妙義山麓連続殺人事件は、1990年12月と1991年7月、群馬県内で松本美佐雄が知人男性3人を死亡させ、遺体を妙義山麓の山林へ埋めた一連の事件である。
1993年に前橋地裁高崎支部が死刑を言い渡し、東京高裁、最高裁でも維持され、1998年に死刑が確定した。しかし死刑は執行されなかった。松本美佐雄は2026年4月8日、東京拘置所で61歳で死亡。法務省によると、同年1月の検査で肝臓がんが見つかり、療養中に症状が悪化したとされている。
- 1990年12月、金銭トラブルから最初の知人男性が殺害された経緯
- 300万円の不正引き出しを追及した父親と、その息子が死亡した事件の流れ
- 3人死亡でも罪名が「殺人2件・傷害致死1件」とされた理由
- 遺体発見、逮捕、死刑判決から1998年の死刑確定までの裁判経過
- 2026年4月、松本美佐雄が死刑執行前に病死した現在状況
妙義山麓連続殺人事件の概要
| 事件名 | 妙義山麓連続殺人事件 |
|---|---|
| 発生日・期間 | 1990年12月4日、1991年7月6日 |
| 発生場所 | 群馬県安中市周辺、妙義山麓の山林 |
| 被害 | 死亡者数:知人男性3人 |
| 被告人等 | 松本美佐雄 |
| 裁判・捜査状況 | 殺人、傷害致死、死体遺棄、窃盗など/1993年9月24日、前橋地裁高崎支部が死刑/1994年9月29日、東京高裁が控訴棄却/1998年12月1日、最高裁第三小法廷が上告棄却/死刑現在の状況2026年4月8日、東京拘置所で病死。死刑は執行されなかった 「連続殺人事件」だが3人全員が殺人罪ではない 本件は一般に「妙義山麓連続殺人事件」と呼ばれ、2026年の松本死亡時にも「男性3人を殺害した事件」と広く報じられた。 |
| 現在の状況 | 1993年に前橋地裁高崎支部が死刑を言い渡し、東京高裁、最高裁でも維持され、1998年に死刑が確定した。しかし死刑は執行されなかった。松本美佐雄は2026年4月8日、東京拘置所で61歳で死亡。法務省によると、同年1月の検査で肝臓がんが見つかり、療養中に症状が悪化したとされている。 |
1990年12月、金銭トラブルから最初の知人男性が殺害された経緯
ただし、刑事裁判上の罪名を正確に見ると、殺人2件、傷害致死1件という構成である。1990年12月の男性殺害と、1991年7月の友人殺害については殺人罪。一方、友人の父親について、一審は殺害の故意を認めず、傷害致死罪を成立させた。死亡者が3人であることと、3件すべてが法的に殺人罪と認定されたことは同じではない。本件を理解する際には、この区別が重要である。
最初の事件は「借金を迫られて困っている」という相談から始まった
最初の事件が起きたのは1990年12月4日だった。事件の背景には、松本とは別の男性と、被害者となった26歳男性との金銭トラブルがあった。被害男性は自動車販売業の手伝いをしていたとされ、会社員の知人にゲームセンター経営資金として約160万円を貸すよう繰り返し求めていた。
会社員側はすでに100万円を超える金を貸していたとされ、このままでは今後も金を要求され続けると悩む。そこで相談した相手が松本美佐雄だった。裁判資料を基にした事件記録では、松本が男性の殺害を持ちかけたとされている。金銭問題の解決を警察や民事手続に求めるのではなく、相手の生命を奪う方向へ進んだのだ。
1990年12月4日深夜、26歳男性を待ち伏せ
松本と会社員の男は、被害男性を殺害するため準備を進めた。12月4日深夜、男性の自宅付近で帰宅を待ち受けたとされている。事件記録によると、男性にシンナーを吸わせたうえで、松本と共犯者がロープを使って首を絞めるなどし、殺害した。
犯行は単独ではない。最初の事件では、金銭トラブルを抱えていた会社員の男が共犯者として関与した。殺害後、2人は遺体を群馬県内の妙義山中へ運び、山林に埋めて遺棄した。この時点では遺体は発見されず、事件は表面化しなかった。
最初の殺人が発覚しないまま約7カ月が経過
26歳男性を殺害し、山中へ埋めた後も、松本は直ちに逮捕されなかった。遺体が人目につきにくい山林へ隠されていたため、殺人事件として全容が解明されない状態が続く。そして翌1991年、松本は別の知人をめぐる金銭犯罪に及んだ。
この新たなトラブルが、父親と息子の2人が死亡する次の事件へつながる。
友人のキャッシュカードを盗み、300万円を引き出した
1991年4月下旬ごろ、松本は遊び仲間だった工員男性のキャッシュカードを盗んだとされている。被害男性は当時28歳。松本と同じ高校の一学年上だったとされる。松本は、最初の殺人事件で共犯関係にあった会社員の男に指示し、盗んだカードを使って預金を引き出させた。
引き出された金額は合計300万円に上った。この不正な引き出しが発覚し、友人本人とその父親が松本を追及することになる。
1991年7月6日未明、友人の父親から300万円問題を追及される
2件目の重大事件が起きたのは1991年7月6日未明だった。松本は、キャッシュカードを盗まれた28歳の友人と、その父親から呼び出される。父親は当時54歳。息子の口座から300万円が引き出された問題について、松本を追及した。
松本と父親は駐車場付近で激しい争いとなり、松本は父親の頭部を殴るなどの暴行を加えた。父親は倒れて動かなくなる。松本は父親が死亡したと思い込んだとされた。しかし救急車を呼ぶことも、警察へ通報することもなかった。
父親の手を縛り、車で妙義山麓へ運んだ
松本は倒れた父親を隠す方向へ進んだ。事件記録では、父親の両手をビニールテープで縛り、自動車へ乗せ、妙義山麓の山林まで運んだとされている。そして山中で穴を掘り、父親を埋めた。
ここで重要なのが、父親に対する罪名である。一審の前橋地裁高崎支部は、松本に父親殺害の故意があったとは認定せず、殺人罪ではなく傷害致死罪を成立させた。そのため、本件を「父親も殺人罪で殺害した」と書くと、確定した司法判断との間にずれが生じる。
父親を埋める場にいた友人を「口封じ」で殺害
山中には、キャッシュカードを盗まれた28歳の友人もった。事件記録によると、友人は一連の状況を目撃し、山林では父親を埋める作業にも関わらされた。ここで松本は新たな殺意を抱く。
父親への暴行や遺体隠蔽が発覚することを恐れ、事情を知る友人自身を口封じのため殺害しようとしたのだ。松本は持ち出していたスコップで友人を殴るなどして殺害した。その後、友人の遺体も山中へ埋めた。
こうして1991年7月の一連の事件では、父親と息子の2人が死亡した。
金銭トラブルから「口封じ殺人」へ拡大した事件
妙義山麓連続殺人事件の3人の死亡は、同じ動機で一度に起きたものではない。
- 1990年12月:金銭トラブルを抱えた知人からの相談を背景に、26歳男性を殺害
- 1991年7月:キャッシュカード窃取と300万円の引き出しを追及した父親へ暴行
- 同じ1991年7月:犯行発覚を恐れ、事情を知る28歳の友人を口封じで殺害
最初の事件と約7カ月後の事件は、被害者関係も直接の発端も異なる。一方、金銭問題を暴力で処理し、発覚を防ぐため遺体を山中へ隠すという行動が繰り返された。特に友人殺害は、すでに起きた重大犯罪を知られたことによる口封じであり、量刑上も極めて悪質な事情となった。
1991年8月、まず窃盗容疑で逮捕
事件解明の入口となったのは、3人の死亡そのものではなく、キャッシュカードと300万円をめぐる窃盗事件だった。1991年8月28日、群馬県警は松本と会社員の男を窃盗容疑で逮捕した。会社員の男は、1990年の最初の殺人事件で松本と共犯関係にあった人物でもある。
取り調べが進む中、松本は知人男性らの死亡について供述するようになった。その供述を基に、警察は妙義山麓の山林を捜索する。
松本の供述から山林で白骨化遺体を発見
1990年12月に殺害された男性の遺体は、松本らの供述に基づく捜索で発見された。長期間が経過しており、遺体は白骨化していたとされている。警察は1991年9月10日、最初の男性に対する殺人・死体遺棄容疑で松本らを再逮捕した。
さらに捜査を進めると、7月に姿を消していた父子についても松本が供述する。9月22日、供述に基づく捜索で父子の遺体が発見された。そして9月28日、松本は父子をめぐる事件でも再逮捕された。
行方不明だった知人らの事件が、一人の男を中心とする連続殺人・死体遺棄事件としてつながったのだ。
最初の事件の共犯者には懲役13年
妙義山麓連続殺人事件では、松本だけが刑事裁判を受けたわけではない。1990年12月の最初の男性殺害には、金銭トラブルを抱えていた会社員の男が共犯者として関与した。両被告の公判は途中で分離され、共犯者については1992年、懲役13年の判決が言い渡され、その後確定したとされている。
一方の松本は、最初の殺人だけでなく、翌年の父子死亡事件、死体遺棄、窃盗なども含めて裁かれた。
1993年9月24日、前橋地裁高崎支部が死刑判決
1993年9月24日、前橋地裁高崎支部は松本美佐雄被告に死刑を言い渡した。検察側の求刑も死刑だった。一審は、3人が死亡した結果の重大性、金銭トラブルを暴力で処理した経緯、遺体を山中へ埋めた犯行後行動、口封じ目的の殺害などを厳しく評価した。
ただし前述のとおり、友人の父親については殺人罪の成立を否定し、傷害致死罪を認定している。それでも全体として刑事責任は極めて重いと判断され、極刑が選択された。
シンナー吸引歴と精神状態は裁判でも問題になった
松本にはシンナー吸引歴があり、裁判や死刑確定後の支援活動では精神状態も問題となった。一審の最終弁論では、弁護側がシンナー吸引の影響などを挙げ、松本の精神面や供述評価について主張したとされている。しかし刑事裁判は、松本に犯罪の責任を問えない状態だったとは判断しなかった。
死刑確定後、人権団体は、松本が妄想を思わせる訴えをするなど精神状態が悪化していた可能性を報告している。ここは慎重な整理が必要である。精神状態への懸念が指摘されたことは事実ですが、それによって有罪判決が取り消されたり、心神喪失を理由に無罪となったりしたわけではない。
1994年東京高裁が控訴棄却|死刑を維持
松本側は一審死刑判決を不服として控訴した。1994年9月29日、東京高裁は控訴を棄却した。高裁は、一連の犯行に酌量の余地が乏しく、冷酷、執拗、残忍で、社会へ与えた影響も重大だと評価し、一審の死刑判断を維持した。
松本側はさらに最高裁へ上告した。
1998年12月1日、最高裁が上告棄却し死刑確定へ
1998年12月1日、最高裁第三小法廷は松本側の上告を棄却した。これにより、一審の死刑判決が最終的に維持され、松本の死刑が確定した。事件発生は1990年と1991年。最高裁判断までには約7年から8年を要した。
松本はその後、東京拘置所に収容され、長期間にわたり死刑執行を待つ立場となった。
死刑確定後には再審請求も行われた
死刑確定によって、事件をめぐる法的な動きが完全に終わったわけではない。人権団体の報告では、事件の共同被告人が、松本は一部の殺人に関与していないという趣旨の証言をしたとされ、松本側は再審を請求した。一方、再審によって無罪判決が出た事実はない。
したがって、本件を「冤罪事件」と断定することはできない。司法上は死刑判決が確定したまま、松本は2026年まで収容されていた。また、精神状態の悪化が疑われるとして、死刑執行能力や本人が再審手続へ十分関与できるかを懸念する声もあった。
2026年1月、検査で肝臓がんが判明
本件の現在状況は、2026年に大きく変わった。法務省発表を基にした報道によると、松本美佐雄死刑囚は2026年1月に下血を訴えた。検査を受けた結果、肝臓がんが見つかった。
松本は東京拘置所で療養を続けましたが、症状は徐々に悪化した。死刑確定から27年以上が経過していましたが、その間に刑が執行されることはなかった。
2026年4月8日、松本美佐雄死刑囚が61歳で死亡
2026年4月8日、松本美佐雄は61歳で死亡した。法務省が同日公表し、複数の報道機関が伝えている。松本は東京拘置所で療養中だった。1月の検査で肝臓がんが判明し、その後、病状が悪化して死亡が確認された。
死刑が執行されたのではないという点である。松本は死刑確定者として収容されていましたが、刑の執行を受ける前に病死した。そのため2026年7月現在、「東京拘置所に収監中の死刑囚」「未執行の死刑確定者」とする古い説明は、すでに正しくない。
現在|死刑は執行されず、事件の中心人物は死亡
現在も、松本美佐雄はすでに死亡している。1998年に死刑が確定した後、27年以上にわたり収容されましたが、2026年4月8日に東京拘置所で病死した。本件は未解決事件ではない。松本は逮捕・起訴され、前橋地裁高崎支部、東京高裁、最高裁を経て死刑が確定した。
一方、事件を正確に記録するには、「知人3人を殺害して死刑」という一文だけでは不十分である。最初の殺人には共犯者が存在し、次の父子事件は300万円の不正引き出しをめぐる追及から発生。父親の死亡については殺人罪ではなく傷害致死罪が認定され、息子については口封じ目的の殺人罪が成立した。
さらに死刑確定後には再審請求や精神状態をめぐる問題があり、最終的には死刑執行ではなく病死によって収容生活が終わった。金銭トラブルから殺人へ進み、犯罪発覚を恐れてさらに人命を奪い、3人の遺体を妙義山麓へ隠した事件として、妙義山麓連続殺人事件は群馬県の犯罪史に残る重大事件である。
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