1987年5月3日午後8時15分ごろ、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に目出し帽姿の男が侵入し、2階編集室で散弾銃を発砲した。小尻知博記者(当時29歳)が死亡し、犬飼兵衛記者(同42歳、2018年死去)が重傷を負った。
事件後、「赤報隊」を名乗る犯行声明が報道機関へ届いた。警察庁は、東京本社、阪神支局、名古屋本社寮への散弾銃発砲に加え、静岡支局爆破未遂、リクルート元会長宅銃撃を同一犯による可能性が極めて強い一連の事件として「警察庁指定第116号事件」に指定した。個人・組織の実体は特定されず、指定5事件は2003年までに公訴時効を迎えた。
| 期間 | 1987年1月~1988年8月(指定116号の5事件) |
|---|---|
| 中心事件 | 1987年5月3日・朝日新聞阪神支局襲撃 |
| 死亡 | 小尻知博記者(29歳) |
| 負傷 | 犬飼兵衛記者(42歳) |
| 犯行名義 | 「赤報隊」 |
| 警察庁指定 | 第116号事件 |
| 指定された事件 | 東京本社、阪神支局、名古屋本社寮、静岡支局、江副浩正元リクルート会長宅 |
| 関連・類似事案 | 中曽根康弘・竹下登への脅迫状、愛知韓国人会館放火など |
| 犯人 | 未特定 |
| 公訴時効 | 阪神支局殺傷は2002年、指定事件は2003年までに成立 |
最初に起きていたのは、1987年1月の東京本社銃撃
警察庁白書によると、一連の事件の最初は1987年1月の朝日新聞東京本社への散弾銃発砲だった。ところが発生直後には事件として十分に把握されず、同年10月1日になって銃撃痕などが確認された。
阪神支局襲撃後に送られた声明文には、1月の東京本社への発砲にも言及する内容があった。警察は後に東京本社事件を116号へ追加指定し、一連の銃撃との関連を捜査した。
5月3日夜、阪神支局の編集室へ男が侵入
憲法記念日の夜、阪神支局では記者らが勤務していた。目出し帽姿の男が散弾銃を持って支局内へ入り、編集室にいた記者へ発砲した。
小尻記者は翌4日未明に死亡した。犬飼記者も多数の散弾を受けて重傷を負い、その後も取材活動を続けたが、事件による身体的被害は生涯残った。
「すべての朝日社員」を威嚇する犯行声明
犯行後、「赤報隊」を名乗る声明文が共同通信、時事通信などへ送られた。内容は朝日新聞を敵視し、社員全体へ暴力を加える趣旨を示すものだった。
特定の記事を書いた記者だけへの報復ではなく、報道機関とそこで働く人全体を脅す表現だったことから、事件は個人間の恨みだけでは説明しにくい政治的・思想的な暴力として捜査された。
9月24日、名古屋本社の社員寮にも散弾銃
1987年9月24日、名古屋市の朝日新聞名古屋本社社員寮で散弾銃が発砲された。警察庁白書は、阪神支局事件と同じく朝日新聞関係施設を対象とし、使用された銃も散弾銃とみられたことを重視している。
人的被害は出なかったが、勤務先だけでなく社員が生活する寮まで標的になった。警察庁は翌25日、阪神支局と名古屋寮の両事件を第116号事件に指定した。
東京本社事件も加わり、全国規模の捜査へ
10月1日、同年1月に東京本社へ散弾銃が発射されていたことが明らかになり、10月3日に追加指定された。
東京、兵庫、愛知へ犯行地域が広がったため、単独の県警だけではなく関係都県警が情報を共有する広域捜査となった。使用銃器、声明文、犯行時刻、移動経路などが比較された。
警察庁が第116号事件に指定したのは1987年9月25日だった。当初の指定対象は阪神支局と名古屋本社寮で、その後、東京本社への発砲が確認されると10月3日に追加された。
複数都県にまたがる事件を同じ枠で捜査することで、各現場の銃撃痕や散弾銃の特徴、目撃情報、犯行声明の文面を横断的に比較できる。116号という番号は犯人名や組織名ではなく、広域重要事件として捜査情報を集約するための指定だった。
1988年3月、静岡支局で時限装置付き爆発物
1988年3月12日、朝日新聞静岡支局の駐車場で時限装置付きの爆発物が見つかった。警察庁は同月14日、この爆破未遂事件も116号へ追加指定した。
それまで中心だった散弾銃から、爆発物へ手段が変わった。警察白書は、無差別殺傷を狙った時限装置付き爆発物の使用として、犯行がより危険になったと評価している。
声明文の紙、ワープロ、文体が関連判断の材料になった
警察庁は静岡事件と後の江副宅銃撃について、声明文の用紙の形状や紙質、作成に使われたとみられるワープロの機種、文書形式、表現、記載内容を比較した。
指紋やDNAで同一人物を特定したという意味ではない。複数現場の犯行態様と声明文に共通性があり、同一犯人による可能性が極めて強いとして116号へ組み込んだ。
平成元年警察白書は、静岡支局爆破未遂と江副宅銃撃を関連付ける要素として、声明文に使われた紙の形や質、ワープロの機種、文章の形式や表現まで挙げている。
これは、声明の思想内容が似ているというだけの判断ではなかった。作成に使われた道具や用紙といった物理的・技術的な特徴まで比較し、一連性を検討した結果だった。
中曽根康弘・竹下登への脅迫状は「116号そのもの」とは別
1988年3月には、中曽根康弘前首相と竹下登首相側にも「赤報隊」名義の脅迫状が送られた。皇室、靖国参拝、教科書問題などを意識した内容が記されていたと報じられている。
ただし、警察庁白書が第116号事件として明示する5事件に、この脅迫状送付は含まれていない。一連の赤報隊名義事件を広く語る場合と、警察庁指定116号の対象事件を数える場合は分ける必要がある。
8月10日、江副浩正元リクルート会長宅を銃撃
1988年8月10日、東京都港区にあった江副浩正元リクルート会長宅の玄関ドアへ散弾銃が発砲された。
標的が朝日新聞社の施設から企業経営者の自宅へ広がった。警察庁は、声明文の特徴などから116号事件と同一犯による可能性が極めて強いとして追加指定した。
指定116号は「朝日新聞だけを狙った4件」ではない
平成12年警察白書が整理する116号事件は、1987年の東京本社、阪神支局、名古屋本社寮の3件、1988年の静岡支局爆破未遂、江副宅銃撃の計5件である。
阪神支局だけを指して「116号事件」と呼ぶ場合もあるが、正式な指定事件は広域にわたる一連の5事件だった。逆に、中曽根・竹下両氏への脅迫や1990年の愛知韓国人会館放火まで全てを116号指定とするのも正確ではない。
朝日新聞は、赤報隊名義または関連・類似として扱われてきた事案全体について、指定116号より広い範囲で記録を残している。そのため「一連の赤報隊事件」を数える資料では、警察庁指定の5事件より多い件数が示される場合がある。
件数が違うのは資料の誤りとは限らず、何を「赤報隊事件」に含めるかという範囲の違いによる。刑事捜査上の正式な指定範囲を確認する場合は、警察庁白書が示す5事件を基準にする必要がある。 捜査は複数都県をまたぐ広域事件として続けられた。
1990年、愛知韓国人会館への放火でも赤報隊名義
1990年5月、名古屋市の愛知韓国人会館で放火事件が起き、「赤報隊」名義の声明が出されたと報じられた。
この事件は一連の赤報隊名義事案を考える上で重要だが、警察庁の116号指定5事件とは別の位置付けで扱われた。犯行名義が同じことと、警察庁指定事件として同一の法的・捜査上の枠に入ることは同じではない。
犯行声明から特定の右翼団体を犯人と断定することはできなかった
声明文には戦後体制や朝日新聞への強い敵意が記され、右翼思想を想起させる表現が並んだ。捜査でも政治団体や思想背景を含む幅広い線が調べられた。
しかし、声明に書かれた思想と、実際に銃を撃ち爆発物を置いた人物の所属を同一視することはできない。2026年までに特定の団体や個人が刑事裁判で実行主体と認定された事実はない。
警察は右翼関係者を含む多数の人物・団体を捜査対象として調べたが、声明文の主張と具体的な実行者を結び付ける証拠を法廷へ持ち込むことはできなかった。
未解決事件では、思想的に似た主張をしていたことや、犯行を称賛したことだけで実行犯とすることはできない。銃器の入手、現場への移動、声明作成など、個人の具体的な関与を裏付ける証拠が必要になる。
阪神支局事件は2002年5月、殺人罪の時効へ
1987年当時、殺人罪の公訴時効は15年だった。阪神支局襲撃で小尻記者を殺害した罪については、犯人を起訴できないまま2002年5月に時効が成立した。
その後、静岡支局爆破未遂など残る指定事件も順次時効を迎え、2003年までに116号指定事件について刑事訴追できる期間が終了した。
警察庁の平成12年白書では、2000年7月末時点でも第116号事件は「捜査中」と記録されていた。阪神支局襲撃から13年以上を経ても、広域重要事件として捜査が継続していたことになる。
しかし、時効完成までに実行犯を起訴するには至らなかった。捜査が長期間続いたことと、犯人が司法手続で特定されたことは別であり、最終的な刑事裁判は開かれなかった。
2010年に殺人の時効が廃止されても、事件は復活しない
2010年の法改正で、現在の殺人罪には公訴時効がない。しかし、改正時点ですでに時効が完成していた殺人事件を再び起訴可能にする制度ではなかった。
阪神支局事件は2002年に時効が完成しているため、犯人が後に判明しても小尻記者殺害について新たに殺人罪で起訴することはできない。真相解明と刑事処罰は別の問題として残る。
犯人の正体は確定しないまま、事件資料が残る
朝日新聞は阪神支局に事件資料室を設け、銃撃で損傷した資料や事件の記録を保存してきた。2025年にも、襲撃事件を伝え続ける取り組みが報じられている。
未解決のまま時効を迎えたことで、実行犯、指示者の有無、犯行声明の思想と実際の動機は司法判断に至らなかった。公的に確定しているのは、赤報隊名義の声明、一連の指定5事件、阪神支局で記者1人が死亡し1人が重傷を負った事実までである。
阪神支局では現在も事件に関する資料が保存され、朝日新聞は毎年5月3日前後に事件を振り返る報道を続けている。これは犯人像を新たに確定する捜査資料とは別に、記者が報道活動中に銃撃された事実を記録する取り組みである。
時効後に新しい情報が出れば真相究明の材料にはなり得るが、殺人罪で刑事責任を問う手続には戻れない。赤報隊事件には、未解明の事実と、法的に終了した刑事訴追可能期間という二つの結末が残った。
参考資料・出典
- 警察庁「昭和63年 警察白書」
- 警察庁「平成元年 警察白書」
- 警察庁「平成12年 警察白書」
- 朝日新聞「未来に通じるジャーナリズムを考え続ける」
- 朝日新聞「阪神支局に『令和赤報隊』名の文書」
- Wedge ONLINE「NHK未解決事件シリーズ・赤報隊事件」
関連事件
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