寿産院事件|警察推計84人・起訴27人・裁判認定5人の違い

公開日 2026年7月23日
最終更新 2026年8月28日
カテゴリー 1940年代以前 有期刑

事件ステータス

発生年月日
1948年
都道府県
東京都

1948年1月、東京都新宿区の寿産院をめぐり、多数の乳児が死亡していた問題が表面化した。後世には「数十人を殺害した事件」と一つの数字で語られがちだが、捜査・起訴・判決が扱った人数は同じではない。警察が死亡したとみた乳児は84人、検察が殺人として起訴したのは27人、東京地裁が殺人を認定したのは5人だった。

この三つの数字を分けることが、寿産院事件を理解する出発点になる。石川ミユキと夫の石川猛は多数の乳児を預かる一方、必要な栄養や医療を十分に与えなかったとして追及され、一審ではミユキ懲役8年、猛懲役4年。控訴審でそれぞれ懲役4年、2年に減刑され、その刑が確定した。

発覚1948年1月
場所東京都・寿産院
主な被告石川ミユキ、夫・石川猛
警察が死亡とみた人数84人
殺人で起訴された人数27人
東京地裁が殺人を認定した人数5人
一審判決ミユキ懲役8年、猛懲役4年
控訴審1952年4月28日、懲役4年・2年へ減刑
最終結果上告審でも高裁判断が維持され刑が確定

1943年に開設された「特殊産院」が多数の乳児を預かった

TBSの検証記事によると、寿産院は1943年、当時制度上認められていた「特殊産院」として開設された。戦中から終戦直後にかけ、妊娠・出産しても自ら育てることが難しい母親から乳児を預かり、養育先を探す役割を掲げていた。

記事では、預ける母親側から養育費として2,000円から1万円を受け取り、子どもを求める側へ300円から500円で引き渡す仕組みもあったとされる。公的な児童福祉制度が十分に行き渡らない時期に、乳児を受け入れる民間施設へ需要が集中した一方、施設内では受け入れ人数に見合う養育が行われていなかった。

乳児の遺体搬送から、産院内部の状況が警察に知られた

事件が表面化したのは1948年1月だった。乳児の遺体を運んでいた葬儀関係者への警察の確認をきっかけに、寿産院から相次いで乳児が死亡していることが捜査対象となった。施設内には生存していた乳児もいたが、著しい栄養不足の状態にあった子どもがいたと報じられている。

2026年に公開された文春オンラインの記事は、路上で職務質問を受けた葬儀業者の荷台の木箱から5体の乳児遺体が見つかったと伝える。大量死が最初から一覧表として発見されたのではなく、一度の遺体搬送から施設全体の養育状況と過去の死亡へ捜査が広がった。

TBSの検証では、警察が施設を調べた際に7人の乳児が生存していたものの、その後2人が死亡したとされる。発覚した時点でも、問題は過去の死亡記録だけではなく、当時施設内で養育されていた乳児の生命に直結する状況だった。

捜査は単独の死亡事案ではなく、寿産院がそれまで受け入れてきた多数の乳児の行方へ広がった。そこで問題になったのは、乳児一人ひとりについて「いつ預けられ、どこへ移され、どのような状態で死亡したのか」をどこまで証拠でたどれるかだった。

食事と医療が足りない状態が繰り返されていた

TBSなどの報道は、寿産院で乳児に与えるミルクや食事が不足し、栄養失調に陥った子どもが多数いたと伝えている。病気や衰弱が進んだ乳児に対する医療も十分ではなく、死亡直前になって医師の診察を受けさせる例があったとされる。

ただし、寿産院に関係した乳児の死亡すべてが同じ原因で、同じ刑事責任の下に認定されたわけではない。戦後直後は乳幼児死亡率自体が現在より高く、個々の死亡について栄養不足、疾病、養育行為との因果関係を立証する必要があった。この立証の壁が、捜査段階と裁判段階で人数が大きく変わる理由の一つになった。

「169人」「84人」「27人」「5人」はそれぞれ意味が違う

報道には、寿産院が扱った乳児のうち行方を追えなくなった人数として169人という数字が出てくる。警察はその調査から84人が死亡したとみた。一方、検察が殺人として起訴の対象にしたのは27人であり、さらに東京地裁が犯罪事実として殺人を認定したのは5人だった。

したがって、「169人が殺害された」「84人の殺害が裁判で確定した」と書くのは正確ではない。169人は追跡できなくなった乳児の規模、84人は警察が死亡とみた規模、27人は起訴された殺人の被害者数、5人は一審が殺人と認定した人数を示す。事件の被害規模と、刑事裁判で証明された犯罪事実は分けて扱う必要がある。

検察は27人の死亡を殺人として法廷に持ち込んだ

1948年6月2日、東京地裁で公判が始まった。検察側は、1946年4月から1948年1月までに多数の乳児を死亡させたと主張し、そのうち27人について殺人罪の成立を求めた。9月の論告では、ミユキに懲役15年、猛に懲役7年を求刑したと報じられている。

ここで問われたのは、乳児に直接暴力を加えたという形ではない。保護し養育する立場にありながら、必要な栄養を与えず、衰弱した乳児に十分な手当ても行わないという行為を、死亡させる意思に基づく殺人として評価できるかが中心になった。

夫妻側は、行き場のない乳児を引き受けてきたという趣旨の説明をしていたと報じられている。しかし裁判で問われたのは施設を設けた目的の善悪ではなく、実際に預かった乳児へ必要な養育を行ったか、死亡する危険を認識しながら放置したと認定できるかだった。

東京地裁が殺人と認定したのは27人のうち5人だった

1948年10月11日の東京地裁判決は、起訴された27人全員について殺人を認めなかった。22人については犯罪として認定するだけの証明が足りないとし、5人について、夫妻が必要な養育を行わず栄養失調に至らせて死亡させた行為を殺人として認定した。

刑法上、殺人は刃物や銃器を使う行為だけに限られない。生命を保護する義務を負う者が、死亡させる意思を持ちながら必要な行為をしない場合、不作為による殺人が成立し得る。寿産院事件では、この「何もしなかったことをどこまで殺人として評価できるか」が刑事責任の核心になった。

同じ施設で働いた補助者には無罪判決が出た

同じ公判では、寿産院で働いていた補助者の女性も被告となったが、東京地裁は無罪とした。報道によれば、女性は乳児に与えるミルクを増やすよう求めるなど、状態を改善しようとする行動を取っていたことが認定上重視された。

この判断は、施設に関わった者を一括して同じ責任にしたわけではないことを示す。誰が乳児の養育を決定し、死亡につながる状態を認識しながらどのように行動したのか。裁判では個々の立場と行為が分けて評価された。

一審はミユキ懲役8年、猛懲役4年を言い渡した

5人について殺人を認定した東京地裁は、石川ミユキに懲役8年、石川猛に懲役4年を言い渡した。検察の求刑はそれぞれ15年、7年だったため、認定された殺人の範囲が27人から5人に絞られたことが量刑にも反映された。

この一審判決だけを見ても、事件発覚時に報じられた多数死亡と、裁判で確定へ向かった犯罪事実の間には大きな隔たりがある。事件全体の社会的な被害規模を論じることと、夫妻が刑事責任を負った死亡を数えることは別の作業になる。

1952年の控訴審で刑は4年と2年に減刑された

控訴審の東京高裁は1952年4月28日、ミユキを懲役4年、猛を懲役2年とし、一審から刑を半分に減らした。夫妻側と検察側の主張を踏まえて量刑が見直された後、上告審でも高裁判断が維持され、この刑が最終的に確定した。

昭和館のデジタルアーカイブには、1948年に始まった寿産院事件の公判写真や当時のニュース映像が残る。多数死亡という社会的な注目が先行した事件だった一方、法廷では27件それぞれの死因と夫妻の認識を証拠に即して切り分ける作業が行われた。

そのため「寿産院事件でミユキ懲役4年、猛懲役2年」という記述は最終的な刑としては正しいが、一審からその刑だったわけではない。1948年の一審8年・4年から、1952年の控訴審4年・2年へ変わった経過まで追うことで、裁判の流れが見える。

児童福祉法は事件発覚より前にすでに公布されていた

寿産院事件は、戦後の児童福祉制度の未整備を象徴する事件として語られることがある。ただし、児童福祉法は1947年12月に公布されており、事件が表面化した1948年1月より前に成立していた。したがって「寿産院事件をきっかけに児童福祉法が制定された」とする説明は時系列に合わない。

一方、法律ができた直後で制度が十分に運用されていない時期に、多数の乳児を預かる民間施設で深刻な養育問題が起きていたことは確かだった。妊娠・出産をめぐる困窮、乳児を預けざるを得ない家庭、受け皿の不足という戦後社会の問題が、事件の背景に重なっている。

寿産院事件を「何人殺害」と一つの数字だけで説明できない理由

寿産院事件には、死亡した可能性がある乳児の規模と、殺人罪として証明された人数の双方がある。警察が84人の死亡を把握したという事実は捜査の規模を示すが、その84人すべてについて夫妻の殺人罪が確定したことを意味しない。逆に、裁判認定が5人だったからといって、施設で5人しか死亡していなかったことにもならない。

現在の記事や資料で最も注意すべきなのは、この異なる数字を混ぜないことだ。刑事裁判上確定した範囲は5人の殺人と夫妻への有罪判決。その外側には、多数の乳児が死亡し、すべての経緯を個別に確定できなかったという事件全体の記録が残る。

この区別は、夫妻の責任を軽く見るためのものでも、捜査段階の84人という数字を無意味にするためのものでもない。捜査で把握された死亡の規模と、刑事裁判で合理的な疑いを超えて認定された犯罪事実を、それぞれ本来の意味のまま記録するために必要な整理となる。

参考資料・出典

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