城丸君事件|DNAで遺骨特定、それでも殺意を証明できず殺人罪無罪が確定

公開日 2026年6月15日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1984年
都道府県
北海道
事件分類
冤罪事件 / 未解決事件 / 殺人事件
事件状況
未解決
最終刑・処分
無罪

1984年1月10日、札幌市豊平区で小学4年生の城丸秀徳君(当時9歳)が自宅を出たまま行方不明になった。捜索は長期化し、後に関係先から見つかった子どもの骨片も、当時の鑑定では城丸君のものと確定できなかった。

事件が大きく動いたのは14年後の1998年。DNA型鑑定の進歩によって保存されていた骨片が城丸君のものと特定され、女性が殺人容疑で逮捕・起訴された。しかし札幌地裁は2001年、女性が城丸君を死亡させた疑いは強いとしながらも、殺人罪に必要な「殺意」には合理的な疑いが残るとして無罪を言い渡した。検察の控訴も棄却され、無罪が確定した。

失踪1984年1月10日
場所北海道札幌市豊平区
被害者城丸秀徳君(当時9歳、小学4年生)
骨片の発見女性の関係先だった新十津川町の農家の納屋
DNA型鑑定1998年、骨片を城丸君のものと特定
逮捕1998年11月、殺人容疑
起訴殺人罪
一審2001年5月30日・札幌地裁、無罪
控訴審2002年3月19日・札幌高裁、検察側控訴棄却
確定結果検察側が上告せず、殺人罪無罪が確定

一本の電話を受けて外出し、そのまま帰らなかった

城丸君は1984年1月10日午前、自宅にかかってきた電話に出た後、外出した。家族はすぐに周辺を捜したが見つからず、警察へ届け出た。捜査では城丸君が最後にどこへ向かい、誰と会ったのかが追われた。

後に殺人罪で起訴された女性は当時、城丸君が向かった先の周辺に住んでおり、早い段階から事情聴取を受けた。しかし城丸君本人も遺体も発見されず、殺害を示す直接証拠もなかったため、当時の捜査では刑事責任を問うところまで進まなかった。

関係先の農家で見つかった子どもの骨

その後、女性が生活していたことのある北海道新十津川町の農家で火災があり、焼け残った納屋の整理中に子どもの骨片が見つかった。捜査機関は城丸君との関係を疑ったが、当時の鑑定技術では焼損した骨から身元を確定できなかった。

骨片は保存され、事件は再び長い停滞期に入った。骨が城丸君のものか分からない状態では、それを女性と失踪事件を結ぶ物証として使うことも難しかった。後年のDNA型鑑定の進歩が、この状況を変える。

1998年、DNA型鑑定で骨片が城丸君と特定された

1990年代にDNA型鑑定の精度と利用範囲が拡大し、北海道警は保存していた骨片を再鑑定した。1998年、骨片が城丸君のものと特定される。失踪してから約14年後、初めて城丸君の死亡を裏付ける物証が明確になった。

この鑑定が示したのは「骨が誰のものか」であり、「どう死亡したか」ではない。骨は焼損しており、死因や致命傷、死亡時の具体的な状況は判別できなかった。DNA型鑑定は身元の問題を解決したが、殺人罪の立証に必要な殺害方法や殺意まで明らかにしたわけではなかった。

この違いは、DNA型鑑定を「犯人を特定する証拠」と一括りにできないことを示す。本件でDNAが直接示したのは、納屋から見つかった骨片と城丸君との同一性だった。骨が女性の関係先に存在した経緯は重要な間接事実になったが、女性がどの行為によって城丸君を死亡させたかは別の証拠で立証しなければならなかった。

時間の経過も大きかった。失踪から14年が過ぎ、遺体は骨片の状態で、当日の現場状況や死因を医学的に再現できる資料が乏しかった。科学技術の進歩によって一つの空白は埋まったものの、別の空白は残ったままだった。

殺人罪の公訴時効が迫る中で女性を逮捕・起訴

当時、殺人罪の公訴時効は15年だった。骨片が城丸君のものと判明した1998年秋には、1984年1月の失踪から時効完成まで残された期間がわずかになっていた。女性は同年11月、殺人容疑で逮捕され、札幌地検が殺人罪で起訴した。

一方、仮に暴行によって死亡させたが殺意まではなかった場合に成立し得る傷害致死や、遺体の遺棄・損壊など、殺人より法定刑が軽い犯罪については既に公訴時効が完成していた。検察にとっては、城丸君の死亡に女性が関与したとの主張だけでなく、「殺意をもって死亡させた」ことまで証明する必要があった。

1984年当時の制度では殺人罪の公訴時効は15年だった。2004年に重大犯罪の時効が延長され、2010年には殺人など死刑に当たる生命侵害犯の公訴時効が廃止されたが、城丸君事件の起訴はそれ以前で、旧制度の時効完成が目前に迫る中で行われた。

後の時効制度改正は、既に無罪が確定した女性の裁判をやり直す制度ではない。本件で問題となったのは、1998年の起訴時点で殺人罪を立証できるか、そして既に時効が完成したより軽い罪へ切り替えられるかという当時の手続だった。

死因も殺害方法も特定できないまま、殺人罪が審理された

骨片から死因を特定できなかったため、起訴事実は殺害方法を具体的に示しにくい状態にあった。首を絞めたのか、殴ったのか、別の方法だったのか。医学的な痕跡から一つに絞ることができなかった。

通常、殺意は凶器、攻撃した部位、回数、犯行前後の言動などから認定される。しかし本件では、犯行態様そのものが確定できない。そこで検察側は、女性が城丸君を呼び出したとみられる事情、遺体の保管・骨の隠匿に関する状況など、多数の間接事実を積み上げて殺意を立証しようとした。

女性は起訴事実を否認し、その後は黙秘を続けた

一審で女性は、起訴状に記載された殺人の事実を否認した。その後の被告人質問では黙秘権を行使し、検察官から多数の質問を受けても答えなかった。

法律関係資料では、検察官の質問は約400回に及んだとされる。女性は質問内容ごとに新しい説明をするのではなく、答えない姿勢を維持した。供述が得られなければ事件当日の空白を本人の説明で埋めることはできないが、その沈黙自体を「説明できないから有罪」と評価することも許されない。

検察側は黙秘を含む法廷での態度にも言及したが、札幌地裁は、被告人が黙秘権を行使したこと自体を犯罪事実の認定で不利益に扱うことは許されないと明示した。被告人に無実を説明する義務を負わせるのではなく、起訴した検察側が犯罪の全要件を証拠で証明しなければならないという原則が前面に出た裁判だった。

札幌地裁は「死亡させた疑いが強い」としながら無罪

2001年5月30日、札幌地裁は女性に無罪を言い渡した。判決を引用した弁護士前田尚一の解説によると、裁判所は、女性が何らかの行為で城丸君を死亡させ、その後長期間遺体を保管し、焼損した遺骨を隠した疑いが強いと述べた。

それでも、殺意をもって城丸君を死亡させたと認定するには合理的な疑いが残るとした。死亡への関与を疑わせる事情が多いことと、殺人罪の成立を証明できることは同じではない。裁判所が要求したのは「疑わしいか」ではなく、殺意まで合理的な疑いなく認定できるかだった。

なぜ「強い疑い」があっても殺人罪では無罪なのか

殺人罪が成立するには、人を死亡させる行為と死亡結果に加え、少なくとも死亡する可能性を認識・認容していたという殺意が必要になる。傷害を加えた結果として死亡しただけなら傷害致死、過失で死亡させたなら過失致死など、法的評価は変わる。

城丸君事件では死因も具体的な犯行態様も分からず、明確な殺害動機も立証できなかった。札幌地裁は、城丸君を呼び出した目的や殺害へ結びつく動機まで含めても、殺意を認定するだけの証明には達していないと判断した。

別の犯罪なら有罪にできた、という手続でもなかった

地裁判決当時、傷害致死、過失致死、死体遺棄、死体損壊などについては公訴時効が完成していたと法律家の解説は整理している。殺人罪の殺意が証明できなかったからといって、裁判所がその場で時効完成済みの別罪へ切り替えて処罰することはできなかった。

殺人罪として起訴された以上、検察は殺人罪の要件を証明する必要がある。死亡への関与を強く疑わせる事情があっても、その証明が殺人罪の水準に達しなければ結論は無罪になる。本件の法的な核心はここにある。

検察は控訴したが、札幌高裁も無罪を維持

検察側は一審判決を不服として控訴した。2002年3月19日、札幌高裁は控訴を棄却し、一審の無罪を維持した。

北海道大学の研究論文では、この控訴審判決が黙秘権について示した判断も取り上げられている。一審で女性が明確に黙秘の意思を示した後も多数の質問が続けられたことについて、高裁は黙秘権の保障との関係から問題を指摘した。殺人罪の事実認定だけでなく、被告人の沈黙を刑事手続でどう扱うかという論点も残した事件だった。

控訴審は、被告人が明確に黙秘権を行使する意思を示しているのに質問を続けることについて、被告人の自由な意思に基づく供述を期待するという制度の趣旨との関係から疑問を示した。結果として、検察が求めた有罪方向への事実認定だけでなく、一審公判での被告人質問の在り方にも検討が及んだ。

検察が上告せず、殺人罪の無罪が確定

札幌高裁の控訴棄却後、検察側は最高裁への上告を行わなかった。これにより、女性に対する殺人罪の無罪判決が確定した。

確定無罪となった以上、女性を城丸君殺害の「犯人」として記述することはできない。一審判決が「重大な犯罪により死亡させた疑いが強い」と述べた部分も、有罪認定ではない。刑事裁判の最終的な法的結論は殺人罪について無罪である。

DNA鑑定が解決したのは身元、解決できなかったのは死因と殺意

城丸君事件では、科学捜査の進歩が14年間動かなかった事件を再び法廷へ運んだ。骨片が城丸君のものと分からなければ、1998年の逮捕・起訴にはつながりにくかった。

一方で、DNA型鑑定にも答えられない問いが残った。誰の骨かは分かっても、どのような行為で死亡したか、その行為をした人物に殺意があったかまではDNAから判定できない。科学的証拠と法的な故意認定の境界が、判決結果を左右した。

城丸君の死亡について、有罪判決を受けた人物はいない

女性の無罪確定後、城丸君の死亡について別の人物が起訴され、有罪判決を受けたとの公表はない。城丸君の遺骨は特定されたが、死亡した経緯の全容は刑事裁判によって確定しなかった。

この事件は「遺骨が被告人の関係先から見つかったのに無罪」という表面だけでは理解しにくい。裁判所は疑いの強さを認めながら、殺人罪に不可欠な殺意の証明を別に求めた。状況証拠がどこまで積み上がれば刑罰を科せるのか、そして黙秘する被告人に説明を強制できない刑事裁判の原則が、結論を分けた事件である。

参考資料・出典

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