ホテル日本閣殺人事件は、1960年、栃木県塩原町の温泉旅館「ホテル日本閣」をめぐり、経営者夫妻が相次いで殺害された事件である。1970年6月11日、カウと大貫の死刑が執行された。カウは、戦後の日本で最初に死刑を執行された女性となっている。
- ホテル日本閣の経営者夫妻が相次いで失踪した経緯
- 生方ウメさんと生方鎌輔さんが殺害された状況
- 小林カウがホテルを支配するまでの流れ
- 偽造された手紙と遺体発見によって事件が発覚した経緯
- 9年前に起きていた小林秀之助さん毒殺事件
- 小林カウ、大貫光吉、中村又一郎に言い渡された判決
- 「毒婦」と呼んだ当時の報道と事件記録上の問題
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 一般的な呼称 | ホテル日本閣殺人事件、日本閣事件、塩原日本閣事件 |
| 主な発生期間 | 1960年2月から12月 |
| 主な発生場所 | 栃木県塩原町福渡のホテル日本閣 |
| 現在の地域 | 栃木県那須塩原市の塩原温泉郷 |
| ホテル事件の被害者 | 生方ウメさん(48歳)、生方鎌輔さん(53歳) |
| 関連して立件された被害者 | 小林秀之助さん(カウの夫) |
| 主犯と認定された人物 | 小林カウ |
| 事件発覚時の年齢 | 52歳 |
| ホテル事件の共犯者 | 大貫光吉 |
| ウメさん殺害の共謀者 | 生方鎌輔 |
| 秀之助さん殺害の共犯者 | 元警察官・中村又一郎 |
| 主な動機 | ホテルの経営権・財産の獲得、犯行発覚の防止 |
| 事件発覚 | 1961年2月 |
| 一審判決 | 1963年3月18日 |
| 控訴審判決 | 1965年9月15日 |
| 上告審 | 1966年7月14日、最高裁が上告棄却 |
| 小林カウの刑 | 死刑 |
| 大貫光吉の刑 | 死刑 |
| 中村又一郎の刑 | 懲役10年 |
| 死刑執行 | 1970年6月11日 |
| 現在の状況 | 死刑執行を含め刑事手続は終了 |
事件の舞台となったホテル日本閣
ホテル日本閣は、塩原温泉の福渡地区にあった小規模な温泉旅館である。生方鎌輔さんと妻のウメさんは、芸者置屋として使用していた建物を改築し、1950年代半ばにホテルとして営業を始めた。鎌輔さんは旅館の番頭として働いた経験があり、客への応対には慣れていた。一方、改築費などによる多額の負債を抱え、ホテル経営は次第に行き詰まる。
日本閣は新館の増築にも着手しましたが、工事費を確保できず、外観や柱などを造った段階で工事が止まっていた。経営不振の中でホテルへ関わるようになったのが、塩原で物産店や飲食店を営んでいた小林カウだった。
小林カウがホテル経営へ関わる
小林カウは埼玉県熊谷市の出身で、1950年代半ばに漬物などの行商で塩原を訪れ、その後、温泉街へ住み着いた。物産店や食堂を経営して資金を蓄え、旅館業への進出を望むようになる。1959年ごろ、カウは経営難に陥っていた鎌輔さんと親しくなり、ホテルの改築費や運転資金を提供するようになった。
カウは、増築中の建物を買い取るなどして日本閣の共同経営へ入り込み、次第にホテル内で強い影響力を持つようになる。一方、ウメさんは夫とカウの関係を疑い、ホテル経営への介入にも反発していたとされている。
1960年2月、生方ウメさんを殺害
確定判決によると、カウはホテルを支配するうえでウメさんが障害になると考え、鎌輔さんや大貫光吉と殺害を共謀した。大貫は以前、日本閣で風呂番などをしていた人物で、その後も塩原周辺で荷物運びや土木作業をしながら、カウと関係を持っていた。カウと鎌輔さんは、大貫へ報酬を支払う約束をし、ウメさんの殺害を依頼した。
1960年2月6日夜、大貫は日本閣の室内でウメさんの首を絞めて殺害した。カウは室外で待機し、鎌輔さんは犯行時に別の場所へ移動していたと認定されている。ウメさんの遺体は当初、ホテル内の設備付近へ隠され、その後、発見を避けるため、ホテル近くの雑木林へ移された。
妻の家出を偽装した生方鎌輔
ウメさんの殺害後、鎌輔さんは周囲へ、妻が現金を持って家出したと説明した。ウメさんが「自分を捜さないでほしい」という趣旨の置き手紙を残したように装い、東京から本人名義の手紙も投函している。しかし、後の筆跡鑑定では、置き手紙も郵送された手紙も、ウメさんではなく鎌輔さんが書いたものと判断された。
ウメさんの弟は、姉の文字とは異なることや、長期間連絡がないことを不審に思い、警察へ届け出た。警察は早い段階から他殺の可能性を疑いましたが、遺体や直接的な証拠を発見できず、内偵捜査を続けることになる。
ウメさん失踪後にホテルを支配
ウメさんが姿を消した後、カウは日本閣へ入り、鎌輔さんと同居しながらホテル経営を取り仕切るようになった。カウはウメさんが使用していた寝具や装飾品を使い、ホテルの女将のように振る舞っていたとされている。一方、経営状態は改善せず、カウが投入した資金も失われていった。
鎌輔さんは精神的に不安定となり、ウメさん殺害の秘密や放火計画について周囲へ話す可能性も生じていた。カウは、鎌輔さんを残しておけば、資金を失うだけでなく、最初の殺人が発覚する危険があると考えるようになる。
1960年12月31日、生方鎌輔さんを殺害
1960年12月31日、カウと大貫は日本閣で鎌輔さんを殺害した。確定判決では、カウが鎌輔さんの首へ縄を掛けて倒し、大貫が刃物を使用して殺害したと認定されている。2人は遺体を毛布で包み、工事が止まっていた日本閣新館の床下へ運んだ。
床下の土を掘って遺体を埋め、鎌輔さんが大みそかに資金調達へ出掛けたまま戻らないように装う。カウは周囲に対し、鎌輔さんが「長期間の金策に行く」と話していたと説明した。しかし、ホテル経営者の妻に続いて夫まで突然姿を消したため、地域では殺害を疑う声が強まった。
火災保険を掛けたホテルへの放火計画
鎌輔さん殺害後、カウは日本閣を自分の支配下へ置いた。一方、ホテルの経営状態は悪く、新館工事も完成していなかった。確定判決などでは、カウがホテルへ火災保険を掛け、放火して保険金を得ることも検討していたとされている。
最終的に放火は実行されませんでしたが、ホテルの財産を利益へ変えようとする計画の一つとして捜査・裁判で扱われた。
偽造された手紙から深まった疑い
警察は、ウメさん名義で残された置き手紙や郵送された手紙を鑑定した。その結果、手紙はウメさんの筆跡ではなく、鎌輔さんが書いた可能性が高いと判断される。さらに、鎌輔さんはウメさんの失踪前後の行動について、相手によって異なる説明をしていた。
妻が失踪したとしながら、自ら捜索願を出していなかったことも不自然な点だった。警察は、ウメさんの失踪に鎌輔さんとカウが関わり、大貫が実行役となった可能性を疑って内偵を続けた。
1961年2月、小林カウと大貫光吉を逮捕
1961年1月、警察へ「鎌輔さんも姿を消している」という情報が寄せられた。経営者夫妻が相次いで行方不明となったことから、栃木県警と大田原警察署は殺人事件を視野に捜査本部を設置する。警察は大貫を別件の窃盗容疑などで取り調べ、夫妻の失踪について追及した。
大貫が殺害と遺体の場所について供述したことから、1961年2月20日、カウと大貫が生方夫妻に対する殺人容疑で逮捕された。逮捕当初、カウは関与を否定しましたが、遺体の発見後、ウメさんと鎌輔さんを殺害した経緯を供述している。
ホテルの床下から鎌輔さんの遺体
1961年2月21日、警察は約100人の捜査員を投入し、日本閣と周辺の捜索を行った。未完成だった新館の廊下部分を掘り進めると、地中から毛布に包まれた鎌輔さんの遺体が発見される。遺体には首を圧迫された痕跡と刃物による傷があり、大貫の供述と一致した。
ホテル経営者が金策のため自発的に失踪したというカウの説明は、遺体発見によって崩れた。
雑木林からウメさんの遺体を発見
警察は大貫らの供述に基づき、ウメさんの遺体についても捜索した。日本閣から約100メートル離れた雑木林を掘り返したところ、白骨化した遺体が発見される。遺体はウメさんと確認され、殺害後にホテル内から運び出され、埋め直されたことが明らかになった。
生方夫妻の失踪事件は、ホテルの経営権と財産をめぐる連続殺人事件として立件された。
小林カウの夫にも浮上した毒殺疑惑
生方夫妻殺害事件が報道されると、栃木県警へ「カウの夫の死にも不審な点がある」という情報が寄せられた。カウの夫・小林秀之助さんは、埼玉県熊谷市で自転車関係の商売などをしていた。秀之助さんは1952年10月2日に急死し、当時は脳出血による病死として処理されていた。
しかし、捜査でカウが当時の警察官・中村又一郎と親密な関係にあったことが判明する。カウは、中村との関係を続けるうえで秀之助さんが邪魔になったとして、飲み薬へ青酸カリを混ぜて毒殺したと供述した。この事件は、ホテル日本閣で起きた2件の殺人とは区別して、熊谷事件と呼ばれることがある。
ホテル事件と熊谷事件の違い
「ホテル日本閣殺人事件」という呼称は、本来、栃木県の日本閣をめぐる生方夫妻殺害事件を指する。一方、小林カウの刑事裁判では、1952年に埼玉県で起きた夫・秀之助さんの毒殺事件も併合して審理された。そのため、カウについて「3人を殺害した」と説明される一方、ホテル日本閣事件の被害者は「経営者夫妻の2人」と説明される場合がある。
ホテル事件の被害者は生方ウメさんと生方鎌輔さん、カウの全確定犯罪における殺人被害者は小林秀之助さんを加えた3人である。
小林カウ・大貫光吉・中村又一郎を起訴
小林カウと大貫光吉は、生方夫妻に対する殺人や死体遺棄などの罪で起訴された。ウメさん殺害では、被害者の夫だった鎌輔さんも共謀者と認定されましたが、鎌輔さん自身が後に殺害されているため、裁判を受けることはなかった。カウと元警察官の中村又一郎は、秀之助さんを青酸カリで毒殺した罪でも起訴される。
カウは公判で、3件の殺人への関与をおおむね認めた。一方、中村は毒殺への関与を否定し、カウの供述以外に共謀を裏付ける証拠があるかが争点となった。
1963年、宇都宮地裁が小林カウに死刑
1963年3月18日、宇都宮地裁は小林カウに死刑を言い渡した。裁判所は、カウがホテルの経営権や財産を得るため、周囲の人物を利用し、3人の生命を奪ったと認定している。大貫光吉については、生方夫妻殺害の実行行為へ加わった責任を認めながらも、カウに強く影響されていたなどとして、無期懲役を言い渡した。
中村又一郎については、秀之助さん毒殺への共謀の疑いは残るものの、証拠が不十分として殺人罪では無罪となった。ただし、中村には別件の拳銃不法所持について懲役1年が言い渡されている。
控訴審で大貫光吉も死刑
一審判決に対し、カウと大貫の弁護側、検察側が控訴した。1965年9月15日、東京高裁はカウの死刑を維持するとともに、大貫の無期懲役を破棄して死刑を言い渡した。東京高裁は、大貫が報酬を得て殺害へ加わり、2人の生命を奪った責任は極めて重いと判断した。
また、中村についても一審の殺人無罪を破棄し、秀之助さん毒殺への共謀を認定して懲役10年とした。カウ、大貫、中村の3人はいずれも最高裁へ上告した。
1966年、最高裁で判決が確定
1966年7月14日、最高裁第一小法廷は3人の上告を棄却した。これにより、小林カウと大貫光吉の死刑、中村又一郎の懲役10年が確定している。カウについては、生方夫妻の殺害だけでなく、夫・秀之助さんを毒殺した事件も含め、3人を殺害した責任が死刑判断の対象となった。
大貫は日本閣をめぐる2人の殺人について死刑、中村は熊谷事件の1人に対する殺人について懲役10年という法的な結論である。
1970年、小林カウと大貫光吉の死刑を執行
1970年6月11日、東京・小菅の刑場で小林カウと大貫光吉の死刑が執行された。カウは61歳、大貫は46歳だった。小林カウは、戦後の日本で初めて死刑が執行された女性である。
死刑が確定した最初の女性という意味ではなく、戦後に実際の執行を受けた最初の女性という位置付けである。死刑執行により、カウと大貫に対する刑事手続は終了した。
「毒婦」と呼ばれた小林カウ
当時の新聞や週刊誌は、小林カウを「毒婦」「悪魔のような女」「塩原のお伝」などの言葉で繰り返し報じた。金銭への執着や複数の男性との関係が強調され、服装、化粧、表情、過去の仕事なども、犯罪とは直接関係のない部分まで大きく取り上げられている。カウが3人の殺害について重大な刑事責任を負ったことは、確定判決によって明らかである。
一方、性別や恋愛関係を強調した「悪女物語」としてのみ事件を扱うと、共犯者の責任や経営権をめぐる具体的な犯行計画が見えにくくなる。
小林カウだけによる単独犯ではない
ホテル日本閣事件は、小林カウだけが実行した単独犯ではない。ウメさん殺害では、夫の鎌輔さんが計画へ参加し、カウが大貫へ働き掛け、大貫が実行行為を担った。鎌輔さん殺害では、カウと大貫が共同で実行している。
熊谷事件では、カウと元警察官の中村が共謀したと確定判決が認定した。当時の報道では、男性共犯者がカウの「色と金」に操られたという描写も目立った。しかし、大貫と中村はいずれも成人であり、裁判所はそれぞれの意思と行動に基づく刑事責任を認定している。
被害者だった鎌輔さんは最初の事件では共謀者
本事件の関係を理解するうえで注意が必要なのが、生方鎌輔さんの立場である。鎌輔さんは1960年12月にカウと大貫から殺害された被害者である。一方、それ以前に起きた妻・ウメさんの殺害では、カウや大貫と共謀し、報酬を用意して犯行を依頼した人物でもある。
鎌輔さん自身は死亡したため起訴されず、刑事裁判を受けていない。同じ人物が、一つの殺人では共謀者であり、後の殺人では被害者となった複雑な事件である。
ホテル日本閣殺人事件の主な時系列
- 1952年10月2日:埼玉県熊谷市で小林秀之助さんが急死。当時は脳出血による病死と判断
- 1950年代半ば:生方夫妻が塩原温泉でホテル日本閣を開業
- 1959年ごろ:小林カウがホテルの共同経営へ関わる
- 1960年2月6日:生方ウメさんを大貫光吉が絞殺。カウと夫の鎌輔さんも共謀
- 殺害後:鎌輔さんがウメさん名義の置き手紙や郵便を作成し、家出を偽装
- 1960年春:ウメさんの弟からの届け出を受け、警察が内偵捜査を開始
- 同年12月31日:カウと大貫が生方鎌輔さんをホテル内で殺害
- 1961年1月:鎌輔さんも行方不明となったとの情報が警察へ寄せられる
- 2月14日:栃木県警と大田原署が殺人事件として捜査本部を設置
- 2月20日:大貫の供述などから、小林カウと大貫を殺人容疑で逮捕
- 2月21日:ホテル日本閣の新館床下から鎌輔さんの遺体を発見
- その後:ホテル近くの雑木林からウメさんの白骨遺体を発見
- 3月:生方夫妻殺害事件でカウと大貫を起訴
- 4月:秀之助さん毒殺事件でカウと元警察官・中村又一郎を起訴
- 1963年3月18日:宇都宮地裁がカウに死刑、大貫に無期懲役。中村は殺人罪で無罪
- 1965年9月15日:東京高裁がカウと大貫に死刑、中村に懲役10年
- 1966年7月14日:最高裁が上告を棄却し、3人の刑が確定
- 1970年6月11日:小林カウと大貫光吉の死刑を執行
- 現在:死刑執行を含め、事件の刑事手続は終了
現在の状況|死刑執行を含め刑事手続は終了
小林カウは、生方ウメさん、生方鎌輔さん、小林秀之助さんの3人を殺害した罪で死刑が確定した。大貫光吉は、生方夫妻に関する2件の殺人で死刑が確定している。元警察官の中村又一郎は、秀之助さん毒殺への共謀を認定され、懲役10年が確定した。
カウと大貫の死刑は1970年6月11日に執行され、両名に対する刑事手続は終了している。再審開始や判決取消しが行われたとの記録はなく、3人に対する確定判決は現在も法的な結論として残っている。現在の正確な状況は、主犯と共犯者の刑が確定・執行され、解決済みとなっている連続殺人事件である。
ホテル日本閣殺人事件が残したもの
ホテル日本閣殺人事件では、旅館の経営権と財産をめぐり、最初に経営者の妻が殺害された。夫の鎌輔さんは妻の殺害へ加わり、家出に見せ掛ける手紙を作りましたが、その後、自らもカウと大貫によって殺害されている。夫妻の遺体はホテルの床下や近くの雑木林へ隠され、2人とも自発的に失踪したように偽装された。
警察は筆跡鑑定、地域での聞き込み、大貫の供述、遺体発見などを積み重ね、事件を解明した。さらに過去の不審死に関する情報を再検討し、9年前に病死とされていた秀之助さんの毒殺事件も立件している。一方、当時の報道は、カウの性別、容姿、服装、恋愛関係を強調し、「毒婦」という人物像を作り上げた。
事件の重大性を伝えるために、犯罪と無関係な私生活まで扇情的に描写する必要はない。
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