練馬一家5人殺害事件|競売物件の明渡しをめぐり一家5人を殺害、朝倉幸治郎に死刑

公開日 2026年6月15日
最終更新 2026年8月28日
カテゴリー 1980年代 大量殺人事件 死刑

事件ステータス

発生年月日
1983年
都道府県
東京都
事件分類
大量殺人事件
司法状況
確定
最終刑・処分
死刑

1983年6月27日、東京都練馬区大泉学園町の住宅で、夫婦と幼い子ども3人の計5人が殺害された。家族のうち長女は林間学校で不在だったため難を逃れた。逮捕されたのは、競売で土地と建物を取得し、明渡しを求めていた不動産業者の朝倉幸治郎だった。

朝倉は約1億円を投じて物件を取得し、別の業者へ転売する契約も結んでいたが、居住していた一家との明渡し交渉が進まなかった。引渡し期限を前に資金面で追い込まれ、住宅にいた5人を殺害した。裁判では責任能力が争われたが、一審・控訴審・最高裁はいずれも完全責任能力を認定。死刑は1996年に確定し、2001年12月27日に執行された。

事件名練馬一家5人殺害事件
発生日1983年6月27日
発生場所東京都練馬区大泉学園町
被害夫婦と子ども3人の計5人が死亡
被告人朝倉幸治郎(事件当時48歳)
一審1985年12月20日、東京地裁・死刑
控訴審1990年1月23日、東京高裁・控訴棄却
上告審1996年11月14日、最高裁第一小法廷・上告棄却
死刑執行2001年12月27日、東京拘置所

競売に出た大泉学園町の土地と住宅

事件現場の土地と住宅は、被害一家の親族が所有していたが、債務を背景に東京地裁の競売へかけられた。朝倉は1983年2月、この物件を落札して所有権を取得した。

朝倉は不動産取引を仕事としており、取得した物件を転売して利益を得る予定だった。4月には別の業者と売買契約を結び、6月末までの引渡しを予定したが、住宅には一家が住み続けていた。

一度は明渡しの話が進み、再び行き詰まった

朝倉は一家に退去を求め、明渡しをめぐる民事上の手続も進めた。一時は転居の話がまとまる方向へ進んだため、朝倉は訴えを取り下げたとされる。

ところが、その後も明渡しは実現しなかった。転売先へ期限どおり引き渡せなければ違約金の負担が生じる契約があり、物件取得へ投じた資金も回収できない。朝倉は期限が近づくにつれて強い焦りを募らせた。

物件の明渡しを進めるため、家族そのものを排除しようとした

朝倉は交渉や法的手続を継続する代わりに、住宅に住む一家を殺害すれば物件を自由に処分できると考えるようになった。事件前には複数の道具を準備し、現場へ持ち込んだ。

裁判所は、犯行が口論の末に突然始まったものではなく、転売契約を履行し経済的損失を避けるために準備されたと認定した。被害者の子どもたちは不動産取引とは無関係だったが、犯行を目撃する存在として殺害対象にされた。

6月27日昼、住宅内にいた家族を順に襲う

朝倉は6月27日、顔見知りとして被害者宅へ入り、まず住宅内にいた母親を襲った。その後、幼い子どもたちを次々に殺害した。

夕方から夜にかけて帰宅した家族も襲われ、最終的に父親、母親、子ども3人の計5人が死亡した。犯行方法は一つではなく、殴打や絞頸など複数の方法が用いられた。

林間学校へ行っていた長女だけが家にいなかった

一家には事件当日に自宅を離れていた長女がいた。長女は学校行事の林間学校へ参加しており、住宅にいなかったため被害を免れた。

朝倉は一家5人を殺害したが、家族全員が死亡したわけではない。事件後、長女は両親ときょうだい3人を一度に失うことになった。この被害結果は裁判の量刑判断でも重く扱われた。

遺体を損壊し、処分しようとした

朝倉は殺害後、遺体をそのまま残さず、一部を損壊した。住宅を処分・引き渡すためには、住人が死亡した事実と遺体を隠す必要があると考えたとされる。

しかし犯行を完全に隠すことはできなかった。近隣から不審な状況を知らせる連絡があり、警察官が現場周辺で朝倉を確認した。捜査によって住宅内の異常と一家の死亡が明らかになった。

不動産取引の記録が朝倉と一家を直接結んだ

朝倉は見知らぬ侵入者ではなく、競売物件の取得者として一家と何度も交渉していた。土地・建物の登記、競売記録、転売契約、明渡しをめぐるやり取りが残っており、被害者との接点は明確だった。

事件直前には引渡し期限が迫っていた。捜査では朝倉が用意した道具、現場の痕跡、犯行後の行動などが調べられ、金銭上の動機と殺害行為が結び付けられた。

起訴事実を認め、裁判では責任能力が中心争点に

朝倉は1983年7月に殺人、死体損壊などの罪で起訴された。同年10月に始まった公判では起訴事実を認め、遺族へ謝罪した。

弁護側が大きく争ったのは、犯行当時の精神状態だった。長期化した明渡し問題と経済的圧迫により、朝倉が正常な判断能力を失っていたとして、責任能力の程度が審理された。

精神鑑定は完全な責任能力を否定しなかった

東京地裁は精神鑑定を実施した。鑑定では、朝倉が犯行前に強い精神的緊張を抱えていたことは認められたが、重大な精神病によって現実認識や行動制御能力が失われていたとは評価されなかった。

裁判所は、凶器類の準備、家族の帰宅を待つ行動、犯行後の遺体処理など、目的に沿って行動していることも重視した。心神喪失や心神耗弱は認められず、完全責任能力があると判断された。

1985年、東京地裁が死刑判決

東京地裁は1985年12月20日、朝倉に死刑を言い渡した。被害者が5人に及び、そのうち3人が幼い子どもだったこと、経済的利益を守るため一家を殺害した動機、事前準備、遺体損壊が重く評価された。

朝倉が公判で犯行を認め、謝罪や反省を示した事情も検討された。しかし、家族5人の生命を奪った結果と犯行の計画性は極めて重大であり、死刑を回避するまでの事情にはならないとされた。

東京高裁も責任能力を認め死刑を維持

弁護側は控訴し、責任能力や量刑を争った。東京高裁は1990年1月23日、控訴を棄却した。明渡し交渉の過程で精神的に追い込まれていたとしても、犯行動機へ重大な影響を及ぼす精神障害や意識障害は認められないと判断した。

高裁は、朝倉が深く反省していることや心理的に窮迫していた事情を考慮しても、子ども3人を含む5人を殺害した結果は重すぎるとして、一審の死刑を維持した。

1996年、最高裁が上告を棄却

最高裁第一小法廷は1996年11月14日、朝倉の上告を棄却した。事件番号は平成2年(あ)第248号。最高裁も、犯行当時に心神喪失または心神耗弱の状態にはなかったとする控訴審判断を是認した。

訂正申立ても退けられ、同年12月に死刑が確定した。競売物件の明渡しをめぐる経済的対立が背景にあったとしても、家族5人を殺害した刑事責任を軽減する理由にはならなかった。

2001年12月27日、東京拘置所で死刑執行

死刑確定から約5年後の2001年12月27日、朝倉の死刑が東京拘置所で執行された。66歳だった。同日には別の死刑確定者にも刑が執行されている。

事件発生から18年余り。競売で取得した不動産を予定どおり処分できないという民事・経済上の問題を、住人一家を殺害することで解消しようとした犯行について、三審の死刑判決が執行された。

競売トラブルと一家5人殺害は別の問題だった

朝倉と被害一家の間に明渡しをめぐる争いがあったことは、裁判でも認定された。しかし所有権や占有をめぐる紛争には法的な手続があり、転売契約による損失の危険も他人の生命を奪う理由にはならない。

裁判所が重視したのは、朝倉が経済的不利益を避けるために準備を進め、取引とは関係のない子どもたちまで殺害したことだった。事件の核心は競売制度そのものではなく、その紛争を解決する手段として一家の殺害を選んだ点にある。

取得価格は1億280万円、転売期限が迫っていた

朝倉が競売で取得した土地と建物は約624平方メートルで、取得価格は1億280万円とされる。個人の小規模な投資としては大きな資金が投じられており、朝倉は早期に明渡しを受けて転売代金を回収する必要があった。

4月中旬には別の不動産会社との転売契約を結び、6月末の引渡しを予定していた。期限までに引き渡せなければ3000万円の違約金を負う契約だったとされ、事件発生時には期限が目前へ迫っていた。

民事手続を始めた後、いったん訴えを取り下げた

朝倉は当初、住宅の明渡しを求めるため民事上の手続を進めていた。交渉の中で一家側が転居に応じる意向を示したため、朝倉はいったん訴えを取り下げた。

ところが明渡しは実現せず、転売先への引渡し期限だけが近づいた。正規の法的手続を改めて進める選択肢は残っていたが、朝倉は時間的・経済的負担を避けようとして殺害計画へ進んだ。

事件当日は家族の帰宅時間に合わせて犯行を続けた

犯行は一度に5人を襲ったものではない。朝倉は昼間に住宅へ入り、在宅していた母親や幼い子どもを襲い、その後に帰宅した家族も順に殺害した。

長時間にわたり犯行を継続し、途中で中止したり現場から逃げたりする機会がありながら、最終的に住宅内にいた5人全員を死亡させた。裁判では、この継続性も強い殺意と計画性を示す事情として評価された。

責任能力の鑑定は約1年をかけて行われた

公判で責任能力が争われたため、東京地裁は精神鑑定を採用した。鑑定では、明渡し交渉の長期化による強い緊張や心身症的な症状が検討された。

それでも、現実との接触を失うような精神病状態や重大な意識障害は認められなかった。凶器や道具の準備、時間を追って家族を襲った行動、遺体処理なども、目的に従った判断能力が残っていたことを示す事情とされた。

公判では起訴事実を認め、謝罪も述べた

朝倉は初公判で起訴事実を認め、遺族へ謝罪した。犯行後には唯一生存した長女への償いを意識した行動もあったとされ、反省の程度は量刑上の事情として検討された。

しかし、反省や謝罪だけで、5人の生命を奪った結果が軽くなるわけではない。裁判所は、犯行後の態度を有利な事情として考慮しながらも、経済的目的、被害者数、子どもを含む被害、事前準備を上回るものではないと判断した。

最高裁は責任能力と量刑の双方を是認

1996年11月14日の最高裁第一小法廷判決は、朝倉が犯行時に心神喪失や心神耗弱の状態ではなかったとする控訴審の判断を維持した。

同時に、一家5人を殺害した結果と犯行態様から、死刑を選択した一・二審の量刑も是認した。上告棄却後の訂正申立ても退けられ、同年12月に死刑が確定した。

参考資料・出典

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