広島タクシー運転手連続殺人事件|日高広明が女性4人を絞殺・死刑執行済み事件

公開日 2026年3月16日
最終更新 2026年7月31日
カテゴリー 1990年代 性犯罪 死刑

広島タクシー運転手連続殺人事件は、1996年4月から9月にかけて、広島市とその周辺で当時34歳のタクシー運転手・日高広明が女性4人を相次いで殺害し、現金を奪って遺体を山間部などへ遺棄した連続強盗殺人事件である。2000年2月9日、広島地裁は日高に死刑を言い渡した。日高は控訴せず、同月24日に死刑が確定。2006年12月25日、広島拘置所で死刑が執行された。44歳だった。

POINT
この記事でわかること
  • 1996年の約5カ月間に女性4人が相次いで殺害された経緯
  • タクシーの構造を悪用し、故障を装って被害者を油断させた手口
  • 借金目的の最初の殺人から、殺害そのものへ刺激を求めるようになった変化 4人目の被害者の目撃情報から逃走・逮捕へ至った捜査経過 死刑判決、控訴しなかった理由、2006年の死刑執行までの流れ

広島タクシー運転手連続殺人事件の概要

事件名広島タクシー運転手連続殺人事件
発生日・期間1996年4月18日から9月14日
発生場所広島市、呉市、旧加計町、旧湯来町など広島県内
被害年齢16歳、23歳、45歳、32歳、死亡者数:女性4人
被告人等日高広明
裁判・捜査状況強盗殺人、死体遺棄/2000年2月9日、広島地裁が死刑控訴せず死刑確定2000年2月24日死刑執行2006年12月25日、広島拘置所
現在の状況広島タクシー運転手連続殺人事件は、1996年4月から9月にかけて、広島市とその周辺で当時34歳のタクシー運転手・日高広明が女性4人を相次いで殺害し、現金を奪って遺体を山間部などへ遺棄した連続強盗殺人事件である。2000年2月9日、広島地裁は日高に死刑を言い渡した。日高は控訴せず、同月24日に死刑が確定。2006年12月25日、広島拘置所で死刑が執行された。44歳だった。

1996年の約5カ月間に女性4人が相次いで殺害された経緯

周囲から一貫して凶暴な人物と見られていたわけではない。職場関係者からは真面目な印象を持たれ、地域活動にも参加していたとされている。一方、酒やギャンブル、夜の繁華街での遊興を重ね、消費者金融などから多額の借金を抱えていた。最初の事件当時、借金額は約350万円に達し、月々の返済にも追われていた。

日高は広島市中区の流川、新天地、薬研堀周辺を頻繁に走り、夜の街にいる女性へ声を掛けていた。そして本来は乗客の安全を担うタクシーと、運転手として得た土地勘や車両知識を、連続殺人のために利用していく。

第1の事件|1996年4月18日、16歳の女子高校生を殺害

最初の事件は1996年4月18日夜に起きた。被害者は当時16歳の女子高校生だった。定時制高校へ入学したばかりの少女である。日高は広島市中心部の新天地公園付近で少女へ声を掛け、自分のタクシーへ乗せた。

少女との会話から多額の現金を持っていると思い込んだ日高は、借金返済のために金を奪おうと考える。そして単に盗めば被害届を出される可能性があるとして、殺害して現金を奪うことを決意した。呉市上二河町の人気のない場所へ向かい、午後10時50分ごろ犯行へ進んだ。

タクシーの故障を偽装し、前かがみになった瞬間を襲う

日高が使った手口は、タクシー運転手としての知識を悪用したものだった。燃料切り替えスイッチを操作してエンジンを止め、車両が故障したように装う。そして被害者へ、足元のシートをめくって配線を確認してほしいという趣旨の依頼をした。

被害者が前かがみになり、背後へ注意を向けにくくなったところで、日高はネクタイを首へ巻き付けて絞殺した。その後、現金約5万円を奪った。日高は身元判明を遅らせようと遺体から衣服を外し、広島市安佐南区沼田町の林道脇にある水路へ遺棄した。

18日後に遺体発見|それでも日高は逮捕されなかった

1996年5月6日、山菜採りに訪れた住民が水路付近で遺体を発見した。遺体は腐敗が進んでいましたが、歯の治療痕などから身元が確認された。日高はニュースで遺体発見を知り、一時は捜査が自分へ及ぶことを恐れた。

しかし時間が経過しても逮捕されなかった。この経験が、その後の犯行を大きく変える。日高は、行きずりの女性で自分との接点が薄ければ、殺害しても警察は自分へたどり着けないと考えるようになった。最初の殺人が発覚しながら検挙されなかったことが、誤った成功体験になったのだ。

第2の事件|8月13日、23歳女性を同じ手口で絞殺

第2の事件は、最初の殺人から約4カ月後の1996年8月13日午前0時50分ごろに起きた。被害者は広島市安佐南区に住む当時23歳の女性だった。日高は新天地公園付近で女性へ声を掛け、自分のタクシーへ乗せた。

その後、安佐南区八木の太田川橋付近で再びエンストを偽装。車両の確認を装って女性を前かがみにさせ、軍手を着用したうえで背後からネクタイを首へ掛けた。女性は激しく抵抗し、助命を求めましたが、日高は絞め続けて殺害した。日高は女性の所持金5万2000円を奪い、遺体を広島市安佐北区白木町の斜面へ遺棄した。

「自分は捕まらない」第2事件後に増幅した万能感

第2の被害者の遺体も、すぐには発見されなかった。日高は最初の事件でも逮捕されず、第2事件も表面化しない状況から、さらに異常な自信を深めた。裁判では、日高が自分を「警察に捕まらない特別な人間」のように考えるようになり、他人の生命を支配することへの満足感や快感を強めたと指摘されている。

ここから事件は、借金返済だけでは説明できない段階へ進む。金銭を奪う目的は残っていた。しかし同時に、殺害行為そのものが強い刺激となっていった。

第3の事件|9月7日、45歳女性をベルトで絞殺

第3の事件は1996年9月7日午後11時50分ごろに起きた。被害者は当時45歳の女性である。日高とは以前から顔見知りだった。日高は女性をタクシーへ乗せ、広島県旧加計町、現在の安芸太田町方面の人通りがほとんどない山道へ向かった。

車内で女性が背中を向けた状態になると、日高はベルトを首へ回し、抵抗する女性を絞殺した。その後、財布から約8万2000円を奪った。遺体は滝山川沿いの斜面へ遺棄され、発見を遅らせるため青いビニールシートで覆われた。

この遺体が見つかったのは、日高の逮捕後である。日高の供述を基に捜索が行われ、10月1日に発見された。

第4の事件|1週間後、32歳主婦を殺害

第3の事件からわずか1週間後、1996年9月14日午前2時10分ごろ、4人目の殺人が起きた。被害者は広島市中区に住む当時32歳の女性で、2人の娘を持つ母親だった。日高とは以前から面識があった。日高は女性をタクシーへ乗せ、佐伯区方面へ向かった。

再び車両故障を偽装して襲おうとしましたが、女性は危険を察知し、車外へ逃げ出した。女性は金を差し出して逃れようとしましたが、日高は追跡。果物ナイフを突き付けて再び車内へ連れ戻し、顔を繰り返し殴って失神させた後、ネクタイで首を絞めて殺害した。日高は現金約5万6000円などを奪い、旧湯来町の国道旧道沿いの草むらへ遺体を遺棄した。

4人目の遺体が数時間後に発見|連続殺人終結の転機

第4の事件は、それまでの3件と異なり、遺体が短時間で発見された。遺体発見後、警察は女性の足取りを追跡する。その結果、事件直前に女性が日高と一緒にいたという目撃情報や、2人がホテルを利用した後、日高のタクシーで出たことなどが判明した。

日高は現場周辺の土地勘を持ち、事件後に行方が分からなくなっていた。捜査本部は日高の犯行と判断し、1996年9月18日に殺人・死体遺棄容疑で逮捕状を請求した。

捜査が迫ると逃走|盗難車で検問突破を図る

日高は捜査が迫っていることを察知し、九州方面へ逃走した。勤務先へも連絡しなくなり、タクシー会社から解雇される。その後、一度広島方面へ戻ろうとしたものの、自宅周辺の警察の動きを察知。広島市内で乗用車を盗み、再び逃走しようとした。

1996年9月21日早朝、山口県防府市の国道2号で警察の検問に遭遇する。日高は突破しようとしましたが追跡され、最終的に身柄を確保された。乗っていた車が盗難車と判明したため、まず自動車窃盗容疑で逮捕される。その後、広島県警が4人目の女性に対する殺人・死体遺棄事件で逮捕した。

逮捕後の供述で、未発見だった2人の遺体が見つかる

日高の逮捕時点で、4件すべてが同一犯による事件と判明していたわけではない。しかし取り調べの中で、日高は別の女性殺害についても供述した。供述に基づく捜索により、10月1日に旧加計町で45歳女性の遺体を発見。さらに10月5日には、広島市安佐北区で23歳女性の遺体が発見された。

捜査本部は、すでに5月に遺体が発見されていた16歳少女の事件についても日高を追及する。日高は4月18日に少女をタクシーへ乗せたことを認め、供述に基づいて所持品なども発見された。こうして、約5カ月間に4人の女性が殺害された連続強盗殺人事件の全体像が明らかになった。

4事件すべて強盗殺人・死体遺棄で起訴

広島地検は日高を順次起訴した。

  • 1996年10月12日:第4事件
  • 1996年11月5日:第3事件を追起訴
  • 1996年11月27日:第2事件を追起訴
  • 1996年12月24日:第1事件を追起訴

刑事裁判で問われた中心罪名は強盗殺人と死体遺棄だった。4人から奪った現金は合計約24万円にとどまった。わずかな金銭のために4人の生命を奪ったことは、後の量刑判断でも極めて厳しく評価される。

1997年2月10日初公判|日高広明は起訴事実を全面的に認める

1997年2月10日、広島地裁で初公判が開かれた。日高は起訴事実について、間違いはないという趣旨で答え、4件の強盗殺人を認めた。このため裁判で大きな問題となったのは、犯人性よりも、事件当時の日高に完全な刑事責任能力があったかという点だった。

弁護側は、借金、妻の病気、長年の挫折感などから精神的に追い詰められていたとして、責任能力や死刑選択について争った。1997年11月、広島地裁は精神鑑定の実施を決定。審理は一時中断した。

精神鑑定|人格の著しい偏りはあるが責任能力を否定せず

精神鑑定では、日高の犯行心理や事件当時の精神状態が詳しく検討された。鑑定では、大学受験など過去の挫折から強い劣等感を抱く一方、「自分は本来もっと価値のある人間だ」という自負を持ち続けたことなどが分析された。また、暴力的な空想を通じて強い自分を示そうとする傾向や、女性殺害を自らの力の証明として実行した側面も指摘された。

一時的に通常とは異なる精神状態だった可能性や、人格に著しい偏りがあることは認められた。しかし、それは刑事責任能力へ影響する病的状態とは評価されなかった。最終的に、心神喪失や心神耗弱を理由とする免責・減軽は認められなかった。

「借金目的」から「殺害そのものへの刺激」へ

4件を同じ単純な動機で説明することはできない。第1事件では、約350万円の借金を抱えた日高が、被害者が現金を持っていると思い込み、殺害して奪うことを決意した。その後、自分が逮捕されない状況が続く。

第2事件以降も金銭目的は存在しましたが、裁判では日高が次第に他人の死を支配する満足感や、殺害行為そのものの刺激を感じるようになったと指摘された。実際、事件間隔は急速に短くなっている。

  • 第1事件:4月18日
  • 第2事件:8月13日
  • 第3事件:9月7日
  • 第4事件:9月14日

第3事件から第4事件までは、わずか1週間だった。

1999年10月、検察が死刑求刑

1999年10月6日、広島地検は日高に死刑を求刑した。検察側は、落ち度のない4人を約5カ月という短期間に次々と殺害したこと、犯行が計画的であること、金銭目的から殺害への満足感を強めていったことなどを厳しく非難した。一方、弁護側は死刑回避を求めた。

借金や妻の病気などで精神的に追い詰められていたこと、精神鑑定の評価に疑問があること、捜査へ協力し反省していることなどを挙げ、情状酌量を訴えた。しかし日高本人は、弁護側とは異なり、死刑を受け入れる意思を強く示していた。

2000年2月9日、広島地裁が死刑判決

2000年2月9日、広島地裁は検察側の求刑どおり日高広明に死刑を言い渡した。判決は、大学受験の失敗や妻の病気などから挫折感を募らせた境遇について一定の同情の余地を認めた。しかし、わずかな金を得るため人命を奪ったことは短絡的で、最大限の非難に値すると判断した。

さらに、短期間に4人を殺害したこと、犯行が計画的であること、被害者に殺害される理由がなかったことなどを重視。日高が反省を示していることを考慮しても、刑事責任は極めて重く、極刑以外に選択肢はないと結論づけた。

日高広明は控訴せず、2000年2月24日に死刑確定

死刑判決後、弁護人は控訴の可能性を検討した。しかし日高本人は控訴しない意思を伝えた。控訴期限までに広島高裁への控訴手続は行われず、2000年2月24日、広島地裁の死刑判決が確定した。

したがって本件には、東京高裁や最高裁で死刑が維持されたという経過はない。一審の広島地裁判決を日高本人が争わず、控訴しなかったことで死刑が確定した事件である。

2006年12月25日、広島拘置所で死刑執行

死刑確定から約6年10カ月後、事件は最終段階を迎えた。2006年12月25日、日高広明に対する死刑が広島拘置所で執行された。日高は44歳だった。

同日には国内の複数の拘置施設で、日高を含む4人の死刑確定者に刑が執行されている。このため現在、日高を「死刑囚として収容中」「死刑執行待ち」と説明するのは誤りである。死刑判決は確定し、その刑は2006年にすでに執行されている。

被害者を「売春女性」と一括りにしてはいけない理由

本件はしばしば「売春女性を狙った連続殺人」と説明される。確かに日高は、繁華街で金銭を介した性的接触が可能とみた女性へ接近し、その関係を利用してタクシーへ乗せた。しかし被害者4人は、それぞれ異なる生活を送っていた個人である。

16歳の女子高校生、23歳女性、45歳女性、2人の娘を持つ32歳の母親が殺害された。どのような状況で日高と接触したとしても、それが殺害される理由になることはない。むしろ事件の核心は、日高が「接点が薄く、行方不明になっても自分へ捜査が及びにくい女性」と一方的に判断し、その社会的な脆弱性を利用した点にある。

現在|日高広明は死刑執行済み

現在も、日高広明はすでに死亡している。1996年9月に逮捕され、4件の強盗殺人・死体遺棄事件で起訴。2000年2月9日に広島地裁が死刑を言い渡した。日高は控訴せず、同月24日に死刑確定。2006年12月25日に広島拘置所で刑が執行された。

事件の特異性は、現役タクシー運転手が乗客を守るべき車両を殺害現場として利用した点だけではない。最初は借金返済のため16歳少女を殺害し、その犯行で逮捕されなかったことから、日高は自分を「捕まらない特別な人間」と考えるようになった。そして第2、第3、第4の殺人へ進み、最後には1週間という短い間隔で犯行を重ねている。

金銭目的の強盗殺人から始まり、検挙されない経験によって万能感を強め、殺害そのものへ刺激を求めるようになったという犯罪心理の変化が、広島タクシー運転手連続殺人事件を日本の犯罪史でも特に重大な連続殺人事件の一つにしている。

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