1974年7月と10月、大阪府の会社「大阪電解」で働く幹部2人が相次いで殺害された。犯行に及んだのは同社に勤務していた出口秀夫と、刑務所で知り合った坂口徹。会社の当座預金から大金を得るため、幹部本人が会社資金を持ち逃げして失踪したように装う計画だった。
二人は被害者を車へ誘い出して絞殺し、遺体を埋立地などへ遺棄した。裁判では出口と坂口が互いに相手を主導者と主張したが、裁判所は双方が協力して二つの殺人を実行し、どちらか一方だけを従属的な立場とは評価できないと判断した。1984年に最高裁で死刑が確定し、1993年11月26日に2人とも大阪拘置所で刑を執行された。
| 事件名 | 大阪電解事件 |
|---|---|
| 発生日 | 1974年7月10日・10月3日 |
| 発生場所 | 大阪府内など |
| 被害 | 大阪電解の会社幹部2人が死亡 |
| 被告人 | 出口秀夫、坂口徹 |
| 一審 | 1978年2月23日、大阪地裁・2人に死刑 |
| 控訴審 | 1980年11月28日、大阪高裁・控訴棄却 |
| 上告審 | 1984年4月27日、最高裁・上告棄却 |
| 死刑執行 | 1993年11月26日、大阪拘置所 |
刑務所で知り合った出口秀夫と坂口徹
出口秀夫は事件当時51歳で、大阪電解に勤務していた。坂口徹は37歳で洗車場を経営していた。二人は以前の服役中に知り合い、出所後も関係を続けていた。
出口は会社内部の人間として、幹部の行動や会社資金の扱いを知ることができた。坂口は勤務先の外にいる協力者だった。この組み合わせを利用し、会社名義の小切手などから金を得る計画が作られた。
幹部が着服して逃げたように見せかける計画
二人の計画は、会社の金を直接持ち去るだけでは成立しにくかった。小切手を不正に使えば、会社側がすぐに異常へ気付き、金融機関への支払停止などで現金化を妨げることができる。
そこで、資金を扱う幹部本人が会社の金を持って失踪したように見せかけることを考えた。本人が姿を消していれば、帳簿の異常が見つかっても責任をその幹部へ向けられる。殺害と失踪偽装は、資金取得計画の一部として組み込まれた。
1974年7月10日、専務を車へ誘い出す
最初の被害者は大阪電解の専務で、当時63歳だった。出口と坂口は7月10日、帰宅途中の専務へ近づき、車で送るなどと持ちかけて乗車させた。勤務先の部下である出口が関与していたため、被害者が警戒しにくい状況だった。
車内で専務は首を絞められて死亡した。遺体は人目につきにくい埋立地へ運ばれ、地中へ隠された。翌日から専務は出勤せず、会社側では本人の所在と資金の動きが問題になった。
最初の計画は思うように進まなかった
二人は専務が会社資金を持ち逃げしたような状況を作り、小切手を使って大金を得ようとした。しかし専務の失踪は早い段階で周囲に知られ、計画したとおり自由に会社資金を動かすことはできなかった。
会社内部では帳簿や小切手の確認が必要となり、専務以外の幹部が資金管理へ関与する。出口らにとって、別の責任者が調査を進めれば不正が露見する危険が高まった。
10月3日、二人目の会社幹部も殺害
最初の事件から約3か月後の10月3日、出口と坂口は大阪電解の別の幹部を標的にした。二人目も車へ誘い出され、首を絞められて死亡した。
遺体は同様に人目につきにくい場所へ運ばれた。短期間に同じ会社の幹部2人が相次いで失踪し、その間に会社資金をめぐる不自然な動きが続いたことで、個別の失踪では説明しにくい状況になっていった。
会社内部の金銭記録が失踪偽装を崩した
二人の被害者が自ら会社資金を持ち出して逃げたのであれば、その後の生活資金や連絡、移動の痕跡が残るはずだった。しかし家族への連絡は途絶え、会社側で把握された資金の動きにも不自然な点が生じた。
捜査では、被害者が最後に誰と接触したか、どの車に乗ったか、小切手や帳簿を誰が扱えたかが調べられた。出口の勤務上の立場と坂口との関係が追われ、失踪事件は殺人事件へ転じた。
遺体発見で「持ち逃げ」の筋書きが崩壊
捜査が進む中、供述や関係先の捜索から被害者2人の遺体が発見された。死因や遺棄状況は、車内で殺害して遺体を隠したとする犯行経過と結び付いた。
被害者本人の不正に見せかける計画は、遺体の発見によって成り立たなくなった。会社内部の書類だけでなく、車両、遺体の遺棄場所、二人の行動が一つの証拠関係として検討された。
出口と坂口は互いに主犯性を争った
裁判で二人は、自分は相手に従っただけであり、主導的な立場ではなかったと主張した。死刑の量刑では、誰が計画を立て、誰が殺害を実行したかという役割の大きさが重要になるためだった。
しかし裁判所は、二人が互いに協力して犯行を遂行しており、一方のみを主犯、他方を従属的な幇助者と見ることはできないと判断した。二つの殺人について、双方に同程度の重大な責任を認めた。
大阪地裁は2人とも死刑
大阪地裁は1978年2月23日、出口と坂口に死刑を言い渡した。会社内部の信用と人間関係を利用し、金銭を得るために上司2人を計画的に殺害した点が重く評価された。
被害者を殺害するだけでなく、本人が着服して逃走したように見せることで、不正の責任まで被害者へ負わせようとした。犯行後の偽装も含め、財産目的の計画性が量刑判断へ反映された。
控訴審でも双方の共同実行を認定
大阪高裁は1980年11月28日、2人の控訴を棄却した。出口と坂口は互いの役割をめぐって責任を軽くする主張を続けたが、高裁は二件とも共同して計画・実行したと認定した。
一方が会社内部の事情を知り、もう一方が外部から協力したという立場の違いはあっても、二つの殺害を成立させるために双方が欠かせない役割を果たしたとされた。
1984年、最高裁で死刑確定
最高裁は1984年4月27日、出口と坂口の上告を棄却した。これにより両名の死刑が確定した。
事件発生から死刑確定まで約10年。会社資金を得るため二人の上司を殺害し、被害者自身の着服失踪に見せかけた一連の計画について、三審とも極刑が維持された。
1993年11月26日、2人の死刑を同日に執行
死刑確定後、出口と坂口は大阪拘置所に収容された。1993年11月26日、2人の死刑が同じ日に執行された。出口は70歳、坂口は57歳だった。
この日はほかの死刑確定者への執行も行われた。出口と坂口については、1974年の二つの殺人から約19年後、最高裁での死刑確定から約9年半後の執行となった。
二つの殺人を生んだ「失踪させる」計画
大阪電解事件では、被害者を殺害することと、会社の資金を得ることが別々の行為ではなかった。幹部本人を消し、会社の金を持って逃げた人物に見せることが、資金犯罪を成立させる手段として計画された。
最初の事件が期待どおりに進まないと、計画を断念するのではなく別の幹部へ対象を広げた。二人の被害者は、会社内の権限と信用を犯行に利用された末に生命を奪われた。
一件目では専務の失踪を利用して小切手を動かそうとした
7月の事件では、専務が自ら会社資金を持ち逃げしたように見える状況を作ることが計画の柱だった。出口は勤務先の内部事情を把握しており、専務の不在を会社資金の不正処理に利用しようとした。
ところが専務の突然の失踪はすぐに問題となり、当初想定したとおりには資金を得られなかった。最初の殺人が計画の成功につながらないまま、二人は別の会社幹部へ対象を移した。
二件目は最初の失敗を踏まえて行われた
10月の二件目では、会社の資金管理に関与する別の幹部が狙われた。出口らにとって、その人物が社内の帳簿や小切手を確認すれば、一件目の失踪を利用した不正計画が崩れる可能性があった。
二人は再び被害者を車へ誘い出し、絞殺して遺体を隠した。同じ会社から二人の幹部が約3か月の間に消えたことで、単独の着服失踪という筋書きはむしろ不自然さを増した。
会社員の出口と洗車場経営の坂口で役割は異なった
出口には大阪電解の内部情報へ接する立場があり、坂口には会社の外から実行を支える役割があった。二人の立場は同じではないが、計画立案、被害者の誘い出し、殺害、遺体遺棄という一連の犯行を共同で進めた。
裁判で双方が自分の役割を小さく主張したのは、この違いが量刑へ影響すると考えたためだった。しかし判決は、犯行全体への寄与を見ればどちらかだけを従属的とすることはできないとした。
被害者に着服の疑いを向ける偽装も量刑で重視
二人の計画は、生命を奪った後に被害者の社会的信用まで利用するものだった。会社の金を持ち逃げした人物に見せかければ、被害者本人は反論できず、家族や同僚にも疑いが残る。
裁判所は、金銭目的のため二人を計画的に殺害したことに加え、被害者へ不正の責任を負わせる失踪偽装を重く評価した。単なる殺害後の証拠隠滅ではなく、最初から犯罪計画に組み込まれた偽装だった。
死刑確定から執行まで約9年半
最高裁が1984年4月27日に上告を棄却した後、出口と坂口は死刑確定者として大阪拘置所に収容された。刑が執行されたのは1993年11月26日で、確定から約9年半が経過していた。
同じ日に2人の刑が執行されたことで、1974年の二件の殺人についての刑事手続は終結した。犯行開始から執行までは19年以上に及んだ。
参考資料・出典
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