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名張毒ぶどう酒事件|農薬入りぶどう酒で5人死亡 冤罪論争が続く未解決性を残す事件(1961年)

事件概要

項目内容
事件名名張毒ぶどう酒事件
発生1961年3月28日
発生場所三重県名張市
被害者女性5人死亡、女性12人中毒
犯人奥西勝(逮捕・有罪確定)
犯行毒殺
逮捕1961年
判決死刑(確定)
死刑執行未執行
性質毒殺事件・冤罪論争

事件の注目ポイント

名張毒ぶどう酒事件は、1961年に三重県名張市の農村集落で発生した毒殺事件である。婦人会の懇親会で配られたぶどう酒に農薬が混入され、女性5人が死亡、12人が中毒症状を起こした。

事件では 奥西勝 が犯人として逮捕され死刑判決が確定したが、奥西は一貫して無実を主張し続けた。裁判では自白の任意性や証拠の信頼性が争われ、再審請求が繰り返されるなど、日本の冤罪事件の代表例の一つとして長年議論されている。


事件の発生

1961年3月28日、三重県名張市葛尾地区で婦人会の懇親会が開かれていた。

会合では飲み物として

ぶどう酒

が用意されていた。

参加した女性たちがこれを飲んだ直後、次々と体調不良を訴えた。

その後、

女性5人が死亡

し、さらに

12人が中毒症状

を起こした。

警察はぶどう酒に毒物が混入された可能性が高いとして、殺人事件として捜査を開始した。


犯行状況

捜査の結果、ぶどう酒には

有機リン系農薬(ニッカリンT)

が混入されていたことが判明した。

警察は、婦人会の男性関係者の中でぶどう酒の準備に関わっていた

奥西勝

を重要参考人として取り調べた。

取り調べの中で奥西は犯行を認める供述をしたとされ、その後逮捕された。

しかし奥西は後に供述を撤回し、

自白は取り調べで強要されたもの

だと主張するようになった。


捜査経過

警察は奥西勝を毒物混入の犯人として起訴した。

しかし事件では

  • 物証が乏しい
  • 自白の信用性
  • 毒物混入の機会

など多くの点が争われた。

特に、犯行を直接示す証拠は自白以外に乏しいことが問題となった。


裁判

名古屋地裁は1964年、

無罪判決

を言い渡した。

しかし検察が控訴し、名古屋高裁は一転して

死刑判決

を言い渡した。

1972年、最高裁はこの判決を支持し、

死刑が確定

した。


再審請求

奥西勝は無実を主張し続け、死刑確定後も再審請求を繰り返した。

裁判では

  • 自白の信用性
  • 毒物の種類
  • 犯行方法

などが争点となった。

再審開始決定が出たこともあったが、上級審で取り消されるなど審理は長期化した。


奥西勝の死去

2015年10月、奥西勝は収容されていた医療刑務所で

89歳で死亡

した。

死刑は執行されないまま死亡したため、事件は最終的な再審判断が出ないまま終わる形となった。


社会的影響

名張毒ぶどう酒事件は、日本の冤罪事件の中でも特に長く議論されてきた事件である。

特に

  • 自白偏重の捜査
  • 再審制度
  • 証拠開示

など、日本の刑事司法制度の問題を象徴する事件として取り上げられている。


現在の位置づけ

名張毒ぶどう酒事件は、死刑判決が確定した事件でありながら、冤罪の可能性が長く議論され続けている事件である。確定判決と冤罪論争が並存する事件として、日本の刑事司法史の中でも重要な位置を占めている。


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