山形マット死事件|児玉有平さんの死と少年審判・民事裁判で分かれた判断

公開日 2026年6月24日
最終更新 2026年7月31日

山形マット死事件は、1993年1月13日、山形県新庄市の市立明倫中学校で、中学1年生の児玉有平さん(当時13歳)が体育用マットの内部で死亡しているのが見つかった事件である。2026年には、確定した賠償金の一部が支払われていないとして、遺族が元生徒3人を相手に3度目の訴訟を起こした。事件から33年以上が過ぎても、遺族にとって法的な争いは終わっていない。

POINT
この記事でわかること
  • 児玉有平さんが体育用マット内で発見された状況
  • 学校内で続いていたとされるいじめの内容
  • 生徒7人が逮捕・補導された捜査の経緯
  • 少年審判で不処分と保護処分に判断が分かれた理由
  • 民事裁判で7人全員の関与が認定されるまで
  • 賠償金の未払いをめぐって2026年も続く訴訟
項目内容
一般的な呼称山形マット死事件、明倫中事件
発生日1993年1月13日
発生場所山形県新庄市立明倫中学校の体育館用具室
死亡した生徒児玉有平さん(当時13歳・中学1年生)
発見時の状況巻いて立てられた体育用マットの中に、頭を下にした状態で入っていた
死因逆さまの姿勢を続けたことによる窒息死
逮捕・補導当時の生徒3人を逮捕、4人を補導
少年審判3人が不処分、3人が保護処分、1人が児童福祉上の指導処分
民事裁判元生徒7人全員に総額約5760万円の賠償を命令
最高裁2005年9月、元生徒側の上告を棄却して判決確定
現在未払いとなっている賠償金をめぐる3度目の民事訴訟が進行中

1993年1月13日、児玉有平さんが下校せず行方不明に

1993年1月13日、新庄市立明倫中学校に通う児玉有平さんは、授業を終えても自宅へ戻らなかった。家族は帰宅が遅いことを心配し、学校や友人へ連絡。教職員や家族らが校内を捜し始める。その日の夜、体育館に隣接する用具室を確認したところ、立てて保管されていた体育用の大型マットから、有平さんの足が出ているのが見つかった。

マットを開くと、有平さんは空洞部分へ頭から入れられたような姿勢で、すでに死亡していた。いつも通っていた学校の中で、家族が想像もしなかった状態で発見された有平さん。遺族が受けた衝撃は、言葉で表せるものではなかったでしょう。

体育用マットの中で逆さまになり窒息死

有平さんが入っていたのは、体育館で使われる大型のマットだった。マットは巻かれた状態で縦に立てられており、中心部分に人が入れるほどの空洞ができていた。有平さんは頭を下、足を上にした状態で、その空洞に収まっていたとされている。逆さまの姿勢が続くと、腹部の臓器が横隔膜を圧迫し、呼吸が難しくなる。狭いマットの中では体の向きを変えたり、自力ではい上がったりすることも困難である。

司法解剖などの結果、有平さんはマット内で身動きが取れないまま窒息死したと判断された。

有平さんは以前からいじめを受けていたとされた

事件後の聞き取りでは、有平さんが学校内で複数の生徒から、日常的にからかわれたり、無理な行為を求められたりしていたとの証言が集まった。報道や裁判では、一発芸を強要された、服を脱がされた、殴られた、金銭を要求されたといった行為が取り上げられている。有平さんは嫌がりながらも、周囲との関係を壊さないよう耐えていたとみられた。

事件当日について警察は、有平さんが一発芸を拒んだために暴行を受け、体育館用具室へ連れて行かれたとの構図を示す。いじめが日常化した先で、死につながる行為が行われたというのが、捜査機関と後の民事判決が認定した事件の流れだった。

生徒3人を逮捕、4人を補導

山形県警は、生徒への事情聴取を進め、事件から4日後の1月17日ごろまでに、中心人物とみた生徒から供述を得た。翌18日には、刑事責任を問える年齢だった当時14歳の中学2年生3人を、傷害や監禁致死の疑いで逮捕する。さらに、当時12歳または13歳だった生徒4人についても、刑事責任年齢に達していなかったため逮捕ではなく補導された。

警察の説明では、7人は有平さんへ暴行を加えたあと、手足を持つなどしてマットの中へ頭から押し込み、そのまま放置したとされた。ところが、生徒たちは児童相談所や家庭裁判所の手続きへ移るころから、次々と供述を撤回する。

生徒たちは自白を撤回し、関与を否定

逮捕・補導された生徒の多くは、当初の事情聴取で事件への関与を認めていた。しかし、その後は「警察に誘導された」「怖くなって認めてしまった」「事件当時は別の場所にいた」と主張し、供述を翻する。弁護側は、有平さんが一人でマットの中へ入った可能性を主張した。生徒らが無理に押し込んだことを直接示す決定的な物証がなく、自白内容にも食い違いがあると指摘する。

一方、警察や遺族側は、複数の供述が犯行の核心部分で一致していることや、事件以前からいじめがあったことを重視した。少年たちの自白をどこまで信用できるのかが、その後の少年審判と民事裁判を通じた最大の争点となる。

少年審判では3人が不処分、3人が保護処分

逮捕・補導された7人のうち、1人は児童福祉上の在宅指導となり、残る6人が家庭裁判所の審判を受けた。1993年8月、山形家庭裁判所は、逮捕されていた3人について非行事実を認めるだけの証拠がないとして不処分とした。不処分は、刑事裁判の無罪に近い判断である。少なくとも、この3人については家庭裁判所が事件への関与を認定しなかった。

一方、同年9月には、補導された別の3人について非行事実を認め、少年院送致などの保護処分を言い渡す。同じ事件について、ある3人は関与を認められず、別の3人は関与したと判断されるという、複雑な結果になった。

仙台高裁は7人全員の関与を認める判断を示した

保護処分を受けた3人は、山形家裁の判断を不服として仙台高等裁判所へ抗告した。仙台高裁は抗告を棄却し、3人の保護処分を維持する。その決定理由では、審判の対象となっていなかった不処分の3人を含め、7人全員が事件へ関与したとの見方が示された。

ただし、不処分となった3人について審判をやり直し、改めて保護処分を言い渡したわけではない。このため、少年審判上の処分結果と、高裁が示した事実認定には違いが残る。最高裁は保護処分を受けた少年側の再抗告を退け、3人の処分が確定した。

少年審判の判断が分かれた理由

事件には、犯行の瞬間を映した映像や、誰がどのように有平さんをマットへ入れたかを直接示す物証がなかった。中心となった証拠は、生徒同士の供述、教職員やほかの生徒の証言、事件前のいじめに関する事情である。しかし、少年たちの供述には変化や食い違いがあった。取り調べによって誘導された可能性を指摘する意見もあり、供述の信用性をどう評価するかで判断が分かれる。

その結果、家庭裁判所、仙台高裁、後の民事裁判で、関与した人数や事件性について異なる認定が示された。

遺族が元生徒7人と新庄市を提訴

有平さんの遺族は1995年、当時の生徒7人と学校を設置する新庄市などを相手に、損害賠償を求める民事訴訟を起こした。遺族が求めたのは、金銭だけではない。学校の中で何が起き、誰が有平さんをマットへ入れたのか。少年審判では結論が分かれた事実関係を、公開の法廷で明らかにする意味もあった。

元生徒側は、事件への関与を否定し、有平さんが自らマットへ入った事故の可能性を主張する。学校側についても、いじめを把握し、防止する義務を果たしていたのかが争われた。

山形地裁は元生徒らの責任を認めなかった

2002年3月19日、山形地方裁判所は遺族側の請求を退けた。山形地裁は、元生徒らが有平さんを暴行し、マットへ押し込んだと認定するには証拠が足りないと判断する。捜査段階の供述には不自然な変化があり、事件当時の行動についても合理的な疑いが残ると評価された。

少年審判に続き、民事裁判でも元生徒らの関与を認めない判断が示された形である。遺族はこの判決を受け入れず、仙台高裁へ控訴した。

仙台高裁が逆転し、7人全員の関与を認定

2004年5月28日、仙台高等裁判所は山形地裁判決を取り消し、元生徒7人全員の責任を認めた。仙台高裁は、複数の生徒が有平さんへ暴力を振るい、抵抗できない状態にしてマットへ押し込んだ可能性が高いと判断する。供述には変化があったものの、事件の中心部分では互いに符合し、学校内で続いていたいじめの状況とも一致すると評価された。

判決は、元生徒7人に対し、遺族へ総額約5760万円を支払うよう命じている。一審では事件への関与が認められず、二審では7人全員の不法行為が認定される。民事裁判でも、判断は大きく反転した。

2005年、最高裁で損害賠償判決が確定

元生徒側は仙台高裁判決を不服として、最高裁へ上告した。しかし最高裁は2005年9月6日、元生徒側の上告を棄却する。これにより、元生徒7人全員の事件への関与を認め、約5760万円の賠償を命じた仙台高裁判決が確定した。

少年審判では不処分となった人物もいましたが、民事裁判では7人全員が有平さんの死亡について損害賠償責任を負うと判断されたのだ。少年審判の不処分と、民事上の責任認定は両立し得る。審理の目的や証明の基準が異なるためである。

刑事裁判の有罪と民事上の責任は何が違うのか

刑事裁判や少年審判では、国家が個人へ刑罰や保護処分を科すため、非行事実を厳格に証明する必要がある。一方、民事裁判は、被害者に生じた損害を誰が負担するかを判断する手続きである。このため、少年審判で非行事実なしとされた人物についても、民事裁判では証拠全体を改めて評価し、不法行為責任を認める場合がある。

山形マット死事件では、こうした制度の違いによって、少年審判と民事裁判で異なる結論が残った。ただし、2005年に確定した民事判決は、元生徒7人へ賠償義務があることを法的に確定したものだ。

確定した賠償金が支払われない状態が続く

最高裁で遺族側の勝訴が確定しても、賠償金が自動的に支払われるわけではない。遺族側によると、元生徒の中には任意の支払いへ応じなかった人物がった。確定判決があっても、相手の勤務先や預金口座などが分からなければ、給与や財産を差し押さえることは困難である。

損害賠償請求権には消滅時効があるため、遺族は権利を失わないよう、差し押さえや再提訴を続ける必要があった。裁判で勝訴しても、実際に賠償を受け取れなければ、被害回復は終わらない。本事件は、確定判決を実現する難しさも浮き彫りにした。

2016年にも時効を防ぐため再提訴

2005年の判決確定から約10年がたつと、賠償請求権の時効が問題となった。遺族は、勤務先を把握できた元生徒については給与の差し押さえを行い、それが難しい人物に対しては再び民事訴訟を起こした。2016年、山形地裁は遺族側の請求を認め、元生徒らへ改めて支払いを命じている。

この裁判は、事件への関与を最初から審理し直すものではない。すでに確定している損害賠償請求権の時効を防ぎ、支払いを求め続けるための手続きだった。

2026年、遺族が元生徒3人を3度目の提訴

2025年12月、遺族は賠償金の支払いに応じていない元生徒3人を相手に、山形地裁へ再び訴えを起こした。2026年1月23日には、第1回口頭弁論が開かれている。遺族側は、確定判決に基づく損害賠償金と遅延損害金の支払いを求めた。

これに対し元生徒側は、請求の棄却を求め、事件への関与やいじめを改めて否定。全面的に争う姿勢を示している。ただし、元生徒7人の民事上の賠償責任については、2005年の最高裁決定ですでに確定している。2026年の訴訟は、主に未払いとなっている債権を維持し、回収するための手続きである。

学校と新庄市の責任はどう判断されたのか

遺族は、元生徒だけでなく、学校を設置する新庄市の責任も追及した。学校には、生徒の安全を守り、いじめを把握した場合には適切に対応する義務がある。事件前から有平さんへのからかいや暴力があったのであれば、教職員はそれを把握し、重大な被害へ発展する前に止められなかったのかが問われる。

民事裁判では、市側にも一定の責任を認める判断が示され、学校におけるいじめの把握と安全管理のあり方が厳しく問われた。いじめは、子ども同士の小さな問題として放置すれば、取り返しのつかない結果へつながる。

少年法改正の議論にも影響を与えた

山形マット死事件は、少年審判の非公開性や、被害者遺族が事件記録へ十分にアクセスできない問題を社会へ強く印象づけた。当時の少年法では、少年の更生とプライバシー保護が重視される一方、被害者や遺族が審判の内容を知る手段は限られていた。有平さんの遺族は、なぜ息子が死亡したのかを知りたいと求めても、少年審判が非公開であるため、詳しい情報を得にくい状況に置かれる。

こうした問題は、その後の少年法改正をめぐる議論の一因となった。少年の更生を守りながら、被害者や遺族の知る権利をどこまで保障するのか。事件は、日本の少年司法へ重い課題を突きつけた。

元生徒側は現在も無実を主張している

元生徒の一部は、事件後から現在まで、一貫して有平さんの死亡には関与していないと主張している。支援者や弁護団は、物証が乏しく、少年たちの自白は捜査官によって誘導されたものだと訴えていた。また、有平さんが自分からマットへ入り、事故で出られなくなった可能性も主張されている。

一方、最高裁で確定した民事判決は、供述や事件前の状況などを総合し、7人全員の不法行為を認定した。元生徒側が無実を主張し続けていることと、賠償責任を認めた確定判決が存在することは、分けて記載する必要がある。

現在の状況|事件から33年以上たっても訴訟が続く

現在も、山形マット死事件をめぐる少年審判と、事件への関与を判断した最初の民事訴訟は終了している。

  • 死亡した生徒:児玉有平さん(当時13歳)
  • 事件発生日:1993年1月13日
  • 逮捕・補導:当時の生徒7人
  • 少年審判:3人が不処分、3人が保護処分、1人が児童福祉上の指導
  • 民事一審:遺族の請求を棄却
  • 民事控訴審:元生徒7人全員の関与を認定
  • 確定賠償額:総額約5760万円
  • 最高裁:2005年に元生徒側の上告を棄却
  • 2026年の状況:未払い賠償金をめぐる3度目の訴訟が進行中

有平さんの父親は、長年にわたり賠償の履行を求め続けていた。判決が確定してから20年以上が過ぎても、支払いを求めて再び法廷へ立たなければならない。その負担は、事件で息子を失った遺族へ重ねてのしかかっている。法的な責任が確定しても、被害者の権利が現実に回復されるとは限らない。2026年の訴訟は、その厳しい現実を示している。

山形マット死事件が残したもの

山形マット死事件は、学校内のいじめが一人の生徒の命を奪ったと認定された重大事件である。同時に、少年たちの供述の信用性、少年審判の非公開性、被害者遺族の権利、確定判決後の賠償回収など、複数の問題を残した。裁判所ごとに判断が分かれたため、事件は単純な構図では語れない。

しかし、有平さんが学校の体育館用具室で命を失い、家族が33年以上にわたって真相と責任を問い続けている事実は変わらない。いじめを「ふざけ」「遊び」「子ども同士の問題」と軽く扱えば、被害を受ける側は逃げ場を失う。周囲の大人が異変を見逃さず、子どもが安心して助けを求められる環境を作ること。それが、有平さんの死から受け取るべき最も重い教訓である。

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