東尋坊殺人事件|20歳男性を集団暴行し崖から飛び降りさせた「自殺偽装」の殺人事件

公開日 2026年3月9日
最終更新 2026年7月31日

東尋坊殺人事件は、2019年10月18日、福井県坂井市の東尋坊で嶋田友輝さん(当時20歳)が約20メートルの崖から飛び降りるよう強要され、死亡した事件である。現在も、この事件は逃走犯を追う未解決事件ではない。一方、被害者が自ら崖から飛び降りた外形だけでは「自殺」と判断できないこと、集団による支配と強制が殺人罪を成立させ得ることを示した重大事件として記憶されている。

POINT
この記事でわかること
  • 2019年10月に東尋坊で20歳男性が死亡した経緯
  • 嶋田友輝さんが長期間の暴行と監禁を受けた状況
  • 警察への発覚を恐れたグループが殺害を決めた流れ
  • 本人が飛び降りても殺人罪が成立した理由
  • 少年6人と成人男性1人、それぞれの刑事責任
  • 主導的役割の元少年に懲役19年が言い渡された理由
事件名東尋坊殺人事件
発生日2019年10月18日
殺害場所福井県坂井市三国町・東尋坊
主な暴行・監禁場所滋賀県内
被害者嶋田友輝さん(当時20歳)
死亡者数1人
犯行関与者当時17~19歳の少年6人、成人男性1人
主な罪殺人、監禁、傷害など
殺害方法極度に畏怖した被害者へ崖から飛び降りるよう強要
殺害目的それまでの傷害・監禁などの発覚を防ぐ目的
主導的役割犯行当時19歳の元少年と認定
元少年への判決2021年7月14日、大津地裁が懲役19年
成人被告への判決上田徳人被告に一審懲役10年
全体の裁判状況起訴された7人全員に実刑判決
現在逃走中の被疑者を追う事件ではない

嶋田友輝さんと主導的役割の元少年は2019年9月ごろ知り合った

事件の背景は、東尋坊へ向かった10月18日だけを見ても分からない。大津地裁の判決によると、犯行全体を主導したと認定された元少年は、2019年9月中旬ごろに嶋田さんと知り合った。当初は友人として接し、一緒に寝泊まりするなど行動を共にしている。しかし関係は次第に変わった。

元少年は、運転免許を持つ嶋田さん名義でレンタカーを借り、移動のために運転させるなど、嶋田さんを都合よく利用する側面を強めていったと認定されている。嶋田さんは母親と頻繁に連絡を取る関係だった。ところが9月18日には勤務先を無断欠勤し、母親からの連絡にも応じなくなる。

母親はその日のうちに警察へ捜索願を提出した。

母親への連絡は金銭要求ばかりに変わっていった

その後、嶋田さんから母親へ連絡が入った時期もあった。しかし内容は、レンタカー代や生活費など金銭を求めるものへ変化していく。母親は実際に現金を振り込んでいた。やがてLINEでの通常のやり取りは途絶え、ショートメッセージも金を求める内容が中心となる。それさえ10月10日ごろには止まった。

家族から見れば、20歳の息子との日常的な連絡が突然崩れ、何が起きているのか分からない状態である。その一方、嶋田さんへの暴力は深刻化していた。

10月8日ごろから暴行|「スパーリング」が集団暴力へ変わる

裁判で認定された一連の傷害は、2019年10月8日ごろから始まる。カラオケ店などで、「スパーリング」と称して嶋田さんへ殴る、蹴るといった暴行が加えられた。きっかけには、元少年が過去のトラブルで嶋田さんに助けてもらえなかったとして不満を抱いたことや、別の人物とのトラブルをめぐる疑念などがあったと認定されている。

ただ、いずれの事情も長期間の暴行を正当化するものではない。裁判所は、元少年の嶋田さんに対する悪感情を契機として暴行が始まり、周囲の人物が大きな理由もなく同調していった構図を認定した。

暴行はエスカレート|車で足をひき、複数の凶器を使用

10月16日から18日にかけて、暴行はさらに激しくなった。大津地裁の認定では、嶋田さんは複数人から繰り返し殴打や足蹴りを受けている。路上に横たわった状態で足を自動車にひかれる暴行もあった。さらに、火のついたたばこを押し付ける、ライターであぶるといった行為も加えられている。

使用された物は一つではなかった。

  • 木製バット
  • フライパン
  • ハンガー
  • ハンマー
  • ベルト

裁判では、歯の脱臼や破折、指の関節脱臼、全身の熱傷や挫傷、頸部の負傷など、多数の深刻な傷害が認定されている。単発の喧嘩ではない。被害者が弱っていく中でも暴行が止まらず、複数人が加担する状況が続いた。

約43時間に及ぶ監禁|車のトランクにも閉じ込めた

嶋田さんは暴行を受けただけではない。裁判所は、10月16日午後11時ごろから18日午後6時20分ごろまで、約43時間にわたる監禁を認定した。嶋田さんは、車のトランク内などへ閉じ込められた状態で各地を移動させられている。

すでに暴行で多数のけがを負い、加害グループを恐れていた嶋田さんにとって、自由に立ち去れる状況ではなかった。暴力と監禁を組み合わせ、相手が命令に逆らえない状態を作る。その支配状態が、最後の殺人へつながる。

知人の通報で警察官が訪問|それでも嶋田さんは発見されなかった

事件には、救出の可能性が生まれた瞬間があった。10月18日午前2時前ごろ、暴行状況の一部を目撃した知人の通報を受け、警察官が関係先を訪れる。ところが、その直前に嶋田さんは別の人物に連れ出されていた。

そのため警察官は嶋田さんを発見できず、間もなく現場を離れている。ここから事態はさらに悪化した。グループ側は、これまでの傷害や監禁が警察へ発覚することを恐れるようになる。

「死ぬのは嫌です」|本人の前で殺害方法を話し合った

警察の捜査が迫っていると感じたグループは、嶋田さんをどうするか話し合った。けがが治るまで隠す。治療する。別の人物に暴行されたことにする。複数の案が出たものの、最終的には傷害などの発覚を防ぐため殺害する方向へ進んでいく。

しかも、その話し合いは嶋田さん本人の前でも行われた。裁判所の認定では、嶋田さんは「死ぬのは嫌である。仕事してお金払います」と訴えている。それでも助けられなかった。

この言葉は、嶋田さんが自ら死を望んでいたのではないことを明確に示している。

東尋坊へ向かう車内|「自殺させる」計画が具体化

10月18日朝、グループは嶋田さんを車のトランクへ閉じ込めたまま移動した。多賀サービスエリアなどで、今後どうするか再び話し合う。警察の捜査が近づいているとの焦りが強まる中、話は次第に「自殺させる」方向へ変わった。

午後2時ごろにサービスエリアを出発。その後、車内で具体的な場所が検討され、最終的に東尋坊で飛び降りさせる方針が決まる。トランクに閉じ込められた嶋田さんにも、死を迫る言葉が繰り返し向けられた。自殺に見せかければ、それまでの集団暴行や監禁を隠せる――犯行は、そうした保身的な目的から殺人へ進んだと裁判所は認定している。

10月18日午後6時すぎ、東尋坊の約20メートルの崖へ

グループは2019年10月18日午後6時10分ごろ、東尋坊の駐車場へ到着した。嶋田さんはトランクから外へ出され、崖の方向へ連れて行かれる。裁判所によると、嶋田さんは一連の暴行で極度に恐怖し、加害者らの意向へ従わざるを得ない状態だった。

高さ約20メートルの崖では、複数の共犯者が嶋田さんの後方に立つ。そして飛び降りるよう迫った。その場から自由に帰る選択肢は、事実上残されていなかった。

嶋田さんは崖から転落し、頭部への重大な損傷によって死亡した。

自分で飛び降りたのになぜ「殺人罪」なのか

東尋坊殺人事件で重要なのが、この法的な問題である。嶋田さんは、誰かに直接突き落とされたと認定されたわけではない。それでも裁判では殺人罪が成立した。

理由は、それまでの暴行、監禁、脅迫、集団による包囲を切り離して考えることができないためである。裁判所は、嶋田さんについて、加害者らの暴行から逃れるには崖から飛び降りる以外の選択ができない状態に置かれていたと認定した。本人の身体を直接押していなくても、極度の恐怖で自由意思を奪い、死ぬよう命じて飛び降りさせれば、単なる自殺ではない。

この事件では、飛び降りという外形の背後にある強制と支配が殺人として評価されたのだ。

少年6人と成人男性1人を逮捕・起訴

事件後、捜査は急速に進んだ。犯行に関与したとして、当時17~19歳の少年6人と、成人男性の上田徳人が逮捕される。少年6人は家庭裁判所へ送致された。

大津家裁は、犯行について執拗で苛烈な暴行を伴う極めて悪質な事件と判断。6人を検察官送致する決定を出し、その後、刑事裁判へ進んだ。結果として、起訴された7人全員に実刑判決が言い渡されている。

「主犯格は上田徳人」ではない|裁判所が主導的役割を認定した人物

事件については、唯一の成人だった上田徳人を「主犯格」と説明する記事もある。しかし、2021年7月の大津地裁判決は、犯行当時19歳だった元少年について、犯行全体で終始主導的な役割を果たしたと明確に認定している。裁判所が重視したのは、次のような事情だった。

  • 嶋田さんと以前から人的関係があった中心人物だった
  • 嶋田さんへの悪感情が暴行開始の契機となった
  • 共犯者を集め、グループの行動を方向づけた
  • 場所の移動など重要な意思決定を行った
  • 東尋坊で殺害する方針を採用した
  • 暴行そのものにも積極的に加わった

このため、事件の人物関係を正確に整理するなら、犯行全体の主導的役割は当時19歳の元少年とするのが司法判断に沿った説明である。

2021年7月、主導的役割の元少年に懲役19年

2021年7月14日、大津地裁は犯行当時19歳だった元少年に懲役19年を言い渡した。検察側の求刑も懲役19年だった。裁判所は、一連の暴行について長期間、執拗かつ苛烈であり、被害者の人格を踏みにじるものだったと厳しく評価している。

さらに、当初から殺害目的で暴行していたわけではないものの、警察への発覚を恐れると、話し合いの末に自殺へ見せかけた殺害を決定した点を重視した。東尋坊では、嶋田さんが飛び降りるまで帰れないという共通認識のもと、複数人で背後を囲んで死を迫っている。裁判所は、殺人について強固な犯意に基づく犯行と判断した。

犯行当時19歳でも懲役19年|年齢はどう評価されたのか

主導的役割を認定された元少年は、犯行当時19歳だった。現在の成人年齢は18歳ですが、事件当時の民法上の成人年齢は20歳。刑事裁判でも、犯行当時未成年だったことは有利な事情として考慮されている。ただし裁判所は、年齢だけで大幅に刑を軽くしなかった。

元少年は当時19歳6カ月ほどで成人に近く、過去に粗暴事案で複数回少年院へ収容されていた。仮退院後、約2カ月で本件へ及んだことも指摘されている。そのため、未成熟さを有利に考慮できる程度は限定的と判断された。一方、まだ若く、将来的な更生可能性があることも踏まえられている。

こうした事情を総合した結論が、懲役19年だった。

上田徳人被告には一審懲役10年

唯一の成人として起訴されたのが上田徳人である。事件当時39歳だった。上田も傷害、監禁、殺人などの罪に問われ、2021年6月、大津地裁は懲役10年を言い渡した。成人だったから自動的に最も重い刑になるわけではない。

刑事裁判では年齢だけでなく、誰が犯行を主導したのか、どの暴行へ加わったのか、殺害の意思決定でどのような役割を果たしたのかが個別に審理される。東尋坊殺人事件でも、7人の責任は一律ではなく、それぞれの関与に応じて刑が判断された。

少年事件でも全員が刑事裁判へ|複数の不定期刑

少年6人のうち、主導的役割の元少年以外についても実刑判決が続いた。犯行当時少年だった被告人には、役割や年齢に応じて不定期刑が言い渡された例がある。確認できる判決には、懲役10年以上15年以下、懲役5年以上10年以下、懲役6年以上12年以下、懲役5年以上9年6カ月以下などが含まれる。

少年だから家庭裁判所の保護処分だけで終わったわけではない。大津家裁が検察官送致を選択し、成人と同じ刑事裁判の手続きで責任が問われた。

現在の状況|7人全員に実刑判決

現在も、事件は容疑者が分からない未解決事件ではない。犯行に関与して起訴された7人全員について、刑事裁判で実刑判決が言い渡されている。中でも司法判断上、犯行全体を主導したと認定された元少年には懲役19年。成人の上田徳人被告には一審で懲役10年が言い渡された。

この事件で死刑や無期懲役が言い渡された被告人はいない。一方、判決の重さだけを見れば事件全体を理解したことにはならない。20歳の被害者は、長期間にわたり暴力で支配され、最後には自分の足で崖の縁まで歩かされ、死を強要された。

「自殺の名所」というイメージを犯行に利用した

東尋坊は福井県を代表する景勝地である。その一方、長年にわたり自殺問題と結びつけて報じられてきた場所でもある。犯行グループは、その社会的イメージを利用した。

嶋田さんを崖から飛び降りさせれば、外形上は自殺に見える。そうして、それ以前の傷害や監禁が発覚することを防ごうとしたのだ。場所そのものが犯人を生んだのではない。加害者側が、東尋坊に付随するイメージを証拠隠しのため利用しようとしたことが、この事件の特異な点である。

東尋坊殺人事件が残したもの

嶋田友輝さんは20歳だった。事件の少し前まで母親と頻繁に連絡を取り、旅行にも出かけていた。ところが新たな人間関係の中で次第に生活が崩れ、家族との連絡は途絶えていく。その後に待っていたのは、長期間の暴行と監禁だった。

複数人が加わり、誰か一人が止めれば流れを変えられた場面は何度もあったはずである。それでも暴行は続いた。そして警察への発覚が現実味を帯びると、加害者側は被害者を救うのではなく、自分たちの犯行を隠すため殺害する方向へ進む。

嶋田さんは「死ぬのは嫌」と訴えていた。それでも東尋坊へ運ばれ、背後を囲まれ、飛び降りるよう迫られる。自分で飛び降りたという外形の下に、自由意思を奪うほどの暴力と恐怖があった。

東尋坊殺人事件は、集団暴行の残酷さだけでなく、長期間の支配によって人を追い詰め、その死を「自殺」に見せかけようとした重大事件である。

関連事件

同じテーマの書籍を探す

この事件に関連するテーマから、書籍・資料をまとめて確認できます。