町田市美大生失踪事件|井出真代さんが成瀬駅近くから消えて27年

公開日 2026年6月25日
最終更新 2026年8月28日

事件ステータス

発生年月日
1999年
都道府県
東京都
事件分類
ストーカー事件 / 未解決事件 / 行方不明事件
事件状況
未解決

2026年8月13日、JR成瀬駅前で一組の両親がチラシを配っていた。1999年8月に18歳で行方が分からなくなった井出真代さんを捜すためだった。失踪から27年。父の敏一さんは取材に、30年になっても40年になっても捜し続けるという趣旨を語った。警視庁も現在まで行方不明事件として捜査を続けている。

真代さんは多摩美術大学に入学したばかりの1年生だった。身長171センチのやせ型で、以前はモデル事務所に所属した経験もあった。読書、絵画、写真、映画、音楽が好きで、将来はアーティストを目指していたという。1999年8月、家族が毎年のように続けていた愛知県への帰省の日、真代さんは「歯医者の予約がある」と言って町田に残った。その後、家族は真代さんの姿を一度も見ていない。

18歳の春、美術大学へ進んだばかりだった

失踪した1999年は、真代さんが大学生活を始めた年だった。公式サイトでは、読書や絵画だけでなく、写真、映画、音楽鑑賞も趣味として挙げられている。FNNの取材では、美大受験を終えた後、ダンスや演劇などにも関心を広げ、将来は「アーティスト」になりたいと話していたとされる。

一時はモデル事務所に所属した経験もあり、家族が公開している写真には当時の髪形や体格がはっきり残っている。身長171センチという特徴は、目撃情報を照合するうえでも重要な手掛かりになった。現在の捜索サイトでは、失踪当時の写真に加え、年齢を重ねた場合の現在の姿を想定した画像も使われている。

「歯医者の予約がある」と一人で町田に残った

真代さんは1981年2月3日生まれ。1999年春に多摩美術大学へ進み、絵画だけでなく、ダンスや演劇、映像にも関心を広げていた。家族による公式捜索サイトには、穏やかで自分の好きなことに集中する性格だったと記されている。失踪時は明るい茶色のショートヘアで、薄緑色のノースリーブ、ジーンズ、ピンク色のサンダル姿だったとされる。

8月、家族は母親の実家がある愛知県へ帰省する予定だった。FNNの取材によると、真代さんはその前日に突然、歯科医院の予約があるため一緒に行かないと告げた。家族は予定通り町田を離れ、真代さんは一人で残った。後に母・万里子さんが歯科医院へ何度も確認に行ったところ、予約の日に真代さんは来院していなかったという。

最後に姿が確認された場所として報じられているのは、自宅近く、JR成瀬駅周辺のレンタルビデオ店だ。真代さんはそこで寺山修司監督の映画「田園に死す」を返却していた。家族が愛知から戻った8月16日、家に真代さんはいなかった。連絡もつかない。家族は知人へ連絡し、周辺を捜し始めた。

部屋からなくなっていた水着、PHS、画集

失踪が本人の意思による外出だったのか、何らかの事件や事故に巻き込まれたのか。家族が手がかりを探す中で、部屋に残された物と、なくなった物の組み合わせが大きな疑問になった。

家族の公式サイトによると、当時の所持金は約1万5000円。紀ノ国屋のバッグ、カード、PHS、水着、傘などがなくなっていた。FNNの取材では、PHSの充電台、よく着ていたTシャツ、数日前に母親と銀座で買った画集も部屋から消えていた一方、旅行用の歯ブラシは残っていたと母親が説明している。失踪前日には近所のプールへ行っており、その時に使った水着が見つからなかったという。

これらの所持品だけで、「旅行に出た」「すぐ戻るつもりだった」と結論づけることはできない。水着がバッグに入ったままだった可能性もあれば、画集を持って近くへ出かけただけという可能性もある。PHSを持っていたとしても、1999年当時の位置情報記録は現在のスマートフォンほど捜査に利用できるものではなかった。残された物は多くても、行き先を直接示すものはなかった。

母が作り続けた6冊の捜索ノート

家族の捜索は、年月がたつほど広がっていった。母・万里子さんは、真代さんを捜す過程で会った人、連絡先、寄せられた情報、確認した場所を6冊の「捜索ノート」に記録した。最後に確認されたレンタルビデオ店にも通い、真代さんが最後に返した作品だけでなく、その前に借りた作品まで店員に尋ねて書き留めた。

テレビ番組などで情報提供を呼びかけると、「似た女性を見た」という連絡も届いた。母親は山梨県を含む各地へ実際に足を運び、一つずつ確かめたという。しかし、本人につながる決定的な手がかりは得られなかった。家出だとすれば、なぜ家族にも友人にも長期間連絡をしないのか。事件だとすれば、誰とどこで接触したのか。事故なら、なぜ所持品も含めて痕跡が見つからないのか。どの可能性も決め手を欠いたまま時間だけが過ぎた。

当初は家出として扱われ、11年後に捜査1課が入った

FNNの長期取材によると、家族が失踪直後に警察へ相談した際、若者の家出は珍しくないという趣旨の対応を受けた。その後、事件は大きく動かないまま年月が経過する。転機になったのは2010年だった。失踪から11年後、警視庁捜査1課が長期未解決事案として本格的な捜査を始めた。

捜査員は、失踪日そのものから見直した。家族が愛知へ出発した13日にすぐ姿を消したとは限らず、翌日まで自宅にいた可能性もある。そこで担当刑事は、家族が出発前に冷蔵庫へ残した食べ物と、帰宅した時に残っていた量を比較しようとした。母親は、当時作り置きしていたポテトサラダやごま豆腐などを実際に作り直し、刑事の前で再現した。その料理の内容も捜索ノートに残っている。

これは、目撃者が少なく防犯カメラの記録も長く残らない行方不明事件で、「いつまで自宅にいたのか」を生活痕から絞り込もうとした捜査だった。数年にわたり調べが続けられたものの、失踪時刻や行き先を確定する決定打には至らなかった。

関係先の捜索と参考人聴取も行われていた

2025年1月の毎日新聞は、2010年に捜査1課が入った後、関係先の家宅捜索や参考人への聴取も行われていたと報じた。記事では参考人の一人が自殺していたことも伝えられている。ただし、その人物について警察がどの程度の疑いを持っていたのか、真代さんの失踪とどのような関係があったのか、刑事事件として立件できる証拠があったのかは公表されていない。

参考人になった人物が死亡しているという事実だけを、犯行への関与を示す証拠として扱うことはできない。真代さんの件では、逮捕された人物も起訴された人物もいない。警視庁は現在も行方不明事件として捜査しており、「事件に巻き込まれた」と断定する段階にも、「本人の意思による失踪」と断定する段階にもない。

25年後に見つかった、1999年6月の映像

長い捜索の中で、2024年には思いがけない資料が見つかった。大学時代の友人が保管していた家庭用ビデオテープだった。ラベルには「1999年6月 江ノ島・人々」と書かれ、失踪のおよそ2か月前の真代さんが映っていた。

映像は大学の仲間と江ノ島へ出かけた時に撮影されたものだった。友人が家の片付けをしていて見つけ、家族へ伝えたという。FNNは2025年、その映像を母親が見る様子を取材した。画面の中の真代さんは歩き、友人と話し、笑っている。家族にとっては、25年間、写真でしか見られなかった娘の動く姿だった。

映像で真代さんが着ていた薄緑色のノースリーブは、失踪後に部屋から見つからなかった服とみられている。家族の公式サイトでも、失踪時の服装として薄緑色のノースリーブが掲載されている。映像そのものが失踪の理由を示したわけではないが、当時の姿勢、歩き方、声、服装を具体的に確認できる資料となった。家族は、1999年8月ごろに成瀬駅周辺で撮影された古い写真に、偶然真代さんが写り込んでいないかという呼びかけも続けている。

当時の担当警察官も退職後に捜索へ戻った

毎日新聞は2025年、失踪当時に町田署でこの事案を担当していた元警察官が、退職後の2021年12月に井出さん一家を訪れ、捜索への協力を申し出たと報じた。現役時代に扱った行方不明事案へ、退職から長い年月を経て再び関わるという異例の動きだった。家族の公式サイトやチラシ作成などにも協力し、情報提供を呼びかける活動が続いている。

町田署は2022年から、真代さんの情報提供を求める公式ポスターを警察署や交番などに掲示した。家族だけの捜索から始まった活動は、警察OBや現役警察官も加わる長期の捜索へ変わっている。

古い写真にも情報を求める理由

家族の公式サイトでは、1999年8月ごろに成瀬駅周辺で撮影した写真を持つ人へ、背景に真代さんらしい人物が写っていないか確認してほしいと呼びかけている。現在なら駅や店舗に多数ある防犯カメラも、1999年当時は設置数が限られ、映像が残る期間も短かった。四半世紀後の捜索では、観光写真や家族写真の端に偶然残った人物像までが手掛かりになり得る。

公式サイトは警視庁町田署の協力を得て運営され、2022年には町田署が独自の捜索ポスターを作成して、署や交番などへ掲示した。家族が長年蓄積してきた情報と、警察の捜査が完全に別々に動いているわけではない。現在も情報提供先として町田警察署が明示されている。

27年後も、成瀬駅が捜索の出発点

2026年8月13日、家族と警視庁は、最後の目撃場所に近いJR成瀬駅前で再びチラシを配った。真代さんは現在45歳になる。公式サイトには、失踪当時の写真だけでなく、年月を重ねた現在の姿を想定した画像も掲載されている。

警視庁が現在公表しているのは「行方不明事件として捜査を続けている」という状態だ。27年間連絡がない理由は分かっていない。歯科医院へ行かなかったこと、水着やPHSがなくなっていたこと、旅行用の歯ブラシが残っていたこと、レンタルビデオ店で姿が確認されたこと、11年後に捜査1課が入ったこと。どれも事実の一部ではあるが、それだけで一つの結論を作ることはできない。

だからこそ家族は、1999年8月の成瀬駅周辺の写真まで探している。当時は何でもないと思った一枚の背景に、真代さんが写っている可能性がある。父親は27年目の情報提供活動で、年月がさらに延びても捜し続ける意思を示した。失踪から四半世紀を超えても、この事件には「最後にどこへ向かったのか」という最初の問いが残ったままだ。

参考資料・出典

関連事件

同じテーマの書籍を探す

この事件に関連するテーマから、書籍・資料をまとめて確認できます。