赤報隊事件|朝日新聞阪神支局襲撃事件

公開日 2026年7月23日
最終更新 2026年7月31日

赤報隊事件は、1987年から1990年にかけて、朝日新聞社の施設などが散弾銃や爆発物で相次いで襲撃された一連の未解決事件である。現在でも、刑事裁判で赤報隊の構成員や実行犯と認定された人物はいない。

POINT
この記事でわかること
  • 朝日新聞阪神支局で記者2人が銃撃された状況
  • 死亡した小尻知博記者と重傷を負った犬飼兵衛記者
  • 「赤報隊」を名乗る犯行声明文の内容と特徴
  • 警察庁指定第116号事件に含まれた一連の襲撃
  • 右翼的な思想を背景とする犯行が疑われた理由
  • 大規模な捜査でも犯人を特定できなかった経緯
  • 公訴時効成立後も事件が記憶されている理由
項目内容
事件名赤報隊事件、朝日新聞阪神支局襲撃事件
発生日1987年5月3日
発生時刻午後8時15分ごろ
発生場所兵庫県西宮市与古道町の朝日新聞阪神支局
死亡者小尻知博記者(29歳)
負傷者犬飼兵衛記者(42歳)が重傷
現場にいた記者小尻記者、犬飼記者、高山顕治記者の3人
犯人目出し帽をかぶった男
凶器散弾銃
発砲数2発
犯行声明「赤報隊」を名乗る人物が共同通信社と時事通信社へ送付
警察庁指定広域重要指定116号事件
逮捕・起訴実行犯や共犯者として起訴された人物はいない
公訴時効阪神支局襲撃事件は2002年5月3日に成立
現在の状況犯人と組織の実態が特定されていない未解決事件

1987年5月3日、阪神支局の編集室へ男が侵入

事件が発生したのは、憲法記念日だった1987年5月3日午後8時15分ごろである。朝日新聞阪神支局の2階編集室では、小尻知博記者、犬飼兵衛記者、高山顕治記者の3人が勤務していた。そこへ黒っぽい目出し帽をかぶり、散弾銃を持った男が突然侵入した。

男は要求や警告を口にすることなく、編集室にいた記者へ散弾銃を発砲した。短時間のうちに2発を撃った後、男はそのまま支局から逃走している。

小尻知博記者が死亡、犬飼兵衛記者が重傷

散弾を受けた小尻知博記者は、体内の重要な臓器や血管を損傷する致命傷を負った。小尻記者は病院へ搬送されましたが、救命することはできなかった。入社から約5年の29歳だった。犬飼兵衛記者も胸や手などに散弾を受け、長期の治療を必要とする重傷を負った。

犬飼記者は一命を取り留め、その後、取材や執筆を通じて事件の記憶を伝えた。2018年に73歳で亡くなっている。編集室にいた高山記者には発砲されず、身体的な負傷はなかった。小尻記者と犬飼記者が、犯人から個人的な恨みを受けていたことを示す事実は確認されていない。

犯人はなぜ阪神支局を襲ったのか

犯人は編集室で特定の記事や記者を名指しせず、無言で銃撃した。事件後の犯行声明は、朝日新聞社全体を敵視する内容だった。このため、捜査機関は小尻記者個人を狙った事件ではなく、報道機関を威嚇し、言論活動を暴力で封じようとした犯行とんだ。

事件当日が憲法記念日だったことも、表現の自由や報道の自由を意識して選ばれた可能性が指摘されている。ただし、犯人が阪神支局を選んだ具体的な理由や、事件日を決めた経緯は解明されていない。

「赤報隊」を名乗る犯行声明文

事件の数日後、共同通信社と時事通信社へ「赤報隊」を名乗る犯行声明文が届いた。声明は阪神支局襲撃を自らの犯行と認め、朝日新聞を「反日」と非難する内容だった。さらに、朝日新聞の社員全体を攻撃対象とし、今後も活動を続けるという趣旨の脅迫が記されていた。

犯行声明では、同年1月に起きていた朝日新聞東京本社への発砲についても、自分たちの犯行だと主張している。その後の事件でも、靖国神社参拝や歴史教科書、外国人をめぐる排外的な主張などが記された。声明文の思想的傾向から、右翼的・国家主義的な背景を持つ人物や集団が捜査対象となりましたが、発信者は特定されていない。

警察庁指定第116号事件となった5件

警察庁は、同一または関連する犯人による一連の事件とみて、次の5件を広域重要指定116号事件として捜査した。

発生日事件概要
1987年1月24日朝日新聞東京本社銃撃事件東京本社の建物へ散弾銃が発射された
1987年5月3日朝日新聞阪神支局襲撃事件記者1人が死亡、1人が重傷
1987年9月24日朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件社員寮へ侵入して散弾銃を発射
1988年3月朝日新聞静岡支局爆破未遂事件時限式の発火・爆発装置が置かれたが不発
1988年8月10日江副浩正元リクルート会長宅銃撃事件東京都内の自宅玄関へ散弾銃を発射

警察庁が正式に指定したのは、この5件である。一方、同じ「赤報隊」名の声明が出された政治家への脅迫や、愛知韓国人会館への放火を含め、広い意味では7件前後を赤報隊事件と呼ぶ場合がある。

朝日新聞東京本社への発砲

一連の事件で最初に発生したとされるのは、1987年1月24日の朝日新聞東京本社銃撃事件である。東京都中央区築地の東京本社へ、屋外から散弾銃が発射された。当初は事件として認識されませんでしたが、阪神支局襲撃後に届いた声明文を受け、建物や周辺が改めて調べられた。

実況見分では弾痕などが確認され、阪神支局襲撃と同じ系列の犯行と判断される。声明を送った人物が、報道されていなかった発砲を知っていたことも、実行犯側との関係を示す事情とみられた。

名古屋社員寮、静岡支局も標的に

1987年9月24日、名古屋市にあった朝日新聞名古屋本社の社員寮へ男が侵入した。男は無人の共用部分などへ散弾銃を発射して逃走した。死傷者はいなかった。翌1988年3月には、朝日新聞静岡支局の駐車場で、時限装置を取り付けた爆発物が発見された。

装置は作動せず、爆発による被害は発生していない。同じ時期には、当時の首相や前首相に対して、靖国神社参拝などを理由に脅迫する文書も送られた。

朝日新聞以外にも攻撃対象が拡大

1988年8月10日、東京都港区にあった江副浩正元リクルート会長の自宅玄関へ、散弾銃が発射された。事件後、「赤報隊」を名乗る声明が送られ、リクルート事件に関係する企業経営者も攻撃対象となった。1990年5月には、名古屋市の愛知韓国人会館で放火事件が発生し、赤報隊名の声明が出されている。

一連の声明には、朝日新聞への敵意だけでなく、政治家や企業、韓国に関係する施設を標的とする排外的な思想も表れていた。ただし、すべての声明が同一人物によって作成され、全事件を同一の集団が実行したかは確定していない。

右翼・民族派関係者を中心とした捜査

捜査機関は犯行声明の内容や言葉遣いから、右翼・民族派の思想を持つ人物や団体を幅広く調べた。散弾銃と実包の流通経路、銃の所持者、事件当日のアリバイ、声明文に使われた用紙や印字なども確認されている。複数の団体関係者が事情聴取や家宅捜索の対象となりましたが、逮捕や起訴につながる決定的な証拠は得られなかった。

事件後には、犯人を名乗る電話や手紙、情報提供が多数寄せられた。しかし、虚偽や模倣とみられるものも多く、実行犯へ至る手掛かりとはならなかった。

犯人を特定できなかった理由

阪神支局襲撃事件では、現場にいた記者が目出し帽姿の男を目撃している。しかし、顔の大部分が隠されていたうえ、襲撃は短時間で、犯人は言葉を発しなかった。現在のように街頭や建物内へ防犯カメラが広く設置されておらず、逃走経路を映した映像もない。

散弾銃や犯行時の衣服、移動に使った可能性がある車両なども発見されなかった。思想的な主張は示されましたが、特定の団体だけに結び付く内容ではなく、声明文から個人を割り出すこともできなかった。犯行を実行した人数、声明文の作成者、背後で計画した人物が同じだったかも不明のままである。

2002年、阪神支局襲撃事件の公訴時効が成立

事件当時、殺人罪の公訴時効は15年と定められていた。犯人を逮捕できないまま15年が経過し、2002年5月3日、阪神支局襲撃事件の殺人罪などについて公訴時効が成立した。静岡支局爆破未遂事件を含む指定事件も、2003年3月までにすべて時効となっている。

2010年には殺人罪などの公訴時効が廃止された。しかし、法改正前に時効が完成していた赤報隊事件を、改めて起訴できる状態へ戻すものではない。

公訴時効後も犯人が判明したわけではない

公訴時効の成立は、事件が解決したことや、犯人の身元が分かったことを意味しない。赤報隊の実在する組織構造、構成員数、指示を出した人物、銃撃を実行した人物は現在も特定されていない。捜査対象となった団体や個人を、証拠なく犯人と断定することはできない。

また、後年になって「赤報隊」を名乗った脅迫や模倣行為が発生しても、1987年の実行犯との関係が確認されない限り、別事件として扱う必要がある。刑事裁判で赤報隊の犯人と認定された人物は一人もいない。

言論機関を標的としたテロ事件

阪神支局襲撃では、記事への抗議や訂正要求ではなく、勤務中の記者へ直接銃が向けられた。犯行声明も、朝日新聞の報道内容を暴力によって変更、停止させようとする内容だった。特定の報道に反対することや、新聞社を批判することは言論の範囲内である。

しかし、記者や社員の生命を狙い、恐怖によって報道を封じる行為は、言論や批判ではない。事件は新聞社だけでなく、市民が情報を受け取り、意見を形成する権利への攻撃としても受け止められている。

毎年5月3日に続けられる追悼

朝日新聞阪神支局では、事件が起きた5月3日に小尻知博記者を追悼する場が設けられている。関係者だけでなく、市民や学生も訪れ、犠牲者へ祈りをささげている。支局内の資料室には、事件の痕跡を残す資料や、被害を伝える展示が保管されている。

2026年5月3日には事件から39年を迎えましたが、犯人不明という状況は変わっていない。追悼は小尻記者を悼むとともに、異なる意見を持つ相手へ暴力を向けない社会の重要性を確認する機会となっている。

赤報隊事件の主な時系列

  • 1987年1月24日:朝日新聞東京本社へ散弾銃を発射
  • 5月3日午後8時15分ごろ:目出し帽姿の男が朝日新聞阪神支局へ侵入
  • 同日:小尻知博記者が死亡し、犬飼兵衛記者が重傷
  • 5月6日ごろ:共同通信社と時事通信社へ赤報隊名の犯行声明文が届く
  • 9月24日:朝日新聞名古屋本社社員寮で散弾銃を発射
  • 9月25日:警察庁が阪神支局、名古屋社員寮の事件を広域重要指定116号事件に指定
  • 10月:東京本社への発砲事件も追加指定
  • 1988年3月:朝日新聞静岡支局で爆破未遂事件
  • 8月10日:江副浩正元リクルート会長宅へ散弾銃を発射
  • 1990年5月17日:愛知韓国人会館で放火事件
  • 2002年5月3日:阪神支局襲撃事件の公訴時効が成立
  • 2003年3月:広域重要指定116号事件の全事件で公訴時効が成立
  • 2018年:重傷を負った犬飼兵衛元記者が73歳で死去
  • 2026年5月3日:事件から39年。阪神支局で追悼が行われる
  • 現在:実行犯と犯行組織は特定されていない

現在の状況|犯人未特定、公訴時効成立済み

朝日新聞阪神支局襲撃事件は、2002年5月3日に公訴時効が成立した。警察庁が広域重要指定116号事件とした一連の事件も、2003年3月までにすべて時効となっている。捜査では多数の右翼・民族派関係者や銃器所持者などが調べられましたが、実行犯として起訴された人物はいない。

声明文を作成した人物と、各事件の実行犯が同じかどうかも判明していない。現在の正確な状況は、犯人と組織の実態が特定されないまま、公訴時効が成立した未解決事件である。

赤報隊事件が残したもの

赤報隊事件では、新聞社の建物や社員寮が相次いで襲われ、阪神支局では勤務中の記者が銃撃された。小尻知博記者は29歳で命を奪われ、犬飼兵衛記者も生命に関わる重傷を負った。犯人は朝日新聞の報道姿勢を非難し、暴力によって社員や報道活動を威嚇しようとした。

警察は一連の事件を全国規模で捜査しましたが、犯行に使われた銃、実行犯、指示役、組織の全容を解明できなかった。公訴時効の成立によって刑事訴追の可能性は失われましたが、言論に対する暴力の問題がなくなったわけではない。事件は、意見や思想の違いを理由に人の生命を奪い、恐怖で報道を封じる行為が民主社会へ与える危険を示している。

同時に、特定の思想団体や人物を根拠なく犯人と断定せず、確認された事実と捜査上の仮説を区別して記録する必要がある。

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