1966年12月5日未明、福岡市の電器店「マルヨ無線」で、宿直中の店員2人が襲われた。現金約22万円が奪われ、店内は火災となり、1人が死亡、1人が重傷を負った。以前この店で働いていた尾田信夫と当時少年だった共犯者が逮捕・起訴され、尾田には死刑、共犯者には実刑が確定した。
尾田の死刑は1970年11月12日の最高裁上告棄却で確定した。それから55年以上。尾田は強盗への関与そのものではなく、確定判決が認定した「石油ストーブを蹴り倒して放火した」という部分を中心に争い、再審を繰り返し求めてきた。2026年3月24日、福岡地裁は第7次再審請求を棄却。弁護側は同月27日付で福岡高裁へ即時抗告し、確定死刑判決は現在も維持されている。
| 事件発生 | 1966年12月5日 |
|---|---|
| 場所 | 福岡市の電器店「マルヨ無線」 |
| 被害 | 店員2人が殺傷、現金約22万円を奪われ店舗が焼損 |
| 被告人 | 尾田信夫、当時少年の共犯者 |
| 尾田の罪名 | 強盗殺人、同未遂、現住建造物等放火 |
| 一審 | 1968年12月24日、福岡地裁が尾田に死刑 |
| 控訴審 | 1970年3月20日、福岡高裁が控訴棄却 |
| 上告審 | 1970年11月12日、最高裁が上告棄却 |
| 第7次再審 | 2013年申立て、2026年3月24日福岡地裁が棄却 |
| 現在 | 弁護側が福岡高裁へ即時抗告中 |
元勤務先に入り、店員2人を襲って現金を奪ったと認定された
確定判決によると、尾田は元少年とともに、以前勤務していたマルヨ無線へ侵入した。宿直中の店員2人をハンマーで殴るなどして殺傷し、現金約22万円を奪ったとされた。共犯者は当時少年で、後に実刑判決が確定している。
事件では強盗と暴行だけでなく、直後に起きた火災が死刑判断へ大きく関わった。確定判決は、証拠隠滅のため尾田が石油ストーブを蹴り倒して放火したと認定。尾田側は後に、この「故意の放火」という認定を否定するようになった。
福岡地裁は1968年に死刑、1970年に最高裁で確定した
1968年12月24日、福岡地裁は尾田に死刑を言い渡した。福岡高裁は1970年3月20日に控訴を棄却し、最高裁第一小法廷も同年11月12日に上告を棄却した。最高裁事件番号は昭和45年(あ)第721号で、罪名は強盗殺人、同未遂、放火とされている。
死刑判決が確定したのは事件から約4年後だった。尾田は以後、確定死刑囚として収容され続ける。2026年3月の共同通信は、死刑確定から55年が過ぎ、現在収容中の未執行の確定死刑囚として収容期間が最長だと伝えている。
尾田は控訴審で放火の自白を撤回した
尾田側が長く争ってきた中心は、事件全体への関与をすべて否定することではない。弁護側は、捜査段階で「ストーブを蹴り倒して火を付けた」とした供述を控訴審で撤回し、火災は故意の放火ではなかったと主張してきた。
この区別は重要だ。強盗に加わったことを認める供述と、店舗火災を故意に起こしたことを認める供述は同じ事実ではない。再審請求で繰り返し検討されてきたのは、確定判決の放火認定に合理的な疑いを生じさせる新証拠があるかという点だった。
再審の焦点は「石油ストーブが本当に蹴り倒されたのか」
確定判決の筋書きでは、尾田が証拠を隠すため石油ストーブを蹴り倒し、流れ出た灯油に着火したとされた。これに対し弁護側は、ストーブが人為的に転倒していなくても、異常燃焼などによって火災が起きる可能性を示す鑑定や実験結果を提出してきた。
火災原因が故意の放火ではなかった場合、確定判決の事実認定の重要部分が変わる。再審審理では、当時の燃焼状況、ストーブの構造、火災現場の痕跡、供述の信用性などが長期にわたり争点となった。
第5次再審では実物と同型ストーブを使った検討まで行われた
日弁連の支援を受けた第5次再審請求では、火災原因をめぐる証拠が重点的に検討された。後年の再審資料では、事件当時に消火活動を行った消防関係者や現場を確認した捜査関係者の供述、ストーブの転倒・燃焼実験などが争われた経過が記録されている。
それでも福岡地裁は1988年10月に第5次再審請求を棄却し、福岡高裁も1995年3月に即時抗告を棄却。最高裁は1998年10月27日に特別抗告を退けた。法務省の再審制度に関する資料でも、マルヨ無線第5次再審請求の最高裁決定は、再審開始に必要な「明白な証拠」の判断枠組みを示す事例として扱われている。
第6次再審も棄却され、2013年に第7次請求へ進んだ
第5次請求の特別抗告棄却後、尾田側は第6次再審請求へ進んだ。福岡地裁は2008年3月に請求を棄却し、福岡高裁も2012年3月29日に即時抗告を棄却。最高裁での特別抗告も退けられた後、2013年に第7次再審請求が申し立てられた。
確定判決を覆す再審では、単に別の説明が可能というだけでは足りない。新旧の証拠を総合し、有罪認定へ合理的な疑いを生じさせる「明白な証拠」に当たるかが審査される。マルヨ無線事件では、その基準を満たすかどうかが何度も司法判断の対象となった。
第7次請求では「直立したまま異常燃焼」の可能性を主張した
第7次再審請求で弁護側は、確定判決が認定したようにストーブが蹴り倒されなくても、直立した状態のまま異常燃焼を起こし、火災につながった可能性があると主張した。火災原因に関する新たな鑑定を、放火認定を崩す新証拠として位置づけた。
この主張が認められれば、「尾田がストーブを蹴り倒した」という確定判決の中心事実へ疑いが生じる。しかし福岡地裁は、新たな鑑定を確定審の証拠と合わせて検討しても、放火認定を覆すほどの疑いは生じないと判断した。
2026年3月24日、福岡地裁は「証拠関係は元来堅牢」と棄却した
2026年3月24日、福岡地裁(井野憲司裁判長)は第7次再審請求を棄却した。共同通信によると、地裁は確定判決の証拠関係を「元来堅牢で揺るがない」と評価し、弁護側が提出した火災原因の新証拠を加えても再審開始に必要な合理的疑いは生じないとした。
この決定は、尾田が放火していないことを新たに認定したものではない。反対に、再審請求を棄却したことで、1970年に確定した有罪・死刑判決の効力は維持された。再審請求審は、元の裁判を最初からやり直す本案審理とは異なる。
弁護側は3月27日付で福岡高裁へ即時抗告した
弁護団は福岡地裁の決定を不服とし、2026年3月27日付で福岡高裁へ即時抗告した。共同通信が同30日に報じた時点で、争いは第7次再審請求の抗告審へ移っている。
したがって「第7次再審請求が最終的に棄却され確定した」とするのは正確ではない。福岡地裁で請求は棄却されたが、その決定に対する不服申立てが続いている。確定しているのは元の死刑判決であり、再審開始の可否はなお抗告審の対象となっている。
共犯者の実刑確定と、尾田の死刑・再審は別の手続
事件には当時少年だった共犯者がいた。共同通信は、この元少年について実刑判決が確定したと伝えている。尾田の再審請求は、共犯者の判決を直接やり直す手続ではない。
一つの事件で複数人が起訴された場合でも、それぞれの有罪認定、量刑、上訴、再審は個別に進む。尾田の放火認定が再審で争われ続けていることを、共犯者の刑事責任まで未確定であるかのように扱うことはできない。
55年以上の死刑確定後収容と、執行されていない現在
尾田の死刑は1970年に確定したが、2026年8月時点で執行されたとの発表はない。共同通信は2026年3月、現在収容中の確定死刑囚では死刑確定後の収容期間が最長と報じた。
ただし、長期間執行されていないこと自体が再審開始を意味するわけではない。刑事手続上は死刑確定者であり、第7次再審請求の棄却決定に対する即時抗告が続くという二つの状態が併存している。
現在の争点は「強盗事件があったか」ではなく、放火認定を覆せるか
マルヨ無線事件は、事件そのものが存在したかをゼロから争う類型とは異なる。店員2人が襲われ、現金が奪われ、火災が発生し、1人が死亡したこと、尾田と元少年が起訴され有罪判決を受けたことは確定判決の骨格となっている。
尾田側が再審で集中しているのは、火災が尾田の故意の放火によって起きたという認定だ。2026年3月の福岡地裁決定はその認定を維持したが、弁護側は即時抗告した。半世紀を超える再審の核心は、古い確定判決の一部を新たな科学的・技術的証拠で崩せるかにある。
1998年最高裁決定は、再審で「何が揺らげば足りるか」を示した
第5次再審請求をめぐる1998年10月27日の最高裁第三小法廷決定は、後の再審実務でも参照される判断となった。新証拠によって確定判決が認定した一部の犯行方法に疑いが生じるだけでは足りず、最終的には「罪となるべき事実の存在そのもの」に合理的な疑いが生じる必要があるという考え方を示した。
同時に、再審請求で新証拠を評価する際、確定判決が判決理由で列挙した証拠だけに限定せず、確定審に提出されていた証拠や再審請求後に得られた関連証拠を含めて総合評価できるとされた。マルヨ無線事件は、個別の死刑事件であるだけでなく、再審の証拠評価をめぐる判例としても位置づけられている。
ストーブが「蹴っても倒れない」ことと、放火無罪は同じ結論ではなかった
第5次再審の即時抗告審では、確定判決の放火方法を検証するため、同型ストーブを用いた実験が問題となった。ストーブの転倒方法について確定判決の説明に疑問が生じても、それだけで「尾田が故意に火を放った」という事実全体が否定されるかは別問題とされた。
この構造は第7次請求にも続く。弁護側が示す異常燃焼の可能性が、確定判決に記されたストーブ転倒方法の一部を揺らすだけなのか、それとも故意の放火認定そのものへ合理的疑いを生じさせるのか。2026年の福岡地裁は後者には至らないと判断し、弁護側はその評価を不服として抗告した。
参考資料・出典
- 最高裁判所 昭和45年(あ)第721号(1970年11月12日)
- 国立国会図書館レファレンス協同データベース「マルヨ無線事件の判決文」
- 近畿弁護士会連合会「刑事再審の現在」掲載資料(マルヨ無線事件)
- 共同通信「マルヨ無線事件 再審認めず」(2026年3月24日)
- 共同通信「2人殺傷、再審棄却で抗告」(2026年3月30日)
- 法務省 再審制度に関する法制審議会資料(マルヨ無線第5次再審決定への言及)
- 国立国会図書館サーチ「再審請求審における総合評価―マルヨ無線強盗殺人放火事件再審特別抗告審決定について」
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