町田市美大生失踪事件|井出真代さんが1999年に消えた後の再捜査

公開日 2026年6月25日
最終更新 2026年8月14日

町田市美大生失踪事件は、1999年8月、東京都町田市に住んでいた多摩美術大学1年生の井出真代さん(当時18歳)が行方不明になった事案である。2025年8月には、発生から26年を迎えたことに合わせ、警視庁町田警察署と家族がJR成瀬駅前で情報提供を呼びかけた。現在でも発見には至っておらず、家族は真代さんの帰りを待ち続けている。

一般的な呼称町田市美大生失踪事件
行方不明になった時期1999年8月13日から14日ごろ
発生場所東京都町田市の自宅およびJR成瀬駅周辺
行方不明者井出真代さん(当時18歳)
当時の所属多摩美術大学1年生
身体的特徴身長約171センチ、やせ型、明るい茶色のショートヘア
現在の状況現在も行方不明のまま
情報提供先警視庁町田警察署

町田市美大生失踪事件とは

行方不明になった井出真代さんは、1981年2月3日生まれ。当時は多摩美術大学の1年生で、東京都町田市の自宅から大学へ通っていた。身長は約171センチと高く、やせ型。モデル事務所に所属した経験もあり、大学では映像に関するサークル活動にも参加していた。真代さんが姿を消したのは、大学へ入学してから数カ月後の夏休みだった。家族が帰省のため自宅を離れたあと、真代さんは一人で町田市内に残る。

遠出の準備をしていた様子はなく、家族や友人に別れを告げるような言葉もなかった。日常の途中で、その足取りだけが途切れてしまったのだ。

家族の帰省に同行しなかった理由

1999年8月13日、真代さんの家族は愛知県方面へ帰省した。真代さんは、渋谷にある歯科医院の予約が入っているとして、自宅に残ると家族へ伝えていた。家族にとっては、いつもと大きく変わらない会話だったのでしょう。ところが、家族が帰宅しても真代さんの姿はなかった。連絡もなく、どこへ行ったのかを示す書き置きも残されていなかったとされている。

母親はその後、予約先とされていた歯科医院を訪ねた。しかし、医院側からは、真代さんが予約日に来院した記録はないと説明されたと報じられている。

1999年8月13日ごろ、東京都町田市に住む多摩美術大学1年の井出真代さん(当時18歳)が行方不明になった。家族は愛知県へ帰省していたが、真代さんは歯科の予約を理由に自宅へ残り、JR成瀬駅近くのレンタルビデオ店を出た姿が最後の確実な確認とされる。8月16日に帰宅した家族は真代さんがいないことに気付き、友人や歯科医院へ連絡した。予約していた歯科には来院しておらず、書き置きや長期間の外出準備も確認されなかった。警察は当初、成人に近い大学生の家出として扱ったが、後年に捜査一課が入り犯罪被害の可能性も調べた。

井出さん一家は例年、盆の時期に愛知県の親族宅へ帰省していた。真代さんは歯科の予約があるとして同行せず、町田市の自宅に残った。普段着に近い服装で、所持金は多くなく、水着や画集など日常的な持ち物を携えていたとされ、長期旅行を計画した様子は確認されていない。井出真代さん失踪をめぐるこの段階では、行方不明事件では、最後に本人が確実に確認された時刻と、その後に本人の意思を示す記録が残っているかを分けて考える必要がある。目撃談や後年の推測は、家族、警察、報道が確認した事実と同じ重さでは扱えない。

最後に確認されたレンタルビデオ店での行動

真代さんは、家族が出発した8月13日、自宅近くのレンタルビデオ店を訪れたとみられている。店では、寺山修司監督の映画「田園に死す」を返却した。このレンタルビデオ店での行動が、失踪前に確認された重要な足取りの一つである。ただし、真代さんが正確にいつ自宅を離れたのかは、はっきりしていない。

警視庁が後年に捜査を行った際には、家族が出発前に冷蔵庫へ残した料理の量と、帰宅後の残量が調べられた。その結果から、真代さんは13日だけでなく、翌14日まで自宅にいた可能性も検討されている。このため、失踪日を単純に「8月13日」と断定することはできない。公表情報では、8月13日から14日ごろに行方が分からなくなったと捉えるのが適切である。

公表されている情報によると、真代さんは失踪時、薄緑色のノースリーブにジーンズ、ピンク色のサンダルを身につけていたとみられている。

画集も持っていたとされ、服装を見ても、長期間の旅行や新生活を想定した荷物ではなかった。普段の外出に近い身なりで、日常生活に必要な多くの物を自宅へ残したまま。その状況が、家族に強い違和感を抱かせることになる。

警察は当初、家出人として対応していた

家族は真代さんと連絡が取れなくなると、警察へ相談した。しかし、当時18歳だったことや、事件を直接示す痕跡が見つからなかったことから、警察は当初、若者の家出として扱ったと報じられている。町田警察署で担当したのも、殺人や誘拐などを扱う刑事課ではなく、生活安全課だった。事件性が明確でない行方不明事案では、本人の意思による失踪との区別が難しく、初動捜査にも限界がある。

一方、家族から見れば、何年たっても一度も連絡をよこさない状態は、真代さんらしい行動とは思えなかった。電話を待ち、寄せられた目撃情報があれば現地へ向かう。そうした日々が重なる一方、真代さんの所在を示す決定的な手掛かりは見つからなかった。

失踪から約11年後に未解決事案として捜査

状況が変わったのは、失踪から約11年が過ぎたころである。警視庁捜査1課が、長期間解決していない事案、いわゆるコールドケースとして捜査を始めた。捜査員は、家族が帰省前に用意した食事の内容や量を確認。母親は当時作ったポテトサラダやごま豆腐などを再現し、帰宅後にどの程度残っていたのかを説明した。

これは、真代さんが自宅で何食分を口にしたのかを推測し、最後に自宅を出た時刻を絞り込むための作業だった。捜査は数年間にわたって行われたものの、所在の特定につながる大きな手掛かりは得られなかったとされている。

近年の報道では、警察が真代さんと接点のあった男性を参考人として調べていたことも伝えられている。ただし、男性が事件に関与したことを裏付ける証拠は示されておらず、逮捕や起訴もされていない。すでに死亡したと報じられているものの、失踪との関係は確認されていないままである。

未解決事件では、特定の人物に関する憶測が事実のように広がることがある。しかし、事情を聴かれた人物と、犯罪への関与が立証された人物は同じではない。現時点で、真代さんを連れ去った人物や、失踪に関与した人物が特定された事実はない。

失踪直前の真代さんを映したビデオが発見される

2024年、失踪のおよそ2カ月前に撮影された真代さんの映像が見つかった。大学の友人が実家を探したところ、1999年6月に江の島へ出かけた際のビデオテープが残っていたのだ。映像の中には、友人たちと笑いながら歩き、カメラへ話しかける18歳の真代さんが映っていた。行方不明になる前の、動く姿と声が記録された貴重な映像である。

その映像で着ていた薄緑色のタンクトップは、失踪後の部屋に残されていなかった。このため、真代さんは同じ服を着て自宅を出た可能性が高いとみられている。映像の発見が直接的な解決には結びついていないものの、当時の容姿や歩き方、話し方を知る資料として、大きな意味を持っている。

母親の万里子さんは、真代さんがいなくなってから、捜索の経過をノートへ書き続けていた。連絡を取った相手、寄せられた目撃情報、足を運んだ場所。ノートには、娘へつながるかもしれない情報が一つずつ記録されている。「似ている女性を見た」という連絡があれば、遠方まで出向いて確かめることもあった。しかし、そのたびに期待は途切れ、真代さんが帰ることもなかった。

年月がたつほど、当時の記憶は薄れていく。それでも家族にとっては、捜すことをやめた瞬間に、娘とのつながりまで失ってしまうように感じられたの可能性がある。母親は取材に対し、どのような事情であっても、生きて帰ってきてくれればいいという趣旨の思いを語っている。責める言葉ではなく、まず伝えたいのは「おかえり」。その日を待ちながら、捜索は続いている。

2025年にもJR成瀬駅前で情報提供を呼びかけ

失踪から26年となった2025年8月13日、警視庁町田警察署の警察官や家族らが、JR成瀬駅前でチラシを配布した。父親は、真代さんと一緒に暮らした期間より、行方が分からなくなってからの年月のほうが長くなったと語りながら、それでも決して諦めないと協力を訴えている。

現在も、真代さんが発見されたとの公表はない。本人が生きていれば45歳となっている。事件から長い時間が過ぎていても、当時は気に留めなかった光景が、後になって重要な情報だと分かることがある。成瀬駅周辺で見かけた人物や車、真代さんと接点を持っていた人に関する記憶が、今も求められている。

家族は警視庁町田署の協力を得て写真や現在の想像図を公開し、独自のウェブサイトで情報を求めている。2026年8月時点でも所在は分からず、失踪原因や第三者の関与は特定されていない。

警視庁町田警察署は、現在も井出真代さんに関する情報を受け付けている。

確信が持てない記憶であっても、複数の情報と組み合わさることで意味を持つ場合がある。思い当たることがある場合は、家族へ直接連絡するのではなく、警察へ伝えることが重要である。

この事案では、警察が当初、真代さんを家出人として扱ったことが、その後の検証でも取り上げられている。本人の意思による失踪なのか、犯罪や事故に巻き込まれたのか。明確な痕跡がない段階で判断するのは容易ではない。ただ、捜索の開始が遅れれば、防犯カメラ映像や目撃者の記憶、交通機関の記録などが失われていく。1999年当時は、現在ほど街頭カメラや携帯電話の位置情報も整備されていなかった。

真代さんがどこへ向かい、誰と会ったのか。最も知りたい部分を裏付ける記録は、今も見つかっていない。だからこそ、事件を風化させず、当時を知る人の記憶を掘り起こす活動が欠かせない。家族が長年続けてきた呼びかけは、真代さんへつながる細い糸を、今も切らさずに保っている。

真代さんは家族が帰省した後も町田市の自宅に残り、歯科医院へ行くと説明していたが、医院には来院記録がなかったとされる。家族は現在も町田警察署とともに情報提供を呼びかけている。

失踪後に真代さん本人が口座や公的手続きを利用したと確認できる情報も公表されていない。

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