一億円拾得事件|銀座で現金1億円を拾った大貫久男さんと消えた持ち主の謎

公開日 2026年6月25日
最終更新 2026年7月31日
カテゴリー 1980年代 未解決事件

一億円拾得事件は、1980年4月25日、東京都中央区銀座でトラック運転手の大貫久男さん(当時42歳)が、現金1億円の入った風呂敷包みを拾った出来事である。包みの中には、1000万円ずつ束ねられた札束が10組。現在の感覚でも途方もない金額ですが、当時の年末ジャンボ宝くじの1等賞金は3000万円だった。

POINT
この記事でわかること
  • 1980年4月25日に銀座で現金1億円が発見された経緯
  • 大貫久男さんが風呂敷包みを警察へ届けるまで
  • 持ち主が現れず、1億円の所有権を取得した仕組み
  • 所得税を納めた後、大貫さんの手元に残った金額
  • 脅迫や取材によって生活が一変した状況
  • 現在も落とし主が判明していない理由と残された謎
項目内容
一般的な呼称一億円拾得事件、銀座一億円拾得事件
発見日時1980年4月25日午後6時ごろ
発見場所東京都中央区銀座3丁目の道路脇
拾得者大貫久男さん(当時42歳)
当時の職業金物会社に勤務するトラック運転手
拾得金額現金1億円
持ち主判明していない
所有権の取得1980年11月9日
現金の受け取り1980年11月11日
納付した所得税約3400万円
現在元の持ち主は依然として不明

銀座の道路脇で見つけた古びた風呂敷包み

1980年4月25日午後6時ごろ、大貫久男さんは仕事を終え、トラックで東京都中央区銀座3丁目付近を走っていた。道路脇のガードレール付近に、古びた薄茶色の風呂敷包みが置かれているのを見つける。包みから新聞紙が見えていたため、大貫さんは当初、捨てられた古新聞だと思ったとされている。

ちょうど古紙回収に出せると考えた大貫さんは、その包みをトラックの荷台へ積んだ。この時点では、包みの中に人生を一変させるほどの大金が入っているとは、想像もしていなかったでしょう。

帰宅後に判明した「現金1億円」

大貫さんは帰宅後、包みを自宅へ運び入れたものの、すぐには中身を確認せず、銭湯へ出かけた。その間に妻が包みを開けると、中から現れたのは新聞紙ではなかった。1000万円の札束が10組、合計1億円。

札束は100万円単位で日本銀行の紙封が巻かれ、さらに1000万円ごとにまとめられていた。それらが透明なビニール袋に収められ、新聞紙と風呂敷で包まれていたのだ。銭湯から戻った大貫さんは、現金を見て驚きながらも、午後7時50分ごろに110番通報した。大金を自分のものとして隠すのではなく、すぐに警察へ届けた。この判断によって、大貫さんは全国に知られる存在となる。

札束はどのような状態だったのか

警察は届けられた現金を調べるため、日本銀行へ鑑定を依頼した。紙幣は連続番号ではなく、市中から回収された古い紙幣を、日本銀行が再び金融機関へ出すために束ねたものと判明する。

  • 金額:現金1億円
  • 構成:1000万円の束が10組
  • 日本銀行の検印:1979年12月13日と14日
  • 包んでいた新聞:1980年4月24日付の日本経済新聞と株式新聞
  • 風呂敷:かなり古いもの

包みに使われていた新聞が発見前日のものだったため、現金は4月24日から25日にかけて置かれた可能性が高いとみられた。また、風呂敷からは指紋も検出されたとされている。しかし、落とし主の特定につながる決定的な手掛かりにはならなかった。

1億円を拾った男性として全国に報道される

事件は「銀座で会社員が1億円を拾った」と大きく報じられた。当時、大貫さんは金物会社に勤める42歳のトラック運転手。突然現れた億万長者候補に、新聞、テレビ、週刊誌が一斉に注目する。当時の年末ジャンボ宝くじの1等賞金は3000万円だった。宝くじの3倍を超える現金を道路で拾ったのですから、社会が騒然となったのも無理はない。

大貫さんの自宅前には取材陣が集まり、本人の発言や家族の暮らしまで連日のように報じられた。ただ、注目が高まるほど、大貫さん一家は思わぬ危険にさらされていく。

自宅へ殺到した寄付の依頼と脅迫

事件が全国に広まると、大貫さんの自宅には電話や手紙が殺到した。なかには、生活に困っているとして金を求めるものや、寄付を迫る内容もあった。それだけではなく、現金を渡さなければ危害を加えるといった脅迫もあったとされている。大貫さんはまだ1億円を受け取っておらず、持ち主が現れれば全額返される段階だった。それでも世間からは、すでに大金を手にした人物として見られていたのだ。

家族の安全を守るため、自宅には11日間にわたって警備員が置かれた。偶然拾った包みが、日常を脅かす存在へ変わっていく。大貫さんにとって、この半年間は単純に幸運を待つ時間ではなかった。

落とし主を名乗る人物は現れたのか

全国的なニュースとなったため、警察には「自分が落とした」と申し出る人物が複数現れたとされている。しかし、現金の包み方や札束の状態、置かれていた状況などについて、持ち主でなければ知り得ない説明ができた人物はいなかった。警察は、一億円をどこから用意したのか、なぜ銀座の路上へ置いたのかといった点を慎重に確認しましたが、正当な所有者と認められる人物は現れない。

現金の元の持ち主は、現在でも判明していない。

なぜ持ち主は名乗り出なかったのか

1億円という巨額の現金を失いながら、なぜ持ち主は警察へ届け出なかったのでしょうか。事件当時から、企業や政治家の裏金、株式取引に使う資金、犯罪に関係する金など、さまざまな説が報じられた。警察へ名乗り出れば、現金の出所や所有権を説明しなければならない。そのため、表に出せない事情を抱えた金だったのではないか、という見方が広がったのだ。

一方、こうした説の多くは推測にすがない。特定の政治家、企業、相場関係者の名前が取り沙汰されたこともありますが、誰の金だったのかを裏付ける公的な結論は出ていない。運搬中に置き忘れたのか、誰かへ渡すため一時的に置いたのか、それとも意図的に捨てたのか。理由も含め、真相は分からないままである。

旧遺失物法により大貫さんが所有権を取得

事件当時の遺失物法では、拾得物を警察へ届けた後、公告から6カ月以内に持ち主が現れなければ、拾った人が所有権を取得できた。現在の遺失物法では、原則として保管期間は3カ月ですが、当時は6カ月である。期限までに正当な持ち主が現れなかったため、大貫さんは1980年11月9日に1億円の所有権を取得した。

そして11月11日、警視庁から1億円を受け取る。受け取りの日も安全への警戒は続いていた。大貫さんは早朝のジョギングを装って自宅を出て、防弾チョッキを着用していたと伝えられている。大金を得る瞬間でありながら、周囲を警戒せずにはいられない。その姿は、この事件がもたらした光と影を象徴していた。

1億円を受け取っても全額は手元に残らなかった

拾得物として取得した1億円は、そのまま全額を自由に使えるわけではなかった。所得税法上、拾得物によって得た利益は一時所得として扱われる。大貫さんは所得税として約3400万円を納め、最終的に手元へ残った金額は約6600万円だった。

それでも、一般の会社員が一度に手にする金額としては極めて大きなものだった。大貫さんは、派手な浪費を重ねたわけではない。後に約3690万円でマンションを購入し、残りは貯蓄や保険などへ回したと報じられている。

17年間勤めた会社を退職

一億円を拾った後、大貫さんを取り巻く職場環境も変わっていった。事件から約5カ月後の1980年9月、大貫さんは17年間勤めていた金物会社を退職している。退職の詳しい理由については報道ごとに伝え方が異なりますが、連日の取材や周囲の注目によって、それまでと同じように働き続けることが難しくなった面もあったとみられる。

一方、大貫さんは翌1981年には、再びトラック運転手として働き始めた。大金を手にしても仕事を完全にやめることはなく、生活の基盤を保とうとしていた様子がうかがえる。

テレビ出演で「時の人」となった大貫久男さん

大貫さんは事件後、テレビ番組やドラマにも出演した。1981年には、一億円拾得事件を題材にしたテレビドラマが放送され、大貫さん自身も登場している。その後もバラエティ番組へ出演し、「1億円を拾った人」として広く知られるようになった。

1989年、神奈川県川崎市の竹やぶで2億円が見つかる騒動が起きた際には、過去の巨額拾得者として再び取材を受けている。世間からは、いわば「拾得物の専門家」のような立場で見られることもあった。本人にとっては一度きりの偶然でしたが、その出来事は生涯にわたって名前と結びつくことになる。

大貫久男さんは幸せになったのか

大金を手に入れた人は、その後どうなったのか。事件後、多くの人が大貫さんの人生に関心を寄せた。大貫さんは、1億円を得た直後に「幸せになるか、不幸になるかは、人生が終わったときに答えが出る」という趣旨の言葉を残したと伝えられている。確かに、約6600万円という財産は生活に余裕をもたらしたでしょう。一方、脅迫や寄付の要求、取材攻勢に悩まされ、仕事や住環境も変わった。

一億円は、自由だけでなく、他人から向けられる視線や恐怖も運んできたのだ。大貫さんは2000年12月2日、釣りへ向かう途中の駅で倒れ、心筋梗塞のため62歳で亡くなった。親族は後年、大貫さんについて、金を拾う前も後も暮らしぶりや親戚付き合いは大きく変わらず、幸せだったと思うと振り返っている。

4月25日が「拾得物の日」と呼ばれる理由

一億円拾得事件が起きた4月25日は、現在「拾得物の日」として紹介されることがある。法律で定められた国民の祝日や公的な記念日ではありませんが、巨額の現金が正直に届けられた出来事を振り返る日として定着した。財布や現金を拾った場合、持ち主が分からなければ、速やかに警察や施設の管理者へ届ける必要がある。

一億円拾得事件は、正直な届け出が社会から称賛される一方、拾得者の個人情報が広まることの危険性も示した出来事だった。

現在でも1億円の持ち主は不明

事件から46年となる現在でも、1億円の元の持ち主が判明したという公的な発表はない。

  • 拾得者:大貫久男さん
  • 拾得額:現金1億円
  • 警察への届け出:1980年4月25日
  • 正当な持ち主:現れず
  • 所有権取得:1980年11月9日
  • 所得税:約3400万円
  • 大貫さんの受取額:税引き後約6600万円

誰が、何の目的で1億円を運んでいたのか。なぜ銀座の道路脇に置かれたのか。そして、これほどの大金を失いながら、なぜ名乗り出なかったのか。確かなのは、大貫さんが現金を警察へ届け、持ち主が現れなかったため、法律に従って所有権を取得したということである。その先にある「金の出所」については、今なお昭和史の謎として残されている。

一億円拾得事件が残したもの

一億円拾得事件は、犯罪によって金が奪われた事件ではない。それでも、巨大な現金が街中に置かれ、持ち主が最後まで現れなかったことから、多くの疑惑と憶測を呼んだ。同時に、拾った人が正直に届け出たにもかかわらず、住所や生活が広く知られ、脅迫まで受けたことは、報道とプライバシーの問題も浮き彫りにしている。

幸運に見える出来事が、本当にその人を幸せにするとは限らない。大貫さんが拾ったのは1億円だった。しかし、その瞬間から背負うことになったものは、金額だけでは測れないほど大きかったの可能性がある。

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