2005年9月、静岡県内で36歳の女性の遺体の一部が見つかり、捜査は夫の大倉修へ向かった。大倉は妻を殺害して遺体を山中へ分散して遺棄したことを認め、やがて捜査線上には約1年前に失踪していた職場の同僚、蒔田晃さん(当時37歳)の事件も浮かび上がる。
二つの殺人は約1年の間隔で起き、いずれも大倉が職場の既婚女性と続けていた交際関係をめぐる対立につながっていた。妻殺害の捜査中に車内の血痕が再鑑定され、DNA型が蒔田さんと一致したことが、別々に見えていた失踪と殺人を結び付けた。大倉は2007年に死刑判決を受け、2011年に最高裁で死刑が維持された。
| 事件名 | 同僚・妻連続殺人事件 |
|---|---|
| 発生 | 2004年9月16日、2005年9月9日 |
| 場所 | 静岡県焼津市など |
| 被害者 | 同僚の蒔田晃さん(37)と大倉の妻(36) |
| 被告人 | 大倉修(犯行当時は滝姓) |
| 罪名 | 殺人、死体損壊、死体遺棄 |
| 一審 | 2007年2月26日、静岡地裁が死刑 |
| 控訴審 | 2008年3月25日、東京高裁が控訴棄却 |
| 上告審 | 2011年4月11日、最高裁第二小法廷が上告棄却 |
| 刑 | 死刑確定 |
最初に姿を消したのは、職場の同僚・蒔田晃さんだった
2004年9月16日、同じ生協で働いていた蒔田晃さんが行方不明になった。蒔田さんは、大倉が交際していた職場の女性の上司に当たり、判決報道では、その女性をめぐる蒔田さんの発言に大倉が強い不満を抱いたことが最初の殺害の背景とされた。
大倉は焼津市内で蒔田さんと会い、ワゴン車内で刃物を使って殺害した。その後、遺体を静岡市内の茶畑へ運び、土中に埋めて隠した。蒔田さんの遺体は約1か月後に見つかったが、この段階では大倉の関与を決定付ける証拠に乏しく、事件はすぐには解明されなかった。
遺体が見つかっても、一件目はすぐ大倉へつながらなかった
遺体発見によって殺人事件であることは明らかになったものの、誰が蒔田さんを車へ乗せ、どこで襲ったのかを裏付ける必要があった。大倉は職場の同僚という接点を持っていたが、単なる人間関係だけで殺人を立証することはできない。
この事件が後に動いたのは、一年後の別事件で大倉自身が捜査対象となってからだった。妻殺害事件の捜査を通じて、かつて使用していたワゴン車が改めて鑑定され、そこから蒔田さんに結び付く血痕が確認された。時間を置いた再鑑定が、一件目の客観証拠になった。
2005年9月、今度は妻が自宅からいなくなった
2005年9月9日、大倉は自宅で妻を絞殺した。事件当時、夫婦関係は大倉の不貞関係などを背景に悪化し、妻との間で離婚をめぐる対立が生じていたと判決報道は伝えている。大倉は殺害後、遺体を浴室へ運び、運搬しやすくするため損壊した。
遺体は静岡県内の山林など複数地点へ分散して遺棄された。大倉は妻がいなくなった後、別の事情で不在になっているかのように装ったが、家族の失踪として警察の捜査が始まり、遺体の身元確認と生活状況の確認が夫へ向かう契機になった。

妻の失踪捜査が、約1年前の同僚殺害を掘り起こした
妻の遺体が見つかり、大倉が事情聴取を受ける中で、捜査は妻の事件だけにとどまらなかった。大倉が使用していた車を再度詳しく調べた結果、蒔田さんの血痕が検出され、DNA型が一致したと当時報道は伝えている。
これにより、2004年の蒔田さん殺害と2005年の妻殺害が一人の被告人を軸に結び付いた。大倉は妻に対する事件で先に起訴され、公判が始まった後、蒔田さんの殺害についても追及を受けて認め、殺人などで追起訴された。
二つの事件には、殺害後の隠蔽まで続く共通点があった
被害者も場所も異なるが、二件では殺害後に遺体を人目から遠ざけ、発見や犯行との結び付きを遅らせようとする行動が続いている。蒔田さんは茶畑へ埋められ、妻の遺体は損壊された上で複数地点へ運ばれた。
裁判では、こうした犯行後の行動も大倉の責任能力や犯行時の判断能力を考える材料になった。衝動的な一瞬だけを切り取るのではなく、準備、実行、遺体の処理、周囲への説明まで一連の行動として評価された。
弁護側は精神状態を挙げ、完全責任能力を争った
公判で弁護側が重視したのは、大倉の精神状態だった。うつ状態などが犯行時の判断に影響し、心神耗弱に当たるとして刑の減軽を求めた。死刑が選択肢となる裁判では、犯行事実だけでなく、行為時に善悪を判断し、それに従って行動できる能力があったかが量刑の前提になる。
裁判所は、大倉が相手と接触する過程、凶器や殺害後の処理、発覚を避けようとした行動などを検討し、責任能力を著しく失っていたとは認めなかった。二件を通じて目的に沿った行動が続いていることも、完全責任能力を認める方向で評価された。
2007年、静岡地裁は二つの殺人を合わせて死刑を選んだ
静岡地裁は2007年2月26日、大倉に死刑を言い渡した。判決報道によれば、約1年の間に落ち度のない2人の生命を奪った結果、動機に酌量すべき事情が乏しいこと、殺害後に遺体を隠すための行動を重ねたことなどを重く見た。
死刑判断で重要なのは、被害者が2人だから自動的に死刑になるわけではない点である。犯行の動機、計画性、態様、結果、遺族感情、前科、反省などが総合評価される。本件では、一件目を隠したまま生活を続け、その後に妻への二件目の殺人へ至った経過も責任を重くする事情となった。

静岡地裁は2007年2月26日、大倉修に求刑通り死刑を言い渡した。弁護側は精神状態が責任能力に影響したと主張したが、裁判所は犯行前後の行動や隠蔽工作などを踏まえて完全責任能力を認めた。
東京高裁は2008年3月25日に控訴を棄却。最高裁第二小法廷も2011年4月11日、上告を棄却し、「静岡の2名殺害事件」で死刑の量刑を維持した事例として判例公開された。
控訴審でも責任能力と量刑が争われた
大倉側は東京高裁へ控訴した。控訴審では一審が認定した動機や精神状態、死刑という量刑が適切かが改めて争われた。公判では妻殺害に至った感情について大倉本人の説明も行われ、一審の整理と異なる部分があるとして弁護側は量刑判断の見直しを求めた。
東京高裁は2008年3月25日に控訴を棄却した。二つの殺人と遺体隠匿の事実、完全責任能力を前提にした一審の死刑判断は維持され、事件は最高裁へ移った。
最高裁は「静岡の2名殺害事件」として死刑維持を公表した
最高裁第二小法廷は2011年4月11日、平成20年(あ)第852号の殺人、死体損壊、死体遺棄被告事件について上告を棄却した。裁判所の判例公開では「死刑の量刑が維持された事例(静岡の2名殺害事件)」と整理されている。
最高裁が死刑を維持したことで、大倉に対する刑事裁判の結論は動かなかった。判決訂正申立ての手続きを経て、同年に死刑が確定した。少なくとも公開された確定裁判の骨格は、二件の殺人について大倉の完全責任能力を認め、死刑を選択したというものになる。
「滝修」と「大倉修」が混在するのは犯行時の姓による
当時の報道には、同じ被告人を「滝修」と表記する資料と「大倉修」と表記する資料がある。これは別人ではなく、犯行当時と裁判過程で姓が異なるためである。一件目の報道と後年の最高裁資料で姓が違うのは、この改姓による。
事件の核心は、職場の人間関係から始まった一件目が約一年間解明されず、妻殺害の捜査と車内血痕の再鑑定によって二つの事件が一本につながった点にある。死刑判決までの裁判は、犯行事実だけでなく精神状態と量刑の妥当性を三審で検討した。
蒔田さん事件の決め手になったのは、供述だけではなく車内の血痕だった
大倉が蒔田さん殺害を認める前に、捜査側は車両という客観資料を得ていた。当時の判決報道では、大倉のワゴン車から見つかった血痕についてDNA鑑定を行い、蒔田さんのものと一致したとされる。妻殺害事件で拘束された人物の車から、一年前の被害者の痕跡が出たことの意味は大きかった。
これにより、同僚との人間関係や大倉の説明だけでなく、蒔田さんが大倉の車内にいたことを示す物的証拠が加わった。大倉はその後、蒔田さんの殺害を認め、妻殺害事件と合わせて審理されることになった。一件目が解明されたのは、二件目の捜査が過去の未解明事件へさかのぼった結果だった。
一審は「前科がない」などの有利な事情も見た上で死刑を選択した
死刑事件では、被告人に不利な事情だけを並べれば足りるわけではない。裁判所は、前科前歴、犯行後の態度、反省、精神状態など被告人に有利になり得る事情も比較し、その上で最も重い刑を選択するかを判断する。
大倉の裁判でも、弁護側は精神状態の影響を訴え、刑事責任を軽く評価すべきだと主張した。一方、一審は二人が死亡した結果の重大性、一件目を長期間隠し続けたこと、二件目でも遺体の発見を妨げる処理を行ったことなどを重く評価し、有利な事情を踏まえても死刑を回避する理由にはならないと判断した。
被害者二人を「不倫をめぐる事件」の脇役にしない
二件の背景には大倉の交際関係があるが、被害者側の責任を示す事情ではない。蒔田さんは職場の同僚として女性の上司でもあり、妻は大倉との婚姻関係にあった。いずれも大倉が抱えた対人関係の問題によって生命を奪われた側である。
とくに一件目では『女性を中傷したことに腹を立てた』という判決上の動機が報じられているが、その発言内容を殺害の原因として過度に強調すると、被害者の言動が事件を招いたかのような印象になる。裁判が重く見たのは、大倉が自らの感情を理由に殺害へ進み、さらに発覚を避ける行動を重ねた責任だった。
最終的な裁判経過は、一審死刑、控訴棄却、最高裁の上告棄却という流れである。妻の事件だけを見れば家庭内殺人、蒔田さんの事件だけを見れば職場関係の殺人に見えるが、捜査と裁判は二件を大倉の対人関係、隠蔽行動、責任能力という共通の軸で評価した。
最高裁判例の公開上、事件は「静岡の2名殺害事件」と簡潔に整理される。しかし、その二人が約一年を隔てて別々に殺害され、一件目の未解明事件が二件目の捜査によって解けたという経過こそが本件の特徴である。裁判の結論だけでなく、証拠が二つの事件を結び付けた過程まで追うことで全体像が見える。
二つの事件を隔てる約一年は、犯行が長く隠れていた期間でもあり、二件目の捜査がなければ一件目の立証はさらに遅れた可能性があった。
参考資料・出典
最高裁判例掲載記録「平成20年(あ)第852号 殺人、死体損壊、死体遺棄被告事件」(2011年4月11日)
判例update「最判平成23年4月11日・平成20年(あ)852」
読売新聞配信記事の保存記録「同僚男性と自分の妻を殺害、元生協職員に死刑判決」(2007年2月26日)
東京高裁公判傍聴記「静岡県同僚妻連続殺人事件」(2007年10月30日公判)
関連事件
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