警視庁独身寮爆破事件は、1990年11月1日夜から翌2日未明にかけて、東京都内にある2か所の警視庁独身寮が相次いで爆弾で狙われた連続テロ事件である。しかし、組織名が浮上したことと個々の実行犯を刑事裁判で特定することは別である。大規模捜査にもかかわらず実行犯は起訴されず、2005年11月に当時の殺人罪の公訴時効が成立。警察官が死亡した爆弾テロは、司法による真相確定のないまま未解決となった。
- 新宿区「清和寮」で警察官1人が死亡した爆破の経緯
- 人が集まった後を狙う時間差爆弾の悪質な構造 世田谷区「誠和寮」でも爆発物が発見された連続性 革労協狭間派と反皇室闘争が捜査で注目された背景
- 16万4000人規模の延べ捜査投入でも実行犯を特定できなかった理由
- 2005年の公訴時効成立と現在の位置づけ
警視庁独身寮爆破事件報道上の呼称警視庁寮爆弾テロ、警視庁独身寮連続爆破事件などの概要
| 事件名 | 警視庁独身寮爆破事件報道上の呼称警視庁寮爆弾テロ、警視庁独身寮連続爆破事件など |
|---|---|
| 発生日・期間 | 1990年11月1日~11月2日第1現場東京都新宿区北新宿1丁目・警視庁独身寮「清和寮」第2現場東京都世田谷区下馬2丁目・警視庁独身寮「誠和寮」 |
| 被害 | 死亡者数:新宿警察署の警察官1人負傷者警察白書では一般市民を含む7人が重軽傷犯行手段時間差を利用した爆発物など警察の見方革労協狭間派によるテロ事件と判断 |
| 現在の状況 | 警視庁独身寮爆破事件は、1990年11月1日夜から翌2日未明にかけて、東京都内にある2か所の警視庁独身寮が相次いで爆弾で狙われた連続テロ事件である。しかし、組織名が浮上したことと個々の実行犯を刑事裁判で特定することは別である。大規模捜査にもかかわらず実行犯は起訴されず、2005年11月に当時の殺人罪の公訴時効が成立。警察官が死亡した爆弾テロは、司法による真相確定のないまま未解決となった。 |
新宿区「清和寮」で警察官1人が死亡した爆破の経緯
現場は東京都新宿区北新宿1丁目にあった警視庁の独身寮「清和寮」である。警察官が生活する施設そのものが爆弾テロの標的となった。敷地内で爆発が発生すると、その音に気づいた寮の住人や関係者らが状況を確認するため現場付近へ向かう。そこで、さらに爆発が起きた。
この一連の爆発によって、新宿警察署に勤務していた48歳の警察官が死亡。複数の警察官だけでなく、一般市民も負傷した。当時報道には負傷者数の表記に差異がみられますが、警察庁の「平成3年警察白書」は、警察官1人が死亡し、一般市民を含む7人が重軽傷を負った事件として記録している。
1回目の爆発で人を集め、次の爆発に巻き込む「トリック爆弾」
警察が特に重大視したのが、爆発の時間差だった。単に施設を壊すことだけが目的なら、人の少ない場所で一度爆発させる方法もある。しかし清和寮では、最初の爆発を聞いた人々が現場へ近づいた後、再び爆発が発生した。警察白書も、この事件を「時間をおいて爆発するなどのトリックを用いた爆弾」によるものと位置づけている。
最初の異変に反応して救助や確認に向かう人間の行動そのものが利用されたとみられたのだ。事件後の報道では、負傷した警察官らの証言とともに、1回目の爆発後に集まった人々が次の爆発に巻き込まれた経緯が伝えられた。救助しようとする人、何が起きたのか確かめようとする人まで二次的な標的にする。この手口が、事件を日本の過激派テロ史の中でも特に悪質な事例とした理由である。
約2時間後、世田谷区の「誠和寮」でも爆発物を発見
清和寮だけが標的ではなかった。清和寮での爆発を受け、警視庁は関連施設への警戒を強化する。その中で、11月2日午前0時50分ごろ、世田谷区下馬2丁目の警視庁独身寮「誠和寮」でも爆発物が発見された。住人は避難し、爆発物処理が行われた。その過程で爆発しましたが、こちらでは人的被害はなかった。
わずか数時間の間に、東京都内の別々の警視庁独身寮が狙われたことになる。これは一つの寮を偶然狙った単発事件ではなく、警察組織の生活拠点を連続的に攻撃する計画的テロとみられる決定的な事情だった。
なぜ警察官の「独身寮」が標的になったのか
事件の標的は警察署庁舎でも、皇居でもなかった。警察官が勤務を離れて生活する独身寮である。1990年当時、警察は11月12日の即位礼正殿の儀などに備え、大規模な警備体制を敷いていた。警察庁によれば、同年には極左勢力が皇室行事を攻撃対象とする路線を強め、多数のテロ・ゲリラ事件が発生している。
警察官の住居を狙えば、通常勤務中とは異なる場所で攻撃できる。しかも独身寮は、多数の警察官がまとまって生活する施設である。事件後に出された革労協側の文書でも、警察を皇室行事の警備を担う存在として敵視する思想が示された。警察は、即位の礼・大嘗祭警備を担う「警察」を直接攻撃する意図があったとみて捜査した。
事件の背景にあった1990年の「反皇室闘争」
警視庁独身寮爆破事件を理解するには、1990年当時の社会状況が欠かせない。1989年1月に昭和天皇が崩御し、元号は平成へ変わった。その後、天皇の即位に伴う一連の儀式が進められ、1990年11月には即位礼正殿の儀や大嘗祭に関する重要行事が予定されていた。
これに対し、新左翼系の一部過激派は皇室制度への反対を掲げ、爆発物や発火装置を使用するテロ・ゲリラ事件を繰り返した。警察庁の白書によれば、1990年には極左勢力による143件のテロ・ゲリラ事件が発生。そのうち皇室闘争関連だけでも127件に上った。警視庁独身寮への攻撃は、こうした一連の事件の中でも突出して重大だった。設備を破壊するだけでなく、実際に警察官1人の命を奪ったためである。
警察庁は革労協狭間派によるテロ事件と位置づけた
捜査で強く浮上したのが、革労協狭間派だった。革労協は「革命的労働者協会」の略称で、新左翼系の政治組織として活動していた。警察庁は当時の白書で、革労協狭間派が即位の礼・大嘗祭に向けた闘争の中で、警視庁独身寮を狙った事件を起こしたと明記している。捜査では、爆発物の特徴や過去の事件との共通性も調べられた。現場から得られた部品などが分析され、同年に起きた別の爆破事件との関連が注目される。
さらに事件後、革労協側の「革命軍軍報」が報道機関へ送付された。文書は警察を敵視し、即位の礼や大嘗祭に反対する闘争の一環として事件を位置づける内容だった。警視庁はこれを事実上の犯行声明とんだ。ただし、ここで区別しなければならないのは、組織による犯行と判断されたことと、爆弾を設置した個々の実行犯が裁判で認定されたことは同じではないという点である。
誠和寮付近から走り去った「不審な5人」
捜査では、実行グループにつながる可能性のある目撃情報も浮上した。当時の報道では、誠和寮で爆発物が発見される前後、付近から5人の不審な男が走り去る姿を近隣住民が目撃したとされている。警察は重要な情報として捜査しましたが、この5人が誰だったのか、実際に爆弾設置へ関与したのかは解明されなかった。
未解決事件では、こうした目撃情報が後に「犯人は5人組だった」と断定的に語られることがある。しかし、公判による事実認定はない。確実にいえるのは、複数の不審人物に関する目撃情報が捜査対象となったものの、実行犯特定には結びつかなかったという点である。
明治大学の施設捜索と革労協への大規模捜査
警視庁公安部は新宿警察署に特別捜査本部を置き、本格的な捜査を開始した。1990年11月11日には、事件の拠点との関連を疑い、明治大学の学生会館などを殺人や爆発物取締罰則違反容疑で捜索。機関紙やビラなどを押収した。その後も革労協関係者や非公然活動拠点への捜査が続く。
事件から長期間にわたり、公安部が投入した捜査員は延べ16万4000人に上ったとされている。非公然アジト8か所への捜索なども行われた。それでも、爆発物を誰が製造したのか、誰が清和寮と誠和寮へ運び、誰が設置したのかを刑事裁判へ持ち込める形では立証できなかった。
「組織としての犯行像は見えているのに、個々の実行者を特定できない」。秘密性の高い過激派事件に特有の捜査の難しさが表れた事件だった。
2005年11月、殺人事件の公訴時効が成立
事件当時、殺人罪には15年の公訴時効があった。警視庁は長期にわたり捜査を続けましたが、清和寮爆破による警察官殺害について実行犯を起訴できないまま時間が経過する。そして2005年11月、公訴時効が成立した。
現在の殺人事件では、法改正によって人を死亡させた一定の重大犯罪について公訴時効が廃止されている。しかし、その制度変更によって本件の成立済み時効が復活したわけではない。そのため、後に新たな情報が出たとしても、当時すでに完成した公訴時効との関係から、通常の未解決殺人事件とは法的状況が大きく異なる。
「革労協の犯行」と「犯人未解決」は矛盾しない
この事件では、「革労協狭間派の犯行とされているのに、なぜ未解決なのか」という疑問が生じる。理由は、組織レベルの評価と刑事裁判における個人の責任認定が異なるためである。警察庁は白書で革労協狭間派による事件と位置づけ、事件後には同派側の犯行声明とみられる文書も確認された。
一方、殺人罪で有罪判決を得るには、具体的な被告人について、爆発物の設置や共謀への関与を合理的な疑いが残らない程度まで証明する必要がある。本件では、その段階まで実行犯を立件できなかった。したがって、警察当局が特定組織によるテロと判断している一方、個々の実行犯は刑事裁判で確定していないという二つの事実が並存している。
警視庁独身寮爆破事件の現在
現在で、警視庁独身寮爆破事件について実行犯が有罪判決を受けた事実はない。警察庁は事件を革労協狭間派によるテロとして位置づけ、警視庁公安部は長期の大規模捜査を行った。しかし、個々の実行犯を起訴できないまま2005年に公訴時効が成立している。この事件の特徴は、単に爆弾が置かれたことではない。
最初の爆発で人々を引き寄せ、その後の爆発でさらに人的被害を生じさせる。警察官の勤務先ではなく生活拠点を狙う。さらに別の独身寮にも爆発物を設置する。1人の警察官が死亡し、一般市民を含む複数人が負傷したにもかかわらず、爆弾を実際に設置した人物は法廷に立たなかった。その事実が、警視庁独身寮爆破事件を戦後日本の未解決テロ事件として現在まで残している。
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