1999年8月、愛知県蟹江町のアパートで、兼岩幸男は長年交際していた渡辺愛子さん(当時43歳)を絞殺した。3年9か月後の2003年5月には、一宮市で別の交際相手、村井栄子さん(当時49歳)を絞殺し、その遺体を損壊・遺棄した。2件は別々の生活上の行き詰まりから起きたが、どちらも自分の立場を守ろうとする事情が犯行の背景にあったと裁判所は認定した。
第一の事件では、兼岩は捜査段階から公判初期まで殺害を認めた後、「渡辺さんは自殺した」と供述を変更した。第二の事件についても控訴審では正当防衛・過剰防衛を主張したが、いずれも退けられた。岐阜地裁の死刑判決は名古屋高裁で維持され、2011年11月29日、最高裁が上告を棄却した。
| 発生日 | 1999年8月15日ごろ/2003年5月25日 |
|---|---|
| 発生場所 | 愛知県蟹江町/愛知県一宮市 |
| 被害者 | 渡辺愛子さん(当時43歳)、村井栄子さん(当時49歳) |
| 被告人 | 兼岩幸男 |
| 起訴された主な罪 | 2件の殺人、村井さんに対する死体損壊・死体遺棄 |
| 一審 | 岐阜地裁・2007年2月23日、死刑 |
| 控訴審 | 名古屋高裁・2008年9月12日、控訴棄却 |
| 最高裁 | 2011年11月29日、上告棄却 |
| 現在 | 死刑確定者として掲載 |
渡辺愛子さんとは10年以上にわたる交際関係だった
岐阜地裁判決によると、兼岩は1987年ごろ、保険会社の代理店研修を通じて渡辺さんと知り合い、不倫関係になった。兼岩は1992年に別の女性と結婚したが、渡辺さんとの関係も続けた。会社の倒産後には債権者の取り立てを避けて自宅を離れ、渡辺さんと生活する時期もあった。
生活費や遊興費を賄うため、渡辺さん名義のクレジットカードなどで借金が増え、返済は苦しくなっていった。兼岩は妻子との生活も維持しており、渡辺さんとの関係は、長く続いた交際だけでなく、借金を抱えた二重生活という問題を伴っていた。
新しい就職を機に、二重生活を終わらせようと考えた
1999年7月、兼岩は勤務先を退職し、転職活動を始めた。同年8月には外食チェーン企業への採用が決まる。判決は、兼岩が新しい勤務先で失敗できないと考え、これまでのように妻子と渡辺さん双方の生活費を賄う二重生活は続けられないとして、渡辺さんとの生活を終わらせようと考えるようになった経緯を認定している。
さらに、クレジットカードの返済資金を用意できず、渡辺さんから金策をめぐって責められた。兼岩は、新しい就職を知られれば仕事まで台無しにされるのではないかと考え、渡辺さんと借金の双方から逃れたいという方向へ思考を進めていった。
1999年8月15日、口論の最中に渡辺さんを絞殺
8月15日ごろの夜、兼岩が蟹江町のアパートに戻ると、借金の返済資金を用意できなかったことをめぐって渡辺さんと口論になった。判決では、渡辺さんからなじられ、飲んでいたビール缶を投げつけられたことをきっかけに兼岩が激高し、殺害を決意したと認定された。
兼岩は渡辺さんの腹部に馬乗りになり、両手で首を絞めて窒息死させた。最高裁も、事前から関係を終わらせるため殺害を考えるようになっていた一方、具体的な殺害行為はこの口論を直接のきっかけとして決意されたと整理している。
渡辺さんの遺体処理は認めながら、殺害だけを「自殺」と争った
兼岩は渡辺さんの死亡後、遺体を損壊して複数の場所へ遺棄したこと自体は公判でも認めた。ところが、捜査段階と第3回公判まで認めていた殺害について、第11回公判から供述を変え、「渡辺さんは自殺した」と主張するようになった。
岐阜地裁は、死亡直後に遺体を損壊・分散して遺棄し、2003年10月まで死亡を誰にも話さなかった行動は、犯罪による死亡を隠そうとしたものと強く推認できると判断した。加えて、捜査段階の自白内容などを検討し、殺害を認定している。
第一事件の死体損壊・遺棄は、公訴時効により起訴されなかった
ここは事件の罪名を理解するうえで重要な点となる。渡辺さんの遺体が損壊・遺棄された事実自体は判決で認定されているが、その行為について死体損壊罪・死体遺棄罪として起訴されたわけではない。事件発覚時には公訴時効が成立していたためだった。
弁護側は、時効が成立した行為を殺人事件の立証に使うことも許されないと主張した。岐阜地裁はこれを退け、遺体処理の行動は渡辺さん殺害を推認させる重要な間接事実として審理できるとした。したがって「2人分の死体損壊・遺棄罪で有罪になった」と整理するのは正確ではない。
村井栄子さんとの交際中、勤務先への背信的取引を知られた
第一事件の後、兼岩は別の会社へ転職し、管理職として働くようになった。2002年3月ごろには異業種交流会で知り合った村井栄子さんと交際を始め、同年11月には一宮市のマンションを村井さんの住居として借りて関係を続けた。
一方、兼岩は勤務先の取引業者からバックリベートを受けたり、自ら設立した会社を取引に介在させたりする背信的な取引を行っていた。2003年2月ごろには村井さんもその事情を知るようになり、兼岩は「公表しない代わりに結婚を迫られている」と受け止め、村井さんを疎ましく思うようになったと判決は認定した。
2003年5月25日、勤務先と妻への「暴露」を告げられた
5月24日、兼岩は別の交際女性と過ごしていたが、村井さんから何度も連絡が入り、翌25日午前0時ごろ一宮市のマンションへ向かった。結婚を求める村井さんとの口論が続き、村井さんから勤務先での背信的取引や2人の関係を会社や妻へ明かすと言われた。
判決によると、兼岩はそこで激高し、午前1時30分ごろ村井さんを絞殺した。殺害後には発覚を免れるため遺体を損壊し、一部を川へ投棄し、別の一部を土中へ埋めるなどして遺棄した。この第二事件については、殺人に加え死体損壊・死体遺棄が起訴・認定されている。
村井さんの遺体発見から、1999年の第一事件も捜査対象になった
2003年6月、岐阜県羽島市の長良川で村井さんの遺体の一部が見つかり、第二事件が表面化した。兼岩は捜査段階で、すでに遺体の一部が発見されていることから死体損壊・遺棄は隠し切れないと考えた一方、殺害については当初「自殺した」と説明していたと公判で述べている。
岐阜地裁判決によると、兼岩は第二事件の公判が始まった翌日の2003年10月28日、1999年の渡辺さん殺害についても供述を始めた。第一事件では同年12月5日に逮捕され、12月26日に起訴された。第二事件の捜査を起点に、約3年9か月前の殺人まで刑事裁判の対象となった。
第一事件の自白は公判途中で撤回され、「渡辺さんが自殺した」と主張
兼岩は第一事件で起訴された後も、2004年2月23日の第3回公判までは渡辺さんを絞殺したことを認めていた。ところが同年11月8日の第11回公判で主張を転じ、渡辺さんは自殺したのであり、自分は殺害していないと述べるようになった。
裁判所は、供述が変わった時期だけでなく、遺体を処理した経緯、事件後の行動、捜査段階の説明内容を他の証拠と照合した。第一事件の死体損壊・遺棄そのものは時効で起訴されていなかったが、遺体処理の状況は「渡辺さんが自殺した」という公判供述の信用性を判断する重要な間接事実として扱われた。
自白の任意性では、取調べ方法の一部が「不適切」と評価された
第一事件をめぐっては、兼岩の自白が自由な意思でなされたものかも争点になった。取調官が強い言葉を使ったことや、渡辺さんの写真を取調室に掲示したことなどについて、岐阜地裁は一部を「不適切」と評価している。
しかし裁判所は、取調べ時間や全体の経過、兼岩が取調べの中でも捜査側の見方と異なる点を否定していたことなどを検討し、自白の任意性まで失われたとは認めなかった。最高裁も記録上、自白の任意性を疑うべき証跡はないとして、弁護側の主張を退けた。
控訴審では第二事件についても、正当防衛・過剰防衛を主張した
第一事件だけでなく、第二事件の主張も審級が進む中で変化した。兼岩は控訴審で、村井さんの殺害について正当防衛または過剰防衛が成立すると主張したが、名古屋高裁はこれを認めず、岐阜地裁の死刑判決を維持した。
最高裁も、2件の動機と犯行態様、3年9か月を隔てて再び交際女性の生命を奪った経過を踏まえ、原判決の量刑を是認した。第一事件では犯人性、第二事件では防衛行為の成否まで争われたが、最終的に2件とも殺人として確定した。
2件とも「事前の具体的計画」は認められなかった
死刑事件では計画性が量刑判断の重要な要素となるが、最高裁は、2件の殺人はいずれも事前の具体的計画に基づくものとは認められないと明記した。兼岩に前科がなかったことも、被告人に有利な事情として検討されている。
それでも死刑が維持されたのは、計画性だけで量刑が決まったわけではないためだ。最高裁は、3年9か月を隔てて交際女性2人を殺害したこと、いずれも確定的な殺意に基づくこと、被害者側に特段の落ち度がないこと、遺族への慰謝措置がなく、公判で不合理な弁解に至ったことなどを重く見た。
岐阜地裁の死刑判決から最高裁の上告棄却へ
岐阜地裁は2007年2月23日、兼岩に死刑を言い渡した。名古屋高裁は2008年9月12日に控訴を棄却。控訴審では第一事件の犯人性だけでなく、第二事件について正当防衛または過剰防衛が成立するとの主張もされたが、退けられている。
2011年11月29日、最高裁は上告を棄却した。最高裁は、具体的な事前計画がなかったことなどを考慮しても、2人の生命を奪った結果や犯行に至った動機、犯行後の対応などから死刑を維持した原判断を是認せざるを得ないとした。
2026年8月時点でも死刑確定者として掲載されている
2026年8月24日現在、兼岩幸男は死刑確定者として公開一覧に掲載されている。1999年8月15日と2003年5月25日の事件、岐阜地裁・名古屋高裁・最高裁の各裁判日が記録され、死亡日・執行日の記載はない。
この事件は「交際女性2人の遺体を損壊・遺棄した事件」と一括して紹介されることがある。しかし法的には、2件の殺人と、第二事件についての死体損壊・死体遺棄が処罰対象となった。第一事件の遺体処理は、殺人の事実認定を支える間接事実として大きな意味を持った。
参考資料・出典
- 裁判所「裁判例結果詳細(平成15(わ)419)」
- 岐阜地方裁判所「平成19年2月23日判決・全文」
- 最高裁判所「平成20(あ)1911・上告審判決全文」
- CrimeInfo「死刑確定者 全リスト」
- 朝日新聞「長良川バラバラ殺人事件、被告に死刑判決 岐阜地裁」(2007年2月23日)
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