2007年4月17日夜、4選を目指して長崎市長選挙を戦っていた伊藤一長市長(当時61歳)が、JR長崎駅近くの選挙事務所前へ戻った直後、背後から拳銃で撃たれた。銃弾は2発。伊藤市長は長崎大学医学部・歯学部附属病院へ搬送されたが、翌18日午前2時28分、死亡した。
現場で取り押さえられた城尾哲彌は、指定暴力団の幹部だった。裁判では、長崎市への不当要求が受け入れられなかったことから伊藤市長への恨みを募らせ、事前に動向を探り、実弾を装填した拳銃を携えて待ち伏せしたと認定された。一審は死刑、控訴審は無期懲役。最高裁は2012年、検察側と被告人側双方の上告を棄却した。
| 発生日 | 2007年4月17日 |
|---|---|
| 被害者 | 伊藤一長長崎市長(当時61歳) |
| 場所 | 長崎市大黒町の選挙事務所前 |
| 被告人 | 城尾哲彌 |
| 成立した主な罪 | 殺人、銃刀法違反、公職選挙法違反など |
| 一審 | 2008年5月26日、長崎地裁が死刑 |
| 控訴審 | 2009年9月29日、福岡高裁が無期懲役 |
| 最高裁 | 2012年1月16日、検察・被告人双方の上告棄却 |
| その後 | 2020年1月22日、服役中に死亡 |
選挙事務所へ戻った伊藤市長を、城尾が待ち受けていた
長崎市長選挙は4月15日に告示され、伊藤市長は4期目を目指して選挙運動を続けていた。事件は告示から2日後に起きた。17日午後7時50分ごろ、遊説を終えた伊藤市長が大黒町の選挙事務所前へ戻ると、付近で待っていた城尾が接近した。
最高裁決定によれば、城尾は伊藤市長の至近距離まで近づき、無防備な背後から拳銃を発射した。2発はいずれも背部に命中した。周囲には選挙関係者や通行人がいたが、城尾は公共の場所で発砲している。城尾はその場で取り押さえられ、当初は殺人未遂の現行犯で逮捕された。
市との対立は、道路工事をめぐる補償要求から長期化していた
事件前から、城尾と長崎市の間には具体的な対立があった。2003年、城尾が乗っていた車が道路工事に伴う路面の穴で損傷したとして補償を求めたが、市側は要求を受け入れなかった。当時の報道では、城尾はこの件をめぐって市役所を30回以上訪れていたとされる。
市に対する要求は一度で終わらず、城尾の不満は長期間続いた。最高裁決定は、長崎市が暴力団による不当要求に屈しない姿勢を取っていたこと、城尾が要求を拒まれる中で伊藤市長を逆恨みするようになった経過を認定している。犯行直前に生じた個人的な口論が引き金になった事件ではなかった。
市への不当要求が退けられ、恨みの矛先が市長へ向かった
最高裁が認定した動機の中心にあったのは、長崎市への不当要求だった。城尾は市に要求を繰り返していたが、市は伊藤市長の方針もあって、暴力団からの不当要求に屈しない姿勢を取っていた。要求が思い通りにならない中で、城尾は伊藤市長を逆恨みするようになった。
伊藤市長が次期市長選に立候補すると知ると、城尾は殺害して当選を阻止し、恨みを晴らすと同時に、自らの力を誇示しようと考えたとされた。最高裁はこの犯行を「行政対象暴力の極み」と位置付けている。特定の政治思想を実現するための犯行ではなく、市長個人への恨みが主要な動機だった。
動向を探り、実弾を装填した拳銃を持って待ち伏せ
発砲は、その場の突発的な口論から生じたものではなかった。城尾は犯行前に伊藤市長の動きを探り、実弾を装填した拳銃を携行して選挙事務所付近で待っていた。最高裁は、こうした準備と待ち伏せを踏まえて計画的な犯行と評価した。
発砲時には、支援者をはじめ多数の人が付近にいた。拳銃を至近距離で使用したことに加え、周囲を巻き込む危険を伴う場所で撃った点も量刑上重く扱われた。伊藤市長は長崎市政を担うだけでなく、被爆地の市長として核兵器廃絶を訴えてきた人物でもあった。
選挙の最中に現職市長を失い、長崎市は投票日を迎えた
伊藤市長は4月22日投開票の市長選に立候補していた。事件は告示後の選挙運動期間中に起き、市長本人が死亡するという事態のまま選挙日程が進んだ。最高裁も、城尾が伊藤市長の当選を阻止する意図を持っていたことを犯行目的の一部として認定している。
拳銃で候補者の生命を奪う行為は、伊藤市長個人への殺人にとどまらず、選挙の自由を侵害する結果を生んだ。このため起訴・有罪となった罪には公職選挙法違反も含まれた。長崎地裁が死刑を選択する際にも、選挙運動中の現職市長を狙ったという事情は重く扱われた。
一審は「被害者1人」でも死刑を選択した
長崎地裁は2008年5月26日、城尾に死刑を言い渡した。殺害の計画性、拳銃を使った犯行態様、選挙候補者を選挙運動中に殺害した結果などを重視し、殺害された被害者が1人であることを考慮しても極刑は避けられないと判断した。
検察側は、現職市長を殺害して有権者の選択を奪い、選挙の自由を妨害した結果も強く訴えた。一審はその重大性を量刑に反映した。城尾の行為には殺人だけでなく、公職選挙法違反(選挙の自由妨害)や銃刀法違反なども成立した。
福岡高裁は死刑を破棄し、無期懲役へ変更した
2009年9月29日、福岡高裁は一審の死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡した。高裁も犯行の悪質性や結果の重大さを否定していない。焦点になったのは、それでも死刑を選択することが過去の量刑との均衡を含めて避けられないといえるかだった。
高裁は、殺害されたのが1人であることに加え、城尾が組織内で孤立し、経済的困窮や病気などから自暴自棄になる中、市への不当要求が通らなかったことに思い詰め、いわば暴発した側面があるとみた。経済的利益を得るための殺人でも、政治的信条を実現するための殺人でもないことも考慮した。
最高裁でも検察と被告人の双方が判決を争った
無期懲役となった控訴審判決に対し、検察側は量刑が軽すぎるとして上告した。弁護人は事実誤認と量刑不当、城尾本人も事実誤認を主張して上告した。最高裁第三小法廷は2012年1月16日、双方の上告を棄却した。
最高裁は城尾の動機に酌量の余地はなく、待ち伏せと発砲の態様も危険で、刑事責任は重大だとした。そのうえで、高裁が挙げた被害者数、利欲目的ではないこと、政治思想に基づく犯行ではないことなどを総合すると、死刑を避けた判断を「甚だしく不当」とまではいえないと結論付けた。福岡高裁の無期懲役が確定した。
死刑と無期懲役を分けたのは、犯行の重大性そのものではなかった
一審、控訴審、最高裁のいずれも、伊藤市長の殺害を軽く評価してはいない。最高裁決定には、計画性、背後からの至近距離射撃、多数の人がいる場所での発砲、選挙妨害という結果が明記されている。高裁も城尾の刑事責任が重大であることを前提に量刑を検討した。
結論が分かれたのは、重大な犯罪に対する刑として死刑まで必要かという最終的な評価だった。長崎地裁は極刑を選び、福岡高裁は死刑選択にはなおためらいが残ると判断した。最高裁は後者を維持した。
最高裁は死刑回避の事情も列挙したうえで無期懲役を維持
最高裁決定は、城尾に有利な事情だけを取り上げたものではない。市長を待ち伏せし、背後から至近距離で2発撃った計画性と危険性、選挙期間中の候補者を殺害した結果、遺族の処罰感情などを挙げ、刑事責任は極めて重大だと評価した。
それでも、殺害被害者が1人であること、犯行が利欲目的ではないこと、政治的信条を実現するためのテロではなかったこと、組織内で孤立し経済的にも追い詰められていた事情などを合わせて検討した。検察が求めた死刑への変更は認められず、無期懲役のまま刑が確定した。
長崎では1990年にも市長が銃撃されていた
長崎市では、伊藤市長の事件より17年前の1990年にも、本島等市長が右翼団体の男に銃撃される事件が起きている。本島市長は重傷を負ったが一命を取り留めた。伊藤市長はその後継として1995年に初当選し、2007年には4期目を目指していた。
二つの銃撃は動機も背景も異なる。伊藤市長事件について最高裁が認定した中心的な動機は、市への不当要求を拒まれた城尾の恨みだった。被爆地の市長として核兵器廃絶を訴えていた伊藤市長が標的となったものの、政治的信条の実現を目的とした犯行とは認定されていない。
長崎市では事件後、暴力追放の取組が続いた
長崎市議会は事件直後、暴力行為の根絶を求める意見書を採択した。市では全国から寄せられた募金をもとに「いのちの碑」が建立され、暴力追放「いのちを守る」長崎市民会議も発足した。選挙期間中の市長が命を奪われた事件は、市政の安全対策と暴力排除の取組にも長く影響を残した。
警察庁も、長崎市長射殺事件を2007年の重大な銃器使用事件の一つとして取り上げ、その後の銃器対策を強化した。拳銃に関する情報提供を促す「けん銃110番報奨制度」など、違法銃器対策が進められている。
城尾哲彌は無期懲役で服役し、2020年に死亡
無期懲役確定後、城尾は受刑者として服役した。2020年1月22日、大阪医療刑務所で死亡したと報じられた。72歳だった。これにより、城尾に対する刑の執行は死亡によって終わった。
伊藤市長の死後も、長崎市は事件を暴力のない社会を考える契機として伝えてきた。2026年4月17日の市長記者会見でも事件と伊藤元市長に触れられており、発生から19年を経ても市政の記憶として残っている。
参考資料・出典
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