北海道庁爆破事件|大森勝久死刑囚と第4次再審請求の争点

公開日 2026年7月27日
最終更新 2026年7月31日

北海道庁爆破事件は、1976年3月2日、札幌市中央区にある北海道庁本庁舎の1階で時限爆弾が爆発し、職員2人が死亡、95人が重軽傷を負った事件である。現在では第4次再審請求が札幌地裁で審理されており、再審開始や無罪が決まった事実はない。法的には、現在も死刑が確定した状態である。

POINT
この記事でわかること
  • 北海道庁で職員2人が死亡した爆発の状況
  • 大森勝久死刑囚が逮捕・起訴された経緯
  • 自白がない中で有罪認定を支えた状況証拠
  • 一審から最高裁まで死刑が維持された流れ
  • 大森死刑囚が冤罪を主張している理由
  • 第1次から第3次までの再審請求の結果
  • 第4次再審請求で争われている目撃証言の信用性
項目内容
一般的な事件名北海道庁爆破事件
別称道庁爆破事件、北海道庁庁舎爆破事件
発生日1976年3月2日
発生時刻午前9時2分ごろ
発生場所北海道札幌市中央区の北海道庁本庁舎1階西側エレベーター前
使用された爆発物消火器を利用した時限式爆弾
死亡者北海道庁職員の男女2人
負傷者95人
犯行声明「東アジア反日武装戦線」を名乗る声明文が発見された
被告人大森勝久(事件当時26歳)
逮捕1976年8月10日に別件の爆発物取締罰則違反容疑で逮捕され、その後本件で逮捕
起訴された罪爆発物取締罰則違反、殺人、殺人未遂
一審判決1983年3月29日、札幌地裁が死刑
控訴審判決1988年1月21日、札幌高裁が控訴を棄却
上告審1994年7月15日、最高裁が上告を棄却
刑の確定死刑確定
本人の主張捜査段階から犯行を否認し、冤罪を主張
第4次再審請求2025年6月30日付で札幌地裁へ申し立て
現在死刑は未執行。第4次再審請求が審理中

出勤時間帯の北海道庁で爆発が起きる

事件が起きたのは、1976年3月2日午前9時2分ごろである。北海道庁本庁舎1階の西側エレベーター前に置かれていたバッグが突然爆発した。中には、消火器を本体に利用した強力な時限式爆弾が仕掛けられていた。現場は、始業時刻を前に多くの職員が行き交う場所である。爆発の瞬間、周囲にいた人々は強烈な爆風と飛散物に襲われた。

エレベーターホールの天井は一部が崩れ、壁や窓ガラスも大きく損壊している。庁舎内には煙や粉じんが立ち込め、負傷者の救護と避難が急いで行われた。

道庁職員2人が死亡、95人が重軽傷

爆発によって、出勤途中だった北海道庁職員の男女2人が死亡した。さらに、職員や庁舎を訪れていた人など95人が重軽傷を負っている。爆弾事件としては、戦後の北海道で極めて大きな人的被害が生じた事件だった。被害に遭った人々は、政治活動や犯人側の主張とは無関係である。普段どおり仕事へ向かい、庁舎内を歩いていただけだった。

事件を思想的な背景や再審問題だけで語れば、突然命を奪われた2人と、多くの負傷者が受けた苦痛が見えにくくなる。どのような政治的主張があっても、不特定多数を巻き込む爆破行為が正当化されることはない。

消火器と時計を使った時限爆弾

捜査機関と確定判決は、事件に使われた爆発物を、消火器へ混合爆薬を詰めた時限式爆弾と認定した。消火器はスポーツバッグのような入れ物に収められ、時計を加工した時限装置と電気雷管が取り付けられていたとされている。爆発物は、人通りが多くなる時間を狙うように作動した。

午前9時2分という設定が偶然だったのか、それとも出勤者が集中する時間を意図したものだったのか。裁判所は、庁舎内にいる多数の人を死亡させる危険性が認識されていたと判断している。

地下鉄大通駅で犯行声明文が発見される

事件当日の昼ごろ、北海道新聞社に爆破事件に関する電話が入った。連絡を受けて確認したところ、札幌市営地下鉄大通駅のコインロッカーから犯行声明文が見つかる。声明文はタイプライターで作られ、「東アジア反日武装戦線」の名称が記されていた。

内容は、日本によるアイヌ民族への支配や北海道開拓を批判し、北海道庁を攻撃対象と位置付けるものだった。ただし、声明文にこの名称が書かれていたからといって、1974年から連続企業爆破事件を起こした既存の部隊が実行したと直ちに確定したわけではない。捜査では、同じ思想に影響を受けた人物による犯行も視野に入れ、声明文の文章、記号、作成方法などが詳しく調べられた。

前年には北海道警察本部でも爆破事件が起きていた

北海道庁爆破事件の約8カ月前となる1975年7月、北海道警察本部の庁舎内でも爆発物が爆発し、複数の負傷者が出ていた。この事件でも、「東アジア反日武装戦線」を名乗る声明文が札幌市内のコインロッカーから見つかっている。道警は、二つの事件に思想面や手口の共通点があるとみて捜査した。

一方、大森死刑囚が起訴されたのは北海道庁爆破事件である。北海道警察本部の爆破事件について有罪判決が確定したわけではなく、両事件を同じものとして扱うことはできない。

大森勝久はどのような人物だったのか

大森勝久は1949年、岐阜県に生まれた。岐阜大学を卒業した後、教員として勤務せず、日雇い労働などを経験している。その後は北海道へ移り、苫小牧や札幌で生活していた。事件当時は26歳である。大森は当時、反日思想やアイヌ民族をめぐる政治思想へ関心を持ち、活動家らと接点があったとされている。

ただし、特定の政治思想を持っていたことや、過激な主張へ共感していたことだけでは、爆破事件を実行した証明にはならない。裁判でも、思想的な傾向は単独の有罪証拠ではなく、目撃証言や爆発物に関する鑑定などと組み合わせて評価された。

事件から約5カ月後、別件容疑で逮捕

1976年8月10日、大森は北海道を離れようとしていたところを、苫小牧港で逮捕された。最初の容疑は、北海道庁爆破事件そのものではない。爆発物の製造に使う器具を所持していたとする、別件の爆発物取締罰則違反だった。道警は大森が住んでいた部屋などを捜索し、爆発物の部品や原料との関連を調べる。

その後、大森はいったん処分保留となった後、北海道庁爆破事件の容疑で改めて身柄を拘束された。札幌地検は、爆発物取締罰則違反、殺人、殺人未遂の罪で大森を起訴している。

大森勝久は捜査段階から犯行を否認

大森は、北海道庁へ爆弾を置いたことも、爆弾を製造したことも認めなかった。犯行声明文の作成やコインロッカーへの投函についても否定している。この事件では、被告人による犯行の自白がない。爆弾や声明文から、大森の指紋などが決定的証拠として検出された事件でもなかった。

そのため刑事裁判では、複数の状況証拠を積み重ねることで、大森が実行犯と認定できるかが争われる。自白がないことは無罪を意味しませんが、状況証拠の一つ一つに高い信用性が求められる事件だった。

有罪認定を支えた三つの柱

確定判決は、単一の証拠だけで大森を実行犯と認定したわけではない。大きく分けると、次の三つの関連性が重視された。

  • 事件に使用された爆発物と大森との結び付き
  • 犯行声明文と大森の思想・筆跡などとの結び付き
  • 爆弾を現場へ運び、設置した人物と大森との結び付き

裁判所は、それぞれの証拠だけでは犯行を直接証明できなくても、相互に補い合うことで犯人性を認定できると判断した。弁護側は反対に、一つ一つの証拠が弱いにもかかわらず、弱い証拠同士を重ねて死刑判決へ結びつけたと批判している。

爆発物の原料成分をめぐる鑑定

有罪認定の柱の一つとなったのが、北海道警察の科学鑑定だった。道警側は、大森の居室にあったカーテンや敷物などから、爆薬原料と関連する成分が検出されたとした。また、押収された部品や道具の一部が、爆弾製造に使用できるものだったことも状況証拠として扱われている。

弁護側は、大森の部屋から爆薬の主原料そのものは見つかっていないと反論した。さらに、鑑定に要した時間や試料の量、検査手順を示す記録に不自然な点があり、鑑定結果は信用できないと主張している。

犯行声明文の記号と筆跡が証拠となった

地下鉄大通駅で発見された声明文には、タイプされた文章だけでなく、手書きの記号が複数残されていた。捜査機関は、この記号の書き方が大森の筆跡と似ているとんだ。声明文の思想的内容と、大森が当時書いていた文章や主張との類似性も、有罪を支える事情の一つとされている。

一方、思想や問題意識が似ている人物は大森だけとは限らない。弁護側は、声明文を大森が作成したと断定できる証拠ではないと争った。この手書き記号は、後に第3次再審請求の中心的な争点になる。

事件前に大森に似た男性を見たという目撃証言

もう一つの重要な証拠は、事件前に北海道庁近くで男性2人を見たという目撃証言だった。目撃者は、2人のうち一人が大森によく似ていたという趣旨の証言をしている。確定判決は、この男性らが爆弾の入ったバッグを運び、現場へ設置した可能性を認めた。

しかし、目撃時間や場所、目撃者と男性との距離、顔を見られた時間には争いがある。弁護側は、短時間ですれ違った人物を、事件後の記憶だけで大森と結びつけるのは危険だと主張した。この目撃証言は、2025年に申し立てられた第4次再審請求で、改めて正面から争われている。

1983年、札幌地裁が大森勝久に死刑判決

大森の初公判は1977年2月に開かれ、その後、長期間にわたって証拠調べが続いた。1983年3月29日、札幌地方裁判所は大森を犯人と認定し、死刑を言い渡す。判決は、多数の職員が出勤する時刻を狙って強力な爆弾を作動させた行為について、不特定多数を巻き込む危険性の高い犯行だったと評価した。

被害は死者2人、負傷者95人に及び、政治的な目的を掲げたとしても酌量の余地はないと判断されている。大森側は犯人性を争い、札幌高裁へ控訴した。

札幌高裁でも死刑判決を維持

控訴審では、目撃証言や爆発物に関する鑑定を含め、多くの証拠が改めて検討された。札幌高裁は一審判決の証拠評価を一部整理し直しましたが、大森が爆弾を製造し、北海道庁へ設置したという結論は変更しなかった。1988年1月21日、札幌高裁は大森側の控訴を棄却し、死刑判決を維持する。

弁護側は、犯行へ直接結びつく決定的証拠がなく、状況証拠の評価に誤りがあるとして最高裁へ上告した。

1994年7月15日、最高裁で死刑確定

1994年7月15日、最高裁判所は大森側の上告を棄却した。これにより、爆発物取締罰則違反、殺人、殺人未遂を認定した死刑判決が確定している。事件発生から死刑確定まで、約18年が経過していた。

大森は確定後も、自分は北海道庁爆破事件の犯人ではないとの主張を変えなかった。死刑確定から30年以上が過ぎた現在でも刑は執行されておらず、再審を求める手続きが続いている。

大森勝久が冤罪を主張する理由

大森死刑囚と弁護団は、確定判決の有罪認定を支えた証拠には重大な疑問があると主張している。

  • 爆薬の主原料を所持していたことが確認されていない
  • 道警の科学鑑定には手続きや記録上の疑問がある
  • 犯行声明文の筆跡を大森のものと断定できない
  • 事件現場付近の目撃証言には距離や記憶上の問題がある
  • 大森を犯行へ直接結びつける自白や決定的証拠がない

これらは、弁護側が再審を求めるために提出している主張である。現在まで裁判所は、個々の証拠に疑問が指摘されても、確定判決全体に合理的な疑いを生じさせるほどではないとして、再審開始を認めていない。北海道庁爆破事件は、冤罪が確定した事件ではなく、死刑確定者が冤罪を主張し続けている事件である。

第1次再審請求では道警の科学鑑定を争う

大森死刑囚は、2002年7月30日、札幌地裁へ第1次再審請求を申し立てた。主な争点となったのは、大森の居室にあった物から爆薬原料に関連する成分を検出したとする北海道警察の鑑定である。弁護側は、鑑定作業に必要な時間と記録が一致しないことや、使用した試料の量に関する説明が変化したことなどを指摘した。

再審請求審では、当時鑑定を担当した元職員の証人尋問も行われている。札幌弁護士会は、鑑定の信用性が揺らいでいるとして慎重な判断を求めた。しかし、札幌地裁は2007年3月に請求を棄却。札幌高裁への即時抗告、最高裁への特別抗告も退けられ、2011年12月に第1次請求の棄却が確定した。

第2次再審請求も最高裁で棄却

2013年1月23日、弁護団は札幌地裁へ第2次再審請求を申し立てた。弁護側は、爆発物の構造や原料、大森の居室から押収された物との関連などを改めて争う。それでも札幌地裁は2016年3月28日、新証拠によって確定判決の認定へ合理的な疑いが生じたとはいえないとして、請求を棄却した。

札幌高裁も2017年1月11日に即時抗告を棄却。最高裁は同年7月18日、特別抗告を退けた。これにより、第2次再審請求の手続きも終了している。

第3次再審請求では犯行声明文の筆跡を争う

2019年2月、大森死刑囚は第3次再審請求を行った。弁護側が新証拠として提出したのは、犯行声明文に手書きされた記号をコンピューターで解析した専門家の報告書である。報告書は、声明文の記号と大森が書いた記号は一致せず、別人によって書かれた可能性が高いとする内容だった。

札幌地裁は2021年12月、鑑定手法の合理性や結果の信用性に疑問が残るとして請求を棄却する。札幌高裁も、声明文は筆者を特定されないよう意識的に普段と異なる字形で書かれた可能性があると指摘し、2023年3月に即時抗告を退けた。弁護側は最高裁へ特別抗告しましたが、2024年1月に棄却されている。

2025年、第4次再審請求を申し立てる

弁護団は、2025年6月30日付で札幌地裁へ第4次再審請求を申し立てた。今回は、爆発物の原料や犯行声明文ではなく、事件現場付近で大森に似た人物を見たとする目撃証言が中心である。有罪判決は、男性2人のうち一人が大森に非常によく似ていたとする証言を重く評価した。

弁護側は心理学の専門家に依頼し、事件当時の目撃者と男性の位置関係、距離、明るさ、視線の方向などを再現する実験を行っている。この結果をまとめた意見書が、第4次請求の新証拠として提出された。

新鑑定は「顔を知覚できる状況ではなかった」と指摘

弁護側が提出した意見書は、目撃者が男性の顔を正確に知覚できる位置関係ではなかったと指摘している。仮に一瞬顔が見えていたとしても、その記憶を最初の事情聴取まで正確に保つことは難しいというのが専門家の評価である。目撃証言は、犯人が大森であることを裏付ける重要な証拠だった。

その信用性が大きく損なわれれば、爆弾や声明文に関するほかの状況証拠を含め、有罪認定全体を見直す必要があると弁護団は主張している。ただし、これは弁護側の新鑑定による結論である。裁判所がその内容を採用し、確定判決へ合理的な疑いが生じると判断した段階ではない。

目撃証言だけで有罪が決まったわけではない

第4次再審請求では目撃証言が注目されていますが、確定判決は目撃証言だけで大森を有罪にしたわけではない。爆発物の材料に関する鑑定、押収された部品、声明文の内容や記号、大森の思想的背景など、複数の事情が総合されている。裁判所が第4次請求を判断する際には、新たな意見書だけでなく、確定判決時の全証拠との関係が検討される。

一方、状況証拠が互いを補う構造である以上、重要な一つが崩れれば、ほかの証拠の評価も弱まるというのが弁護側の立場である。目撃証言の問題が、確定判決全体を揺るがすほどの新証拠に当たるかが、今後の焦点になる。

再審請求中でも死刑確定者という立場は変わらない

再審を申し立てただけで、確定判決の効力がなくなるわけではない。裁判所が再審開始を決定し、その決定が確定した後、改めて裁判が開かれる。大森死刑囚については、第1次から第3次までの再審請求がすべて棄却された。第4次請求についても、再審開始決定は出ていない。

したがって、現在の法的立場は、殺人などの罪で死刑が確定した死刑囚である。同時に、本人が犯行を認めておらず、現在も司法手続きによって無実を訴えていることも正確に記す必要がある。

死刑事件で証拠の検証が重要となる理由

北海道庁爆破事件では、2人の命が奪われ、95人が負傷した。犯行の結果は極めて重大である。一方、死刑は執行後に誤判が明らかになっても、失われた命を戻すことができない刑罰でもある。そのため、被害の重大さと、有罪認定の正確さを検証する必要性は両立する。

被害者の尊厳を守るために真犯人を正しく処罰することと、無実の人物を処罰しないことは、対立する目的ではない。再審請求を検討する際にも、被害者への配慮と「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の原則の双方が求められる。

現在の状況|第4次再審請求が札幌地裁で審理中

事件発生から現在までの主な経過は、次のとおりである。

  • 1976年3月2日:北海道庁本庁舎で時限爆弾が爆発し、職員2人が死亡、95人が負傷
  • 同日:地下鉄大通駅のコインロッカーから犯行声明文を発見
  • 8月10日:大森勝久を別件の爆発物取締罰則違反容疑で逮捕
  • 同年9月:北海道庁爆破事件で逮捕・起訴
  • 1983年3月29日:札幌地裁が死刑判決
  • 1988年1月21日:札幌高裁が控訴を棄却
  • 1994年7月15日:最高裁が上告を棄却し、死刑確定
  • 2002年7月30日:第1次再審請求を申し立て
  • 2011年12月:最高裁が特別抗告を棄却し、第1次請求が終了
  • 2013年1月23日:第2次再審請求を申し立て
  • 2017年7月18日:最高裁が特別抗告を棄却し、第2次請求が終了
  • 2019年2月:第3次再審請求を申し立て
  • 2024年1月:最高裁が特別抗告を棄却し、第3次請求が終了
  • 2025年6月30日:第4次再審請求を札幌地裁へ申し立て

現在も、大森勝久死刑囚の死刑は執行されていない。第4次再審請求について、札幌地裁が再審を開始するか、請求を棄却するかの決定を出したとの公表情報も確認されていない。したがって、現段階で大森死刑囚を「無罪になった人物」や「再審開始が決まった人物」と表現することはできない。

正確な表現は、死刑が確定している一方、本人が無実を主張し、第4次再審請求中の死刑囚である。

北海道庁爆破事件が残したもの

北海道庁爆破事件では、出勤途中だった職員2人の命が奪われ、95人が負傷した。被害者たちは、犯行声明に書かれた政治的主張とも、犯人が敵視したとされる政策とも直接関係のない人々である。不特定多数が行き交う庁舎で爆弾を作動させた行為は、市民を巻き込む無差別テロの危険を社会へ突き付けた。

同時に、この事件の裁判は、直接証拠がない中で複数の状況証拠をどのように評価するかという問題を残している。大森死刑囚は逮捕から半世紀近くにわたり、犯行を否認していた。再審請求で新たな証拠が提出されるたび、確定判決を見直すほどの疑いが生じたかが問われている。

ただし、冤罪の主張だけを強調し、死亡した職員や負傷者の存在を置き去りにすることも許されない。被害者が受けた被害を忘れず、死刑判決の証拠に誤りがないかを厳密に検証すること。北海道庁爆破事件は、その両方を現在まで問い続けている。

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