2022年3月8日夜、浜松市佐鳴台の住宅で、79歳の祖父、76歳の祖母、26歳の兄がハンマーなどで殴られ死亡した。殺人罪に問われたのは、事件当時22歳で静岡県警を退職していた山田悠太郎だった。山田は殺害の記憶がなく、「ボウイ」と呼ぶ別人格が犯行を行ったとして無罪を主張した。
二つの精神鑑定は、解離性同一症の存在や犯行時の状態について異なる評価を示した。静岡地裁浜松支部は、障害の影響で行動制御能力が低下していたものの著しくはなく、完全責任能力があったと判断して懲役30年を言い渡した。東京高裁が控訴を棄却し、2026年4月に最高裁も上告を退け、刑が確定した。
| 事件名 | 浜松市佐鳴台親族3人殺害事件 |
|---|---|
| 発生日 | 2022年3月8日 |
| 発生場所 | 浜松市佐鳴台の住宅 |
| 被害者 | 祖父、祖母、実兄の計3人 |
| 被告人 | 山田悠太郎(事件当時22歳、元警察官) |
| 主な争点 | 犯人性、解離性同一症と刑事責任能力 |
| 確定判決 | 懲役30年 |
佐鳴台の住宅で親族3人が相次いで死亡
事件当日、住宅では山田と祖父母らが生活していた。夜、祖父母と兄が頭部を中心に多数回殴打され、搬送先などで死亡した。凶器にはハンマーや金づちが使われたと認定され、短い時間帯に同じ家の中で三人が順次襲われた。
通報後、警察は現場にいた山田から事情を聴き、着衣や凶器、室内の状況を調べた。山田は自分が殺害したとの認識や記憶を否定したが、物証と行動記録から犯人性が争われることになった。
被害者は見知らぬ第三者ではなく、山田が幼少期から関係を持ってきた祖父母と兄だった。裁判では、長年の家庭内虐待を訴える山田の生育歴が、動機と精神状態を理解する資料として詳しく審理された。
元警察官になるまでと家庭内で訴えた虐待
山田は学校卒業後に静岡県警へ採用され、警察官として勤務したが、事件前に退職していた。公判では、幼いころから家族内で身体的、性的な虐待を受け、祖父母や兄への恐怖と怒りを抱えてきたと述べた。
虐待の詳細には本人供述を基礎とする部分があり、すべてが別の客観資料で確認されたわけではない。一方、医師の診断や家族関係の記録から、山田が深刻な心理的問題を抱えていたこと自体は審理の前提となった。
生育歴に重大な被害があったとしても、それだけで殺人の責任がなくなるわけではない。裁判所は、虐待が犯行動機や障害の形成へ影響した可能性と、犯行時に行動を選択する能力が残っていたかを分けて検討した。
「別人格ボウイが殺した」という無罪主張
初公判で山田は、人を殺した自覚も記憶もないと起訴内容を否認した。自分の中に複数の人格があり、攻撃的で命令的な「ボウイ」が身体を支配して犯行に及んだと説明した。
弁護側は、山田が解離性同一症を発症し、犯行時には本人の人格が行動を制御できない心神喪失状態だったとして無罪を求めた。人格の交代が起きた場合、本人が記憶を持たないことと、刑法上の責任能力が失われることが同じかが問題となった。
検察側も精神的な障害の存在を全面的には否定しなかったが、犯行は山田自身の怒りや目的に沿っており、準備、三人への連続した攻撃、犯行後の行動にまとまりがあると主張した。別人格という呼称だけで、行為主体を別人として扱うことはできないとした。
二度の精神鑑定で分かれた医師の評価
精神鑑定で診断名や症状の説明が異なっても、それだけで直ちに責任能力の結論が決まるわけではない。裁判所は、犯行前の準備、標的の選択、犯行後の隠蔽、警察への説明などを検討し、行動が現実認識に基づいていたかを確かめた。鑑定医の医学的意見と、刑法上の責任能力についての最終判断は役割が異なり、判決は複数の資料を総合して結論を出した。
裁判前と裁判過程で精神鑑定が行われ、医師の見解は一致しなかった。一人は、ボウイとされる人格が行動を支配し、山田本人には制御が困難だったとの見方を示した。
別の医師は、供述には虚偽や誇張が含まれる可能性があり、人格交代があったとしても、犯行は山田の思考と感情に基づくと評価した。解離性同一症の診断があるかだけでなく、事件の時間帯にどの症状がどの程度働いたかが対立点となった。
裁判所は鑑定書の結論をそのまま選ぶのではなく、凶器の準備、被害者ごとの攻撃、着衣を洗うなどの犯行後の行動、供述の変化を合わせて検討した。精神医学上の診断と刑法上の責任能力判断は役割が異なる。
静岡地裁浜松支部が認めた完全責任能力
被告人が語った虐待体験について、裁判所は全てを虚偽として退けたわけではない。一方で、過去の被害を訴えることと、親族3人を殺害した時点で善悪の判断能力が失われていたかは別の問題とされた。犯行の順序、凶器の扱い、発覚を避ける行動には目的に沿った選択が見られ、別人格に支配され自分の行動を制御できなかったとの主張は採用されなかった。
2025年1月15日、静岡地裁浜松支部は山田が三人を殺害したと認定した。解離性同一症の影響によって行動制御能力が低下していた可能性は認めたものの、その程度は著しくなく、善悪を判断し行動を抑える能力は保たれていたとした。
判決は、三人への攻撃が家庭内で抱いた怒りと結び付き、行動に一貫性があることを重視した。犯行後に血の付いた衣服を洗うなど、発覚を避ける行動も責任能力を裏付ける事情とされた。
検察は無期懲役を求刑していたが、判決は有期刑の上限となる懲役30年を選択した。三人を死亡させた結果は重い一方、長期間の虐待経験、精神障害の影響、事件当時の年齢などを量刑上考慮した。
控訴審が一審の認定を維持
控訴審は、一審で取り調べた鑑定結果や供述を全面的にやり直すのではなく、一審の事実認定に論理・経験則上の誤りがあるかを審査した。弁護側は人格の交代と記憶の欠落を重ねて主張したが、犯行前後の一貫した行動や説明から、別人格だけが実行したとの合理的疑いは生じないとされた。
山田側は、完全責任能力の認定と刑の重さを不服として控訴した。控訴審では、二つの鑑定のどちらを重視すべきか、一審が症状の影響を過小評価していないかが争われた。
2025年10月30日、東京高裁は控訴を棄却した。一審が犯行前後の行動と鑑定を総合した方法に不合理な点はなく、責任能力の評価も相当と判断した。記憶がないとの供述だけで、心神喪失を認めることはできないとした。
控訴審も、解離性同一症の存在を理由に山田の訴えを全面否定したわけではない。症状の影響を認めながら、それが法律上責任を問えないほど強かったかを否定した点が判決の中心である。
2026年の上告棄却と懲役30年確定
最高裁の上告棄却によって確定したのは、無罪主張を退けた有罪認定と懲役30年である。日本の有期懲役刑には上限があり、複数人を殺害した事件でも、検察が死刑や無期懲役を求刑せず、有期刑の範囲で量刑される場合がある。本件では責任能力が最大の争点となり、確定後は通常の控訴・上告で事実認定を争うことはできず、新証拠がある場合の再審など限られた手続へ移る。
山田側は最高裁へ上告したが、2026年4月10日付で最高裁第二小法廷が上告を棄却した。これにより、懲役30年とした一、二審の判断が確定した。
最高裁の上告審は、精神鑑定を含む全証拠を最初から調べ直す通常の事実審ではない。一、二審の判断に憲法違反や重大な法令違反があるかが中心となり、責任能力認定を覆す理由はないとされた。
刑の確定によって裁判は終結したが、事件は解離性同一症のある被告人の刑事責任をどう判断するかという課題を残した。診断名から有罪・無罪を決めるのではなく、犯行時の具体的能力と行動を調べるという刑事裁判の考え方が示された。
山田は警察官として勤務経験があり、規範や刑事手続きへの知識を持っていた。裁判所は職歴だけで責任能力を認めたわけではないが、社会生活を送り、職務を遂行していた経過は、障害の程度と日常的な判断能力を考える資料になった。
解離性同一症は、複数の人格状態や記憶の断絶を伴うことがある。しかし症状の現れ方は人によって異なり、診断を受けた人が危険だという意味ではない。事件を理由に同じ診断の人々を犯罪と結び付ける表現は避ける必要がある。
責任能力の判断では、犯行の意味を理解できたか、違法と分かっていたか、行動を抑えられたかが検討される。記憶がないことは重要な症状になり得るが、記憶欠如だけで犯行時の判断能力が失われていたとは限らない。
一審は山田の虐待経験を否定せず、量刑上の重要事情として扱った。そのうえで、三人を死亡させた結果と攻撃の回数、凶器の使用を踏まえ、有期刑の上限を選択した。検察求刑の無期懲役より軽いが、法定上きわめて重い刑である。
控訴審では、新たな鑑定を行うか、一審の鑑定評価に誤りがあるかも争点となり得る。東京高裁は一審の評価過程に不合理がないとして維持し、鑑定意見の不一致そのものを理由に合理的疑いが残るとはしなかった。
被害者三人は家族内の加害者として山田から語られた一方、刑事事件では殺害された被害者でもある。過去の家族関係を検証することと、殺害被害を軽視することを混同せず、双方を事実に基づいて記述する必要がある。
裁判が長期化したのは、被告人の供述が特異だったからだけではない。二度の鑑定、医師の証人尋問、責任能力に関する専門的な審理が必要となり、裁判員が判断できる形に整理する準備に時間を要した。
2026年の最高裁決定後、山田は懲役30年の受刑者となった。刑期の起算や未決勾留日数の算入は判決と刑事手続きに従うため、公開情報だけから具体的な出所予定日を計算することはできない。
この事件を「多重人格による殺人」とだけ呼ぶと、裁判所が認めた結論を誤る。確定判決は、障害の影響を認めつつ、犯行は山田の責任能力のある状態で行われたとした。診断名と法的結論を分ける必要がある。
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