富山・長野連続女性誘拐殺人事件は、1980年2月から3月にかけて、18歳の女子高校生と20歳の女性会社員が身代金目的で相次いで誘拐・殺害された事件である。現在も、宮崎の死刑判決が取り消された事実はない。第5次再審請求をめぐる特別抗告も2024年11月に最高裁で棄却され、再審開始は認められなかった。
- 1980年に若い女性2人が誘拐・殺害された経緯
- 身代金目的で女性を狙った2件の共通した手口
- 宮崎知子が死刑判決を受けた理由
- 北野宏が共犯として起訴されながら無罪となった経緯
- 捜査段階の自白が裁判で大きな争点となった理由
- 2024年の再審請求棄却と現在の状況
| 事件名 | 富山・長野連続女性誘拐殺人事件 |
|---|---|
| 別称 | 富山・長野2女性誘拐殺人事件 |
| 警察庁指定 | 広域重要指定111号事件 |
| 発生時期 | 1980年2月から3月 |
| 主な地域 | 富山県、長野県、岐阜県など |
| 死亡者数 | 2人 |
| 被害者 | 女子高校生・長岡陽子さん(18歳)、会社員・寺沢由美子さん(20歳) |
| 死刑確定者 | 宮崎知子 |
| 共犯として起訴された男性 | 北野宏 |
| 北野の裁判結果 | 一審無罪、控訴審でも無罪維持、1992年確定 |
| 認定された目的 | 身代金の取得 |
| 認定された殺害方法 | 睡眠薬で昏睡状態にし、腰ひもで絞殺 |
| 一審 | 1988年2月9日、富山地裁が宮崎に死刑、北野に無罪 |
| 控訴審 | 1992年3月31日、名古屋高裁金沢支部が一審判断を維持 |
| 最高裁 | 1998年9月4日、宮崎の上告棄却 |
| 現在 | 宮崎の死刑判決は維持。第5次再審請求も棄却確定 |
1980年2月、富山市内で18歳の女子高校生が姿を消した
最初の事件は1980年2月23日に始まった。被害者は富山県内に住む女子高校生の長岡陽子さん(当時18歳)である。最高裁判決によると、宮崎は富山市内で帰宅途中の長岡さんへ声をかけた。使われたのは、力ずくで車へ押し込む方法ではない。
宮崎は「良いアルバイト先がある」などと言葉巧みに誘い、自分が運転する車の助手席へ乗せたと認定されている。若い女性に仕事の話を持ちかけ、警戒心を解かせる。その後、長岡さんへ睡眠薬を飲ませ、意識を失わせた。そして、あらかじめ準備していた腰ひもで首を絞めて殺害。遺体は山中へ遺棄される。
18歳の高校生は、自宅へ帰る途中で日常から突然切り離された。事件後、家族は娘の行方を案じ続けることになる。
殺害後に家族へ身代金を要求
宮崎の目的は、若い女性を殺害することだけではなかった。最高裁は、宮崎が長岡さんを誘拐・殺害した後、家族から多額の身代金を奪おうとしたと認定している。家族へ電話をかけて金を要求したものの、相手側の対応などから計画を中止。身代金の取得には至らなかった。
しかし、ここで犯行を断念したわけではない。長岡さんの家族が失踪を心配し、宮崎のもとを訪ねる状況になっても、宮崎は次の計画へ進む。最高裁が死刑を維持する際に重く見たのも、この点だった。一人目の殺害後、その家族の苦しみを知りながら再び若い女性を狙ったのだ。
3月5日、長野市で20歳の女性会社員を誘拐
次の事件が起きたのは1980年3月5日だった。被害者は長野市内で働く寺沢由美子さん(当時20歳)である。宮崎は帰宅途中の寺沢さんへ接近し、1件目と同様に言葉巧みに車へ誘った。
その後、睡眠薬を飲ませて昏睡状態にし、準備していた腰ひもで首を絞めて殺害。遺体を山中へ遺棄したと認定されている。1件目と2件目には、明確な共通点があった。
- 若い女性を狙う
- 帰宅途中に言葉巧みに誘う
- 自動車へ乗せて連れ去る
- 睡眠薬を飲ませる
- 腰ひもで絞殺する
- 遺体を山中へ遺棄する
- 家族から身代金を得ようとする
偶発的な殺人ではない。裁判所は、金を得るために準備され、短期間に繰り返された計画的な連続誘拐殺人と判断した。
寺沢さんの家族へ3000万円を要求
寺沢さんの事件では、身代金要求がさらに執拗だった。最高裁判決によると、宮崎は殺害・遺棄後、寺沢さんの家族へ多数回にわたって電話をかけ、3000万円を要求した。家族は、寺沢さんが生きて戻る可能性を信じながら対応することになる。
しかし確定判決の認定では、身代金要求が続いていた時点で寺沢さんはすでに殺害されていた。家族の「助けたい」という思いそのものが、金銭要求の手段として利用された。この犯行態様も、後の死刑判断で極めて厳しく評価されている。
赤いフェアレディZが捜査の象徴になった
事件を語る際、しばしば登場するのが赤いフェアレディZである。宮崎が犯行に使用した車として捜査・報道で大きく注目され、1980年3月末には車両の存在が広く知られるようになった。若い女性へ自然に接近し、車へ乗せる。県境を越えて移動し、遺体を山間部へ遺棄する。
自動車は、2件の犯行をつなぐ重要な要素だった。事件は富山県だけで完結せず、長野県、岐阜県など広い地域へまたがる。複数県警の連携が必要となり、警察庁は広域重要指定111号事件として扱った。
1980年3月30日、宮崎知子と北野宏を逮捕
捜査の結果、警察は宮崎知子と北野宏へ疑いを向けた。北野は宮崎と仕事上の関係があり、男女関係にもあった人物である。2人は事件当時、贈答品販売の仕事にも関わっていた。1980年3月30日、長野県警は両名を逮捕する。
その後、2人は共犯として起訴された。ここから事件は、単純な「男女2人組による連続誘拐殺人」とは異なる展開を見せる。北野が無実を訴え、宮崎と北野の供述も対立。誰が実行し、誰が共謀したのかが長期裁判の中心争点となったのだ。
北野宏はなぜ共犯者とされたのか
検察側は、宮崎一人の事件とは考えなかった。宮崎と北野の密接な関係、事件当時の行動、仕事や経済面での結びつきなどから、北野も犯行を共謀したと主張する。捜査段階では、両者の供述も重視された。
しかし公判が始まると、その信用性が大きな問題になる。宮崎側、検察側、北野側で事件像は一致しなかった。宮崎側は北野の関与を主張し、検察側も共謀共同正犯として責任を追及。北野側は無罪を訴える。一つの起訴事実をめぐり、被告人同士と検察の主張が鋭く対立する異例の裁判となった。
1988年、宮崎に死刑・北野に無罪という正反対の判決
一審判決までには長い時間がかかった。1988年2月9日、富山地裁は宮崎知子に死刑を言い渡す。一方、北野宏には無罪。
検察は北野に無期懲役を求刑していましたが、裁判所は2件について北野との共謀を認めず、宮崎の単独犯行と判断した。同じ法廷で、一人には極刑、もう一人には無罪。しかも北野は長期間にわたり殺人事件の被告人として裁判を受けていた。
この一審判決によって、事件は重大な冤罪問題を含むことが明確になる。
1992年、控訴審も北野の無罪を維持
一審判決後、宮崎側は死刑判決を不服として控訴した。検察側も、北野を無罪とした判断を争う。控訴審は名古屋高裁金沢支部で続いた。
そして1992年3月31日、高裁は一審判断を維持。宮崎の有罪・死刑判決を支持し、北野についても無罪とした。検察側は北野について上告せず、北野の無罪が確定する。逮捕から約12年。
北野はようやく、連続誘拐殺人の共犯者ではないという司法上の結論を得た。
北野宏の無罪が示した「自白」の危うさ
北野の裁判で重要だったのが、捜査段階の供述である。重大事件では「本人が認めた」という事実が強く受け止められがちである。しかし刑事裁判では、その供述がどのような取り調べで作られたのか、客観証拠と一致するのか、変遷に合理的な説明があるのかを検証しなければならない。
本件では、2人の捜査段階の自白調書の信用性が大きな争点となった。最終的に裁判所は、検察が描いた「男女2人の共犯」という構図を認めなかった。北野の無罪は、捜査機関が一度作った事件像であっても、証拠による厳密な検証を経なければ有罪にはできないことを示している。
1998年、最高裁が宮崎知子の上告を棄却
宮崎の裁判は、その後も最高裁まで続いた。1998年9月4日、最高裁第二小法廷は宮崎側の上告を棄却する。最高裁は、犯行動機について厳しく評価した。
宮崎は、それまでの生活で生じた借金を一挙に返済し、自らの欲求を実現するための資金を得ようとして、若い女性を誘拐・殺害したと認定されている。さらに1件目を終えた後、わずかな期間で2件目を実行した。最高裁は、金銭欲に出た計画的な連続誘拐殺人であり、殺害態様も冷酷・非情だと指摘。前科がないことなどを考慮しても、死刑はやむを得ないと結論づけた。
なぜ死刑が選ばれたのか|最高裁が重視した事情
宮崎の死刑は、被害者が2人という数字だけで決まったわけではない。最高裁が示した判断では、複数の事情が重く評価されている。
- 身代金目的で若い女性を誘拐したこと
- 睡眠薬や腰ひもを準備した計画性
- 昏睡状態の被害者を絞殺した冷酷さ
- 遺体を山中へ遺棄したこと
- 1件目の後も犯行を断念せず連続して2件目へ及んだこと
- 殺害後も家族へ身代金を要求したこと
- 遺族の被害感情と社会への重大な影響
とりわけ、最初の被害者家族の苦しみを知りながら次の女性を狙った点は重いものだった。一度の犯行で立ち止まらず、同じ目的と方法で再び命を奪った。最高裁は、宮崎の罪責を極めて重いと判断している。
死刑確定後も再審請求|2024年に第5次請求の棄却が確定
死刑確定後、宮崎は再審を求め続けた。2016年には第4次再審請求を行いましたが、富山地裁が2017年に棄却。名古屋高裁金沢支部も2018年、即時抗告を退けている。その後、第5次再審請求が行われた。
富山地裁は請求を棄却し、名古屋高裁金沢支部も抗告を認めなかった。宮崎側は最高裁へ特別抗告する。しかし2024年11月27日、最高裁第一小法廷は特別抗告を棄却。第5次再審請求についても、再審開始は認められなかった。
現在の状況|死刑判決は維持
現在も、宮崎知子の確定死刑判決が再審によって取り消された事実はない。また、死刑が執行されたとの公表も確認されていない。したがって、法的な状況は死刑確定判決が維持されている状態である。
一方、北野宏については1992年に無罪が確定している。この2人を「男女の共犯者」として並べて現在も犯人扱いすることはできない。司法判断では、2件の連続誘拐殺人は宮崎の単独犯行とされ、北野は無罪である。
「赤いフェアレディZの女」という呼び名だけでは見えないもの
事件は、派手な車と女性犯人という組み合わせから、後年まで強いイメージで語られていた。宮崎が使用した赤いフェアレディZ。若い女性へ近づく巧妙な話術。県境を越える移動。こうした要素は確かに事件の特徴である。
ただ、その印象だけを追えば、被害者の存在が薄れてしまう。長岡陽子さんは18歳。寺沢由美子さんは20歳だった。二人とも帰宅途中に日常から切り離され、家族は突然、娘の行方が分からない状況へ置かれた。
さらに犯人は、殺害後も家族へ金を要求している。「金を払えば戻るかもしれない」という家族の願いが、身代金要求に利用された。この点こそ、一連の犯行の冷酷さを示している。
富山・長野連続女性誘拐殺人事件が残したもの
この事件は、1980年の2件の誘拐殺人だけで終わらなかった。1人目の被害者が行方不明となり、その家族が必死に捜す中、2人目の事件が起きている。県境を越える広域捜査の難しさも浮かび、国会では初動捜査をめぐる問題まで取り上げられた。そして逮捕後には、別の問題が生まれる。
共犯者とされた北野宏は長期間、連続誘拐殺人の被告人として裁かれた。しかし一審は無罪。控訴審も無罪を維持する。一方は死刑、もう一方は無罪。この正反対の結論は、重大事件ほど「二人は親密だった」「行動を共にしていた」といった印象だけで共犯関係を決めてはならないことを示した。
宮崎については、最高裁が2件の身代金目的誘拐殺人を認定し、1998年に上告を棄却。死刑が確定した。その後も再審請求は続きましたが、2024年には第5次請求をめぐる特別抗告が最高裁で棄却されている。富山・長野連続女性誘拐殺人事件は、若い女性2人の命が金銭目的で奪われた重大犯罪であると同時に、共犯とされた男性の無罪、自白の信用性、広域捜査のあり方を問い続ける事件でもある。
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