尼崎連続変死事件【特集】|家族に家族を殴らせた角田美代子――「家族会議」で始まる支配と8人の死

特集記事のイメージ画像

同事件の事件記録:尼崎連続変死事件|8人の死亡と複数家庭への支配、角田美代子の死後に問われた7人の共謀

親族の揉め事を解決するための「家族会議」が、なぜ親族同士に暴力を振るわせる場になったのか。尼崎連続変死事件をめぐる公判で明らかになったのは、角田美代子という一人の女性が、家庭の中へ入り込み、家族同士を対立させ、やがて加害行為を分担させていった構造だった。2011年に見つかったドラム缶の中の遺体を端緒に、周辺で確認された死者は8人。だが、その中心人物は法廷に立つことなく死亡した。「支配されたから従った」という説明は、どこまで通用するのか。残された7人の裁判が、その難しい問いを突きつけた。

家族の中に「他人の判断」が入ってくる

尼崎連続変死事件は、死者の数だけで記憶されているわけではない。

一連の事件には、通常の犯罪報道ではなかなか見られない不気味さがあった。被害を受けた家庭が、一つではなかったこと。人間関係を壊された当事者が、別の当事者への暴力に加わっていたこと。そして、親族として暮らす人々の中に、血縁も婚姻関係も入り交じる、外からはつかみづらい集団が出来上がっていたことだ。

神戸新聞の継続取材によると、角田美代子が関わった家族の崩壊は、少なくとも4家族に及ぶ。手口には繰り返しがあった。家族間のもめ事に介入する。親族を集めた話し合いを開かせる。一人を責め、周囲にも責めさせる。その場で反論や抵抗が難しくなると、加害行為の担い手を家族の側へ移していく。

「家族会議」という言葉は、普通なら問題を解決するためのものだ。しかし、この事件で報じられた会議は、話し合いの形を借りて、誰が誰を責めるべきかを決める場になっていた。

美代子に叱責された家族は、次に別の家族を叱責する側へ回る。そこでは、近しい人を守ることが、指示に逆らうことにもなり得た。愛情や忠誠心そのものが、相手を傷つけるよう迫るための材料に使われたのである。

これは心理学用語を後から当てはめただけの説明ではない。当時の公判を取材した報道には、家族会議で親族による暴力を促したとする具体的な証言が残されている。その証言と裁判所の認定を読み合わせると、事件の特徴が見えてくる。

美代子の支配の恐ろしさは、自分が暴力を振るうことだけではなく、家庭の内部に対立と監視を作り出したことにあった。

香川の家庭に入った女性――「親戚の問題」が逃げ場を失わせる

角田美代子の関与が明らかになった経緯の一つに、香川県の家庭で起きた出来事がある。

2015年の裁判では、皆吉初代さんの娘である角田瑠衣が、2003年に初代さんの自宅で起きた虐待について証言した。神戸新聞の公判報道によると、当初、親族の問題をきっかけに美代子がその家庭へ入り込んだ。その後、親戚を集めた会議が繰り返され、親族に初代さんを責めさせ、暴行させる状況が生じたという。

ここで注意したいのは、裁判で語られた虐待の詳細と、最終的に裁判所が有罪と認定した事実の範囲が、常に同じとは限らないということだ。証言には証言者の立場があり、別の当事者による否認もある。この特集では、証言として報じられた内容を、そのまま美代子本人に対する確定判決とみなさない。

それでも、家族の内側で起きたことを考えるうえで、この証言は重い。

家族間の悩みは本来、家族自身が解決するか、外部の専門機関に相談する問題だ。ところが、外から来た人物が話し合いの進行役を奪い、誰の言い分が正しいか、誰を罰すべきかまで決めるようになると、当事者は自分の判断を失いやすくなる。

事件では「逃げればいい」という外部の視点が、容易には通用しなかった。家を離れても親戚づてに居場所を探られ、戻されたとされる事例が報じられている。親族の住所や連絡先が、本来の安心のためでなく追跡の手掛かりになっていた。

ただし、すべての家族が同じ手順で取り込まれたわけではない。美代子の関与が及んだ時期も、各家庭の事情も違う。個別の人間関係を一つの「マニュアル」に押し込めず、共通する構造だけを慎重に取り出す必要がある。

「普通のおばちゃん」と見られた過去

事件の中心人物とされた角田美代子は、最初から周囲に恐れられる存在として認識されていたわけではない。

神戸新聞は2022年、美代子を過去に弁護し、事件発覚後も接見を重ねた弁護士に取材している。その弁護士は、美代子と初めて会った際には、ごく普通の女性という印象を持ったと振り返った。

角田美代子の写真(左)と、事件を扱った書籍の表紙(右)
角田美代子の写真(左)と、事件を扱った書籍の表紙(右)。

2000年、美代子は親族らとの集団窃盗事件で起訴された。報道によれば、その裁判では、検察側が指摘した美代子主導という見立てが退けられ、執行猶予付きの判決が言い渡された。弁護士は後年、当時の主張が結果として間違っていたと悔やんでいる。

もちろん、その時点で後に起きるすべてを予見できたという意味ではない。2000年の事件で何が立証され、何が立証されなかったのかと、後年の集団生活で何が起きたかは区別しなければならない。

だが、人物像として示唆的だ。美代子は、外部の人には礼儀正しく見える場面があった。一方、親しい関係に入り込んだ人には、言葉と暴力で強い影響力を及ぼしていたとされる。

周囲の評価が割れる人物を、単純な「悪人の顔」で描いても実像には迫れない。事件の恐怖は、特別な場所に閉じ込められた人たちだけのものではなかった。普段の生活と同じ建物、同じ台所、同じ食卓が、他人の命令に従わされる場所になったことにあった。

美代子がなぜ家族という単位に執着したのか。その内面は、本人が十分な供述を残さず死亡したため、完全には分からない。弁護士による「理想の家族を求めていたのではないか」という見方は、一つの人物評であり、司法が認定した動機とは区別するべきだ。

「角田ファミリー」の中で、被害者と加害者が入れ替わる

美代子の周囲では、血縁のない人物が養子縁組や婚姻などで結び付けられ、共同生活を送っていた。この集団は報道で「角田ファミリー」と呼ばれた。

その中には、外部の家庭から取り込まれた人、若いころから美代子の影響下に置かれた人、生活の場を維持するために周囲へ同調した人がいた。そして何人かは、被害者を監禁し、虐待し、死亡に至らせる行為に加わったとして起訴された。

2015年の裁判で、角田瑠衣の裁判は特に複雑な事情を示した。瑠衣は17歳で集団生活に入ったとされる。神戸地裁は、彼女が美代子の価値観を受け入れるに至った境遇を考慮する一方、犯行に自分の判断で加わった面も無視できないと判断し、懲役23年を言い渡した。

この判断には、二つの異なる現実が含まれる。

一つは、支配的な共同生活の中に長年置かれた人が、自由に抵抗したり逃げたりしにくくなる現実。もう一つは、他人に重い危害を加える行為に具体的に関与した場合、その責任を個別に問わなければならないという現実だ。

「洗脳されていた」という一言で全員を説明すれば、個人ごとの判断も、具体的な行為の違いも消えてしまう。「共犯だから全員同じ」と決めつければ、誰が主導し、誰が命令され、どの時点で何を知っていたかが見えなくなる。

この事件の裁判は、その両方を避けようとした。少なくとも、判決文は各人の関与と認識を区別している。

沖縄の崖、マンションの物置――繰り返された死

一連の公判では、複数の死亡事件が審理された。

2005年7月には、角田久芳さんが沖縄県の崖から転落して死亡した。裁判所は、周囲からの暴行や精神的な追い込みによって、自分の意思だけで自由に拒否できる状況ではなくなり、飛び降りを強いられたと認定した。保険金取得の目的も、量刑判断で重視された。

2008年12月には、仲島茉莉子さんが尼崎市内のマンションのベランダにあった物置で監禁され、虐待を受けて死亡した。2011年7月には、橋本次郎さんも同様に監禁され、死亡した。

「物置」という言葉は、日常の風景の一部だ。だからこそ、そこが人の生命を奪う場所となっていたことは衝撃的だ。裁判資料が示すのは、暴行や飲食の制限、監禁が一時的な口論ではなく、生活の中で継続していたということである。

ただし、ここでも、死亡の経緯を一括りにしてはいけない。2015年9月16日の神戸地裁判決は、3人の被告について、久芳さんと茉莉子さんの事件では殺人罪を認めた一方、次郎さんの事件は殺意の立証が十分でないとして傷害致死罪にとどめた。死亡という結果が同じでも、誰が何を知り、どのような意思で関わったかによって、刑事責任の内容は異なった。

この点は、事件を残虐さだけで記述すると失われやすい。裁判では、監禁を知っていたこと、虐待の程度を認識していたこと、死ぬ危険を理解していたことが、それぞれ別の問題として検討された。

亡くなった人がいる以上、周囲の誰もが同じ罪を負う、というわけではない。逆に、直接手を下していないから責任がない、というわけでもない。長期間の共同生活と共同の犯罪行為が、法廷でどのように検証されたのか。そこにこの事件の難しさがある。

2011年、貸倉庫のドラム缶から事件がほどけ始めた

2011年11月。尼崎市の貸倉庫で、ドラム缶の中に入れられた女性の遺体が発見された。

亡くなっていたのは大江和子さん、当時66歳。この発見が、一連の不審死や行方不明をたどる捜査の端緒になった。2012年には別の住宅の床下などからも遺体が見つかり、疑いは美代子の周辺にいた複数の家族へと広がっていった。

最終的に警察が確認した死者は男女8人に上った。しかし、「8人の死亡が確認された」ことと、「8人全員の殺人について、同じ人物の刑事責任が確定した」ことは違う。死亡の経緯、立件の範囲、共犯者の有罪認定には個別の違いがある。

発見された遺体は、一つの事件が終わっていたことを意味すると同時に、別の家族で起きていた出来事を掘り起こす手掛かりにもなった。ある人の行方が分からなくなり、別の人の死亡が判明し、集団生活の実態が明らかになっていく。捜査の輪郭は、初めから全体が見えていたわけではない。

この事件に触れるとき、「なぜもっと早く気付けなかったのか」という疑問が生じる。だが、見えていなかったのは事件全体のつながりだけではない。家庭の内部で起きる強制や暴力が、外部には普通の親族トラブルに見えてしまうことの危うさもあった。

もっとも、個別の通報や捜査対応の過失を、ここで資料なしに断定するべきではない。早期の介入可能性を検証するには、通報記録や当時の対応を別途確認する必要がある。

角田美代子は「主犯」として裁かれなかった

事件の中心人物とされた美代子は、2011年11月に逮捕され、その後も捜査の対象となった。しかし2012年12月12日、兵庫県警本部の留置場で死亡した。64歳だった。

本人の刑事裁判は結末まで行われなかった。したがって、美代子について、共犯者と同じ意味で「有罪判決が確定した」と書くことはできない。

これは単なる手続き上の注釈ではない。美代子本人が、複数の死亡事件の経緯について法廷で問いただされ、証言と証拠を突き合わせながら答える機会は失われた。その空白が、後の裁判に重く残った。

美代子の死亡は、捜査や社会の検証に別の問題も投げかけた。兵庫県弁護士会は2013年の会長声明で、留置場における自殺防止のあり方と、長期間にわたる警察施設での勾留の問題を指摘している。重大事件の被疑者を拘束しながら、その生命と健康をどう守るのか。犯行の重大さとは別に、検討されなければならない問題である。

神戸新聞が後に取材した弁護士は、美代子が逮捕後、共同生活の仲間の将来を気にしていたことを語っている。この証言からも彼女の内面の全体が分かるわけではない。むしろ、強い支配を及ぼしたとされる一方で、本人はその集団を「家族」と捉えていたのかもしれないという、整理しきれない矛盾が残る。

「なぜ家族を壊したのか」を本人の口から十分に確かめられない。その事実こそ、この事件が今も不気味な余白を持つ理由の一つだ。

残された7人の裁判は、何を明らかにしたのか

美代子が死亡した後、親族ら7人の刑事裁判が続いた。

神戸地裁では、個別の事件ごとに共謀の有無、殺意、実行への関与が争われた。判決は、単に同じ家で生活していたという理由で有罪にしたのではない。監禁の指示を知っていたか、被害者の状態を把握していたか、暴行や遺体の隠匿にどう関わったかを詳細に調べた。

2015年9月の判決では、角田三枝子、角田健太郎、鄭頼太郎の3人にそれぞれ懲役21年が言い渡された。判決書は、集団の中で美代子の意向に逆らうことが相当に難しかった事情を考慮しつつ、重大な犯罪への共謀を認定した。

一方、李正則の事件では、他の親族より重要で積極的な役割を担ったと判断され、無期懲役となった。2017年の大阪高裁は、一審が用いた美代子に「匹敵する」という評価を修正しつつも、彼女に次ぐ重要な役割を果たしたとして無期懲役を維持した。2018年3月、最高裁が上告を棄却した。

誰が最も重い刑を受けたかという比較だけではない。裁判の経過は、支配者の周囲にいた人々にも一様ではない責任があったことを示した。

神戸新聞は、親族ら7人について、最終的に懲役15年から無期懲役までの刑が確定したとまとめている。それは美代子本人の刑事責任について結論が出たことを意味しないが、複数の死亡が偶然に続いたのではなく、集団による犯罪行為が実際に繰り返されたことを、法廷が具体的な罪として認定した結果である。

もっとも恐ろしいのは、「家族」を口実に他人を傷つけさせることだった

角田美代子の事件を語るとき、「家族を乗っ取った女」という表現は強い。しかし、言葉の強さに頼りすぎると、何が起きたのかが曖昧になる。

実際に見えてくるのは、もっと具体的な過程だ。身内の争いに第三者が介入する。誰か一人を責めるために、他の家族を動員する。命令に従った人が、次にはその行為を理由に集団から離れにくくなる。そして、暴力や監禁が日常の決まりごとのように繰り返される。

これはこの事件の公判や取材記録から読み取れる支配の構図である。ただし、すべての人が同じ心理を経験したと断定できるわけではない。家族ごとの事情も、加害に至る経緯も異なる。

それでも、「家族だから守る」という当然の感覚が、「家族なら一緒に責めろ」という命令にすり替えられたとき、抵抗の支点が失われていく。その変化は、事件の残酷な部分の一つだった。

そして見落としてはいけないのは、美代子に従ったとされる人たちの中にも、自らの判断で加害を続けた部分があると裁判所が認定していることだ。支配の存在を無視すれば事件を理解できないが、支配だけですべてを免責すれば、犠牲になった人たちの苦痛を軽く扱うことになる。

尼崎連続変死事件が問い続けているのは、家庭という最も近しい人間関係が、なぜ暴力と恐怖によって反転したのか、ということだ。

2011年にドラム缶の中から遺体が発見されたとき、社会が目にしたのは、長年にわたり家族の内部で進んでいた破壊の一端にすぎなかった。残された判決文と公判記録を読み直すほど、事件の中心に浮かび上がるのは、「支配者の異常さ」だけではない。普通の生活の内側に入り込んだ暴力が、どのように人々の判断と関係を変え、別の被害者を生んでいったかという過程そのものだ。


事件の要点

  • 発覚:2011年11月、兵庫県尼崎市の貸倉庫で女性の遺体が発見されたことが端緒
  • 中心人物とされた人物:角田美代子(2012年12月12日、兵庫県警本部の留置場で死亡。64歳)
  • 被害:美代子の周辺で男女8人の死亡を確認。死亡に関する起訴・有罪認定の範囲は事件ごとに異なる
  • 特徴:複数家庭への介入、親族間の対立の強制、共同生活下での監禁・虐待、加害行為への共謀
  • 司法判断:美代子本人に対する有罪判決はない。親族ら7人の刑が懲役15年から無期懲役までで確定
  • 主な判決:2015年9月16日、神戸地裁で3人に懲役21年。李正則については無期懲役が2018年に確定

参考資料・出典

  1. 神戸地方裁判所、2015年9月16日宣告「尼崎連続変死事件に関する3被告の判決」
  2. 神戸新聞NEXT、2022年12月12日「『家族』を乗っ取り暴力と恐怖で支配、8人が連続変死」
  3. 神戸新聞NEXT、2015年1月12日の公判報道「初代さん『毎日殴られていた』 瑠衣被告が虐待を証言」
  4. 神戸新聞NEXT、2016年2月13日「尼崎連続変死事件 発覚4年超、最後の一審判決」
  5. 神戸新聞NEXT、2017年3月17日「李被告、控訴審も無期懲役判決」
  6. 神戸新聞NEXT、2018年3月9日「李被告の無期確定へ 最高裁が上告棄却」
  7. 兵庫県弁護士会、2013年2月5日「尼崎連続変死事件・角田元被告人自殺事件に関する会長声明」