2004年11月17日、奈良市で下校中だった小学1年の有山楓さん(当時7歳)が車で連れ去られ、奈良県三郷町の男の自宅で殺害された。遺体は同日深夜、隣接する平群町の道路脇で見つかった。行方が分からなくなった後、楓さんの携帯電話から母親へ画像付きのメールが送られ、約1か月後には妹を狙う内容のメールも届いた。
奈良県警は、通学路付近の防犯カメラに映った薄緑色の乗用車と、携帯電話の通信記録を照合し、新聞販売店従業員だった小林薫(当時36歳)を捜査対象に絞った。事件発生から44日後の12月30日に逮捕し、自宅から楓さんの携帯電話やランドセルなどを発見した。小林は殺人やわいせつ目的誘拐などで起訴され、2006年9月に奈良地裁で死刑判決を受けた。本人が控訴を取り下げて刑が確定し、2013年2月21日に大阪拘置所で執行された。
| 事件名 | 奈良小1女児殺害事件(奈良市女児誘拐殺人事件) |
|---|---|
| 発生日 | 2004年11月17日 |
| 発生場所 | 奈良県奈良市、三郷町、平群町 |
| 被害 | 奈良市立富雄北小学校1年の有山楓さん(当時7歳)が誘拐され、殺害された |
| 加害者 | 小林薫(事件当時36歳、新聞販売店従業員) |
| 判決・現在の状況 | 死刑。2006年に確定し、2013年2月21日に執行 |
下校途中の連れ去りと家族による捜索
2004年11月17日午後、奈良市立富雄北小学校1年の有山楓さんは、授業を終えて一人で自宅へ向かっていた。午後1時50分ごろ、通学路付近を車で走っていた小林薫は、歩いている楓さんを見つけると、家まで送るという趣旨の言葉をかけて車に乗せた。小林と楓さんに面識はなく、下校中の児童を狙った連れ去りだった。
楓さんは家族との連絡用に携帯電話を持っていた。帰宅予定を過ぎても姿を見せず、家族は学校や周辺へ連絡しながら通学路を捜した。夕方になっても手掛かりはなく、午後7時ごろ、奈良西署へ届け出た。警察は単なる迷子ではなく、犯罪に巻き込まれた可能性を考えて捜索を始めた。
この時点で、小林は楓さんを奈良県三郷町の集合住宅にある自宅へ連れ込んでいた。通学路から自宅までは市町の境を越える距離があり、家族や学校関係者が近隣を捜しても発見できない場所へ移されていた。
三郷町の自宅で行われたわいせつ行為と殺害
小林は自宅に楓さんを連れ込んだ後、宿題をする様子などを見て、帰せば自分の顔や住居について説明され、誘拐が発覚すると考えるようになった。奈良地裁は後の判決で、小林がわいせつ行為に及ぶ前から、その後に殺害する意思を固めていたと認定している。
午後3時ごろ、小林は浴室で楓さんにわいせつな行為をし、浴槽の水に沈めて死亡させた。死因は窒息によるものとされた。犯行後には遺体の一部を損壊し、楓さんの姿を携帯電話で撮影した。被害の内容は、殺人だけでなく、わいせつ目的誘拐、強制わいせつ致死、死体損壊にも当たるとして起訴された。
小林は遺体を車に乗せ、同日午後10時ごろ、三郷町に隣接する平群町の道路脇にある側溝へ遺棄した。犯行場所と遺棄場所を分け、楓さんの携帯電話や所持品を自宅に残したまま、捜査の進行をうかがう状態が続いた。
母親へ届いた画像付きメールと平群町での遺体発見
家族が警察へ届け出た後の午後8時すぎ、楓さんの携帯電話から母親の携帯電話へメールが届いた。本文には「娘はもらった」と記され、楓さんを撮影した画像が添付されていた。奈良県警は誘拐事件として約100人態勢の捜査を開始し、携帯電話の使用状況と送信場所の確認を急いだ。
日付が変わった11月18日午前0時すぎ、楓さんの遺体は自宅から約6キロ離れた平群町の側溝で発見された。行方不明の届け出から数時間で誘拐と殺害が確認され、捜査の中心は、通学路で楓さんへ接近した人物と、メールを送った人物の特定へ移った。
遺体の発見後も、楓さんの携帯電話は見つからなかった。犯人が所持し続けている可能性があり、通信が行われれば居場所や関係者を絞る手掛かりになる。捜査本部は通学路周辺の聞き込み、遺留品の捜索、車両の確認を並行して進め、投入された捜査員は延べ7500人に上った。
防犯カメラと携帯通信が結んだ薄緑色の乗用車
通学路付近では、集合住宅の防犯カメラに一台の乗用車が映っていた。薄緑色のカローラIIで、楓さんが連れ去られたとみられる時刻の4、5分前、道路上で方向転換し、楓さんが歩いていた方向へ進んでいた。当時は現在ほど街頭の防犯カメラが普及しておらず、映像の画質も高くなかったが、車種と色、走行方向は車両を選別する重要な情報になった。
もう一つの軸が携帯電話の解析だった。2004年当時の端末には位置を常時示すGPS機能がなく、捜査員は発信や送信に使われた基地局の記録から、おおよその使用地域を追った。端末の通信履歴と関係する電話番号を調べ、楓さんの携帯電話を持つ人物へ近づく手法は、当時まだ確立途上にあった。
事件から約1か月後の12月14日、楓さんの携帯電話から、今度は妹を狙う内容のメールが家族へ送られた。送信の際に残った通信記録を調べると、捜査線上に小林が浮かんだ。張り込み先で確認された車は、防犯カメラに映っていたものと同じ型、同じ色のカローラIIだった。別々に集められていた映像と通信の情報が、一人の人物と車両へ収束した。
事件発生から44日後の逮捕と自宅から見つかった所持品
2004年12月30日、奈良県警は新聞販売店従業員の小林薫(当時36歳)を、楓さんに対するわいせつ目的誘拐の疑いで逮捕した。小林は奈良県内の販売店で新聞配達や集金を担当しており、車で広い範囲を移動する生活をしていた。
自宅の捜索では、楓さんの携帯電話、ランドセル、学校で作った物などが発見された。小林が使用していた車、携帯電話の通信記録、自宅に残されていた所持品が結び付き、誘拐後に楓さんが小林の部屋へ連れて行かれたことを裏付けた。奈良県警は殺人、死体遺棄などの容疑でも再逮捕し、検察は一連の犯行を八つの罪として起訴した。
起訴対象には、楓さんに対する事件だけでなく、同年に別の女児へ行ったわいせつ行為や、住宅などから子ども用の衣類を盗んだ行為も含まれた。窃盗は2004年6月から11月までの間、奈良県内の住宅など6か所で行われ、子ども用の下着など31点が被害品とされた。別の女児に対する事件は楓さんが被害に遭う約2か月前に起きており、小林が事件直前まで女児を対象とする犯罪を続けていたことを示した。
小林は1989年に5歳の女児2人へのわいせつ事件で執行猶予付き判決を受け、1991年にも5歳の女児へわいせつな行為をして首を絞めた事件で実刑判決を受けていた。服役を経た後も同種の犯罪行動が止まっていなかったことが、裁判の量刑判断でも重く扱われた。
殺意の時期と死刑の可否が争われた奈良地裁の裁判
奈良地裁の初公判で、小林は起訴された事実関係を認めた。裁判で検討された中心的な問題は、殺意をいつ持ったのか、犯行にどの程度の計画性があったのか、被害者が1人の事件で死刑を選択することが相当かという点だった。
弁護側は、浴室で楓さんに抵抗されてから突発的に殺意が生じたとして、当初から殺害まで計画していたわけではないと主張した。これに対し判決は、楓さんが自宅で宿題を解く様子を見た小林が、帰宅させれば自分を特定されると考え、わいせつ行為の後に殺害する意思を固めたと認定した。白昼の通学路で一人の児童へ声をかけ、車で自宅まで運んだ経過も、わいせつ目的の誘拐として計画性があると評価された。
小林については精神鑑定で反社会性人格障害が指摘されたが、奈良地裁は、善悪を判断し行動を制御する能力が失われていたとは認めなかった。過去に同種犯罪で処罰されながら再び女児を対象としたこと、公判中も真剣な反省や更生への意欲が認められないことから、再犯の危険と矯正可能性について厳しい判断を示した。
2006年9月26日、奈良地裁は小林に死刑を言い渡した。判決は、死亡した被害者が1人であることだけを理由に死刑を回避することはできないとした。楓さんが抵抗や回避の難しい7歳の児童で、誘拐後に性的被害を受け、殺害と遺体損壊、遺棄まで続いたこと、家族への脅迫が繰り返されたこと、同種前科があることなどを総合した結論だった。
控訴取り下げによる死刑確定と事件後に続く見守り活動
弁護人は判決当日に控訴したが、小林本人が同年10月に取り下げ、奈良地裁の死刑判決が確定した。その後に再審を求める手続も行われたが、判決は覆らなかった。2013年2月21日、小林薫の死刑は大阪拘置所で執行された。事件から8年3か月余り、死刑確定から約6年4か月後で、執行時の年齢は44歳だった。
事件は、子どもを対象とする性犯罪の再犯防止策にも影響した。法務省から警察庁へ、13歳未満の子どもに対する性犯罪で服役した人の出所情報を提供し、警察が所在確認を行う制度が2005年6月に始まった。警察庁の検討会では、この制度が奈良の事件を受けて導入されたこと、出所後も一定期間ごとに所在を確認する運用であることが説明されている。刑事施設では、性犯罪者の再犯防止を目的とする処遇プログラムの整備も進められた。
奈良市は事件を受けて毎月17日を「子ども安全の日」と定め、学校、家庭、地域、行政が連携する見守り活動を続けている。富雄北小学校では命について考える集会が開かれ、楓さんが亡くなった年齢に合わせて鐘を7回鳴らす取り組みも行われてきた。2024年11月には事件から20年となり、通学路周辺で警察と地域ボランティアによる下校時の見守りが続けられた。
楓さんの父親は20年に際して公表した手記で、時間の経過によって記憶のあり方が変わる苦しさに触れ、行政、地域、学校による安全への取り組みが続くことを願った。刑事手続は2013年の死刑執行で終わっているが、奈良市では事件が起きた11月17日を基点とする活動が現在の地域防犯へ引き継がれている。
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