妙義山麓連続殺人事件|2人殺害・1人傷害致死、松本美佐雄の死刑確定と拘置中死亡

公開日 2026年3月16日
最終更新 2026年8月28日
カテゴリー 1990年代 死刑

事件ステータス

都道府県
群馬県
司法状況
確定
最終刑・処分
死刑

1991年7月、群馬県の山中で、父親の遺体を埋めるための穴を掘っていた28歳の男性が、その場で松本美佐雄にスコップで殺害された。男性の父親は直前に松本から暴行を受けて死亡していた。最高裁が認定したのは、半年余りの間に3人が死亡した一連の事件だった。

松本に成立したのは、3人全員に対する殺人罪ではない。1990年12月の知人男性と1991年7月の28歳男性については殺人、父親については傷害致死とされ、窃盗や死体遺棄などと合わせて死刑が言い渡された。最高裁は1998年12月1日に上告を棄却。松本は死刑確定者として収容された後、2026年4月8日に東京拘置所で死亡した。

事件名妙義山麓連続殺人事件
発生1990年12月4日、1991年7月6日
主な場所群馬県内の山林・妙義山周辺
被害男性2人が殺害され、男性1人が暴行により死亡
被告人松本美佐雄
一審1993年9月24日・前橋地裁高崎支部、死刑
控訴審1994年9月29日・東京高裁、控訴棄却
上告審1998年12月1日・最高裁第三小法廷、上告棄却
その後2026年4月8日、東京拘置所で死亡

友人に借金を求め続けていた男性を山中へ

最初の事件は1990年12月に起きた。最高裁判決によると、被害者の男性は、松本の遊び仲間に繰り返し借金を申し込んでいた。松本はその遊び仲間とともに男性を殺害し、遺体を山中に埋めた。

この事件では、松本一人だけが現場で行動したわけではない。共犯者と殺害を実行し、その後に遺体を隠すところまでが一連の犯行となった。遺体を山中へ埋めたことで、被害者の死亡と所在は直ちには表面化しなかった。

別の友人のキャッシュカードを盗み、300万円を引き出す

翌1991年、松本は別の遊び仲間が持つキャッシュカードを盗んだ。最高裁判決は、松本が最初の事件の共犯者とともに、そのカードを使って預金300万円を引き出したと認定している。

ここから事件は、窃盗の発覚をめぐる新たな局面へ進む。カードを盗まれた男性の父親が松本を呼び出し、預金の件などを追及した。松本にとって、300万円を引き出した経緯を説明しなければならない状況になった。

追及した父親に暴行、死亡させる

呼び出しを受けた松本は、父親を殴るなどの暴行を加え、死亡させた。確定判決でこの死亡について成立したのは傷害致死罪だった。殺意を認定した殺人罪ではなく、暴行によって死亡結果を生じさせた犯罪として扱われている。

共同通信が2026年の松本死亡時に報じた確定判決の概要でも、1990年の男性と1991年の28歳男性については殺害、54歳の父親については殴って死亡させたと区別されている。3人が死亡したという結果は同じでも、刑事裁判上の罪名は一様ではなかった。

父親を埋める穴を掘らされた息子

父親が死亡した後、その場にはキャッシュカードを盗まれた28歳の男性もいた。最高裁判決によれば、松本は男性に指示して、父親の遺体を埋めるための穴を掘らせた。

男性が穴を掘り、父親を埋めようとしていたところで、松本は口封じのため男性をスコップで殺害した。父親と息子の遺体は同じ穴に埋められた。最高裁はこの殺害態様を、死刑の量刑を検討するうえで特に重い事情として挙げている。

半年余りで3人が死亡した一連の事件

1990年12月の最初の殺人から、1991年7月の父子の死亡まで約7か月。最高裁は、短い期間に3人の生命が失われた結果を重く評価した。二つの殺人では、それぞれ異なる経緯から殺意が形成されている。

最初の事件は遊び仲間と被害者の金銭関係を背景とし、次の事件では松本自身が行った300万円の窃盗が発端となった。父親から追及されて暴行し、その場にいた息子を口封じのため殺害するという連鎖だった。

3人の年齢は26歳、54歳、28歳

2026年の共同通信報道が確定判決の内容として伝えたところでは、1990年に殺害された最初の男性は当時26歳。1991年の父子事件では父親が54歳、息子が28歳だった。いずれも松本と無関係な通りすがりの被害者ではなく、友人・知人関係やその家族を通じて接点が生じていた。

その関係が、最初の事件では借金問題、次の事件ではキャッシュカードと預金の窃取、最後には窃盗発覚をめぐる追及と口封じへつながった。被害者との接点がそのまま犯行機会に使われている点も、一連の事件の特徴となった。

最高裁判決が示した二つの殺人の位置づけ

最高裁は、3人の死亡を同じ罪名で並べず、「二件の殺人」の態様を個別に取り上げた。1990年の男性殺害と1991年の息子殺害がこれに当たり、父親の死亡は別に傷害致死として組み込まれている。

量刑理由では、父親の遺体を埋めようとしていた息子を口封じのため殺害した場面を特に重視した。金銭をめぐる犯罪の発覚を避けるため、すでに父親を失った息子の生命まで奪ったことが、松本の刑事責任を判断する中核となった。

前橋地裁高崎支部が死刑を選択

松本は1991年に逮捕され、殺人、傷害致死、窃盗、死体遺棄などに問われた。前橋地裁高崎支部は1993年9月24日、松本に死刑を言い渡した。父親の死亡については殺人罪ではなく傷害致死罪を認定した一方、他の2人に対する殺人と一連の犯行全体を重く見た。

殺害された父子の遺族は民事でも損害賠償を求め、松本に6250万円の支払いを命じる判決が出たと当時の報道記録に残る。刑事裁判とは別に、遺族の損害について民事上の責任も問われた。

東京高裁でも死刑判決を維持

松本側は控訴したが、東京高裁は1994年9月29日に退けた。上告審でも事実認定や量刑が争われ、最高裁第三小法廷が記録を検討することになった。

最高裁は、犯行の動機に酌量の余地が乏しいこと、二件の殺人の態様、3人が死亡した結果、遺族の被害感情などを総合した。松本が当時は反省していたこと、窃盗被害を弁償していたこと、罰金以外の前科がなかったことも有利な事情として考慮された。

最高裁が1998年に上告を棄却

1998年12月1日、最高裁第三小法廷は上告を棄却した。判決は、松本に有利な事情を踏まえても罪責は重大であり、一審から維持されてきた死刑を是認せざるを得ないと判断した。

この上告棄却によって死刑判決が確定した。事件発生から約8年、最初の一審判決からも5年以上を経た時点だった。松本はその後、東京拘置所に収容された。

死刑確定から27年以上、2026年に拘置中死亡

2026年4月8日、法務省は松本が東京拘置所で死亡したと発表した。61歳だった。テレビ朝日によると、同年1月に下血を訴えて検査を受け、肝臓がんが判明して拘置所内で療養していたが、症状が悪化した。

共同通信は、転移性肝臓がんを患っており病死とみられると報じている。死刑は執行されなかった。1998年の確定から27年以上を経て、松本の収容は死亡によって終わった。

松本は1991年9月、26歳で逮捕

松本は1991年9月10日に逮捕され、当時26歳だった。事件の審理では、1990年の殺人と死体遺棄、1991年の窃盗、父親への傷害致死、息子に対する殺人など、時期も目的も異なる複数の犯罪が一つの刑事事件として扱われた。

二つの殺人にはそれぞれ共犯関係や金銭問題が絡んでいたが、最高裁が量刑上とくに重く見たのは、松本自身が各場面で生命を奪う行為へ関与し、発覚を防ぐため遺体を埋める行為まで続けた点だった。

父子事件の発端は、殺人ではなく300万円の窃盗

1991年の父子事件をたどると、最初に起きたのはキャッシュカードの窃盗だった。松本は遊び仲間Cのカードを盗み、Aとともに預金300万円を引き出した。父Dが松本を呼び出したのは、この窃盗などを追及するためだった。

父親への暴行、その死亡、現場にいた息子の殺害、父子の遺体の埋没は、300万円の窃盗発覚をめぐる流れの中で連続した。最高裁は息子の殺害を「口封じ」の目的によるものと認定し、その態様を死刑判断の重要な事情に据えた。

死刑判断で考慮された有利な事情

死刑事件では、結果の重大さだけで刑が決まるわけではない。最高裁は、松本が裁判時点では反省していたこと、カード窃盗の被害を弁償していたこと、罰金以外の前科がなかったことを、本人に有利な事情として明示的に取り上げた。

それでも、半年余りで3人が死亡したこと、殺人2件の動機と態様、特に父親を埋める穴を掘っていた息子を殺害したことなどを上回る事情にはならないとされた。死刑は単に「被害者が3人だから」ではなく、犯行ごとの経緯と松本の役割を総合して選択された。

拘置中の治療から死亡確認まで

法務省発表を報じたテレビ朝日によれば、松本は2026年1月に下血を訴え、検査で肝臓がんが見つかった。共同通信は、3月に転移性肝臓がんと判明したと伝えている。東京拘置所内で治療が続けられたが、症状が悪化した。

4月8日に死亡が確認され、法務省が同日公表した。松本の死亡後、全国で収容中の死刑確定者は101人となったと報じられた。死刑確定から長期間を経た後の死亡であり、判決に基づく刑の執行には至らなかった。

参考資料・出典

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