袴田事件|袴田巌さんの再審無罪と検察の控訴断念

公開日 2026年3月6日
最終更新 2026年7月31日

袴田事件は、1966年6月30日未明、静岡県清水市、現在の静岡市清水区で、みそ製造会社の専務一家4人が殺害され、住宅が放火された事件である。その後、2025年には約48年間の身体拘束に対する2億1736万2500円の刑事補償が決定。さらに袴田さん側は国と静岡県へ6億円余りの損害賠償を求める国家賠償訴訟を起こしており、現在でも審理に向けた手続きが続いている。

POINT
この記事でわかること
  • 1966年に一家4人が殺害された事件の経緯
  • 袴田巖さんが逮捕され死刑判決を受けた流れ
  • 長時間の取り調べと45通の自白調書をめぐる問題
  • 「5点の衣類」が有罪認定の中心証拠となった経緯
  • 2024年の再審判決が認定した3つの証拠捏造
  • 無罪確定後の刑事補償と国家賠償訴訟の状況
事件名袴田事件
発生日1966年6月30日未明
場所静岡県清水市(現在の静岡市清水区)
被害者みそ製造会社専務一家4人
事件内容住居侵入、強盗殺人、放火
犯人とされた人物袴田巖さん
当時の立場みそ製造会社従業員、元プロボクサー
逮捕1966年8月18日
起訴1966年9月9日
一審1968年9月11日、静岡地裁が死刑
控訴審1976年5月18日、東京高裁が控訴棄却
最高裁1980年11月19日、上告棄却
死刑確定1980年12月12日
第1次再審請求1981年4月20日
第2次再審請求2008年4月
釈放2014年3月27日
再審開始確定2023年
再審無罪2024年9月26日
無罪確定2024年10月
刑事補償2025年、2億1736万2500円
現在無罪確定。国と静岡県への国家賠償訴訟が進行中

1966年6月30日、一家4人が殺害され住宅が炎上

1966年6月30日未明、旧清水市にあるみそ製造会社専務宅から火災が発生した。焼け跡から見つかったのは、専務とその家族、計4人の遺体である。4人には刃物による多数の傷があり、現金もなくなっていたことから、警察は強盗殺人・放火事件として捜査を始めた。一家4人の命が一夜にして奪われた重大事件。その捜査線上に浮上したのが、会社の従業員寮で暮らしていた袴田巖さんだった。

元プロボクサーの袴田巖さんを逮捕

袴田さんは事件当時30歳。かつてプロボクサーとして活動し、その後、事件現場近くのみそ製造会社で働いていた。警察は袴田さんの部屋から血痕が付いたとされるパジャマを押収するなどし、事件から約1カ月半後の1966年8月18日に逮捕する。袴田さんは当初、犯行を否認していた。

ところが連日の取り調べが続き、逮捕から20日目の9月6日、ついに自白へ転じる。9月9日に起訴されるまでのわずか3日間で、多数の自白調書が作成された。

45通の自白調書と長時間取り調べ

袴田事件では、取り調べのあり方が後に大きな問題となった。袴田さんは身柄を拘束されたまま、連日にわたる長時間の取り調べを受けている。自白後だけでなく起訴後も調書作成は続き、自白調書は45通に及んだ。しかも、その内容は一定ではない。犯行目的や現場へ向かった理由など、重要部分が変化していた。

一審の静岡地裁も45通をすべて信用したわけではない。多くの調書を任意性に疑いがあるなどとして排除し、証拠採用された自白調書はごく一部だった。それでも最終的には有罪認定が行われる。

公判で無罪を主張、それでも1968年に死刑判決

袴田さんは起訴後の公判で、自白を撤回して無実を訴えた。しかし裁判中、事件の証拠構造を大きく変えるものが現れる。事件から約1年2カ月後、みそ工場のタンクから血痕の付いた「5点の衣類」が発見されたのだ。

検察側は、この衣類こそ犯人が事件時に着ていた服だと主張。袴田さんの衣類であり、犯行と結び付く重要証拠だと位置付けた。1968年9月11日、静岡地裁は袴田さんに死刑を言い渡す。

なぜ「5点の衣類」が死刑判決の中心証拠になったのか

5点の衣類は、シャツやズボンなどからなる一式だった。これらには血痕が付着し、検察側は犯行着衣だと説明する。さらに袴田さんの実家から見つかった布片が、問題のズボンの裾を切った「共布」だとされた。つまり検察側の構図は明快である。

血の付いた服がみそタンクから見つかった。そのズボンの一部とされる布が袴田さんの実家にあった。だから5点の衣類は袴田さんのもので、袴田さんが犯人だという論理だった。この証拠は、その後何十年にもわたり有罪判決を支える中心となる。

1980年、最高裁が上告を棄却し死刑確定

袴田さん側は死刑判決を不服として控訴した。しかし1976年5月18日、東京高裁は控訴を棄却。さらに1980年11月19日、最高裁も上告を棄却した。同年12月12日、死刑判決が確定する。

ここから袴田さんは、いつ刑が執行されるか分からない死刑確定者として拘置され続けた。長期拘禁は心身へ深刻な影響を与えたとされ、釈放後も拘禁反応が残った。

1981年から再審を求めるも、第1次請求は退けられた

死刑確定の翌年、1981年4月20日、袴田さん側は第1次再審請求を申し立てた。ところが静岡地裁は1994年に棄却。東京高裁への即時抗告、最高裁への特別抗告も退けられる。第1次再審請求が最終的に終わったのは2008年である。

最初の申し立てからだけでも約27年。袴田さんはその間も死刑確定者の立場に置かれていた。

2008年、第2次再審請求で証拠を再検討

2008年4月、弁護側は第2次再審請求を申し立てた。ここで改めて焦点となったのが、5点の衣類である。DNA鑑定、衣類のサイズ、血痕の色、みそ漬け実験など、多方面から証拠の信用性が検討された。

長く有罪の柱だった証拠が、本当に事件直後からタンク内にあったのか。そもそも袴田さんの衣類なのか。再審請求は、確定判決の根幹そのものを問い直す手続きとなった。

2014年、静岡地裁が再審開始を決定し即日釈放

2014年3月27日、静岡地裁は再審開始を決定した。同時に死刑と拘置の執行を停止。袴田さんはその日のうちに東京拘置所から釈放される。逮捕から約47年7カ月。

ただし、この時点で無罪になったわけではない。あくまで「裁判をやり直す」という決定である。検察側は即時抗告し、再審を始めるべきかをめぐる争いはさらに続いた。

2018年に再審開始が取り消され、2020年に最高裁が差し戻し

2018年6月、東京高裁は静岡地裁の再審開始決定を取り消した。袴田さん側は最高裁へ特別抗告する。2020年12月、最高裁は東京高裁の決定を取り消し、審理を東京高裁へ差し戻した。

一度は再審開始が認められ、次に取り消され、さらに最高裁が差し戻す。袴田さんの法的立場は長く安定しなかった。

2023年、東京高裁が再審開始を認める

2023年3月13日、差し戻し後の東京高裁は、検察側の即時抗告を棄却した。大きな焦点は、5点の衣類に残った血痕の色である。事件から1年以上みそに漬けられていたのであれば、血痕に赤みが残るのか。弁護側は実験などを通じて強い疑問を示した。

東京高裁は、衣類が事件から相当期間後にタンクへ入れられた疑いを認め、捜査機関による証拠捏造の可能性にも踏み込む。検察は最高裁への特別抗告を断念し、再審開始が確定した。

2024年9月26日、静岡地裁が再審無罪判決

再審公判は2023年10月に始まった。検察側は再び有罪を主張し、袴田さんへ死刑を求刑。一方、弁護側は捜査機関による証拠捏造を訴えた。2024年9月26日、静岡地裁は袴田巖さんに無罪を言い渡す。

判決は単に「証拠が足りない」と判断しただけではない。捜査機関による3つの証拠捏造を認定したのだ。

再審判決が認定した3つの「捏造」

静岡地裁が認定した問題は、事件の核心に関わるものだった。

  • 自白調書:非人道的な取り調べによって作成されたもの
  • 5点の衣類:捜査機関が血痕を付けるなど加工し、みそタンク内へ隠したもの
  • ズボンの共布とされた布片:袴田さんと5点の衣類を結び付けるため作出されたもの

死刑判決を支えた重要証拠について、裁判所自身が捏造を認定したことになる。特に5点の衣類は、長年にわたり袴田さんを犯人とする中心証拠だった。その前提が崩れた結果、静岡地裁は袴田さんを犯人と認めることはできないと結論づけた。

検察が控訴を断念し、2024年10月に無罪確定

再審無罪判決後、最大の焦点は検察が控訴するかどうかだった。2024年10月8日、検事総長は控訴しない方針を表明。翌9日、検察側が上訴権を放棄した。これにより、袴田巖さんの無罪が正式に確定する。

1966年の逮捕から58年。死刑確定者として長期間拘束された袴田さんの刑事裁判は、ようやく無罪で終わった。

2025年、過去最高額となる刑事補償を決定

無罪確定後、長期拘束に対する刑事補償手続きが進んだ。2025年3月24日、静岡地裁は袴田さんへ総額2億1736万2500円を交付する決定を出した。対象となったのは、逮捕から2014年の釈放まで約48年間に及ぶ身体拘束である。

1日当たりの法定上限額を適用したもので、弁護団によれば刑事補償として過去最高額となった。ただし刑事補償は、捜査機関や裁判所の違法責任を判断する国家賠償とは別の制度である。

現在の状況|6億円超の国家賠償訴訟が進行中

袴田さん側は2025年10月、国と静岡県を相手取り、6億円余りの損害賠償を求める国家賠償請求訴訟を静岡地裁へ起こした。争点となるのは、捜査機関による取り調べ、証拠の作出・隠匿、起訴や公判活動、さらに長年にわたる司法判断について、どこまで違法責任を認めるかである。

2026年2月には静岡地裁で進行協議が開かれ、裁判所が弁護団側へ主張の整理を求めた。したがって現在も、国家賠償訴訟はまだ確定判決に至っていない。無罪そのものは確定済みですが、「なぜ58年もの冤罪が続いたのか」という責任追及は続いている。

袴田事件が日本の刑事司法に残した問題

袴田事件は、再審無罪になった一人の元死刑確定者の事件にとどまらない。長時間の取り調べで得られた自白。大量に作成された調書。有罪方向の証拠を中心に進む捜査。そして、再審段階でようやく明らかになる証拠。さらに、一度確定した判決をやり直すまでに数十年を要した現実がある。

袴田さんは2014年に釈放されましたが、すぐに無罪になったわけではない。再審開始をめぐる争いだけでも、その後9年近く続いた。誤った死刑判決が執行されていれば、後から無罪を言い渡すことすらできなかった。その重さから、袴田事件は取り調べの可視化、証拠開示、再審法制、死刑制度をめぐる議論で繰り返し取り上げられている。

袴田事件が残したもの

1966年6月30日、一家4人が殺害された。被害者4人の命が奪われた事実は変わらない。その重大事件の捜査で逮捕されたのが、当時30歳の袴田巖さんだった。長時間の取り調べの末に自白。公判では否認したものの、死刑判決を受け、1980年に確定する。

その後、袴田さんは死刑執行の恐怖の中で長期間拘束された。2014年、再審開始決定とともに釈放。しかし検察の抗告により、無罪への道はさらに10年続く。2024年9月26日、静岡地裁は無罪を宣告した。

しかも判決は、死刑判決を支えた重要証拠について捜査機関による捏造を認定している。翌10月、無罪確定。逮捕から58年近くを経て、袴田巖さんは法的にも殺人犯ではないことが確定した。

2025年には2億円を超える刑事補償が決まりましたが、時間は戻らない。死刑確定者として過ごした年月、長期拘禁による心身への影響、家族が背負った負担まで金銭だけで回復することは困難である。そして現在も、冤罪を生んだ国家機関の責任を問う訴訟は続いている。袴田事件は、自白偏重、証拠捏造、証拠開示、再審の長期化、死刑制度という日本の刑事司法の根幹を問い続ける代表的な冤罪事件である。

関連事件

同じテーマの書籍を探す

この事件に関連するテーマから、書籍・資料をまとめて確認できます。