大岡山・千住連続殺人事件は、1925年の東京・大岡山事件と、1928年の千住事件で、それぞれ一家関係者3人、計6人が殺害された戦前の連続強盗殺人事件である。
五味銕雄と田中藤太は千住事件で逮捕され、盗品や供述から大岡山事件にも関与したと認定された。2人は1931年に死刑判決を受け、1933年3月7日に刑が執行された。
この事件には別の重大な問題がある。大岡山事件では田宮頼太郎が自白を根拠に起訴され、真犯人が判明する前に拘置中に死亡した。後に五味・田中宅から盗品が発見されても、田宮の取調べと誤認起訴の責任は十分に解明されなかった。
- 1925年に大岡山で一家3人が殺害された経緯
- 田宮頼太郎が犯人として起訴され獄死するまで
- 1928年の千住事件でさらに3人が殺害された背景
- 五味銕雄と田中藤太が二つの事件につながった経緯
- 大岡山事件で盗まれた品物が真相解明につながった理由
- 1931年の死刑判決から1933年の死刑執行まで
大岡山・千住連続殺人事件の概要
| 事件名 | 大岡山・千住連続殺人事件 |
|---|---|
| 第1事件 | 1925年9月、大岡山の一家3人殺害 |
| 第2事件 | 1928年8月、千住の一家関係者3人殺害 |
| 主な場所 | 東京府荏原郡碑衾町大岡山、東京府南足立郡千住町 |
| 死亡者数 | 計6人 |
| 犯人 | 五味銕雄、田中藤太 |
| 主な背景 | 金品目的、借金返済をめぐる問題 |
| 誤認起訴 | 大岡山事件で田宮頼太郎が起訴され、裁判中に獄死 |
| 一審判決 | 1931年4月20日、2人に死刑 |
| 刑の確定 | 五味は控訴せず確定、田中は上告棄却で確定 |
| 死刑執行 | 1933年3月7日 |
| 現在 | 刑事手続きは終了。誤認起訴の経緯が歴史的問題として残る |
1925年、大岡山の住宅で3人が死亡していた
最初の事件は1925年9月上旬、現在の東京都目黒区大岡山周辺で発覚しました。
現場となったのは、女優として活動していた中山歌子の家です。家の出入りがなく、不審に思った近隣住民らが異変に気づきました。
室内で見つかったのは、歌子の親族ら3人の遺体。23歳の女性、25歳の男性、9歳の女児が死亡していました。
当初は一家心中の可能性も考えられました。しかし司法解剖によって、3人はいずれも絞殺されたことが判明します。
さらに家からは預金通帳や印鑑、財布などが消えていました。盗まれた通帳を使い、銀行から520円が引き出されたことも明らかになります。
家の中で3人が殺され、金品が持ち去られている。捜査は物取り目的の殺人事件として進められました。
中山歌子本人は事件現場にいなかった
「女優一家3人殺し」とも呼ばれたため、女優の中山歌子本人が殺害されたと誤解されることがあります。
しかし、歌子本人は3人の死亡被害者には含まれていません。事件当時は現場を離れており、家族を一度に失うことになりました。
事件後も真犯人は見つからず、捜査は長期化します。
残された歌子は、誰が家族を殺したのかわからないまま時間を過ごしました。そして1928年4月、真犯人が判明する前に病気で亡くなったとされています。
つまり歌子は、家族3人を奪った人物が誰だったのかを知らないまま死亡したことになります。
田宮頼太郎が浮上|自白を根拠に犯人とされた
事件から約1年後、捜査は大きく動きます。 警察の取り調べを受けた田宮頼太郎という男性が、大岡山事件への関与を自白したのです。
田宮はもともと別の詐欺問題をめぐって警察と接点を持ちました。取り調べが続くなか、最終的に「大岡山の3人殺しをやった」という趣旨の供述へ至ります。
ところが、問題がありました。
田宮と犯行を直接結びつける決定的な物的証拠が乏しかったのです。それでも捜査側は自白を重く見て、田宮を犯人として手続きを進めました。
田宮は起訴され、予審のため市ヶ谷刑務所に収容されます。
しかし裁判で最終的な判断が示されることはありませんでした。収容中に結核を患い、1928年1月26日に死亡したためです。
犯人とされた男性が獄死、それでも事件は終わらなかった
田宮の死によって、本人が法廷で最後まで争う機会は失われました。
この時点では、捜査機関が田宮を犯人とする見方を崩していません。ところが、そのわずか数カ月後。東京の別の場所で新たな一家殺害事件が起きます。
その事件の捜査が、3年前の大岡山事件を根底からひっくり返すことになりました。
1928年、千住で醤油商一家をめぐる3人殺害
次の事件が起きたのは1928年8月です。
舞台は現在の東京都足立区にあたる千住。当時、醤油商を営んでいた山田角三郎さん(50歳)を中心とする一家が狙われました。
山田さんの妻まつさん(43歳)と、住み込みで働いていた渡邊嘉一郎さん(16歳)が死亡しているのが見つかります。 さらに山田さん本人も行方不明でした。
捜査を進めた警察が注目したのが、自動車運転手の五味銕雄です。五味は以前、山田さん所有の借家に住み、家賃を滞納していました。
それだけではありません。山田さんから金を借り、返済を求められていた事情も浮かびます。
「金を返す」と呼び出し、最初に山田さんを殺害
五味は失職して金に困り、同じく自動車運転手だった田中藤太を犯行に誘ったとされています。 1928年8月19日、五味は山田さんに「金を返す」と持ちかけ、田中の家へ呼び出しました。
そこで山田さんを殺害。続いて2人は山田さん宅へ向かい、妻のまつさんと16歳の渡邊さんも殺害したとされます。
山田さんの遺体は後に行李へ入れられ、川へ遺棄されました。
借金返済を迫られたことから、貸主を殺す。さらに家にいた妻と少年まで命を奪い、発覚を防ごうとする。結果として、また一つの家庭から3人が失われました。
五味銕雄と田中藤太を逮捕|捜査は3年前へ戻った
警察は五味を追及し、やがて田中との共犯関係が浮上します。 1928年8月、五味と田中は千住事件の犯人として逮捕されました。
ここまでなら、千住で起きた一家3人殺害事件の解決です。
しかし捜査は、思わぬ方向へ進みました。五味をさらに取り調べるなかで、1925年の大岡山事件が再び浮上したのです。
五味は、大岡山の3人殺害についても自分と田中による犯行だったと供述しました。 すでにこの事件では、田宮頼太郎が犯人として起訴され、獄中で死亡しています。
もし五味の供述が事実なら、捜査機関は別人を殺人犯として起訴していたことになります。
盗まれた指輪と時計|田宮犯人説を崩した物証
もちろん、新たな自白だけで真犯人を入れ替えることはできません。 決定的だったのは、大岡山事件で奪われたとされる指輪や時計でした。
これらの品が五味と田中側から見つかり、2人と大岡山事件を結ぶ証拠となります。 つまり田宮の場合とは違い、五味と田中については、供述だけでなく事件現場から失われた品物とのつながりが示されたのです。
こうして、大岡山事件も五味と田中による犯行として追及されることになりました。
田宮はすでにこの世にいません。自分が関与していなかった事件で起訴されたまま死亡し、真犯人判明を迎えることはできませんでした。
なぜ田宮頼太郎は虚偽の自白をしたのか
この事件には、今も簡単には説明できない点が残っています。 なぜ田宮は、自分が関与していない大岡山事件を自白したのか。
当時から取り調べのあり方には疑問が向けられました。後に真犯人が現れたことで、田宮に対する捜査と起訴の責任も問題になります。
ただし、田宮本人はすでに死亡していました。どのような心理状態で供述したのか、取り調べで何があったのかを、本人の言葉で改めて検証することはできません。
また田宮は、大岡山事件について正式な無罪判決を受けたわけではありません。裁判の途中で死亡したためです。
それでも後に五味と田中の犯行が明らかになったことで、田宮への起訴が誤っていたという問題は消えませんでした。
1931年の法廷|五味は6人殺害を前に反省を示さなかった
二つの事件をめぐる裁判は、1931年3月に本格化しました。
大岡山で3人、千住で3人。計6人が死亡した事件だけに、公判には大きな注目が集まります。
五味は法廷で主要な犯行を認めました。一方の田中は、自分の関与について五味ほど全面的には認めず、主導的立場ではなかったという趣旨の主張をしています。
さらに社会を驚かせたのが、五味の態度でした。 五味は多数の人を殺害した責任を問われても反省を示さず、殺人を自らの宿命のように語ったと当時の新聞は報じています。
6人の命が奪われ、その間には別人が犯人として獄死している。それでもなお、被害への向き合い方は極めて乏しいものでした。
1931年、五味銕雄と田中藤太に死刑判決
1931年4月20日、東京地裁は五味と田中の2人に死刑を言い渡しました。
五味は控訴せず、一審の死刑判決を受け入れます。これにより、五味の死刑はその段階で確定しました。
一方、田中は控訴。自分は五味に従った立場であり、同じ死刑とされることに納得できないとして争いました。
しかし控訴審でも結論は変わりません。さらに上告しましたが、1932年4月5日に棄却され、田中についても死刑が確定しました。
1933年3月7日、2人の死刑を執行
死刑確定後、五味と田中は収容を続けられました。 そして1933年3月7日、2人の死刑が執行されます。
1925年の大岡山事件から約7年半。二つの一家殺害事件をめぐる刑事手続きは、ここで終わりました。
しかし、すべてが解決したわけではありません。
田宮頼太郎がなぜ虚偽の自白へ至ったのか。物的証拠が乏しいなか、なぜ起訴まで進んだのか。そして、真犯人判明前に獄死した男性に対して、捜査機関は何をすべきだったのか。
死刑執行によって犯人への刑罰は完了しても、誤認起訴の問題までは消えませんでした。
現在も事件をどう見るべきか
事件からすでに100年前後が経過しています。 五味銕雄と田中藤太は1933年に死刑執行されており、現在も進行中の刑事裁判や再審手続きがある事件ではありません。
一方、大岡山事件をめぐる誤認起訴は、歴史的な刑事司法の問題として残っています。
自白があったから犯人だと考える。しかし、後から別の真犯人と物証が現れる――この経緯は、自白だけに過度に依存する捜査の危険性を示すものです。
しかも田宮は、生きて名誉回復の結果を見ることができませんでした。
一家6人を奪った連続殺人の重大さと、誤って起訴された男性の死。大岡山・千住連続殺人事件には、二つの重い問題が残されています。
大岡山・千住連続殺人事件が残した教訓
二つの事件には約3年の間隔がありました。
最初の大岡山事件では3人が殺害されながら、五味と田中は逮捕されませんでした。その間に別の男性が犯人とされ、獄死しています。
そして1928年、千住で再び3人が死亡しました。
もし最初の事件で真犯人へ到達していれば、後の3人は命を奪われなかった可能性があります。ただし、歴史上の経過について結果論だけで断定することはできません。
確かなのは、誤った犯人像へ捜査が固定される危険です。
一度「この人物が犯人だ」と考えれば、別の可能性が見えにくくなる。大岡山事件では、真犯人が別に存在する一方、田宮への追及が進められました。
その結末は、単なる捜査ミスという言葉では片づけられません。
田宮は裁判中に死亡し、約3年後には同じ犯人たちによって新たな3人が殺害されました。だからこそ、この事件は連続殺人事件であると同時に、誤認捜査の重さを伝える事件でもあるのです。
田宮頼太郎は無罪判決を受ける前に獄死した
田宮は大岡山事件への関与を自白し、殺人事件の被告人として起訴された。しかし公判中に病死したため、裁判所が有罪・無罪を言い渡す前に手続が終了した。
1928年、五味と田中が千住事件で逮捕された後、五味が大岡山事件を自白し、中山家から奪われた指輪や時計などが2人の関係先から見つかったと報じられた。検察は五味・田中を追起訴し、最終的に2人の犯行として死刑判決が言い渡された。
田宮について形式的な再審無罪判決が存在するわけではないが、後の真犯人認定によって、田宮への起訴が誤っていたことは歴史的な冤罪・誤認起訴問題として扱われている。
自白へ依存した捜査の検証は十分に行われなかった
当時の新聞は、田宮への取調べで拷問や強い誘導があったのではないかと疑問を示した。警察幹部は不法な取調べを否定し、真犯人判明後も田宮が関与していたという見方を捨てなかったと報じられている。
田宮がなぜ自白したのかを示す取調べ録音・映像は存在せず、本人も死亡している。現代の基準で取調べの全過程を再検証する資料は限られる。
それでも、自白だけを中心に起訴し、客観的な盗品・犯行機会との整合を十分に確認しなかった結果、無関係な男性が被告人の立場で死亡したという事実は重い。
1933年の死刑執行で刑事手続は終了した
東京地裁は1931年4月20日、五味と田中の双方へ死刑を言い渡した。五味は控訴せず、田中は東京控訴院と大審院で争ったが、1932年に死刑が確定した。
2人の死刑は1933年3月7日に執行された。2026年現在、進行中の刑事裁判や再審手続がある事件ではない。
現在残る課題は、6人を殺害した連続犯罪の記録とともに、誤って起訴された田宮の名誉回復が裁判によって行われないまま終わったことを、刑事司法史の問題として残すことである。
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