。原口さんは同年6月に99歳となりましたが、現在でも再審無罪は実現しておらず、法律上は1981年に確定した有罪判決が残っている。
- 1979年に大崎町で男性の遺体が発見された経緯
- 原口アヤ子さんが懲役10年の有罪判決を受けた理由
- 共犯者とされた3人の「自白」が問題視される背景
- 事故死説と法医学鑑定をめぐる長年の争い 3度の再審開始判断が覆された異例の裁判経過
- 2026年1月に申し立てられた第5次再審請求の最新状況
大崎事件事件発覚1979年10月15日の概要
| 事件名 | 大崎事件事件発覚1979年10月15日 |
|---|---|
| 発生場所 | 鹿児島県曽於郡大崎町 |
| 被害 | 当時42歳の男性 |
| 裁判・捜査状況 | 1980年3月31日、鹿児島地裁が原口さんに懲役10年/1980年10月14日、福岡高裁宮崎支部が控訴棄却/1981年1月30日、最高裁が上告棄却/懲役10年出所1990年7月17日、満期出所第1次再審請求2002年に鹿児島地裁が再審開始、後に取り消し第3次再審請求2017年に鹿児島地裁が再審開始、2018年に高裁も維持、2019年に最高裁が取り消し第4次再審請求2025年2月25日、最高裁が特別抗告棄却第5次再審請求2026年1月8日、鹿児島地裁へ申し立て現在の状況現在、第5次再審請求が係属中 1979年10月15日、牛小屋の堆肥から男性の遺体を発見 事件が発覚したのは1979年10月15日だった。 |
| 現在の状況 | 大崎事件は、1979年10月、鹿児島県曽於郡大崎町で42歳男性の遺体が自宅の牛小屋にある堆肥置き場から発見され、親族4人が殺人や死体遺棄の罪に問われた事件である。そして2026年1月8日、第5次再審請求が鹿児島地裁へ申し立てられた。原口さんは同年6月に99歳となりましたが、現在でも再審無罪は実現しておらず、法律上は1981年に確定した有罪判決が残っている。 |
1979年に大崎町で男性の遺体が発見された経緯
鹿児島県大崎町で、農業を営んでいた42歳男性の遺体が、自宅に併設された牛小屋の堆肥置き場から発見される。この男性は、遺体発見の3日前に当たる10月12日、酒に酔った状態で自転車に乗り、道路脇の側溝へ転落していた。近隣住民らが男性を発見し、軽トラックで自宅まで運ぶ。
この「側溝への転落」が、数十年後まで続く再審請求で極めて重要な意味を持つことになる。捜査機関は当初から、男性が事故で死亡したのではなく、帰宅後に親族から殺害され、その遺体を牛小屋へ隠されたとみて捜査を進めた。
親族4人を逮捕、原口アヤ子さんだけが一貫して否認
警察は、被害男性の兄弟ら親族へ捜査対象を絞っていった。10月18日、男性の兄2人が殺人と死体遺棄の容疑で逮捕される。続いて10月27日、兄の一人の息子が死体遺棄容疑で逮捕。さらに10月30日、当時52歳だった原口アヤ子さんが殺人・死体遺棄容疑で逮捕された。
原口さんは被害男性の義姉に当たる。他の3人は取調べの中で犯行への関与を認める供述をした。しかし原口さんは、逮捕時から「自分はやっていない」と一貫して否認した。ここが大崎事件の出発点である。
自ら罪を認める供述をした3人と、最後まで否認した原口さん。裁判所は最終的に、3人の供述などを基に原口さんを主犯格とする事件像を認定した。
確定判決は「帰宅後に首を絞めて殺害」と認定
確定判決が認定した事件像は、事故死ではない。男性は側溝へ転落した後、近隣住民に救助されて自宅へ運ばれ、まだ生きていた。その後、原口さんが元夫や義弟と共謀し、タオルで首を絞めるなどして殺害したとされた。さらに義弟の息子も加わり、4人で遺体を牛小屋の堆肥置き場へ隠した――これが有罪判決の基本的な認定である。
捜査初期には保険金目的の犯行という筋書きも浮上しましたが、後の確定判決では保険金目的という動機は認定されなかった。それでも殺人と死体遺棄への関与は認定され、1980年3月31日、鹿児島地裁は原口さんに懲役10年を言い渡す。原口さんは控訴しましたが、同年10月14日に福岡高裁宮崎支部が棄却。さらに上告したものの、1981年1月30日、最高裁が上告を棄却し、懲役10年が確定した。
有罪認定の中心となった「共犯者3人の自白」
大崎事件をめぐる最大の争点の一つが、共犯者とされた3人の自白の信用性である。原口さん本人は否認していた。そのため確定判決では、元夫、義弟、義弟の息子が捜査段階で行った供述が重要な証拠となった。しかし再審弁護団は、3人がいずれも知的障害を抱える、いわゆる「供述弱者」だったと指摘している。
取調官からの質問や誘導の影響を受けやすく、自分が実際に経験していない出来事でも、捜査側が想定する筋書きに合わせて供述してしまう可能性があるという問題である。再審請求では心理学者による供述心理鑑定も提出された。3人の供述内容を詳細に分析すると、犯行の核心部分で食い違いがあり、体験に基づかない供述の兆候があると弁護側は主張している。
一方、再審を認めなかった裁判所は、新証拠を加えても確定判決に合理的疑いが生じるとはいえないとの判断を示していた。つまり本件では、自白が信用できるのかという評価そのものが、裁判所によって大きく分かれてきたのだ。
男性は本当に殺害されたのか――事故死説が最大の争点に
大崎事件には、さらに根本的な問題がある。そもそも殺人事件だったのかという疑問である。被害男性は遺体発見の3日前、酒に酔って自転車ごと側溝へ転落していた。再審弁護団は、この事故で頸部などに重大な損傷を受け、その影響によって死亡した可能性を指摘している。
確定判決を支えた旧来の法医学鑑定は、死因について頸部圧迫による窒息死を推定した。ところが、その後の再審手続きでは複数の法医学者が別の見解を提出。遺体の状態は絞殺を示しておらず、転落事故による損傷や出血に関連する死亡の可能性があるとする鑑定が現れた。原口さん側の主張が正しければ、問題は「誰が殺したのか」ではない。
殺人そのものが存在しなかった可能性が生じる。
1990年に満期出所、5年後から再審請求へ
原口さんは懲役10年の刑を受け、服役した。1990年7月17日、刑期を終えて満期出所する。しかし出所は無罪を意味しない。有罪判決は残り続けた。
原口さんはその後も無実を主張し、1995年4月19日、第1次再審請求を鹿児島地裁へ申し立てた。ここから、大崎事件は日本の刑事司法史でも異例の長期再審事件へ変わっていく。
第1次再審請求――2002年に鹿児島地裁が再審開始
最初の大きな転機は、事件発覚から20年以上が過ぎた後だった。2002年3月26日、鹿児島地裁は原口さんらについて再審開始を決定した。裁判所は、被害男性が殺害されたのではなく事故死した可能性や、共犯者とされた人物の自白の信用性に疑問があることを重視した。
原口さんにとって、長年の無実主張が初めて司法判断として大きく認められた瞬間だった。しかし再審公判は始まらなかった。検察側が即時抗告し、2004年12月9日、福岡高裁宮崎支部は鹿児島地裁の再審開始決定を取り消す。
原口さん側は最高裁へ特別抗告しましたが、2006年1月30日に棄却。第1次再審請求は終結した。
第2次再審請求は地裁・高裁・最高裁で棄却
原口さんは諦めなかった。2010年8月30日、第2次再審請求を申し立てる。この手続きでは、共犯者とされた人物の供述を分析する心理学的な鑑定などが提出された。
しかし2013年3月、鹿児島地裁は請求を棄却。2014年7月には福岡高裁宮崎支部が即時抗告を棄却し、2015年2月2日、最高裁も特別抗告を棄却した。第2次請求では再審開始に至りませんでしたが、供述の信用性を心理学的に分析する手法が本格的に争われた点で、その後の第3次請求へつながっていく。
第3次再審請求――地裁と高裁が相次いで再審を認める
2015年7月8日、原口さん側は第3次再審請求を申し立てた。ここでは新たな法医学鑑定と供述心理鑑定が重要な証拠となる。法医学鑑定は、被害男性の遺体に頸部圧迫による窒息死を裏付ける所見がないと指摘。別の死因を考える余地があるとした。
2017年6月28日、鹿児島地裁は再び再審開始を決定する。裁判所は、新証拠によって確定判決を支えた死因鑑定の証明力が弱まり、共犯者自白についても捜査機関の暗示や誘導を受けた可能性を否定できないと判断した。検察側は即時抗告しましたが、2018年3月12日、福岡高裁宮崎支部はこれを棄却。再審開始を認める判断を維持した。
地裁だけではなく、高裁でも再審開始が支持されたことになる。それでも再審公判は開かれなかった。
2019年、最高裁が自ら再審開始決定を取り消す
2019年6月25日、最高裁第一小法廷は、鹿児島地裁と福岡高裁宮崎支部の判断を覆した。再審開始決定を取り消し、原口さん側の請求を棄却したのだ。この決定は大きな議論を呼んだ。
地裁が新証拠を審理して再審開始を決め、高裁もその判断を維持していたにもかかわらず、最高裁が差し戻すのではなく自ら再審請求を棄却したためである。原口さんにとっては、再審公判の直前まで近づきながら、再び扉を閉ざされる結果となった。
第4次再審請求――2025年に最高裁が4対1で棄却
2020年3月30日、原口さん側は第4次再審請求を申し立てた。しかし2022年6月22日、鹿児島地裁は請求を棄却。2023年6月5日には福岡高裁宮崎支部も即時抗告を棄却した。弁護側は最高裁へ特別抗告する。
2025年2月25日、最高裁第三小法廷は特別抗告を棄却し、第4次再審請求の棄却が確定した。ただし、決定は全員一致ではない。5人の裁判官のうち4人が棄却の多数意見を形成した一方、宇賀克也裁判官は再審を開始すべきだとする反対意見を付けた。
最高裁内部でも判断が分かれたことは、大崎事件の証拠評価が単純ではないことを改めて示した。
2026年1月8日、第5次再審請求を申し立て
第4次請求が退けられても、再審を求める動きは終わらなかった。2026年1月8日、弁護団は鹿児島地裁へ第5次再審請求を申し立てた。請求人となったのは原口さんの長女である。原口さん本人だけでなく、すでに死亡している元夫についても再審開始を求めている。
第5次請求では、主に5つの新証拠が提出された。
- 事故死の可能性を示す救急医学などの新たな医学鑑定
- 被害男性が殺害されたとされる時刻以前に死亡していた可能性を示す鑑定
- 共犯者とされた3人の自白を分析する供述心理鑑定
- 供述内容の変化を調べる言語・情報科学的分析
- 確定判決の事件像そのものを再検討する新たな証拠評価
新たな医学鑑定では、被害男性の頸部にあった血腫が気管を圧迫した可能性や、転落による頸部損傷から呼吸機能に重大な障害が生じた可能性などが指摘されている。弁護側は、男性が側溝転落後の事故によって死亡し、確定判決が認定した殺害行為自体が存在しなかった可能性を改めて主張している。
「3度も再審が認められた」のに、なぜ無罪になっていないのか
大崎事件を理解するうえで、多くの人が疑問を持つ点である。原口さん側は、これまで司法手続きの中で繰り返し再審開始を認める判断を得ている。
- 2002年 鹿児島地裁が再審開始
- 2017年 鹿児島地裁が再び再審開始
- 2018年 福岡高裁宮崎支部が検察側の即時抗告を棄却し、再審開始を維持
しかし、日本の再審制度では、再審開始決定に対して検察側が不服を申し立てることができる。大崎事件でも、再審開始を認める判断が出るたびに検察側が争い、上級審で取り消されていた。そのため、「再審開始が決まったことがある」ことと「再審公判で無罪になった」ことは全く別である。
原口さんは、再審開始の扉を複数回開きながら、その先の無罪判決を審理する法廷には一度も到達していない。
大崎事件は「冤罪が確定した事件」ではない
大崎事件は、日弁連が支援する代表的な再審事件であり、一般にも冤罪疑惑事件として広く知られている。しかし法的な状態は正確に区別する必要がある。原口さんについて、再審公判で無罪判決が言い渡された事実はない。1981年に確定した懲役10年の有罪判決は、現在でも取り消されていない。
したがって、司法上「冤罪が確定した事件」と断定することはできない。一方、複数の裁判所が再審開始を認め、最高裁でも再審開始を求める反対意見が出たことも事実である。確定判決を維持する判断と、無罪の可能性を認める判断が、半世紀近くにわたって衝突し続けている。そこに大崎事件の異例さがある。
99歳となった原口アヤ子さんと大崎事件の現在
現在で、第5次再審請求は鹿児島地裁で係属している。原口アヤ子さんは2026年6月に99歳となった。逮捕された1979年には52歳だった。そこから約47年、懲役10年の服役を経てもなお、犯行への関与を否定し続けている。
第5次再審請求では、事故死の可能性を示す新たな医学鑑定と、共犯者自白の信用性を問い直す供述分析が提出された。今後、鹿児島地裁がこれらの証拠をどう評価するかが最大の焦点である。被害男性は本当に殺害されたのか。3人の自白は実体験に基づくものだったのか。原口さんを犯行へ結びつける証拠は、有罪を維持できるほど確かなものだったのか。
大崎事件は、単なる古い殺人事件ではない。再審開始を認める判断が繰り返し出されながら、一度も再審公判へ到達できなかった事件として、日本の再審制度そのものを問い続けている。
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