悪魔の詩訳者殺人事件|O型血液と27.5cmの足跡を残し、2006年に時効成立

公開日 2026年6月25日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1991年
都道府県
茨城県
事件分類
未解決事件 / 殺人事件
事件状況
未解決

1991年7月12日朝、茨城県つくば市の筑波大学人文社会学系A棟7階で、助教授の五十嵐一さん(当時44歳)が死亡しているのを清掃員が発見した。五十嵐さんは頸部の致命傷を含め、全身十数か所を刃物で刺されていた。現場には五十嵐さんとは異なるO型の血液と、犯人のものとみられる27.5センチのカンフーシューズ風の足跡が残されていた。

五十嵐さんは、サルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』日本語版の翻訳者だった。作品をめぐって国際的な脅迫や襲撃が起きていたため、茨城県警は翻訳との関係を含む国際テロの可能性も捜査した。しかし、犯人も実行動機も特定できないまま15年が経過し、2006年7月11日午前0時に殺人罪の公訴時効が成立した。

発見1991年7月12日朝
場所筑波大学 人文社会学系A棟7階エレベーターホール
被害者五十嵐一さん(44歳、筑波大学助教授)
被害頸部の致命傷を含む全身十数か所の刺創
現場の血液五十嵐さんとは異なるO型
足跡カンフーシューズ風、27.5センチ
著作との関係『悪魔の詩』日本語版翻訳者
捜査国際テロ説・怨恨など複数の可能性を捜査
公訴時効2006年7月11日午前0時に成立
現在犯人未特定。殺人罪で起訴することはできない

7月11日夜から12日朝まで、大学構内で何が起きたのか

筑波大学新聞は、五十嵐さんが7月12日朝、人文社会学系A棟7階のエレベーターホールで発見されたと記録している。事件が起きたのは前夜から朝までの時間帯とみられたが、犯行時刻を直接確認した目撃者は公表されなかった。

大学の研究棟という限られた空間で起きた事件でありながら、捜査は難航した。筑波大学新聞は、当時が夏休みに近い時期で学内の人が少なく、目撃情報が乏しかったことを捜査が難しくなった要因として挙げている。

頸部の切り傷と全身十数か所の刺創

筑波大学新聞の2006年特集では、首には鋭利な刃物で大きく切られた傷があり、腹部の刺創のうち複数は背中側まで達する深さだったと当時の関係者が証言している。

五十嵐さんの黒いかばんには、刃物を受け止めたような痕跡も残っていた。無抵抗のまま一方的に襲われたというより、攻撃から身を守ろうとした状況があったことを示す資料として捜査された。

五十嵐さんには全身十数か所の刺し傷があり、頸部には致命傷となった切り傷があった。単一の傷で偶発的に死亡したのではなく、刃物による複数回の攻撃を受けた殺人事件として捜査された。

凶器そのものが発見され、特定の人物へ結びついたとの公表はない。犯行方法を細部まで再現できる証拠は残ったものの、誰が刃物を持ち込み、どの経路で建物へ入り、事件後にどこへ逃げたのかは解明されなかった。

現場には被害者と異なるO型の血液

筑波大学新聞が2006年に振り返った記事では、現場から五十嵐さんとは異なるO型の血液が見つかったとされる。犯人が事件の際に負傷し、自分の血液を残した可能性が捜査された。

現在ならDNA型の分析や全国的なデータ照合が捜査の大きな手掛かりになるが、事件発生は1991年。日本でDNA型鑑定が本格的に導入され始めた時期と重なり、現代と同じ精度・運用で証拠を照合できる環境ではなかった。

27.5センチのカンフーシューズ風の足跡

大学新聞は、血の付いた足跡が中国製のカンフーシューズと判明したとも報じている。事件後、犯人はエレベーターで4階付近まで降り、屋外へ通じる非常階段を使って逃走したと捜査された。

建物内の移動経路が一定程度推定できても、その非常階段を普段から知っていた人物なのか、事件前に下見したのかまでは確定しなかった。元検事で当時筑波大学にいた土本武司名誉教授は、待ち伏せや生活パターンの把握を疑う見方を同紙に語っているが、これは関係者の分析であり警察による確定認定ではない。

もう一つの具体的な遺留情報が、27.5センチのカンフーシューズのような履物の跡だった。大学新聞は、犯人のものとみられる足跡として捜査されたと記している。

靴の大きさや形状だけでは個人を特定できない。販売地域、購入者、使用歴など別の情報と結びついて初めて人物へ近づけるが、そのような裏付けによって容疑者を絞り込んだとの公式発表はない。

五十嵐さんはイスラーム思想を研究し、『悪魔の詩』を翻訳した

五十嵐さんはイスラーム思想やイラン文化を研究する学者で、国立国会図書館には『イラン体験』『神秘主義のエクリチュール』など多数の著作が残る。1990年にはラシュディの『悪魔の詩』上巻・下巻の日本語訳を刊行した。

『悪魔の詩』は宗教表現をめぐって世界的な論争となっていた。1989年、イラン最高指導者ホメイニーが著者や出版関係者に対する死刑宣告と受け取られるファトワーを出し、各国の出版・翻訳関係者が脅迫や襲撃を受ける状況が続いていた。

日本語版出版の前後にも抗議と暴力事件

日本エネルギー経済研究所の資料によると、日本語版上巻は1990年初め、下巻は同年9月に出版された。出版に反対する抗議活動が行われ、出版関係者の記者会見でも暴力事件が起きている。

五十嵐さんの殺害直前には、イタリア語版翻訳者も襲撃されていた。こうした国際的な状況から、五十嵐さんの死が翻訳と無関係とは考えにくいという見方が生まれたが、事件との具体的な指示系統や実行者が立証されたわけではない。

つくば中央署は国際テロの可能性も重視した

筑波大学新聞は、捜査本部が置かれたつくば中央署が、イスラームをめぐる国際テロの疑いを強くみて捜査したと振り返っている。海外の宗教・政治情勢まで視野に入れた捜査が行われた。

一方で、同紙は五十嵐さんへの個人的な怨恨による犯行説など、別の可能性も存在したと記す。捜査機関が国際テロを重視したことと、国際テロが司法上確定したことは同じではない。

『翻訳への報復』は有力説でも、確定事実ではない

事件名から、五十嵐さんが『悪魔の詩』を訳したため殺害されたと断定されることがある。しかし、犯人が逮捕されず、起訴も裁判も行われていない以上、殺害動機を認定した刑事判決は存在しない。

国際情勢と時期の近さ、海外の翻訳関係者への襲撃は重要な背景である。それでも、実行者が誰で、どの組織や人物から指示を受けたのか、翻訳とは別の動機だったのかは、最終的に証明されなかった。

100人体制で捜査しても、容疑者を絞れなかった

捜査開始時には怨恨、男女関係、物取りなど国内の通常事件として想定できる動機も調べられた。その後、『悪魔の詩』をめぐる国際情勢が重視され、海外との関係も含む広い捜査へ移っていった。

五十嵐さんは当時、家族の住む東京を離れてつくばで単身生活をしていた。勤務先での研究・教育、人間関係、日々の行動を知る人物への聴取が重ねられたが、現場資料と特定人物を結ぶ決め手は得られなかった。

筑波大学新聞の2006年特集は「100人体制での捜査」と伝えている。事件直後から多数の捜査員が投入され、遺留血液、足跡、学内外の人間関係、海外との関係が調べられた。

それでも、犯人を起訴できる証拠には到達しなかった。大学構内の事件でありながら目撃情報が少なかったこと、動機の範囲が国内外へ広がったこと、当時の科学捜査技術の限界などが重なった。

2004年に時効が25年へ延長されても、本件は15年のままだった

殺人罪の公訴時効は2004年の法改正で15年から25年へ延長された。しかし法務省資料の経過規定は、改正法施行前に犯された犯罪について従来の時効期間を適用するとしていた。1991年発生の本件はこのため15年で進行した。

その結果、2006年7月に時効成立の時期を迎えた。2010年には殺人罪の公訴時効そのものが廃止されたが、既に完成した時効を後から消す制度にはならなかった。

2006年7月11日午前0時、15年の公訴時効が成立

事件当時、死刑に当たる殺人罪の公訴時効は15年だった。筑波大学新聞は、2006年7月11日午前0時に本件の公訴時効が成立したと記録している。

時効成立時点でも犯人は特定されていなかった。2006年7月に開かれた回想会で、妻の雅子さんは、時効を機に事件が再び報道され、事件を知る人が増えることが真相解明につながればとの期待を語った。

2010年の殺人罪時効廃止でも、本件は復活しない

2010年4月、刑事訴訟法が改正され、殺人など人を死亡させた罪で死刑に当たる犯罪の公訴時効は廃止された。現在なら殺人事件は年月の経過だけで起訴できなくなることはない。

ただし法務省の経過規定は、改正法施行時にすでに公訴時効が完成している事件には新制度を適用しないとしている。本件は2006年に時効が成立しているため、2010年改正で再び殺人罪として起訴できる状態には戻らなかった。

時効成立時にも『海外逃亡なら時効停止』を視野に捜査が続いた

筑波大学新聞は2006年、犯人が海外へ逃亡していた場合、その海外滞在期間は公訴時効の進行が停止する可能性があるため、警察は時効到来後も捜査を続ける方針だと報じた。

これは、7月11日という日付を過ぎた瞬間に事件資料が廃棄されたという意味ではない。犯人の所在履歴によって法律上の時効計算が変わる可能性が残っていたため、捜査機関はその点も含めて確認を続けた。最終的に犯人を起訴する手続には至っていない。

妻・雅子さんは『翻訳は研究の一部に過ぎない』と語った

2006年の大学新聞で妻の雅子さんは、警察は可能な限り捜査してくれたと思うと述べたうえで、『悪魔の詩』の翻訳は夫の研究の一部に過ぎず、もっと仕事で活躍できたはずだったとの思いを語っている。

五十嵐さんは語学に堪能で、研究だけでなく学生と舞台や音楽活動にも関わっていたと大学関係者は振り返った。事件を『一冊の本を訳した人物が殺された』という説明だけに縮めると、被害者が研究者・教育者として積み重ねていた生活が抜け落ちる。

犯人が判明しても、殺人罪で裁くことはできない

公訴時効が完成した事件では、その後に犯人とみられる人物が判明しても、時効が成立した殺人罪で新たに起訴することはできない。警察が事件資料を保存し、情報を検討することと、刑事裁判へ進めることは別である。

五十嵐さんの事件は、現場に犯人のものとみられる血液と足跡が残りながら、人物特定に至らなかった。国際テロ説が強く報じられた一方、法的には犯人も動機も確定しないまま時効を迎えた未解決殺人事件として残っている。

参考資料・出典

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