2017年、積水ハウスは東京都品川区西五反田の旧旅館「海喜館」の土地を取得しようとし、所有者になりすました地面師グループとの取引に入った。会社が支払った売買代金は総額63億819万3309円。土地の所有権を取得できず、最終的に約55億5900万円を特別損失として計上する巨額詐欺事件となった。
事件の特徴は、偽造された本人確認書類だけではない。契約後、積水ハウス社内には「売主が偽物ではないか」と疑わせる複数の情報が届き、近隣住民への聞き取りでも写真の女性を真の所有者ではないとする回答が出ていた。それでも取引は止まらず、法務局が登記申請を却下する段階まで進んだ。
| 事件 | 積水ハウス地面師詐欺事件 |
|---|---|
| 対象不動産 | 東京都品川区西五反田・旧旅館「海喜館」 |
| 取引時期 | 2017年4月〜6月 |
| 支払総額 | 63億819万3309円 |
| 計上損失 | 約55億5900万円 |
| 刑事事件 | 地面師グループ10人が起訴、東京地裁で全員に有罪判決 |
| 主要被告 | 内田マイク 懲役12年、土井淑雄 懲役11年、カミンスカス操 懲役11年が確定と報道 |
| 民事 | 2024年11月、争った5人に計10億円の賠償命令 |
五反田駅近くの旧旅館「海喜館」をめぐる取引
対象となったのは、JR五反田駅に近い西五反田の土地だった。積水ハウスは分譲マンション用地として取得を進め、仲介者を介して、土地所有者を名乗る女性との売買を前提に交渉した。実際にはその女性は真の所有者ではなく、地面師側が用意した「なりすまし役」だった。
総括検証報告書によれば、積水ハウスは真の所有者から直接買うのではなく、第三者を介して取得する形を取った。所有者本人が現地に居住していない不在地主の物件で、金融機関の担保権も設定されていなかったため、本来は通常以上に慎重な本人確認が求められる取引だったと委員会は分析している。
本人確認書類がそろっていても「本人」ではなかった
取引ではパスポートなどの本人確認資料や、弁護士が作成した本人確認情報が使われた。形式上は取引に必要な書類がそろい、司法書士も契約締結まで重大な疑問を示さなかったとされる。だが、書類が整っていることと、目の前の人物が本当の所有者であることは同じではなかった。
総括検証委員会は、積水ハウスが2017年4月24日の売買契約までに行った確認について、一般的な取引なら一通りの手続をしていたとしつつ、この物件特有の危険性に応じた慎重な確認が不足していたと結論づけた。売主役の女性との面談は契約前に1回で、周辺への聞き込みも行われていなかった。
4月24日に契約、その後も取引を急いだ
積水ハウスは4月24日に売買契約を締結し、仮登記などを進めた。希少性の高い土地を確保する意識が強く、社内では契約を成立させて決済まで進めることが優先された。
後の検証報告書は、現場部門だけの失敗とは整理していない。東京マンション事業部をチェックする事業本部、本社の不動産部、法務部、経営企画部、経理財務部も、取引の特性に応じた審査を十分に行ったとは認められないと指摘した。
高額案件では通常、複数部署が確認することで一担当者の見落としを補うことが期待される。ところが本件では、各部署がそれぞれ前段階の確認を前提に処理を進め、所有者本人かという最も根本的な疑問を独立して止める機能が弱かった。2020年報告書は、物件を他社に奪われないよう取得を急ぐ姿勢が、追加確認を促す方向ではなく取引推進へ働いたと分析している。
契約後、社内に「売主が偽物」という情報が届く
契約後になると、取引の真正性に疑いを生じさせる情報が複数入った。真の所有者側とみられる関係者から取引停止を求める情報が届き、積水ハウスの複数部署がリスクを認識する機会があった。
しかし社内では、それらを地面師詐欺の警告ではなく、取引を妨害する第三者による嫌がらせの可能性が高いとみる判断が強まった。2018年と2020年の社内検証では、この段階で情報共有と牽制機能が十分に働かなかったことが問題として挙げられている。
取引に反対する連絡が虚偽である可能性は確かにあり、警告が届いただけで直ちに詐欺だと断定できるわけではない。問題は、警告の真偽を独立して確認し切る前に「嫌がらせ」と評価し、決済延期という選択肢を十分に検討しなかった点にある。検証委員会は、決済実務の担当者が所有権移転登記を完了させることに専心し、疑念を生じさせる複数の事象を解明しないまま進めたと指摘した。
近隣住民は写真の女性を「本人ではない」と答えた
決済日の2017年6月1日、積水ハウス側は売主役の女性の写真を使い、物件周辺の住民に本人確認の聞き取りを行った。総括検証報告書によれば、古くから近隣で営業する住民と町会長は、写真の人物が本当の所有者であることを否定した。
一方で、別の近隣ビル管理人は写真の人物が物件に出入りし、掃除しているのを見たことがあると答えた。この相反する情報の中で、社内では偽物だと強く疑うところまで至らず、すでに登記申請が受け付けられていることなどを理由に取引継続へ傾いた。
さらに積水ハウス側は、売主役の女性本人を連れてパスポートの真正確認などを行うことも検討した。6月2日と6日に都内ホテルで面会しようとしたが、女性は約束の場所に現れなかった。本人確認を強化する動きは決済後に始まっており、取引を止めるには遅い段階だった。
法務局には「不正登記防止申出」が出ていた
真の所有者の親族は5月9日、東京法務局に不正登記防止申出をしていた。法務局が実体調査を行うと、登記申請に添付された国民健康保険被保険者証の写しが偽造されたものと判明した。
総括検証報告書は、申請書類が形式的には整っていたため、この申出がなければ偽造に気付かず登記移転が行われた可能性もあったと記している。6月6日、法務局は積水ハウス側へ登記申請を却下する方針を伝え、6月9日に正式な却下通知が届いた。
6月6日に却下方針を知らされた直後、積水ハウスの担当者は売主役の女性を探し、関係口座の凍結にも動いた。6月7日には中間会社側へ6億5000万円の返金を求めたが、すでに債務返済に回したとの回答があり、会社口座の残高はほとんど残っていなかったと報告書に記されている。詐欺に気付いた時には、資金の大半が移動した後だった。
63億819万3309円を支払い、約55億5900万円を失う
積水ハウスが地面師グループ側との取引で支払った売買代金は、総括検証報告書で63億819万3309円とされている。そのすべてが最終損失になったわけではないが、回収可能額などを差し引き、2018年1月期の連結計算書類では55億5900万円を特別損失として計上した。
「約63億円の被害」と「約55億円の被害」という二つの数字が報道で使われるのは、この違いによる。前者は実際に支払った総額に近い数字、後者は積水ハウスが会計上認識した実質的な損失額である。
発覚後、刑事告訴と資金回収へ
6月6日に登記申請却下の方針を知らされた後、積水ハウスは関係口座の凍結など被害回復の措置を始めた。6月9日には警察への被害届提出を試み、その後に刑事告訴。9月15日、警視庁捜査2課が偽造公文書行使、偽造私文書行使、詐欺について告訴を受理した。
事件は組織的な地面師詐欺として捜査され、積水ハウスの2020年報告書によれば10人が起訴された。2019年10月から2020年6月までに東京地裁で10人全員に有罪判決が言い渡され、当時6人は確定、4人が控訴中だった。
刑事裁判では、10人を一括して「同じ役割の犯人」と扱ったわけではない。所有者になりすます人物を用意する、積水ハウスとの面談や契約を進める、偽造書類を使う、代金の分配に関わるなど、各被告が詐欺計画のどの部分を知り、担ったかが個別に審理された。主要メンバーに長期実刑が確定したのは、巨額被害だけでなく組織的な役割が認定されたためである。
主要メンバーには懲役11〜12年の実刑が確定
その後の刑事裁判では、内田マイクに懲役12年、土井淑雄に懲役11年、カミンスカス操に懲役11年が確定したと報じられている。カミンスカスは現在も自らの犯意を否定する主張を続けているが、刑事手続上は有罪判決が確定し服役中である。
地面師事件では役割が細分化される。所有者になりすます人物、偽造書類を準備する者、仲介を装う者、交渉を進める者などが組み合わさることで、買主側には通常の不動産取引に見える外形が作られた。
2024年、民事でも5人に計10億円の賠償命令
積水ハウスは刑事事件とは別に、起訴された地面師グループ10人へ損害賠償を求めた。2024年11月27日、東京地裁は訴訟を争っていたカミンスカス操ら5人に対し、請求通り合わせて10億円を支払うよう命じた。
ほかの5人については、積水ハウス側の請求を認めたため、すでに支払いを命じる判断が出ていたと報じられている。10億円は約55億5900万円の損失全額ではなく、積水ハウスが民事訴訟で請求した一部額である。
事件後の検証が示した「書類だけでは防げない」リスク
積水ハウスの検証委員会は、本人確認の不足だけでなく、契約後に現れた複数の疑念を解消しないまま決済したこと、現場を牽制する部署が十分に機能しなかったこと、リスク情報の共有が弱かったことを原因として挙げた。
この事件は、巧妙な偽造書類を用いた詐欺としてだけでなく、大企業の内部で警告情報が届いても取引を止められなかった事例として重い意味を持つ。刑事裁判で実行者側の責任が問われる一方、積水ハウス自身も公表した調査報告書で意思決定と内部統制の問題を検証し、再発防止策へつなげた。
参考資料・出典
- 積水ハウス「分譲マンション用地の取引事故に関する経緯概要等のご報告」
- 積水ハウス「分譲マンション用地の取引事故に関する総括検証報告書」
- FNNプライムオンライン「地面師事件で5人に10億円賠償命令」
- 日刊ゲンダイDIGITAL「積水ハウス地面師詐欺事件」
関連事件
この事件に関連するテーマから、書籍・資料をまとめて確認できます。
