悪魔の詩訳者殺人事件|五十嵐一さんが筑波大学で刺殺された未解決事件

公開日 2026年6月25日
最終更新 2026年7月31日

悪魔の詩訳者殺人事件は、1991年7月、茨城県つくば市の筑波大学構内で、同大学助教授の五十嵐一さん(当時44歳)が何者かに刃物で殺害された未解決事件である。事件は未解決のまま、2006年7月11日に公訴時効が成立した。現在でも実行犯や動機は明らかになっておらず、表現の自由と宗教をめぐる問題を象徴する事件として語り継がれている。

POINT
この記事でわかること
  • 五十嵐一さんが筑波大学構内で殺害された経緯
  • 『悪魔の詩』の翻訳が国際的な問題となった背景
  • 遺体発見時の状況と現場に残された手掛かり
  • 宗教的動機や国際テロの可能性が疑われた理由
  • 警察が犯人を特定できなかった捜査上の問題
  • 2006年の公訴時効成立と現在の状況
項目内容
一般的な呼称悪魔の詩訳者殺人事件、五十嵐一筑波大学助教授殺害事件
殺害された時期1991年7月11日夜から12日未明ごろ
遺体発見1991年7月12日朝
発生場所茨城県つくば市の筑波大学筑波キャンパス
被害者五十嵐一さん(当時44歳)
当時の職業筑波大学助教授、イスラム研究者
主な著作・翻訳サルマン・ラシュディ著『悪魔の詩』の日本語訳
犯行方法首や胸、腹などを鋭利な刃物で切りつけ、刺す
逮捕・起訴なし
公訴時効2006年7月11日に成立
現在犯人・動機ともに不明の未解決事件

五十嵐一さんはイスラム思想を研究する大学教員だった

五十嵐一さんは、イスラム思想や中東文化を研究していた学者である。事件当時は筑波大学助教授として教壇に立ち、ペルシア語やイスラム哲学に関する研究を続けていた。翻訳や評論も数多く手がけ、語学だけでなく、音楽や数学にも関心を持つ多才な人物だったと伝えられている。

五十嵐さんの名前が広く知られるようになったのは、サルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を日本語へ翻訳したことがきっかけだった。作品は1988年に英国で刊行されましたが、イスラム教の預言者や教義を侮辱していると受け止められ、各国で激しい反発が起く。文学作品の翻訳が、やがて五十嵐さん自身の安全と結びつく重大な問題へ変わっていった。

『悪魔の詩』をめぐって何が起きていたのか

『悪魔の詩』は、インド出身の英国人作家サルマン・ラシュディが発表した長編小説である。物語の一部がイスラム教の預言者ムハンマドや聖典を連想させるとして、世界各地のイスラム教徒から強い批判を受けた。1989年2月には、イランの最高指導者だったホメイニ師が、ラシュディや出版に関わった人物に対する死刑を求める宗教的見解を示す。

その後、ラシュディは警護下で生活するようになり、各国の翻訳者や出版社関係者にも脅迫や襲撃が相次いだ。日本では1990年に五十嵐さんの翻訳による日本語版が出版されている。五十嵐さんは翻訳について、イスラム文化を理解するためにも作品を読み、議論する必要があるという立場だったとされている。

1991年7月12日、筑波大学の研究棟で遺体を発見

1991年7月12日午前、筑波大学筑波キャンパスの人文・社会学系A棟7階で、男性が倒れているのが発見された。倒れていたのは五十嵐一さんだった。現場はエレベーターホール付近で、周囲には大量の血が残されていた。通報を受けて警察や救急隊が駆けつけましたが、すでに死亡していたとされている。

大学の建物内で教員が殺害されるという異常な事態に、キャンパスは大きな混乱に包まれた。前日まで研究や教育に携わっていた人物が、翌朝には学内で遺体となって見つかる。学生や同僚にとって、現実とは思えない出来事だったでしょう。

首や胸、腹に残された深い刃物傷

五十嵐さんの遺体には、首の左右や胸、腹などに複数の刃物傷があった。首の傷は頸動脈に達するほど深く、胸や腹の傷の一部は内臓まで達していたとされている。傷の数や深さから、犯人には強い殺意があったことがうかがえる。偶発的な口論の末に一度刺したというより、確実に命を奪おうとした犯行とみられた。

司法解剖の結果、殺害時刻は7月11日午後10時ごろから翌12日午前2時ごろと推定されている。夜間の大学構内は昼間より人が少なく、犯人は周囲に目撃されにくい時間帯を選んだ可能性がある。

研究室ではなくエレベーターホールで襲われた

五十嵐さんが倒れていたのは、自身の研究室内ではなく、7階のエレベーターホール付近だった。犯人が研究室を訪ねて五十嵐さんを外へ呼び出したのか、廊下で待ち伏せしていたのか、それとも偶然出会ったのかは分かっていない。大学関係者でなければ、夜間に研究棟へ入り、五十嵐さんの研究室がある階まで迷わず移動することは簡単ではなかったとも考えられる。

一方、当時の大学施設は現在ほど入退館管理が厳格ではなく、外部の人物が構内へ入ることも不可能ではなかった。犯人が大学内部の事情を知る人物だったのか、外部から五十嵐さんを狙って侵入したのかは、捜査上の大きな焦点となった。

現場に残された血痕と足跡

現場では、五十嵐さんのものとは異なる血液型の血痕が見つかったとされている。この血痕が犯人のものであれば、犯行中に刃物で自分の手などを傷つけた可能性がある。また、現場付近からは、靴底に特徴のある足跡も採取された。報道では、カンフーシューズに似た靴の跡だったとされている。

警察は血痕や足跡を重要な証拠として分析しましたが、当時は現在ほどDNA型鑑定の技術やデータベースが整っていなかった。血液や足跡が残っていても、比較する対象となる人物が浮上しなければ、犯人の身元にはたどり着けない。結果として、現場の物証は犯人を特定する決定打にはならなかった。

犯人は階段を使って逃走した可能性

犯人は犯行後、エレベーターを使わず、階段を通って建物から逃げた可能性が指摘されている。エレベーターを使えば、別の階で人と鉢合わせる危険がある。血の付いた衣服や刃物を持っていたとすれば、狭い箱の中で目撃されることは避けたかったはずである。建物の構造を把握し、利用者が少ない経路を選んで逃げたのであれば、犯人が事前に現場を調べていた可能性もある。

ただし、逃走経路の全体が確定したわけではない。大学の外へ出た後、車を使ったのか、徒歩で移動したのかも分かっていない。

宗教的報復や国際テロの可能性を捜査

事件発覚後、最も注目されたのが、『悪魔の詩』の翻訳と殺害の関係だった。五十嵐さんが殺害される直前の1991年7月3日には、イタリア語版の翻訳者が自宅で刃物による襲撃を受けている。さらに後年には、ノルウェーの出版関係者も銃撃された。いずれも『悪魔の詩』の出版に関与した人物である。

こうした国際的な状況から、茨城県警は宗教的な報復や国際テロ組織による犯行も視野に入れて捜査した。しかし、事件に関与した組織や実行犯を示す声明は確認されず、特定の国や宗教団体の関与を裏付ける証拠も公表されていない。『悪魔の詩』との関係は有力な動機の一つとみられましたが、裁判や確定した捜査結果によって証明されたわけではない。

大学関係者や私的なトラブルの可能性も調べられた

警察は宗教的動機だけに絞らず、五十嵐さんの研究活動や交友関係、大学内部の人間関係も調べた。夜間の研究棟へ自然に入り、五十嵐さんの居場所を把握できた人物として、大学関係者が関与した可能性も否定できなかったためである。研究上の対立、私生活上の問題、金銭や人間関係のトラブルなど、一般的な殺人事件で考えられる動機も捜査対象になった。

それでも、五十嵐さんを殺害するほど強い恨みを持つ人物は特定されなかった。宗教的報復説にも、大学関係者説にも、決定的な証拠がない。捜査は複数の可能性を追い続けながら、次第に行き詰まっていく。

イスラム教徒による犯行と断定してはいけない理由

事件は『悪魔の詩』と強く結びつけて報道されたため、「イスラム教徒による犯行」と断定するような言説も広がった。しかし、イスラム教には多様な考え方や宗派があり、世界中のイスラム教徒が作品への暴力的な報復を支持していたわけではない。事件で宗教的動機が疑われたことと、特定の宗教を信仰する人々全体を犯行と結びつけることは別の問題である。

実行犯も組織的な背景も判明していない以上、宗教や国籍を根拠に犯人像を決めつけることはできない。正確に整理できるのは、五十嵐さんが『悪魔の詩』の翻訳者であり、その出版をめぐって国際的な脅迫や襲撃が起きていたため、警察が関連を捜査したという点である。

捜査はなぜ犯人へたどり着けなかったのか

事件当時、筑波大学のキャンパスには現在のような高性能の防犯カメラや電子的な入退館記録が十分に整備されていなかった。夜間に建物へ入った人物の姿や、車両の出入りを映像でさかのぼることは難しく、犯人がいつ、どこから侵入したのかを確定できなかった。また、犯人が海外から一時的に日本へ入り、事件後に出国した人物だった場合、国内の交友関係や犯罪歴を調べても浮上しにくくなる。

現場には血痕や足跡が残されていたものの、当時の鑑定技術では個人を特定する力に限界があった。犯人の目撃情報、凶器、逃走に使われた車両なども特定されず、捜査は長期化する。動機として考えられる事情は世界規模で存在した一方、実行犯を示す証拠は極めて少なかったことが、事件解明を難しくした。

遺族は事件の風化を防ぐ活動を続けた

五十嵐さんの死後、遺族や友人、研究者たちは、命日を前後して回想会を開くなど、事件を忘れないための活動を続けた。遺族にとって、夫や父親がなぜ殺されたのか分からない状態が続くことは、深い苦しみだったはずである。犯人が逮捕されれば、動機や計画、事件当日の行動が裁判で明らかになる可能性がある。しかし、この事件ではその機会さえ訪れなかった。

五十嵐さんの研究や人物像を語り継ぐことは、事件の被害者を「翻訳者」という肩書だけで終わらせないための営みでもあった。一人の研究者が積み重ねてきた仕事や家族との生活は、犯人の刃によって突然断ち切られている。

2006年7月11日に公訴時効が成立

事件当時、殺人罪の公訴時効は15年だった。警察は長期間にわたって捜査を続けましたが、逮捕状を請求できる人物は浮上しなかった。その結果、殺害から15年となる2006年7月11日、公訴時効が成立している。

現在は法改正によって殺人罪の公訴時効が廃止されている。しかし、この事件では法改正前に時効が完成していたため、新しい制度をさかのぼって適用することはできない。仮に今後、実行犯の身元が判明したとしても、五十嵐さん殺害について日本の刑事裁判で起訴することはできない状態である。

犯人が特定されないまま、司法によって真相を明らかにする道は閉ざされた。

2022年には原作者サルマン・ラシュディも襲撃された

五十嵐さんの事件から31年後の2022年8月、原作者のサルマン・ラシュディも米国で講演中に襲撃された。ラシュディは壇上で刃物による攻撃を受け、重傷を負った。命は取り留めたものの、視力や身体機能に深刻な影響が残ったと報じられている。この襲撃によって、『悪魔の詩』をめぐる脅威が長期間にわたって続いていたことが、改めて世界へ示された。

ただし、2022年の事件と五十嵐さん殺害事件の間に、同じ人物や組織が関与したことを示す証拠は確認されていない。それぞれの事件は、確認された証拠に基づいて分けて考える必要がある。

現在でも犯人と動機は不明

現在も、悪魔の詩訳者殺人事件の実行犯が判明したとの公表はない。

  • 被害者:五十嵐一さん(当時44歳)
  • 遺体発見:1991年7月12日朝
  • 現場:筑波大学人文・社会学系A棟7階
  • 犯行方法:鋭利な刃物による複数の刺傷・切創
  • 逮捕者:なし
  • 犯行声明:確認されていない
  • 宗教的動機:疑われたが立証されていない
  • 公訴時効:2006年7月11日に成立
  • 現在の状況:犯人不明の未解決事件

国際的な宗教対立を背景とする犯行だったのか、大学内の事情を知る人物による犯行だったのか。それとも、まったく別の私的な動機があったのでしょうか。犯人が五十嵐さんの行動をどこまで把握し、どのように大学へ侵入したのかも分かっていない。確実に残されているのは、五十嵐一さんが大学構内で何者かに殺害され、その人物が一度も裁かれなかったという事実である。

事件が残した表現の自由と暴力の問題

『悪魔の詩』には、作品内容を不快に感じた人や、信仰を傷つけられたと受け止めた人がった。文学や宗教をめぐる議論では、批判や抗議が起きることはある。出版の是非を問うことも、作品を読まない選択をすることも自由である。しかし、意見や信仰の違いを理由に、人の命を奪うことは正当化できない。

翻訳者は、必ずしも作品内のすべての表現へ賛同しているわけではない。異なる言語で作品を読めるようにすること自体が、翻訳者の仕事である。言葉に対して言葉で応じるのではなく、暴力によって沈黙させる行為は、学問や出版、表現の自由そのものを脅かする。悪魔の詩訳者殺人事件は、一人の研究者が殺害された未解決事件であると同時に、異なる思想や信仰とどのように向き合うべきかを問い続ける事件でもある。

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