布川事件|再審無罪が確定した冤罪事件

公開日 2026年3月6日
最終更新 2026年7月31日

布川事件は、1967年に茨城県北相馬郡利根町布川で起きた強盗殺人事件をめぐり、桜井昌司さんと杉山卓男さんが犯人とされ、無期懲役判決を受けた冤罪事件である。現在も、2人の再審無罪は確定している。杉山さんは2015年に、桜井さんは2023年に死去した。また桜井さんが起こした国家賠償請求訴訟では、2021年に東京高裁が捜査の違法性を認め、国と茨城県に賠償を命じた判決が確定している。

POINT
この記事でわかること
  • 1967年に茨城県利根町布川で起きた強盗殺人事件の概要
  • 桜井昌司さんと杉山卓男さんが犯人とされた経緯
  • 物的証拠がないなかで無期懲役が確定した理由
  • 取調べで作られた自白と目撃証言に生じた重大な疑問
  • 第2次再審請求から2011年の再審無罪確定までの流れ
  • 国賠訴訟で認定された違法捜査と現在の状況
項目内容
事件名布川事件
発生時期1967年8月28日夜から29日早朝ごろと推定
遺体発見1967年8月30日
場所茨城県北相馬郡利根町布川
被害者一人暮らしの62歳男性
当初有罪とされた人物桜井昌司さん、杉山卓男さん
確定刑無期懲役
仮釈放1996年11月
再審開始確定2009年12月
再審判決2011年5月24日、無罪
無罪確定2011年6月
現在再審無罪確定。国賠訴訟でも国・茨城県への賠償命令が確定

1967年8月30日、茨城県北相馬郡利根町布川の民家で、一人暮らしをしていた62歳男性の遺体が見つかった。司法解剖の結果などから、犯行は8月28日夜から29日早朝にかけて行われたと推定される。室内は荒らされており、強盗殺人事件として捜査本部が設置された。

ただ、捜査はすぐには進まない。事件発覚から40日以上が過ぎたころ、警察の視線は地元の若者だった桜井昌司さんと杉山卓男さんへ向かった。

別件逮捕から始まった捜査|2人はなぜ「自白」したのか

桜井さんは1967年10月10日、杉山さんは同月16日、いずれも強盗殺人そのものではない別件容疑で逮捕された。ここから、捜査は急速に布川の強盗殺人事件へ傾いていく。桜井さんに対する別件の取調べが早い段階で終わると、警察は強盗殺人について追及を開始した。

桜井さんは当初、犯行を否認していた。それでも取調官から、被害者宅前で目撃されている、母親も犯行を認めるような話をしている、ポリグラフ検査で反応が出たなどと告げられ、10月15日に自白へ転じる。杉山さんも同じだった。逮捕当初は否認していたものの、桜井さんが「一緒にやった」と話している趣旨の説明を受け、翌17日に自白。こうして、2人について多数の自白調書が作られていった。

後の再審や国家賠償請求訴訟で厳しく問われることになるのが、この取調べである。相手が自白しているかのような虚偽の情報を告げ、互いの供述を崩していく構図があったとされた。一度は強盗殺人について処分保留で釈放された2人でしたが、事態はそこで終わらない。担当検察官の交代後、再び警察署の留置場へ移され、取調べを受けることになる。

2人は再び否認しながらも、やがて自白へ追い込まれた。そして1967年12月28日、強盗殺人罪で起訴される。

物的証拠はなかった|それでも無期懲役が確定した理由

第一審は1968年2月、水戸地方裁判所土浦支部で始まった。法廷に立った2人は、強盗殺人への関与を否定する。ここで見落とせないのは、2人と犯行現場を直接結びつける物的証拠がなかったことである。それでも検察側には、捜査段階で作成された自白調書と、事件当日に2人を見たとする複数の目撃証言があった。

裁判所はこれらを有罪認定の根拠とし、1970年10月、2人に無期懲役を言い渡す。2人は控訴しましたが、東京高裁はこれを退けた。さらに最高裁へ上告したものの、1978年に上告棄却。無期懲役判決が確定する。無実を訴えていた2人にとって、ここから先は「通常の裁判」ではない。すでに確定した有罪判決を覆す、再審という極めて狭い道を進むしかなくなったのだ。

最初の再審請求は認められず|獄中でも続いた無実の訴え

服役中の1983年、桜井さんと杉山さんは第1次再審請求を申し立てた。しかし、結論が出るまでには長い時間がかかり、最終的に再審開始は認められなかった。確定判決の壁は厚く、無実を訴えるだけでは裁判をやり直すことはできなかったのだ。その間も刑の執行は続いた。2人が仮釈放されたのは1996年11月。逮捕から数えると、約29年が経過していた。

20代だった2人は、人生の長い時間を拘束の中で失っている。社会に戻れたとはいえ、有罪判決は残ったまま。「強盗殺人犯」とされた状態から、本当の意味で自由になったわけではなかった。

第2次再審請求で崩れた有罪認定|自白と目撃証言への疑問

仮釈放後も2人は諦めなかった。弁護団と準備を重ね、2001年12月、第2次再審請求を申し立てる。この審理では、確定判決を支えた証拠が一つずつ検証された。焦点となったのは、被害者の死因、自白の信用性、目撃日時の誤り、夜間の視認可能性などである。とりわけ大きかったのが、検察側から新たに開示された証拠だった。それまで弁護側が十分に知り得なかった資料が明らかになるにつれ、確定判決の土台そのものが揺らぎ始める。

桜井さんの取調べを録音したテープも、その一つである。分析の結果、録音が途中で止められたり、テープが戻されたりした形跡が問題となった。自白がある。目撃者もいる。表面だけを見れば、有罪を支える証拠が重なっているように映る。ところが、その一つひとつを改めて調べると、話は変わっていた。そもそも自白は信用できるのか。目撃した日時は本当に事件当日なのか。暗い時間帯に人物を識別できたのか。確定判決では決着したはずの問いが、再び法廷へ戻ってきたのだ。

2005年に再審開始決定|検察の不服申立ても退けられた

2005年9月、水戸地裁土浦支部は再審開始を決定した。検察側はこれを不服として即時抗告する。しかし2008年7月、東京高裁は再審開始決定を支持し、検察側の申立てを退けた。それでも手続きは終わらない。検察側は最高裁へ特別抗告。再審を始めるかどうかをめぐる争いだけで、さらに時間が流れていく。

2009年12月、最高裁は検察側の特別抗告を棄却した。これにより、再審開始が正式に確定する。最初の逮捕から、すでに42年余り。ようやく2人は、確定した有罪判決そのものを法廷で問い直せる地点までたどり着いた。

2011年に再審無罪|逮捕から44年後に覆った有罪判決

再審公判は2010年7月に始まり、複数回の公判が開かれた。改めて検討されたのは、自白だけではない。目撃証言や捜査の進め方、取調べの状況、再審手続きで開示された証拠まで、長年積み重なった記録が見直された。そして2011年5月24日、水戸地裁土浦支部は桜井さんと杉山さんに無罪判決を言い渡す。

判決では、2人を犯人と推認させる情況証拠がないこと、自白の任意性に疑義があり信用性が否定されることなどが指摘された。捜査官による違法な取調べや偽証も問題とされている。検察側は上級審で争わず、同年6月に無罪が確定した。逮捕から約44年。2人が長年訴え続けた無実が、ようやく司法判断として認められた瞬間だった。

布川事件はなぜ冤罪になったのか|重なった4つの問題

別件逮捕と長期の身体拘束

2人は当初、強盗殺人事件そのもので逮捕されたわけではない。別件で身柄を拘束され、その中で強盗殺人について集中的な取調べを受けた。身柄を押さえた状態で追及を重ねる手法は、布川事件の経過を考えるうえで外せない問題である。

相手が自白したと思わせる取調べ

桜井さんと杉山さんには、それぞれ相手が犯行を認めているかのような情報が伝えられた。密室の中で「もう相手が話している」と思わされれば、否認を続ける心理的な支えは崩れやすくなる。布川事件では、こうした取調べが虚偽自白を生んだ過程として厳しく検証された。

物的証拠がないのに自白へ強く依存した

2人と犯行を直接結びつける物的証拠はなかった。それにもかかわらず、捜査段階の自白は有罪認定の中心に置かれる。一度「自白」という形ができると、その内容に沿って周囲の証拠が解釈されていく危うさが、事件の経過から浮かび上がる。

弁護側に十分開示されなかった証拠

再審請求では、検察側から新たな証拠が開示された。その中には、有罪認定に疑問を生じさせる資料も含まれていた。仮にそうした証拠がもっと早く弁護側へ示されていれば、裁判の展開は違っていたのではないか。布川事件は、再審における証拠開示のあり方を考える代表的な事件となっている。

国家賠償請求訴訟でも捜査の違法性を認定

再審無罪が確定しても、桜井さんの闘いは終わらなかった。桜井さんは国と茨城県を相手に国家賠償請求訴訟を提起する。目的は金銭補償だけではなく、なぜ自分が犯人にされ、長期間にわたって自由を奪われたのか、その責任を司法の場で明らかにすることにあった。2019年、東京地裁は桜井さん側の請求を認め、国と茨城県に賠償を命じた。さらに2021年8月の東京高裁判決では、警察だけでなく検察官による取調べについても違法性が認定される。

東京高裁が認めた賠償額は約7389万円。その後、国と茨城県が上告せず、判決は確定した。刑事再審で無罪になっただけではなく、その後の民事裁判でも捜査機関の違法行為が認定されたことは、布川事件の重大な特徴である。

桜井昌司さんと杉山卓男さん|無罪確定後の歩み

無罪確定後、2人には長く奪われていた日常が戻った。ただし、失われた約29年の拘束期間を取り戻すことはできない。杉山卓男さんは2015年に死去した。桜井昌司さんは無罪確定後も、自身の国家賠償請求訴訟を続ける一方、ほかの冤罪事件の支援や再審制度の問題を訴える活動に関わった。そして2023年8月に死去している。

現在、布川事件は再審無罪が確定した歴史的事件として残っている。国賠訴訟でも捜査の違法性を認めた判決が確定しており、2人を有罪とした司法判断が元に戻ることはない。一方、元の強盗殺人事件については、桜井さんと杉山さん以外の人物が犯人として有罪確定した事実は確認されていない。2人の無罪が明らかになったことで、被害男性を誰が殺害したのかという問題は残されたままである。

布川事件が日本の刑事司法に残したもの

布川事件を「昔の冤罪事件」として片づけると、本質を見失う。警察が一度容疑者を絞り込み、密室の取調べで自白を得る。その自白が裁判で重く扱われ、後になって信用性に疑問が生じても、確定判決を覆すまでには何十年もかかる。2人が無罪を勝ち取ったのは、事件発生から44年近く後だった。仮釈放までの約29年間だけを見ても、一人の人生にとってあまりに長い時間である。

しかも再審開始は自動的に認められたわけではない。最初の再審請求は退けられ、第2次再審請求でも検察側の不服申立てが続いた。誤判が起きること。そして、いったん確定した誤判を正すことが極めて難しいこと。布川事件が突きつけたのは、その二重の問題だったといえる。

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